始まりに向かって

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七福神と障がい者・・花田春兆氏・日本障がい者史(1)

2016-11-19 | 日本の不思議(中世・近世)



脳性麻痺の俳人・花田春兆氏がライフワークとして取り組んでおられる「人物・日本の障がい者史」として書かれた部分を、同書「日本の障がい者・今は昔」より一部ご紹介します。

          
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        (引用ここから)


●古代(神話・伝説の世界・奈良時代)

「ヒルコ」

日本の「障がい者」は、歴史の始まりと共に登場します。

「古事記」という日本に現存する最古の歴史書、この書物のごく初めの部分にイザナギノミコトとイザナミノミコトという男女二人の神が出てきます。

日本版のアダムとイブとでも言えましょうか?

この二神の間に生まれた最初の子供が、3歳頃になっても手足がグニャグニャで、口もきけない。

現代風に言うと、未熟児出産による脳性麻痺の「重度障がい児」でした。


水田の中をヒラヒラ泳いで生き物の血を吸うヒルに似ている、というので、「ヒルコ」と名付けられたその子は、神として成長することもなく、葦の舟に乗せられて、海に流されてしまいます。

両親が新しい国造りの仕事に忙しかったからです。


歴史の表面からは消されてしまった「ヒルコ」ですが、長い歳月の後に、民間信仰の中で「福の神」の「エビス」として復活するのです。

「蛭子」と書いて「エビス」と読ませている例があるのですから、これ以上の証拠はないことになりましょう。



この神様は耳が遠いので、願い事をするときは神社の羽目板をけとばして念を押す、という妙な風習があるのも、言語障害があって返事の確認がしにくい脳性麻痺患者の特徴と関係付けられそうです。


この「エビス」という「福の神」は、釣った鯛をかかえた姿で知られるように、漁業の神として祀られるのです。

流された葦の舟が沈まずに、陸に流れ着いた「ヒルコ」は、その土地土地の人々に支えられ、岸に腰を据えたままできる釣りを覚え、じっと集中ができるところから、やがて潮具合を見ることにも上達して、人々にも教えて重宝がられたのでしょう。

そう解釈すれば、立派なリハビリテーションです。


●七福神



この「エビス」をはじめとする7人の「福の神」を祀る信仰は、江戸時代の中期以降(18世紀後半)にさかんになるのですが、ただ一人の女性である弁財天を除いて、後の6人は皆、「障がい者」ではないか?、などとその頃の庶民の風刺の詩には詠まれています。

「弁天を のぞけば 片輪ばかりなり」   古川柳

そう言われてみれば、「エビス」の脳性麻痺状態をはじめとして、精神薄弱とか水頭症とか骨異常とか、異常な肥満とか、障がい者と見られそうなものばかりなのです。



もっとも、名のある「福の神」ではなくても、福子伝説、福子信仰と呼ばれるものは日本の各地に存在しているようです。

障害を持った子が生まれると、その家は栄えると言われていて、そうした子供は大切に育てられたのだそうです。

これは、障害児が生まれるとその分負担が大きくなるのは当然でしょうが、それだけに親は覚悟を決めて働けば、一家が心を一つにして励むことで、結果として繁栄することになるというのでしょう。

そうした現象を、他の家の人々は、あたかも「その子供が福を持ってきた、と言ったのでもあり、当のその家の人たちも、そう思うことによって気を取り直したことでしょう。


「七福神」は多国籍集団とも言えます。

純粋に日本産なのは「エビス」だけで、「エビス」と相称される「ダイコク」は、これが「大国主命」であるとすれば日本産ですが、「大黒天」が本当だとすれば、明らかにインドの神様なのです。

他の5人の神は、紛れもなくインドと中国の神なのです。



これはわたしの推論なのですが、日本で「障がい者」が歴史の表面に現れてくるのは、大陸からの帰化人とか南蛮人と呼ばれたヨーロッパ人などの渡来によって他民族を意識させられた時代ではなかったかと思われるのです。



話を再び1200年以上も昔に書かれた「古事記」の世界に戻しましょう。

「ヒルコ」以外にも「障がい者」と思われる存在が記述されています。


先ほど「福の神」として名の出た「大国主命」(ダイコク)を助けて国造りに功績のあった「スクナヒコナノミコト」は間違いなく「小人」でした。

父神の手の指からこぼれ落ちたこの神は、イモを舟にし、小鳥(または蛾)の皮を丸剝ぎにしたのをそのまま着て登場します。

いかに小さいか分かるでしょう?

この「スクナヒコナノミコト」を「大国主命」に紹介、橋渡ししたのが「クエビコ」という神です。

この神は、片方の足しかなかったのです。

稲田に飛んできて稲をついばむ雀を追い払うために立てられる一本足の粗末な人形を、日本では「カカシ」と呼んで、田園の風物詩でもありますが、その「カカシ」の祖先ということになりましょうか?

「クエビコ」についての「古事記」の紹介文が、まことに良いのです。


「足は行かねど、天が下のこと ことごとく知れり」、というのです。


神話、伝説から歴史の世界へ移ります。

「古事記」の成立した時代は、大和地方(奈良)を本拠地にした天皇家が勢力範囲を広げて、統一国家をめざしていた時代でした。

「古事記」が書かれたのも、天皇家の正当性を立証し、誇示するのが目的だったのです。

統一国家としての強い中央集権の確立をめざして、公地公民を基盤にした法律を定めました。

この法律の中に、「障がい者」が堂々と明記されているのです。

租税の免額措置です。

一般の人々に土地を分けて耕作させ、収穫の大部分を納めさせるという制度の中で、「障がい者」は納める額を減らすという規定です。

それも「障がい」の種類と軽重の度によって、いくつかのランクに分けている、まことに見事なものです。

公の法律で「障がい者対策」を明示している法律は、第二次世界大戦後の現在に至るまであまり知りませんから、この古代の法律は実に画期的なものだと言えましょう。


大胆な推論をするなら、この二つの時代、つまり大和朝廷の成立期と第二次世界大戦の敗戦後とには、共通するものが大きいのです。

社会基盤の変動によって、「障がい者」が社会の表面に現れざるをえなかったという点です。

天皇家を中心とした大和朝廷による国家統一が進むにつれて、それまでの地方豪族は滅ぼされていきます。

豪族制から貴族制への移行です。

それによって豪族の保護下にあった人々が、庇護を失って、巷に流れ出したことが考えられます。

それと同じに、今般の敗戦下では、直接戦災によるものはもちろん、核家族化の進行による家族主義の崩壊傾向によって、大家族の壁の中に守られていたものがいきなり外に放り出されるような現象もあったのです。


もう一つこの時代は、今で言う「社会事業」に当たるものが盛んだったようです。

悲田院(=老人ホーム)、施薬院(=医療施設)に代表されるのがそれです。

直接「障がい者」のためのものとはうたっていませんが、どちらも対象者の中に多くの「障がい者」が含まれていたことは疑いがないでしょう。

そしてそうした福祉事業のシンボル視されていたのが、藤原家から天皇家に入った光明皇后ということになっています。

          (引用ここまで)

写真は1984年1月号・雑誌「太陽」「特集・新年七福神巡り」より

上から

「各地の土人形の恵比須神」
「浅草寺の節分行事の七福神」
「隅田川七福神発祥の元となった、向島百花園の福禄寿(ふくろくじゅ)神」
「京都・長楽寺の布袋尊」

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