始まりに向かって

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「第三の眼・秘境チベットに生まれて」(1)ロブサン・ランパ著・・東洋にうまれる人

2018-08-11 | メディテーション


「チベットの死者の書」のご紹介をしようと思っていたのですが、最初からポアのことがでてきてしまいので、良くないと思い、いろいろと見ていたのですが、この本もとても面白い本です。

出版年が、昭和32年とあり、古書ですが、わたしはいつごろ、どのようにしてこの本を手にいれたのか、ぜんぜん記憶にないのです。

気が付いたら、手元にあった、という気持ちがします。

それほど、この本にあることは、わたしにとっては、自分ときりはなせないことであるようにおもわれます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

            *****


         (引用ここから)


 「死をみちびくために」

ある日、死をつかさどる高僧がわたしを呼びにきた。

「たましいの解放を、どういうふうにやるか、実地に教えてあげよう、ロブサン。今日、わしといっしょに来なさい。」

私たちは長い廊下を通って、すべりやすい階段をおり、トラバの部屋に入った。

「病室」であるここには、一人の年配の僧がいて、彼は私たちすべてがいつかは通らねばならぬ、あの道の戸口にいた。

彼はかすかに動いていたが、それは非常に弱々しかった。

彼の力はおとろえ、わたしが注意して見ると、その生命の金色は色あせつつあった。

どんなことをしてでも、臨終の間際までこうした状態の彼はその意識を保たねばならなかった。

わたしと同行したラマは、老僧の両手をとり、やさしくそれを握った。

「おまえは肉の苦役からの解放に近づきつつあるのだ。

老人よ、安楽の道が通れるように、わしの言葉をようく聞くのだ。

お前の両足が冷たくなってくる。

お前の生命はまさに尽きなんとし、一刻一刻その終末へと去っていく。

心静かであれ。

老人よ。おそろしいことはなにもないのだ。

生命は両足から次第に離れ、そして目の前はだんだん暗くなっていく。

死の冷たさは、細りゆくお前の生命のあとを追って、上へ上へと這い上がっていく。

心静かであれ。

老人よ。

なぜなら偉大なる実在世界へと生命が去ってゆくことは、すこしもおそろしいことでないからだ。

永久の夜のかげは、お前の目の前にしのびより、呼吸はもう、喉のところでごろごろいっている。

来世の歓喜にあふれる楽しい解放の時はもうそこに近づいた。

心静めよ、老人よ。

救いの時は近付いたのだ。

そう言いながら、ラマは、死にゆく男の胸から頭のてっぺんにかけてさすり続けた。

これはいつも、魂を楽に解放させてきた良い方法だった。

行く手の落とし穴と、それらをいかに避けるべきかについて、くりかえし語られた。

彼の道は克明に描き出されたが、この道はかつてそこを通り、来世とテレパシーによって話を続けて
いる、これらのラマたちによってすっかり地図にされていた。



もう目が見えなくなった、老人よ。

そして、息は絶え絶えになっている。

体は冷たくなり、そしてこの世の音は、もうお前の耳には聞こえない。

心安らかであれ、老人よ。

死はいまやお前をおおっているのだから。

話した通りの道を歩むのだ。

そして平和と喜びはお前のものになるだろう。

老人の霊気がなおいっそう暗くなりはじめ、ついに消え去ったときにも、さすり続けられた。

古式にのっとって、もがく魂を完全に解放するため、突然のつんざくようなひと声がラマによって叫
ばれた。

動かないからだの上には、生気が雲のような塊となって集まり、狼狽したようにうずまいていたが、
やがてまだ銀のコードによって結ばれている肉体そっくりの煙状の型に固まった。

このコードは次第に細くなって、へその緒を切られて赤ん坊が生まれ出るように、この老人が次の生
命の中に生まれ変わるのであった。コードは細くなって、ほんの髪の毛ほどになり、そして離れた。

徐々に空に浮かぶ雲のように、型はひそやかに去っていった。

ラマはテレパシーによって、霊魂の門出の案内を指示しつづけた。

「お前は死んだ。

ここにはもうお前のなにものもないのだ。

肉の絆は放たれた。お前はバルド(死後の中間世界)にいるのだ。お前はお前の道を行くのだ。

われわれはわれわれの道を行く。

命ぜられた道を続けるのだ。

このまぼろしの世界を捨て、偉大なる実在の世界へ入るのだ。

お前は死んだのだ。

お前の道を進みつづけるのだ」。

香煙は渦巻いて登り、重苦しい空気をその平和なゆらめきでしずめた。

ラマのテレパシーによるさしずの言葉だけが部屋の静寂の水面にさざなみをたてていた。

死んだ老人は長い輪廻の道へと旅立った。

おそらくこの世で彼がまなんだことは役に立つだろうが、しかも仏の世界に達するまでには、長い長
い精進をつづけるべく定められているのだ。



死体は正しく蓮華座の姿勢に座らされ、死体を処理する人間を呼びにやる一方、旅立った霊魂にテレ
パシーの指導を続ける人々が招かれた。

これは3日にわたって続けられ、その3日の間はラマ僧たち
がおうたいで勤行をおこなった。


          (引用ここまで・写真(下)は、著者が出版社に送ってきた近影)

           *****

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