娘の旦那は2月から天中殺だという。それかどうか、今は自分でもどうしたら良いのか分からなくなるほど平常心を失っているとのこと。
本人も気づいているが気力もない。何もする気が起こらずにスロットに嵌っているという。やめようと思うがやめられず、秘かにやって帰って来るのだが、そんな時は顔つきで分かると娘は言っていた。人間のというよりはドヨンとした表情なのだとか。
かつては息子もスロットにハマったことがあると昨日娘が言っていたので軽く話を聞いてみた。
『やめた方がいい、あれは病気になる。他人から金を借りてまでやるようになる』と言う。
ってことは、息子も金借りてまでやるようになったことがある?と思いながらも、抜け出せない依存症的な状態であろうと知れる。
息子はどうやって脱出できたのか。やはり友人とか自分のやりたい動画製作などの存在が大きかったのだろう。
機会があればいつか聴いてみたい。
誰しもそうだと思うが、足を踏み外したり失敗や挫折を経てのち、一端に成長していくのだと言えまいか。
アドラーだったか、人は10歳ころに個人としての行動パターンは一応形作られるようなことが言われる。
だが、これで概ね行けそうとして積み上げたり積み上がってきたものが、人生のある時にそれが大きな音を立てて崩れゆくような時がある。
こんな私にだって、何度かあった。三十代前後とか、あるいは14~15年おきにそういうことが起きて来たような気がしなくもない。
小さくは7~8年くらいで何らかの変容が常にあり続けたように思う。
自分のアイデンティティーがひっくり返り、自分には全く価値がないと思ったりする。そのあとどう積み直してゆくか。
言葉で言えばそうなのだが、10歳くらいで一応身につけたつもりの行動様式や価値観が陳腐化していたことにぶち当たる。
衝撃を受け粉砕された気持ちになる。
でも本当のところは、悲観してしまうようなことではなく、次のステージへの脱皮の時というだけに過ぎない。
たとえ感性は3歳4歳のまま大往生というのはあるとしても、それは三つ子の魂百までであって生活行動そのものが3歳10歳のまま、80歳100歳を迎えられるはずもない。
スロットというエアポケットに陥ることもあるだろうが、生命はちゃんと道を探し出す。過去の自分への執着を脱ぎ去る機械と言える。
ただ、この時は身体も動かしたくない。思考も散漫。まるで出口のない負のスパイラル。
母親のような、無条件の愛に包まれたい時でもある。
【人はなぜモメるのか/自分は我慢してるという思い込み/してもらいたい病/元気は電気/全治2週間/車の両輪を繋ぐもの/また別の蝉時雨/】
+++++++++++++++++++に陥る時+
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2019.8.7 本当は皆"共感"したがっている。だのに、それがうまくいかない。そんな時、気持がうすはりグラスのよう。
2021.3.22 本か何かのCM。“共感”と、“システム化”。ヒトが出来る2大アクション? 女性にも男性にも、両方必要。