沖縄の「赤田みるくウンケー」
茨城の鹿島地方に、古くから「鹿島踊り」という名の踊りが伝わっている。
偶々知ったこの踊りについて、わたしはもうずいぶん長いこと思いをはせている。
この踊りは鹿島神宮のお祭りに奉納されるものなのだけれど、古くは土地の神、たたら神への信仰であるという。
その「鹿島踊り」に、さらにもうひとつ重なって、「みろく踊り」があったことが確認されているが、いまも現存する「みろく踊り」というものは、少ないようである。
それらは鹿島の他、静岡、千葉、神奈川、の太平洋沿岸各地に、現在も「鹿島踊り」(ミノコオドウ)としてごくまれに残されている。
また、秋田地方には「鹿島流し」という風習がある。
華やかな船に、わらの神様を乗せて、川を下る。
鹿島流しHP
http://puchitabi.jp/08/06/post-1037.html
「鹿島様」と呼ばれる、3,4メートルもの大きなわらの道祖神も多く伝えられる。
村を見守る鹿島様HP
http://www.pref.akita.jp/fpd/bunka/kashima.htm
これら各地で伝承されている「鹿島」とは、何なのだろうか?
「みろく歌」はこのように歌われる。
「まことやら ○○に みろくの船がついた。。」
「よのなかは 孫末代 弥勒の船が続いた。。」
この歌詞は「俵木」という名の俵木氏の研究論文ファイルから引かせていただいた。
「みろく踊り」は、海のかなたから船に乗ってやってくる神様たちが運んできてくださる幸せが、未来永劫にわたって続く夢のような世界を待ち望んで、踊り、歌われたのである。
Wiki弥勒信仰より抜粋
戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、ユートピアである「弥勒仏の世」の現世への出現が期待された。
一種のメシアニズムであるが、弥勒を穀霊とし、弥勒の世を稲の豊熟した平和な世界であるとする農耕民族的観念が強い。
この観念を軸とし、東方海上から弥勒船の到来するという信仰が、弥勒踊りなどの形で太平洋沿岸部に展開した。
江戸期には富士信仰とも融合し、元禄年間に富士講の行者、食行身禄が活動している。
また百姓一揆、特に世直し一揆の中に、弥勒思想の強い影響があることが指摘されている。
(略)
沖縄県では、「ミルク神」、「ミルクさん」と呼び、弥勒信仰が盛んである。
祭りでは、笑顔のミルク仮面をつけたミルク神が歩き回る。
弥勒菩薩の化身とされた布袋との関係が指摘されている。
沖縄のみろく信仰は、中国、アジア一帯の弥勒信仰のひとつと考えられている。
HP「ミルク面と弥勒信仰」
http://www.kt.rim.or.jp/~yami/hateruma/miruku.html
関東で踊られた実際の「みろく踊り」とは、どのようなものだったのだろうか?
千葉・房総で踊られている鹿島踊りについての観光HPを見ると、
房総では、「鹿島踊り」と、「みろく踊り」がはっきりとふたつに分けて伝承されている。
南房総データベースHP「洲崎(すのさき)おどり」より
http://furusato.awa.jp/modules/dbx/?op=story&storyid=643
毎年、2月の初午(はつうま)と、8月の神社例祭に奉納されるもので、弥勒(みろく)踊りと鹿島(かしま)踊りの2種類からなり、土地ではこれを総称してミノコオドリ」と呼んでいます。
このふたつの踊りは、いずれも海の安全を司(つかさど)る鹿島の神に関係しています。
鹿島踊りは、鹿島の神人(じにん)が一年の豊凶を告げ歩く「事触(ことぶ)れ」に由来するもので、悪霊払いを目的としています。
一方、弥勒踊りは、世直しを願う念仏踊りの系譜にあたり、弥勒が遠い海の彼方から訪れ、富や豊作をもたらすという内容になっています。
このように、弥勒信仰が鹿島信仰の中に習合された形は多くみられるものですが、洲崎踊りのように両者を明確に区別して踊り分けている例は珍しいといえます。
踊り手は、現在は小学生から中学生までの女子ですが、かつては20歳前後の成人女性も加わり、見物人から嫁にほしいと言われることもしばしばあったといいます。
さらに遡った明治期には成人男性が踊っていましたが、それがなぜ女子に変わったのか、そのいわれは定かではありません。
オンドトリの太鼓と歌に合わせて、少女たちが輪になりゆったりと踊ります。
手に持っているのはオンベと扇で、鹿島踊りの時は扇のみを使います。オンベは、初午の時には青竹にサカキと五色の幣束(へいそく)をつけたもの、例祭の時には木に白い幣束と鏡をつけたものをそれぞれ使用します。
「洲崎踊り」は昭和48年11月5日、国選択無形文化財となっています。
【歴史】>伝統芸能・洲崎・波左間のミロクオドリ
【安房の観光情報】>洲崎踊り 館山市
本土の「みろく踊り」の動画は見つけられなかったので、「鹿島踊り」の動画を載せる。
初島に行こうよHP
http://www.hatsushima.jp/find/history.html
この伊豆七島・初島の観光パンフレットには、伊豆七島・初島に伝わる「鹿島踊り」について書かれている。
初島は古来関東の太平洋沿岸の海上の要地として7000年もの歴史をもつと書かれている。
海の向こうからやってくる神様を乗せた船をまちのぞむ沖縄のみろく信仰。。
それとおなじ信仰様態が、近世、伊豆や千葉や茨城や秋田の沿岸地帯一帯に広く分布していたというのである。
それは、沖縄の人々が海に寄せる、海のかなたの何ものかへの信仰心と郷愁が、関東地方の人々にも同様にあったということなのではないだろうか?
あわせて、「みろく」という言葉への、わたしたち現代の人間の思い、信仰心と郷愁、も感じないではいられない。
「みろく」とは、いったい何ものなのであろうか?
なぜ、この言葉はかくも深くわたしたちを揺さぶるのであろうか?
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