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動物が運んで来るもの、運んで行くもの・・日本人はなぜ狐を信仰するのか?村松潔氏(4・終)

2016-08-01 | 日本の不思議(現代)


村松潔氏の「日本人はなぜ狐を信仰するのか」という本のご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


              *****

          
            (引用ここから)



伏見山は連山になっている。

初期には三つの峯にそれぞれ上、中、下の三つの社を置いていた。

もともとは下社が大宮の女の神、中社がウカノミタマ、上社がサルタヒコを祀っていた。

サルタヒコは辻の神様と言われ、異質な外にある影響力を新しく持ち込む導入の神さまでもある。

ウカノミタマは、食物の女神である。

下社の大宮の女の神は巫女の女神でもあり、この点が狐と同一性が高く、現実に巫女たちを狐と同一視していた時代は長い。

心霊的な力を持つ霊的な狐と、巫女の性格を同一視したのが「命婦」という呼び名だが、伏見稲荷大社には命婦社も残されている。


「お代(だい)さん」

こっくりさんは、下田港に漂着したアメリカ船の船員たちが村人たちに伝えた「テーブルターニング」がはじまりで、これが1885年から87年にかけての第1次ブームである。

テーブルがこっくりこっくり、と動くところから名付けられたらしいが、やがて「狐狗狸」という三大動物の当て字が割りあてられ、文字板に朱の鳥居も描かれて、お稲荷の狐といつのまにか習合してしまった。


むかし、狐憑きになる人のことを「お代さん」と呼び、狐憑きは大歓迎された。

テレビも娯楽もない中では、こうしたキツネ憑きに同席することは興奮もので、そもそもこっくりさんも、そうした期待感から行うことが多かったのではないだろうか?

イザナミの住む黄泉の国、見えない世界との接点を探すのに、身近なものといえば、こういうこっくりさんや、キツネ憑きだったのだろう。

自然界の母神さまとの仲介者が狐であるから、狐憑きになった人にお願いごとをすると、神様に聞き届けられるという。

狐はこのような伝達者としての役割もあるし、精神が自然界の形のない領域に解放されるための、いわば人から人でないものに連れ出すための、精神の遊び場として使われるということも多いのではないかと、わたしは考えている。

いわば感情の体操のようなものだから、気持ちが揺さぶられればそれでいいのである。

現代ではなかなか想像がつかないが、〝自然界と交信しないで生きてゆく”ことなど考えられなかった時代は非常に長かった。

狐が住み着いていた森は聖地であり、そこには祟りがある。

狐を「御先」と呼ぶのは、狐が人よりももっとむこう、森の奥にある何者かに向かって飛ぶ「先鋒」であり、神霊をうかがうためには、この「御先」を通じてでないと接点などつくれないと考えられていたからであろう。



狐信仰にはその根底に、人類の古来からの知恵が含まれている。

国家が台頭してきた段階で、かつてのシルクロードが結んできた広範囲の知恵は損なわれ、普遍的な知識の断片は、それぞれの国のローカルな風習に矮小化されていった。

しかしその元の痕跡は、かろうじて残されている。

元のサイズに復元するには、具体的な証拠を発見するということの前に、それを解読する私たち自身が、もっと普遍的なものを理解できるように成長する必要がある。


わたしが狐に関して書いているという話をすると、半分以上の人が「狐の祟りというのはどんなことですか?」といった質問をしてくる。

祟りがあるという話の真偽を問うのは、あまり意味がないようにも思える。

すべては気のせい、と考えたにしても、私たちの心の中にある狐という集団的な記憶の持つ記号が、わたしたち自身に与える作用もあるだろうし、それに抵抗できる人は少ないと思う。

また狐というと、すぐに低劣で動物的な思いに支配されるというイメージで拒否感を持つ人も出てくる。

これは本来日本人の性質としては自然な感情ではなく、外来の感情が未消化なまま残っている結果ではないかと思う。

動物的なものと至高なものというのは対極にあるから、至高なものを目指すには、動物的なものに関与しない方がよい、という二項対立の考え方だ。

しかし環太平洋圏の思想という観点から言うと、「日常自我」から動物的な「低自我」へ、そして「高自我」へ、という進み方をしなければならない。

まずは動物的な領域へ降りることから始まるし、狐から連想する動物意識は、至高のものと対立しておらず、むしろ同居して、共に町のはずれという非日常領域に混じりあっている。

だから、狐ということで即座に出てくる拒否感や蔑視の感情は、むしろそう思うことそのものの方が間違いという気もしてくるのである。



日本の狐には長い歴史があるので、狐を通じて私たちは意識の古層に触れることができる。

それはとても貴重なことなのではないだろうか?

かずかずの稲荷神社を訪れ、ろうそくに照らされた大量の狐の像が置かれた特殊な空間を見ると、まるでこの世ならざる怪しさにいつもながら驚かされてしまう。

ここにやってくる人々はこの異様な空間の中で、いつもの人間的な意識を忘れ、言葉もまだ存在していないような原始的な意識の中に回帰しているのではないかと思う。


        (引用ここまで・写真(中・(下)は東京新宿の花園神社稲荷社)


             *****

「命婦社」を調べてみたら、こんな記事がありました。

             ・・・

「佐賀の稲荷神社、不思議な白狐の言い伝え」 
                「産経ニュース」2015・10・27
http://www.sankei.com/region/news/151027/rgn1510270030-n1.html

(略)「命婦(みょうぶ)社」は稲荷大神のお使いである白狐をまつっている。

 この命婦社には不思議な言い伝えが残る。

 天明8(1788)年、京都御所が火災となり、その火が御所の一角にあった花山院邸に燃え移った時、白衣の一団が現れて屋根に登り、消火にあたった。

 花山院の当主は礼を述べ、白衣の一団に「どこの者か」と尋ねた。

すると、「肥前の国、鹿島の祐徳稲荷神社にご奉仕する者でございます。花山院邸の危難を知り、急ぎ駆けつけお手伝い申し上げただけでございます」と答えた。

 当主は「私の屋敷などどうでもよい。どうして御所に行かないのか」と促すと、「私たちは身分が卑しく宮中に上がることはできません」と言い、消え去った。

この奇跡的な出来事を聞いた光格天皇は、白狐に「命婦」の官位を授けるよう命じた。祐徳博物館には「命婦」の文字が書かれた掛軸が所蔵されている。

               ・・・

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