とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

最近の動静

2014-08-12 22:43:57 | 最近の出来事
丁度1年前の記録を見ると、8/17に自転車の修理に行ったとある。
実は昨日、自転車の修理に行った。
前後輪パンクしており、チューブを変えて5000円弱。
思わぬ出費だが、しかし仕方あるまい。
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コロンブスの大航海時代倫理観

2014-08-12 21:18:35 | 哲学・社会
コロンブスの大航海時代であるが、アメリカへ到達した時の彼らの悪行は世に知れ渡って久しい。
彼らは単に新大陸を発見したり、あるいは異文化交流を果たそうとしていたわけではない。
その実態は富と名声、その下地には、対象地の制服と植民地化、すなわち原住民を人とも思わぬ形で接することにあった。ここに白色人種の怖さがあるが、それは原子爆弾の投下、他、東京などへの大空襲という民間人殺傷、更にはWW2の敗戦国であるから、インフルエンザ生ワクチンの実験地に日本を選定したという形で残虐性が見える形で残った。彼らに心をゆるしてはならない。
この他、アメリカ先住民に対する強制移住(チェロキー・ネイションの「涙の道」。移動時には約15000名がいたが、その内、途上で4000名が死亡するという大惨事となった)という歴史的経緯がわずか176年前であることや、あるいは黒人奴隷に対する残酷な法律(逃亡奴隷法)がわずか164年前、その後国務長官となるジャマイカン・アメリカンのコリン・パウエル氏が妻のアルマ・パウエルと結婚時に旅行をし(1962年)、米国南部には男性用と女性用と黒人用のトイレしかなく非常に困ったのが僅か52年前。黒人と白人のハーフであるバラク・オバマ氏が大統領になったのが、僅か5年前(2009年)となると、アメリカでの人種的倫理観の社会的醸成なるものはアメリカは途上国から急激なスピードで先進国化してきた経緯が見える(それでもオバマ大統領就任時には暗殺を心配する声はやはり絶えなかったが)。

さて、コロンブスに話しを戻そう。
その彼らが1492年10月12日にサンサルバドル島を「発見」、上陸。そしてキューバ島を発見し、更に黄金の国ジパングを探そうとしていたというのだから、もし彼らが本当に日本へ辿り着いていたら、その当時はどのようになっていただろうか。

まず彼らは白人以外のことなどなんとも思っていない。ので、日本を搾取するか虐待、虐殺するのにも何の躊躇も無かったと思われる。
織田信長が生まれるのが42年後の1534年であるから戦闘的サムライは余裕で存在している。日本に鉄砲伝来したのが更にその9年後の1543年であるから、防げるか防げないかの線だったのではないか。

無論、日本人にしてみれば、鉄砲を伝来せしめたこのポルトガル人は日本を「発見」したのではなく、たまたま「漂着」したのである。

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アメリカの正体

2014-08-12 13:49:20 | 哲学・社会
アメリカは正義を自認する。それは紛うことなき勝利の歴史であった。

だが、その奥に一歩踏み入れると、それは血塗られた歴史であることが分かる。特に白人に勝利をもたらしたなら、有色人種に敗北をもたらした国家システムであったのである。
南北戦争において、黒人がオハイオ川を渡ることは自由への道とされた。南部は奴隷制が認められており、南部の黒人はそれに虐げられている。北部は奴隷制が認められていない。その南部と北部の境界を決定するのがこの川であったということなのである。
http://www.southwind.us/cinderella/undergroundrailwaycincinatti.htm
< オハイオ川は奴隷州と自由州の境界をなした。南部の奴隷制から逃れようと、奴隷たちは必死の思いでオハイオ川までやってくる。この川さえ渡ることができれば。。もう自分は自由になれる。。確かに1850年まではそうだった。逃げさえしたらよかったのである。が、1850年に成立した厳しい逃亡奴隷法では、たとえ自由州のオハイオに入っても、つかまえられると、逃亡奴隷として所有主に送り返される。いや自由黒人でも誘拐されて、逃亡奴隷だと言われればそれで終わりである。自由州といえども安全ではなかった。逃げなければならない、夜の闇にまぎれて密やかに、もっともっと北へ、カナダまで。。北極星だけが頼りだった。>
信じられないことに、奴隷逃亡法なる法律が制定されていたことに注視すべきである。

また、チェロキー族インディアンはインディアン移住法によって強制移住させられた悲劇の民族である。その移動中に移動人口の1/4が亡くなったとあるので、驚きだ。

この他、アメリカに存在する考古学的価値は顧みられない。
アメリカ先住民族が作ったとされる、ピラミッドとミイラ、そして氷河期時代までに遡るこれらの歴史的実像は我々の目には届かない。


物語 アメリカの歴史 猿谷 要 P28より
「中米、南米のアステカとインカの文明がほとんど五百年前にスペイン人によって滅んだことはだれでも知っている。しかしこの百年前に北米でなされた考古学者の驚くべき発見はほとんど知られていないと言ってよい。新大陸のこの地域にかつて文化が花咲いたことや、ここでもまた<ピラミッド><築山(マウンド)>やミイラがあることや、たいへんに学術的、資料的な価値の高い宝物が発掘されたこと、さらに考古学者が今では最初のアメリカ人の生活を氷河時代まで、マンモスの狩人の時代まで、追跡できるということを、何人のアメリカ人が実感しているだろうか」
 これはドイツ人の考古学者ツェーラムが、北米考古学に取り組んで発表した『最初のアメリカ人』の「まえがき」でのべた言葉である。


アメリカは考古学的価値を顧みない。
そこに自分のルーツ(先祖)があって、アイデンティティが存在するのであれば大事にしただろうが、しかし征服対象であったそれには罪悪感は感じようとも、価値は見出さない。

これはイングランドの性質と似通う。古代ケルト人が住んでいたのを、ローマ人がやってきて、アングロサクソンがやってきて、デーン人がやってきた。
ケルトとキリスト教が融合したケルト系キリスト教は、ケルト十字という融合した形でその宗教文化を残す。

あるいは、犯罪者の流刑地として選定されたオーストラリアが、先住民のタニマニア人を絶滅させたのにも似る。

あるいは中国がチベット・ウイグル・南モンゴルに対して、民族浄化を図っているのにもこれに似る。

シンガポールの上層部は華僑が支配し、その下のマレー系がいやな思いをしているのにも似る。

世界とは、歴史とは弾圧の所作だらけだ。そこには弾圧があり、そして

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なぜJavaの人気は衰えないのか

2014-08-12 12:38:10 | IT・ビッグデータ・新技術
そう、Javaはもう廃れているころだと思っていたけれど、現在Java全盛らしい。なぜか? 

なぜJavaの人気は衰えないのか
http://readwrite.jp/archives/11578

これはおばあちゃんの淹れてくれるジャワ・コーヒーの話ではない。1995年辺りに誕生したにも関わらず、Javaは今でも使用されるプログラム言語である。事実、最近の雇用レポートで、Dice.comはJavaを2015年にプログラミング関連の仕事に就くために有利な5つの言語の一つに挙げている。

どうやってJavaはこんなに長期間、プログラミング言語の頂点に君臨し続ける事ができたのか?
人気コンテストを征服

Go言語はクラウド・コンピューティングの隆盛と共に流行し始めた。Scalaはここ10年ほど企業拡大に貢献している。その他の言語、例えばPHPやPythonも相当使われてきた。

だがJavaは、どのような調査においても、例えばIEEE spectrumによる求人とオープンソースに関する調査において、その首位に君臨し続けている。

(中略)

何故だろうか。世界はデータセンターからクラウドへ、デスクトップからモバイルへとシフトして来たのに、何故Javaはそんなに長い期間、有用でありつづけることができたのか?
Java成功の秘密

ジェイムス・ゴズリンと彼の愉快な「グリーン・チーム」が1995年に発表した当時のJavaは偉大だった。しかし成功持続の鍵は、最新のコンピューティングの要求を満たせるように進化するという、Javaが持つその素晴らしい能力にあった。

しかしながら、なによりもまず、Javaはとても親しみやすいということがあった。OpenGammaの共同設立者であるカーク・ワイリーが強調しているように、「(Javaは)一般人にとって、C++に比べて遥かに親しみやすかった」。その親しみやすさは、言語の馴染みやすさとコードの可用性という形でみられる。

Matt Asay:「Javaがこんなにも長く1位でいられるという事は驚きだ。どうしてJavaは企業やモバイル・コンピューティングにとってこんなに重要であり続けられるのだと思う?」

Kirk Wylie:「見慣れたCスタイルのシンタックスで、どんなOSでも使えて、統合用のオープンソース・ライブラリーが山ほどあって、速くてマルチスレッド、マルチコアにも対応しているから」

Javaは非常に親しみやすいため、大学の授業でも教えられる事となり、あらゆる所で見かけるようになった、とMongoDBのソリューション・アーキテクト、ヘンリック・インゴは指摘している:

Matt Asay:「Javaがこんなにも長く1位でいられるという事は驚きだ。どうしてJavaは企業やモバイル・コンピューティングにとってこんなに重要であり続けられるのだと思う?」

Henrik Ingo:「例えば、クラスには名前がついているため、優れたデザインパターンを見つけやすく、Javaは大学で教えるオブジェクト指向言語としてちょうど良いんだ」

Javaの優秀な人材を雇いたい企業各社も、人材がふるいにかけられるのを黙って見ているつもりはない。Colt Technologies社の企業アーキテクト、ファヒーブ・サビル(@_fahim) は、Javaの「検定プログラムがあれば、能力があって(仕事ができることであり、才能を意味しない)訓練を受けた開発者やアーキテクトを見つけるのが簡単になる」と提案している。

だが、その技術自体はどうなのか?

デル社のクラウド管理用製品部門ディレクター、ジェイムス・アーカート(@jamesurquhart) は、Javaが持つ技術特性が、多くの開発者達に大歓迎された理由をいくつか提示している。

1. コンポーザビリティ。必要に応じて要素を内包、又は構築できる。(EJBsはまさにこの理由で生き残る事ができなかった。)

2. 偏在性。Javaは、Java自体の構築から、インフラ及びオペレーティング・システムのサポート、そしてJava内のソリューションまで広く採用されている。これは他の言語ではsあまり見られないことだ。

3. ユーティリティ性。ほとんど全ての主要な要求に対してアドレス可能。たくさんの手製アセンブリがある。そしてモバイル、埋込型、ウェブ、様々なスケールにも対応可能だ。

この最後の点について、Castlight Health社のシニア・エンジニア、デイビッド・ヴァン・クーバリング(@dcouvering)は強調する。「パフォーマンスも素晴らしい…静的に扱えるため、巨大なコード・べースにも対応可能なのです。」
どんな仕事も必ずやり遂げる

おそらくこれがJavaの有用性の究極的な理由だろう。ライバル達と違って、Javaはどんな規模においても、多種多様なアプリケーションに用いられてきた。実際、クレディ・スイス副社長のゾハル・メラメド(@zohar_melamed)は、Javaが「負荷がかかった状況にも対応できる言語」であるとし、失敗の可能性を最小限にしたい者達が頼るべき言語と位置づけている。

テクノロジーによっては、その主な役割が別のものに奪われても、ニッチな役割を担うことによって長く生き残るものもある。産業界と演算プラットフォーム全体に渡って、Javaはあらゆる用途に使用できる際立つ存在といえる。

Dice.comがJavaを「職に就きたければ」学ぶべき言語のリストのトップに置いたも納得できる。これは2014年だけでなく2004年にもそうだった。考えてみると、それは驚くべき事である。
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中国、韓国、野菜泥棒の警告を出される

2014-08-12 12:29:57 | 海外・国内政治情報等


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