「憲法9条」について語り合っているこの対談、以前ご紹介しましたが、当ブログから再掲したいと思います。
9条を世界遺産にしようではないか?というアイデアは、お笑いタレントの「爆笑問題」の太田光さんのアイデアで、当時たくさん発言や行動をしていた学者・中沢新一さんとの対談は、なかなか読み応えがあります。
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(引用ここから)
「爆笑問題vs中沢 「憲法9条を世界遺産に」(1)・・言葉は世界を変えるためにある」
2012-02-18
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012021402000030.html
脱原発「グリーンアクティブ」 「格差社会に抵抗 国民戦線」
2012年2月14日 東京新聞朝刊
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文化人類学者の中沢新一氏らは十三日、東京都内で記者会見し、脱原発などに取り組む市民団体「グリーンアクティブ」の設立を正式に発表した。
中沢氏は「原発に依存せず、むやみな自由主義や経済格差に抵抗する人々の力を集め、現状の政治を変えていく」と設立趣旨を説明した。
団体は「緑の日本」と称した将来の環境政党を目指す部門など、四部門で運営される。環境保護と経済成長の両立を目指した「緑の経済人会議」も置く。
具体的な政策では脱原発を柱に据え、消費税増税と環太平洋連携協定(TPP)の推進反対、熟議の民主主義の構築などを訴える。
中沢氏は「格差社会を助長するTPPなどの政策に抵抗していく。政治や経済を上からの改革ではなく、右も左もない草の根の民意をくみ上げ、変えていく国民戦線をつくる」と強調した。
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グリーンアクティブという政治組織を作って「日本の大転換」をめざすこととなった中沢新一氏ですが、大変意義深いことと思いますので、いろいろとご著書を読んでみました。
以下にご紹介するのは、お笑いタレント「爆笑問題」の太田光さんとの対談ですが、なかなか面白かったです。
「憲法9条を世界遺産に」というアイデアを発案した太田光氏と、中沢新一氏が敬意を込めて話し合っています。
二人の力量には何の差もなく、いい友人の楽しい会話という風で、読んでいても心地良さをかんじました。
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(引用ここから)
中沢 言葉の戦場を戦い抜くのは、ほんとうに難しい。
でも僕は今、多くの仲間たちに呼びかけたい。
言葉は世界を表現するためにあるのではなく、世界を変えるためにあるのだから、いま僕たちが
使っているこの言葉に、世界を変えるための力を取り戻してやろうではないか。
太田 平和の問題というのは、最終的には、人間の持っている愛とはなにかという問題に突き当たると思うんです。
愛が人類を破滅させる危険も十分にある。
愛がなければ戦争も起きませんからね。
中沢 あのナチズムの場合でさえ、血が結びあう共同体へのゆがんだ愛情が、ドイツ人をあそこまで連れていってしまった。
ほんとうに微妙なものなんですよ。
真理はいつも危険なもののそばにあって、それを求めると間違った道に踏み込む可能性の方が大きいんです。
太田 今の日本の風潮では、癒しという言葉が流行になって、愛情というものを履き違えていますよね。
人間の愛はもっともっと未熟で危ういものなのに、そうじゃないところに行こうとしているように見える。
誰かを憎んだり、傷ついたりすることはすごく人間的なことなんだけれど、そこを否定して逃げようとしているんじゃないか。
過去の戦争も忘れたふりをしている。
それじゃだめだろうと思う。
戦争や愛情から発生するネガティブな感情を否定することは人間そのものを否定することですよね。
中沢 未熟であること、成形になってしまわないこと、生物学でいう「幼形成熟」ということは、ものを考える人の根本条件なんじゃないですか。
矛盾を受け入れている思想はどこか未熟に見えるんですよ。
たとえば神話がそうでしょう。
神話にはちゃんとした論理が働いている。
しかしその論理は矛盾を受け入れて、その矛盾によって動いています。
そうすると未熟に見えてしまうんですね。
普通の大人はそうは考えません。
現実の中ではっきりと自分の価値付けを決めておかなければいけないという、立派な役目があるからです。
効率性や社会の安定を考えれば、そういう大人はぜひとも必要です。
僕も長いこと、お前はいつまでも未熟だと言われてきました。
しかし自分の内面にそう簡単に否定できないカオスがありますから、そのカオスを否定しないで生きて行こうとしてきました。
中沢 「ギフト」と言うドイツ語は、「贈り物」という意味と同時に「毒」という意味ももっています。
贈り物を贈って愛を交流させることは、同時に毒を贈ることだ、とでもいう意味が込められているんでしょう。
昔の人達は、この世界が矛盾でできていることを前提に生きていました。
だから矛盾を平気で自分の中に受け得入れていた。
絶対に正しいとか、純粋な愛情とか、そんなものは信じていなかったし、あり得ないと思っていたわけですね。
神話を通じて理想的な状況を考えようとしていた人々は、一方でとても現実的なものの考え方をしていた。
そういう思考法が、日本人には一番ぴったりくるんじゃないですか。
マッカーサーはよく言ったものです。
「日本人は精神年齢12才の子供だ」って。
12才といえばハリー・ポッターの年ですね。
その年頃の子どもはよく世界を凍らせるような真実を口にするでしょう?
日本人はそういう存在として人類に貢献すべきなんじゃないかな。
中沢 太田さんは「憲法9条を世界遺産に」というすばらしい発想をどんなシチュエーションで思いついたんですか?
太田 戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢な理想憲法を作った。
時代の流れからして、日本もアメリカもあの無垢な理想に向き合えたのはあの瞬間しかなかったんじゃないか。
日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしよう、というアメリカ側の思惑が重なった瞬間に、ぽっと出来た。
これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだし、国の境界すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方だと思ったんです。
アメリカは5年後の朝鮮戦争でまた降りだしに戻っていきますしね。
中沢 グールドという生物学者は、生物の進化は生物が競争して切磋琢磨している状態の中で行われてきたけれど、そういう抗争に入らないで、ゆっくりと成長を続けた生物、いつまでも“幼児型”を保ち続けた生物が哺乳類として後のち発展することになったと言っています。
日本国憲法に関しても、それと同じことが起こりうると考えるべきだと思っています。
太田さんの言うように、日本国憲法はたしかに奇跡的な成り立ち方をしています。
当時のアメリカ人の中にまだ生きていた、人間の思想のとてもよいところと、敗戦後に日本人の後悔や反省の中から生まれて来たよいところがうまく合体しているんですね。
ところが政治の世界でこんなことが起こるのはめったにないことなんですね。
政治の世界の常識が出現をずっと阻止し続けていた“子ども”がとうとう現れてしまい、それで世界は変わらざるをえなくなった。
そういうものを葬り去りたいという勢力は常に存在してきましたが、かろうじて今まで命脈を保ってきました。
もしこれを簡単に否定してしまうと、日本人は確実になにか重大なものを失うことになるはずです。
(引用ここまで・続く)
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wikipedia「幼形成熟」より
ネオテニー(neoteny)は、動物において、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象のこと。幼形成熟、幼態成熟ともいう。
ネオテニーと進化論
進化論においてネオテニーは進化の過程に重要な役割を果たすという説がある。
なぜならネオテニーだと脳や体の発達が遅くなる代わり、各種器官の特殊化の程度が低く、特殊化の進んだ他の生物の成体器官よりも適応に対する可塑性が高い。
そのことで成体になるまでに環境の変化があっても柔軟に適応することができるとされる。
たとえば脊椎動物の場合、それに近縁な無脊椎動物として重要なものにホヤ類などがあり、それらでは幼生で脊椎動物の基本に近い構造が見いだせる。
このことから、そのような動物のネオテニーが脊椎動物の進化の始まりであったとの説が唱えられた。
しかし異論もあり、たとえばより似通ったナメクジウオに近いものを想定する説もある。
また、そのような現生の動物にこだわらなければ、ホヤの幼生の様な姿の祖先的動物がいたと考えた方が簡単ではある。
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