舛田利雄の『「無頼」より 大幹部』(1968年、日活)。
ニューアクションの先陣の一本。渡哲也がスクリーンを獣のようにしなやかに駆け抜ける。簡潔でタイトな語り口の青春やくざ映画。この爽快さは渡の無駄のない演技のたまものだろう。渡の簡潔な身のこなしがキャメラを自然に吸いつけ、物理的に映画を引っ張っている。
渡哲也という俳優の演技はてっていして外面的だ(もちろん、いい意味で)。アクやクセがなく、余計なことをしない。必要最小限の身体の動きで伝えるべきことを伝える。渡にはデンゼル・ワシントンにつうじるものがある。だれもがかれらに絶対的な信頼をよせている。余計なことをしないだけに、逆にいうと失敗もない。かれらが映画をぶちこわしてしまうことはない。手練の職人。でもぎゃくにいうと、それだけかれらの演技は目につきにくい。あるいは言葉にしにくい。だからちゃんと評価してくれる人がいない。
終盤にケレン味たっぷりのカットバックが二箇所。渡の弟ぶんの浜田光夫と恋人の甘いシーンが浜田の殺害という悲劇に急転する。この一連の流れが、暴力団どうしの合併式?と並行して映し出される。『ゴッドファーザー・パート』のフレドー暗殺シーンそっくり。
ラストは、キャバレーのステージで青江三奈が歌う「上海帰りのリル」をバックに、同じキャバレー内で渡が大立ち回りを演じるようすがサイレントで映し出される。
女優陣では松尾嘉代演じる極道の妻のからっとした現実家ぶりが、いかにもこの人らしくてほほえましい。
ニューアクションの先陣の一本。渡哲也がスクリーンを獣のようにしなやかに駆け抜ける。簡潔でタイトな語り口の青春やくざ映画。この爽快さは渡の無駄のない演技のたまものだろう。渡の簡潔な身のこなしがキャメラを自然に吸いつけ、物理的に映画を引っ張っている。
渡哲也という俳優の演技はてっていして外面的だ(もちろん、いい意味で)。アクやクセがなく、余計なことをしない。必要最小限の身体の動きで伝えるべきことを伝える。渡にはデンゼル・ワシントンにつうじるものがある。だれもがかれらに絶対的な信頼をよせている。余計なことをしないだけに、逆にいうと失敗もない。かれらが映画をぶちこわしてしまうことはない。手練の職人。でもぎゃくにいうと、それだけかれらの演技は目につきにくい。あるいは言葉にしにくい。だからちゃんと評価してくれる人がいない。
終盤にケレン味たっぷりのカットバックが二箇所。渡の弟ぶんの浜田光夫と恋人の甘いシーンが浜田の殺害という悲劇に急転する。この一連の流れが、暴力団どうしの合併式?と並行して映し出される。『ゴッドファーザー・パート』のフレドー暗殺シーンそっくり。
ラストは、キャバレーのステージで青江三奈が歌う「上海帰りのリル」をバックに、同じキャバレー内で渡が大立ち回りを演じるようすがサイレントで映し出される。
女優陣では松尾嘉代演じる極道の妻のからっとした現実家ぶりが、いかにもこの人らしくてほほえましい。