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(再掲)やまゆり園殺傷事件・「ピープル・ファースト運動(1)・・独立宣言「障がい者自らが、決める」」

2017-07-30 | 心身障がい



知的障がい者施設やまゆり園の殺傷事件から1年たちました。

哀悼の意を込めて、当時の当ブログの記事の再掲を続けます。

これは世界での障がい者の当事者の運動を記録した本のご紹介です。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

                 *****

              (引用ここから)

ピープル・ファースト運動(1)・・独立宣言「障がい者自らが、決める」
                                    2016-11-09


横浜で開かれた「ピープル・ファースト」運動が、世界でどのようにして始まったのかが書かれている「ジョセフ・P・シャピロ著「哀れみはいらない・・全米障がい者運動の軌跡」という本を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****

          (引用ここから)


「ピープル・ファースト」

「私たちはこれから決議について投票します」。

約300人の聴衆は、「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利・意見を主張する)」という運動の草分けである。

どこに住みたいかから、他人からどう呼ばれたいかまで、あらゆることを「知的障がい者」自らが決定する、この原則を元にした、新しい運動である。

「今日は皆さんに、二つのことを是認していただきたいと思います。

まず皆さん一人一人が、〝雷を鳴らして″ください。

それから皆さん一人一人が、自分の権利をしっかり主張してください」。


集まった聴衆の多くにとっては、会議に参加することだけでもかなり思い切った、反逆行為とさえ言えた。

それまでずっと自分以外の誰かによって、人生をどうするかを決められ、何をどうするか言われ続けてきたからだ。


その日、「ピープル・ファースト」の会議が終わる頃、「知的障がい」を持つ人々にとっての重要な課題を掲げた「独立宣言」が採択された。

混沌とした雰囲気の会場には大きな喜びが溢れ、まさに人々が〝雷を鳴らして″いるかに見えた。

宣言にはこんなことが書いてあった。

1・州の大規模収容施設を閉鎖することを望む

2・職場や作業所での有給の病気休暇を望む

3・これらの場所での休暇、祭日には休めることを望む

4・自分たちは男女交際の権利がある

  グループホームや施設においても、自分が選んだ相手とセックスする権利がある

5・「知恵遅れ」、「精神薄弱者」という言葉は邪悪だ。
  私たちがまるで子供で、他人に依存する存在 で   あるかのように見せかける。
  この言葉をこれ以上使わないことを望む
  どうしても言わなければならない場合は、「知的遅滞のある人」と言うこと

6・とにかく私たちのことを、まず人間として(people first ピープル・ファースト)見てほしい。


「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利・意見を主張する)」は、「知的障がい」を持つ人々による新しい権利運動だ。

周りに過少評価され、自分で選ぶ機会も奪われ、「永遠のこども」として扱われ、人より劣った人生を送るのも当たり前と思われてきたことに対して起こした「自己決定の運動」である。

「障がい者権利運動」の一つとしても位置付けられるし、「知的障がい者」に特化された問題に焦点を当てた運動とも言える。

この活動は全米各地で見られる。

カリフォルニア州では、州議事堂の前で集会を開き、社会サービス(「障がい者」、高齢者、低所得者、少数民族などに対するサービス)全般の予算削減に反対した。

デンバーでは、出来高払いの賃金しか払っていなかった作業所で働いていた「知的障がい者」たちがストライキを起こし、障がいを持たない同僚と同等の給料を要求した。

またコネチカット州では、州会長モンローが州立施設に住んでいる「障がい当事者」のために記者会見を開き、たくさんの人を集めた。

彼らが地域のグループホームに移行する一助となったらしい。

「全米知的遅滞者協会」が行った1990年非公式の調査によれば、現在アメリカには374の「ピープル・ファースト」の支部、および同様の団体があるという。

この数は1985,87年には200だったことを考えれば、著しく増加している。

「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利や意見を主張する)」は、参加者が多く、発想の新しさにおいて、大きな影響を残した。

中でも意義深かったのは、専門家や親たちが、「知的障がい者」を意思決定の過程に参加させた点だ。

この概念自体は以前から言われ、なにも新しくはなかったが、今までは申し訳程度にしか努力されなかった。

「障がい」を持つ者には、持たない者と同等の決定権が与えられなかったのだ。

しかし今回は違う。


たとえば「全米知的遅滞者協会」は、「ピープル・ファースト独立宣言」にある「精神薄弱という呼び方をやめて」という要求に応えて1991年、名称を「The Ark(アーク)」に変更した。

この「セルフ・アドボカシー」は、「知的障がい者」対象のサービスを担う専門家への、第二の革命と言えた。

それでは第一の革命は?というと、それは第2次世界大戦後、「知的障がい者」を子に持つ親たちが始めた。

親たちは当時、「知的障害」を持つ子供にもっとサービスを提供してほしいと訴えたが、同時に、医師や専門家が人を見下したような態度をとっていることにも不満をつのらせていた。

親たちは元々、「障害を持った子供」がいることに対して、後ろめたさを感じていたが、医師はそんな気持ちも解せずに親に接し、彼らに子供に関する意思決定などできっこない、能力がないと決めつけていたのである。

この不満は、いくつもの団体設立につながった。

一つは1950年代に創立された「全米精神薄弱児の親と友の会」で、さきほどの「アーク」の前身だ。

これらの団体は親に対する専門家の見方を変革させ、最終的には両者が対等なパートナーとしてアドボカシーを行うまでに持って行った。

今日の「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利や意見を主張する)は、この「第一の革命」の功績を一回り大きくさせたと言える。


「アーク」の創立者の一人は説明する。

「親たちの運動は、当初とは違って疲労困憊してしまい、「知的障がい者」の生活を向上させる新鮮なアイデアが、今度は、「障がい者」自身から生まれたのです」。

コネチカット州の「ピープル・ファースト」の顧問は、「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利や意見を主張する)の方が親たちよりも力強い権利の闘士だと感じる。

「息子や娘にほとんど期待するな、と言われ続けてきたのが親です。

だから親は自分たちの要求する水準以下でも喜んで受け入れてしまう傾向がありました。

が、当事者の運動=「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利や意見を主張する)」は、「障がい者」自らの選択が良い、という信念を決して譲らない。

当事者の「障がい」がどんなに重くても、この信念は絶対に譲らないのだ。

ここは自由の国です。言いたいことを言っていいのです」。


専門家や「障がい」のない世界に対する反乱である「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利や意見を主張する)」。



しかしこの反乱は、逆説的にも「知的障がい」を持たない人々に頼って成り立っている。

「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利や意見を主張する)」の核心である「自己主張」をするためには、複雑な情報を得、その中から選択をし、最終的な判断を下さなければならない。

しかし「知的障がい者」は、このプロセスで困難が生じる。

自己主張のためには、どうしても周囲の助けが必要になるのだ。

もう一つの逆説は、「セルフ・アドボカシー(自分で自分の権利や意見を主張する)」が、挑戦の対象である専門家や「知的障がい」の無い世界から奨励されてきたことである。

たとえば「第1回コネチカット・ピープル・ファースト会議」では、州の「知的障がい局」のコミッショナーが挨拶に立った。

「すべての人々が対等に存在する、全く新しい世界。皆さんはこういった世界を作ろうとなさっています。新しい時代を担う皆様方に脱帽します」。


「知的障がい者」と呼ばれる人々の能力と経験は、決して一様ではない。

コネチカット州の会議に参加した「セルフ・アドボケイト」を見れば、このことはよく理解できる。

参加者の大半はグループホームに住むか、親と一緒に住んでおり、ごく少数は一人で暮らしている。

けれども中には会議終了後に、大規模収容施設の自分の部屋に戻る人たちもいた。

彼らはそこで人生の大半を過ごしてきた。

参加者の大半は、軽度の「知的障がい者」である。

「アーク」によれば、アメリカには750万人の「知的障がい者」がいるが、その89%は軽度と判定されている。

この意味でコネチカット州の参加者は平均的だ。

ただ一口に「軽度」と言っても、読み書きがしっかりできる人もいれば、他の人に自分の言いたいことを理解させられない人もいる。

また大半は仕事を持っているが、他の「障がい者」と一緒に隔離された施設で生活している人もいる。


          (引用ここまで)

            *****


とても西洋的な文章で、読むのに少し苦労しましたが、このような世界的な障がい者運動の歴史を知ることは、大切なことではないかと思いました。

わたしの子供時代には、学校で障がいのある子どもと友達になった記憶がありません。

わたしの子供たちの学校時代には、数人の障がいのあるお子さまの姿を見かけたように思います。

わたしは全然歴史を知らなかったのだと、改めて思っています。


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