東ジャワ州マラン市の思い出・・・
(オリジナル投稿アメブロより)
2005-02-21
Kota Malang (2)
テーマ:エセ男爵・東ジャワ紀行
「マラン滞在」-(2)
半年後に移動したゲストハウスは大学の敷地内です。
ゲストハウスは、大学の正門入り口から一番遠い場所にあります。建物は管理人の居住区と、ゲストの居住区に分かれております。ゲストルームは中庭をはさんで5室、約3~50畳くらいの広いロビースペースなどあり、ホテル並みの設備が整っておりました。朝夕の食事は、これ、たいへん困りました。食事は管理人が用意してくれるようですが、断りました。朝は抜いてもかまわないし、昼時間は外出しているし、さらに夕食のローテーションが予測できなかったのです。祝祭日はいささか困ります。祝祭日はコンチネンタルスタイルの朝食を必ずとり、昼食はなし、しかし夕食は不定期。しかしゲストハウス内のロビーの一角にはゲスト専用の冷蔵庫がありましたので、問題は解決。つまり、時々スーパーで食材を買出しする。それを冷蔵庫に詰め込む!ほぼ私一人のための専用冷蔵庫のような状態で、助かりました。インスタントコーヒーに始まり、新鮮な果物、適当な量のパンとハム、チーズにミルクなど、これで毎日の朝食はOK! でした。
さて、こうなると足が問題です。大学のクルマと運転手が、ある程度自由に使えるので昼間は問題ありませんが、これまた夜になるとタクシーで正門に入り広大なキャンパス内を約2~3分走り、ようやくゲストハウスに到着といった始末です。ほとんどのタクシー運転手が「大学名はわかるがゲストハウスの場所がわからない」と言いました。通常このような場合、すでにアルコールが入り、時には居眠りしながらタクシーに乗りますからいささか問題あり。一度はタクシードライバーが間違って、隣の市立大学のキャンバスに入ってしまい、後はドライバーの方が訳がわからなくなり、こちらはあきれ果ててしまいました。そこで降ろされ、いや近くにいることはわかっていましたからこちらからタクシーを降り、後は徒歩で4~50分くらいかけて帰ったことがあります。人気のない広葉樹林の大木が生い茂った大学のキャンパス内を歩く、途中いささか不安な気持ちになりましたが結果良し、でした。
当時、マラン市内の治安はさほど問題なく、タンポマス通りの南入り口を出た通りに、大きな昔ながらの地元マーケットがあり、昼となく夜となく、よくショッピングに出かけていました。焼き鳥屋の母と娘、角の露天バイク修理屋のおじさん、固定屋台で雑貨屋をやっているダンディーなおじさんとも顔見知りになり、加えていつの間にか、こちらが認識できないおばちゃんやおじさん、兄ちゃん達まで、朝となく昼となく晩までも挨拶を交わしあえる人情豊かな人たちでした。大学の裏門(通常は門は閉鎖されていますが、通用門は利用でき、そこから出れば川沿いの道路に学生向けの中小レストランがあるので、気楽に食事できますが、一度も入りませんでした。まず、言葉に問題があり、その次に食事内容つまり衛生面に問題がありました。
しかし、あくまでも危機管理は必要です。平素、日本円で500円以上の現金類は一切身に付けておらず、必要に応じてクレジットカードを使用、あるいは近くの銀行のATMで現金を小出しにしていました。
インドネシアのみならず、外国で治安の良し悪しを問題にするとキリがありません。
現金目的で強盗を働く輩に対して、危機を未然に防ぐには如何すればよいか?その方法は、只ひとつ。それは平素の活動暮らし方行動パターンから、可能な限り現金を所持しない行動をする。ふたつ目に、危険と思われる地域には立ち寄らない、という以外に言葉がありません。
さて、
東ジャワ州の治安はどうか?比較するとバリ島が良いか?と言われれば、そうです、と答えます。しかし同じ地域によっても住む場所により微細に、東ジャワもバリ島も、それぞれの安全確保の限度があります。一概に東ジャワか?バリ島か?括って論じ、血液型判定のような画一的な結論は出てくるわけがありません。
バリ島と東ジャワと、どちらが住みいいか?
等と、訪ねられたらば、どちらとも云えない。
私の場合、自分の「その時の目的」により、たえず「住む場所」を替え移動し動きまわる人種ですから、、、 。
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日本もそうなってしまっています。
残念ですが、こちらも備えざるを得ません。
>朝となく昼となく晩までも挨拶を交わしあえる人情豊かな人たち
良いですね~
その雰囲気。
あこがれます。
最近は、犯罪が多すぎて、
人を疑う場合が多い私です。
前はそうでもなかったのですが・・・
インドネシアといえどもうやはりインド式なのですね。
私はインドには行った事があります。
友人から現地のトイレにはトイレットペーパーがなく買うと高いから必ず持っていけと聞いていたので持っていきました。
正解でした。
ホテルにもトイレットペーパーがなかったです。
しかしインド人は親切でした。
いろいろな事を話してくれました。
日本が中国から引いてインドに工場を持っていくのには賛成です。
まだまだ知らない事ばかりですが私の中で尊敬する人物にマザー・テレサがおります。
今後マザー・テレサについて更に勉強しいつかBlogの記事にでもできたらよいと思っております。
世界の常識になりました。
スラバヤのダウンタウンでは、夜の一人歩きは厳禁。外国人がタクシーに一人で乗ると、危ないといわれます。
わずか3000円の所持金を奪う目的で、殺人を犯します。通報される危険性を考えれば、殺した方が面倒ない。という発想です。
田舎のマランでは、私の場合一人で街を歩いていましたが、上記のような危険は感じなかった。
犯罪者が犯罪に及ぶ時、やはり相手を看て犯行に及ぶものと推察します。
何故か?私が狙われなかったのか?
いかにも多額な現金は持っていないであろう。と思わせる立ち居振る舞い。可能な限り、地元の人間と駆動しているところを見せておくこと。出来るだけ”Door to Door”にて、一人で外を出歩かないこと。
等々、
徹していました。
それから、
地元の人々の人情!
ありましたねえ~。
いや、今の日本での人情、なくなりすぎているのでしょう。
インドは(ネパールにも)2回ほど行ったことありますが、2回とも「一流ホテル」に滞在したのみ。
ゆめゆめ当時、地元住民の中に入っての生活なんて考えてもみませんでした。
インドネシアでの私の場合、滞在先(下宿先)が大学の先生の実家ということと、タンポマスの居住区画が高級住宅街の範疇(ギリギリ)、オランダ人の住んでいた築70年にもなる住宅のつくりは、我々外国人には快適なつくりになっていたのも大きな要素です。この下宿先を除いては、例えそればそこそこのクラスの人間の住んでいる住居といえども、とてもとても原住民スタイルの住居には住めなかったと思います。
トイレの使い方はインドと同様か?
そうなんですか・・・
たぶんそうだと思い案した。おそらく、そうでしょうねえ・・・
宗教上の問題ではない、と、思います。
ならば、気候の関係か?
どちらも蒸し暑いところですから、たぶん、そういう意味で同じなのでしょう。
となると、
中近東が気になるところです・・・
ご存知でしたら教えてください。
身動きが取れないおかげで「たかじんの~」は見ることが出来ました。(笑)
男爵殿は「放牧民族?」の血が入っているのですか?。
海外滞在経験者の中でも、東南アジアは少なく、
ましてや「あちこち」に住まいを移す方は少ない。
とにかく全てが珍しく、貴重です。
ひたすら読ませて頂きます。
当然でしょうが・・・
平和な日本が懐かしいです。
なかなかわたしは、そういう構えができていないと思います。しばらく外国にも行ってなかったな。
出張お疲れです。(・・||||rパンパンッ・
ぎっくり腰とのこと!
年齢の変わり目に起きます。
(当方、既に体験済?)
慢性化する危険性もあるとのこと、お気をつけ下さい。
我輩にして「放牧民族」とのこと?
いや、定位置を持たない夢遊病民族でしょう。
珍しい品種です。
今後とも宜しくお願いします。
そう、
中近東のくだり、調査方、なにとぞ宜しくお願いします。