「ホピ・神との契約・この惑星を救うテックワ・イカチという生き方」という本を読んでみました。続きです。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
テックワ・イカチとは、ホピ語で「大地と生命」という意味で、「大地と交わり生命を祝う」、と解されます。
この言葉はホピの人々にとって、とても大切な言葉なのだと思います。
ちょっと引用が長くなりましたが、長老の承認のもとに書かれたホピ族の歴史であり、またホピ伝統派のニュースレター「テックワ・イカチ」がどのような経緯で発刊されることになったのかについての、とても貴重な文献でもあるので、抜粋して引用を続けさせていただきます。
*****
(引用ここから)
長老たちは胸を痛めた。
それまでは彼らは自分たちの時代には最悪の事態は起こるまいと考えていた。
少なくとも、子どもと孫の代までは。
オライビの「命のひな形」の喜びを経験できるよう、未来に引き延ばせると希望を託してきた。
だがそれも今や、実現不可能な望みと化していた。
民の心を変えない限り、それは不可能なのだ。
長老モノンギエを「テックワ・イカチ」発刊へと動かした思いはここに始まりを見る。
中でもマサウが予言した環境問題は1970年に頂点を迎えていた。
現代の人間が環境を誤用した結果について、長老たちは、外が見えない居留地に閉ざされていながらも答えるすべを知っていた。
母なる大地は、祭祀場(キヴァ)で彼らに地球の現状を語りかけた。
ビーボディー社の操業は長老たちに日々、環境破壊を経験させた。
新聞と雑誌は、科学者たちが何を語り予知しているかを伝えてくれた。
マサウが彼らに与えていた前兆が、情報の意味を明らかにした。
1975年6月、「テックワ・イカチ」創刊号作成のため会合が開かれた。
伝統派が契約の誓いを遵守していることを確かめられる場所に、誰もが立たなければならないのであった。
古代の予言の多くが成就するにつれ、ホピはますます不安になり、堅固な指導力をどこに求めるべきか、思案しはじめたのだ。
1978年には、白人の盗人により御神体が盗まれた。
二心(ふたごころ)と邪悪な勢力の基本的な動機は、私たちとこの惑星を救うのに必要な、重大なメッセージを鎮圧することにある。
ホピ長老たちの危機は、より大規模に全世界に起こる危機の先触れである。
ダン・エヴェヘマは、狭い舟から飛び出し、戻れずにいるホピの話をしてくれたが、それは過去のことである。
今の世代はみな最初から舟に乗り込んでいないのだ。
(引用ここまで)
*****
「今の世代はみな最初から舟に乗り込んでいないのだ。・・・」
この一文は、ホピの歴史から視点がずれて、西洋人の独白の部分でしょう。
この西洋文明への絶望感が、人々をホピに向かわせるように思います。
1970年代、「行き過ぎた工業化や開発は環境を破壊して、地球を狂わせる」、という強烈なメッセージは、現代文明の終わりを感じさせました。
自然食やヨガのブームといった自然への回帰、身体への回帰、さらに極端に脱文明を志向したものもあったと記憶しています。
文明の果てには何があるのか?
もう地球は終わりなのか、それとも生き返るすべはあるのか?
そういう感じが、どこからともなくしていたように思います。
ホピ族と彼らを応援する人々の、世界に向けての当時の上記のような活動が、実質的にそのようなムーブメントそのものの一端だったのだと、このように年代をすり合わせてみると、今さらながら思います。
この本のテーマとなっている「霊的箱舟」というキリスト教的な言葉は、当時耳にした記憶はありませんが、「箱舟」というイメージは、当時のそのようなカウンターカルチャーの文脈では、キリスト教的な意味合いよりは、ひたすら終末論的な雰囲気を醸し出す言葉として、“もうすぐ到来する、来たるべき文明”を暗示するものであったろうと思います。
インディアンムーブメントとカウンターカルチャーは互いに補完しあう運動として、時の波そのものだったのだと思います。
物質文明に屈しないインディアンの姿は、遠くからそれをかすかに感じていただけのわたしにとっても、あるべき人間の姿として、魂をとらえる実に威厳のある本物の風貌として感じられました。
つづく
関連記事
「ブログ内検索」で、
ホピの予言 13件
インディアン 15件
環境 15件
舟 13件
などあります。(重複しています。検索結果は15件がマックスのようです。)
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
テックワ・イカチとは、ホピ語で「大地と生命」という意味で、「大地と交わり生命を祝う」、と解されます。
この言葉はホピの人々にとって、とても大切な言葉なのだと思います。
ちょっと引用が長くなりましたが、長老の承認のもとに書かれたホピ族の歴史であり、またホピ伝統派のニュースレター「テックワ・イカチ」がどのような経緯で発刊されることになったのかについての、とても貴重な文献でもあるので、抜粋して引用を続けさせていただきます。
*****
(引用ここから)
長老たちは胸を痛めた。
それまでは彼らは自分たちの時代には最悪の事態は起こるまいと考えていた。
少なくとも、子どもと孫の代までは。
オライビの「命のひな形」の喜びを経験できるよう、未来に引き延ばせると希望を託してきた。
だがそれも今や、実現不可能な望みと化していた。
民の心を変えない限り、それは不可能なのだ。
長老モノンギエを「テックワ・イカチ」発刊へと動かした思いはここに始まりを見る。
中でもマサウが予言した環境問題は1970年に頂点を迎えていた。
現代の人間が環境を誤用した結果について、長老たちは、外が見えない居留地に閉ざされていながらも答えるすべを知っていた。
母なる大地は、祭祀場(キヴァ)で彼らに地球の現状を語りかけた。
ビーボディー社の操業は長老たちに日々、環境破壊を経験させた。
新聞と雑誌は、科学者たちが何を語り予知しているかを伝えてくれた。
マサウが彼らに与えていた前兆が、情報の意味を明らかにした。
1975年6月、「テックワ・イカチ」創刊号作成のため会合が開かれた。
伝統派が契約の誓いを遵守していることを確かめられる場所に、誰もが立たなければならないのであった。
古代の予言の多くが成就するにつれ、ホピはますます不安になり、堅固な指導力をどこに求めるべきか、思案しはじめたのだ。
1978年には、白人の盗人により御神体が盗まれた。
二心(ふたごころ)と邪悪な勢力の基本的な動機は、私たちとこの惑星を救うのに必要な、重大なメッセージを鎮圧することにある。
ホピ長老たちの危機は、より大規模に全世界に起こる危機の先触れである。
ダン・エヴェヘマは、狭い舟から飛び出し、戻れずにいるホピの話をしてくれたが、それは過去のことである。
今の世代はみな最初から舟に乗り込んでいないのだ。
(引用ここまで)
*****
「今の世代はみな最初から舟に乗り込んでいないのだ。・・・」
この一文は、ホピの歴史から視点がずれて、西洋人の独白の部分でしょう。
この西洋文明への絶望感が、人々をホピに向かわせるように思います。
1970年代、「行き過ぎた工業化や開発は環境を破壊して、地球を狂わせる」、という強烈なメッセージは、現代文明の終わりを感じさせました。
自然食やヨガのブームといった自然への回帰、身体への回帰、さらに極端に脱文明を志向したものもあったと記憶しています。
文明の果てには何があるのか?
もう地球は終わりなのか、それとも生き返るすべはあるのか?
そういう感じが、どこからともなくしていたように思います。
ホピ族と彼らを応援する人々の、世界に向けての当時の上記のような活動が、実質的にそのようなムーブメントそのものの一端だったのだと、このように年代をすり合わせてみると、今さらながら思います。
この本のテーマとなっている「霊的箱舟」というキリスト教的な言葉は、当時耳にした記憶はありませんが、「箱舟」というイメージは、当時のそのようなカウンターカルチャーの文脈では、キリスト教的な意味合いよりは、ひたすら終末論的な雰囲気を醸し出す言葉として、“もうすぐ到来する、来たるべき文明”を暗示するものであったろうと思います。
インディアンムーブメントとカウンターカルチャーは互いに補完しあう運動として、時の波そのものだったのだと思います。
物質文明に屈しないインディアンの姿は、遠くからそれをかすかに感じていただけのわたしにとっても、あるべき人間の姿として、魂をとらえる実に威厳のある本物の風貌として感じられました。
つづく
関連記事
「ブログ内検索」で、
ホピの予言 13件
インディアン 15件
環境 15件
舟 13件
などあります。(重複しています。検索結果は15件がマックスのようです。)
http://www.kuramayama.net/siseki/18honbou.html
鞍馬山の魔王尊は、ほんとに不可思議ですね。
彼は、金星からやって来たということですが、天の舟があれば、どこにでも飛来することができるのでしょうね。
インディアンにも、プレアデスからやって来たという言い伝えが広く存在するようです。