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「バスク十字」と「カギ十字(卍)」・・ヨーロッパ先住民族の十字マーク

2009-01-15 | その他先住民族
前回の続きです。

エハン・デラヴィ著「太陽の暗号」によると、フルカネリの分析について別の研究者ジェイ・ウェイドナーが検証を続けました。


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ジェイ・ウェイドナーはフルカネリの残した暗号を、何年間もかけて解明した。

その一つの手がかりは、ペルーに関する研究である。

16世紀の初めにペルーのインカ帝国を征服したスペイン人のフランシスコ・ピアロと共にペルーに辿り着いたフェリッペ・グアマン・ポマ・デ・アヤラによって書かれた記録書には「インカのシンボル」というタイトルで、太陽、月、星、そして洞窟のスケッチが描かれていた。

おまけに洞窟のイメージにはAという文字が浮き彫りになっていた。
すべて「アンダイの十字架」の台座の四つのシンボルと同じものである。

さらに「アンダイの十字架」とペルーの共通点を探ってみると、驚くべき事実が浮かび上がってきた。

アンダイの十字架のあるフランス・バスク地方の民族は、他のヨーロッパの白色人種とは全く人種が異なっていたのである。

背は小柄で、どちらかというと浅黒い肌の色をしているバスク民族をDNA鑑定したところ、彼らともっとも近いDNAをもつ人種はペルーのケチュワ族であることが判明した。

つまり、彼らはペルーからバスク地方に移り住んだと考えられる。
ウェイドナーは追及の手を緩めなかった。

アンダイの十字架に彫られていた「生命はただ一つの場所に逃れる」というフルカネリが解釈した場所がどこであるかを突き止めたのだ。

ウェイドナーによると、そのラテン語には「クスコの洞窟」という意味が込められているという。

さらにラテン語の上には二つのXが彫られている。
これはもちろん、数字の20を意味する。
そう、タロットカードのナンバー20、つまり最後の審判をあらわしていたのだ。

たしかにわたしも、ペルーを訪れた際、クスコの周辺にとても古い巨大な洞窟システムが地下深く眠っていることに気付いた。

ここが最後の審判の時に、世界で唯一被害に遭わないと予言された場所なのだろうか。


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ウェイドナーによると、バスク地方の民はヨーロッパ起源ではないということになります。

一般的には、ヨーロッパ起源ではないというよりは、ヨーロッパが成立する以前からの先住民族だと考えられているようです。

バスク地方に住む人々は旧来からヨーロッパの最も古い民であり、ヨーロッパの中の異質な民であるとされ、独立運動もはげしく行われてきました。

Wiki「バスク語」と「バスク人」には次のようにあります。


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言語学上の位置付け

居住地の周りをロマンス語の言語に囲まれているにもかかわらず、バスク語は世界のどの言語とも異なる極めて独特な言語である。
語源が注目される単語として「ナイフ」「天井」等がある。

イベリア半島では正体不明の非印欧語族の痕跡も見つかっている事から、そのため、インド・ヨーロッパ語族言語を話す民族がヨーロッパに入ってくる以前から話されていた、氷河時代の先住民族の言語ではとも考えられている。

日本語との親族関係も指摘された事があるが支持されてはいない。

後述の能格の存在から、カルトヴェリ語族に分類されることもあったが、現在は比較言語学上、孤立した言語に分類される。



バスク人

バスク人は、系統不明の民族で、イベリア半島のバスク地方に分布する。

文脈により以下の定義を有す。
• バスク民族に帰属すると考えている人。
• バスク語を母語とする人。

古代の時点でローマから自治を許され、中世から近世にはバスク人の王(アリスタ)の末裔達がイベリアの並み居る王家を継承するなど権勢を誇った。

現在最も有力な仮説とされているのは、イベリア半島における現生人類の第一居住民とされるイベリア人(イベリア語)集団がローマ化されないままに現在のバスク地方に残り、彼らの話していた言語が語彙的に周辺のオック語やカスティーリャ語などの影響を受けたのではないかという説である。

バスク人は85%がRh-型の血液である。

このことから、バスク人はヨーロッパで最も古い種族ではないかと推測されている。

頭蓋骨の人種的特徴や、孤立した言語、また地域的なことからクロマニョン人の唯一の末裔とする説を唱えた研究者もいたが、現在はやや懐疑的である。
バスク人とヨーロッパ系民族は混血しており、クロマニョン人の血はバスク人以外にも流れていると考えられていることも理由である。



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バスク地方には、ピカソの絵で有名なゲルニカという町があります。

この町は、第二次大戦前、スペインの右派フランコ政権とそれに加担するドイツのナチス、イタリアにより攻撃を受け、甚大な被害を受けました。

この攻撃は、一都市の無差別爆撃という新しい戦法を用いたものでした。

当時台頭してきたナチスがゲルニカを攻撃目標に定めたのは、バスク民族という“非アーリア人”が格好の標的になったためではないでしょうか?

ちなみに、バスクのシンボルはバスク十字(ラウブル)というカギ十字(卍)で、これはガトーバスクという名物菓子に描かれたり、スカートやリネンに刺しゅうされたりしておみやげにもたくさんあるようです。

カギ十字は氷河期からの血統をもつバスク民族の古来からの伝統的文様であり、今でも生活の中に溶け込んでいる文様なのですから、ナチスのカギ十字などひよっこのようなものでしょう。

それなのに、非アーリア民族としてナチスの攻撃を受けなければならないとは、歴史とは皮肉なものだと思います。

このバスク地方に関して、ヒットラーはとても関心をよせていたようで、エハン・デラヴィ氏の「太陽の暗号」には、彼が「アンダイの十字架」を見にきたことが書かれています。


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アンダイの塔は、正方形の台座の上に立つモニュメントの、さらに一番上に十字架が載っている。
ヨーロッパに行けばどこにでもありそうな、めずらしくもなんともない塔である。

しかし、アドルフ・ヒットラーが権力の頂点を極めていた時、彼はわざわざアンダイの塔があるスペインとフランスの国境の接したバスク地方にまで足を運び、その塔に彫られているシンボルを見にきたと言われているほど、非常に重要な意味が隠されている塔だという。

ヒットラーがオカルトや秘密結社に強い関心を示していたことは、多くの人が知るところだが、彼はその塔を自分自身の目で確かめるために
小さなその村に出向いていったのである。


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バスク十字は、十字という文様の大変古い形を示しているのではないかと考えます。

キリスト教の現れる前から十字の文様はあり、ナチスの現れる前からヨーロッパにカギ十字(卍)の文様があったということは、人間の精神史を考える上でも、興味深く思われます。

十字架はキリスト教のものであり、カギ十字(卍)はナチスでいまわしいもの、という常識から自由になることも意味あることかもしれません。



写真はwiki「バスク人」より“バスク国のシンボル・ラウブル”
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