Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

ジョニー・オセロ:『去り行く男』

2015-12-30 | その他



 ウェスタナーズ・クロニクル No.35;デルマー・デイヴィス『去り行く男』(1956年、コロンビア)

 “文学的”西部劇をもう一席。いまひとりの西部劇マイスターによる、こちらは『オセロ』の西部版。欲求不満の“デズデモーナ”(ヴァレリー・フレンチ)と堅気なマザコン男(グレン・フォード)のあらぬ仲を“イアーゴ”(ロッド・スタイガー)に吹き込まれた“ムーア人”(アーネスト・ボーグナイン)がマザコン男に決闘を挑み、命を落とす。マザコン男はモルモン教(?)の一団のおぼこ娘(『決断の3時10分』『襲われた幌馬車』のフェリシア・ファー)と結ばれる。ボーグナインの“マーティ”からオセロへの変貌ぶりがひたすら素晴らしい。まちがいなくボーグナインのベスト中の一本だろう。ボーグナインが撃たれる場面のローキー、広角レンズ、仰角にはデイヴィスの鋭角的なヴィジュアル感覚が躍如。ただしボーグナインが殺されたあとの後半は図式的で無味乾燥。これを蛇足と呼ぶ。

 舞台はグランドティートンを戴くワイオミング(ヴァレリー・フレンチはカナダ人という設定で、ボーグナインはカナダ人妻を自慢している)。アンソニー・マンとはひと味ちがったロマン派的な風景の写し方はどこまでもデイヴィス流。撮影はチャールズ・ラングJr.、音楽デヴィッド・ラクシン。キャストはほかにチャールズ・ブロンソン(好演)、ノア・ビアリーJr.、ジャック・イーラム。“イアーゴ”役にはもともとアルド・レイが予定されていたが降板した。

 フレンチが夜営中の夫らのもとへ電報を届けにくる場面があるが、デルマー・デイヴィスの父親はポニー速達便の配達夫をしていたらしい。ポニー速達便は1860年から18箇月だけ営業していた。

 IMDBのトリヴィアによれば、スタイガーのはめている腕時計、窓から一瞬見える小型トラックにアナクロニズムが認められる。同じくIMDBによると、ジュリア・ロバーツ主演の『アメリカン・スウィートハート』に本作への言及があるようだ。

 『復讐の荒野』の農園名(Furies)と同様、タイトルになっている主人公の名前(Jubal)が呪文のように耳に絡みつく。


罪と罰:『復讐の荒野』

2015-12-29 | アンソニー・マン


 ウェスタナーズ・クロニクル No.34; アンソニー・マン『復讐の荒野』(1950年、パラマウント)

 『流血の谷』『ウィンチェスター銃73』と同年の作品。製作ハル・ウォリス。

 1870年代ニューメキシコの広大なプランテーションの主(これが遺作のウォルター・ヒューストン)とその娘(バーバラ・スタンウィック)の確執を描く。TC(ヒューストン)の息子の婚礼の際、決闘で代々の土地をTCに収奪された一家の息子リップ(ウェンデル・コリー)が訪ねてきて険悪な雰囲気になる。娘ヴィンスはプランテーションの使用人(ギルバート・ローランド)と恋仲であったが、リップに魅せられ、アタックをかける。TCは社交界の老婦人(ジュディット・アンダーソン)との結婚に際してローランド一家をお払い箱にしようとするが、一家は砦に立てこもって抗戦、ローランドは縛り首となる。父をカモにしようとするアンダーソンを刃物で傷つけ勘当されたスタンウィックは復讐を誓い、賭博場経営者のリップの協力の下、父の濫発した手形を買い戻し、父を破産させる。父娘の和解も虚しく、父はローランドの母親に復讐の銃弾を撃ち込まれる。

 原作のニーヴン・ブッシュ(『真昼の決闘』『追跡』『大いなる西部』)はロシア文学とギリシャ悲劇に大きな影響を受けた作家。仰々しいトーン、親子の葛藤、復讐、運命といった[精神分析的]モチーフはいかにもこのひとらしい。

 タイトル、荒涼とした風景、じゃじゃ馬スタンウィックと高慢なコーリーのラブシーンは『嵐が丘』をおもわせるところがあるが、アンソニー・マン自身によれば、本作はなんとドスエフスキーの『白痴』の翻案なのだそうだ。厳格な家父長である一方で底抜けにおめでたい男でもあるTCをムヌーシュキン男爵になぞらえているのかもしれないが、あまりに苦しいこじつけだ。

 屋外シーンは逆光の多用が夢幻的でロマネスクな雰囲気の醸成にあずかる。屋内場面はパンフォーカスや階段の使い方がウィリアム・ワイラーのパロディのようだ。メキシコ人一家との銃撃戦のあとローランドが縛り首にされる場面(縛り首の映像は見せない)、スタンウィックがアンダーソンを傷つける場面(鏡と階段が活用される)が見所といえば見所か。ナポレオンを引用し、オフィスにナポレオンの胸像を飾っているTC。家父長キャラはもちろん『ララミーから来た男』のドナルド・クリスプをおもわせる。コーリーは自宅への招待をすっぽかされて怒鳴り込んだスタンウィックの顔を洗面器に突っ込む。「おまえは誰も愛せない。憎しみに恋しているから!」

 脚本チャールズ・シュニー(『赤い河』『女群西部へ!』)。キャメラはヴィクター・ミルナーだが、リー・ガームズが一部を撮影(クレジットなし)。音楽フランツ・ワックスマン。出演はほかにベラ・ボンディ、アルバート・デッカー、ウォーレス・フォード、トマス・ゴメス、ルイス・ジーン・ヘイト。


極道の妻たち:『暗黒の命令』『私刑される女』

2015-12-28 | アラン・ドワン


 ウェスタナーズ・クロニクル No.33

 クァントリルとそのゲリラ団を素材にした二本。いずれもクァントリルの周囲にその母親や妻という虚構性の強い人物を配してロマネスクな物語に仕立てている。


 ラオール・ウォルシュ『暗黒の命令』(1940年、リパブリック)

 W・R・バーネットの原作をグローヴァー・ジョーンズほかの4人の脚本家が脚色。貧乏な教師のカントレル(ウォルター・ピジョン)は保安官に立候補するが、テキサスから仕事を求めてやって来たカウボーイ(ジョン・ウェイン)にその座を奪われ、教師をやめて強盗団を結成する。しかもウェインがカントレルの婚約者でやがて妻となるクレア・トレヴァーに横恋慕していることが対立に火を注ぐ。カウボーイにあこがれるトレヴァーの弟(“歌うカウボーイ”ロイ・ロジャース)はウェインとの友情と裁判で救ってくれたカントレルへの恩義のあいだで揺れ動く。同居する母親(マージョリー・メイン)を世間体から家政婦で通らせているカントレルはマザコン。父親から受け継いだ悪人の血と厳格な清教徒の母親の板挟みになって苦しむ。やがて南北戦争の火蓋が切って落とされる。略奪品のなかにたまたま南軍の軍服を見つけたカントレルらは、南軍を装って悪事を続ける。クライマックスはローレンス襲撃(スタントはヤキマ・カヌート)。カントレルがウェインを撃とうとするが瀕死の母親に阻止されてぎゃくに撃ち殺される。ウェインは未亡人となったトレヴァーと結ばれる。あほくさ。

 前年の『駅馬車』のカップルを起用した鳴りもの入りの一作なるも凡庸な出来。カントレルの心の闇をクローズアップした精神分析的ともいうべきアプローチは興味深いが、狂言回しに徹しているべきジョン・ウェインが出しゃばりすぎて中途半端に終わってしまった。失業者時代のウェインの相棒の歯医者=床屋にジョージ・“ガビー”・ヘイズ、判事役にプレストン・スタージェス作品などで知られるレイモンド・ウォルバーン。舞台は1860年代だが、1870年代に製造されたピースメイカーという通称のコルト銃が使われているというアナクロニズム(IMDBのトリヴィアに依る)。


 


 アラン・ドワン『私刑される女』(1953年、リパブリック)

 ミズーリ=アーカンソーの州境に位置し、中立を守る無法地帯の町。南軍側からも北軍側からも無法者がつぎつぎと流れ込んできている……はずが、じっさいには通りにはひとっこひとりみあたらない。みな縛り首の見物に出払っているからだ。保安官もおらず裁判も開かれないこの町では、町の平穏を破る者が町長の一存によって死刑に処されることになっている。見物人の輪のなかに、町民に肩車されて縛り首を見守る不敵な面相で恰幅のいい中年女性がいる。これが町長。

 町の入り口でクァントリル(ブライアン・ドンレヴィ)のゲリラ団が馬車を襲撃(B班監督のウィリアム・ウィットニーが演出しているらしい)。乗客の若い女性(ジョーン・レスリー)を見てコール・ヤンガー(ジム・デイヴィス)は口説きにかかり、ジェシー・ジェームスはその清純さをほめたたえる。女性はサルーンを経営する兄に会いにいくところであった。再会した兄は恋人の歌手をクァントリルに攫われ、荒んだ生活を送っていた。攫われた恋人(オードレー・トッター)はクァントリルの妻となってゲリラ団を仕切り、その凶暴さによって悪名を轟かせていた。

 レスリーは兄が喧嘩で命を落とすとサルーンのマダムにおさまり、なにかとちょっかいをだしてくるトッターとのあいだに火花を散らす。レスリーに撃ち合いで負かされたトッターは心中のトラウマを吐露、クァントリルと別れて歌手としての再起を誓う。レスリーはクァントリルを罠にかけるべく送り込まれた南軍のスパイ(『ロデオ・カントリー』のジョン・ランド)と恋に落ちる。作戦はクァントリルにばれ、レスリーはスパイを匿ったかどでリンチにかけられそうになるが、たまたま終戦の知らせが届いて助かる。あほくさ。

 トッターの男装、およびレスリーとの撃ち合いや取っ組み合いからは『悪の対決』もしくは『大砂塵』あたりにつうじる倒錯性が香り立つ。ドワンは本作をパロディーのつもりで撮ったらしい。「スカート姿の女優の股越しに決闘シーンを撮ってもよかったくらいだ」。トッターはミュージカルシーンで スタンダードナンバー “All My Life”ほかを披露。酒場の女役のひとりで『恐怖のまわり道』のアン・サヴェージ。

 中立地帯の町民はリパブリック讃歌を歌ったりディキシーを歌ったりして日和見的に立場をつかいわけて保身に努めている(たしかイーストウッドの『アウトロー』にもそういうキャラがいた)。終戦の知らせを受けて合唱するのはディキシー。

 二作ともに南軍の旗をたなびかせたゲリラ団が薄明のなかをローレンスに向かって疾走する映像がでてくる。『叛逆の用心棒』も同じような映像ではじまる。




ミスター・ノーボディー:『対決の一瞬』

2015-12-27 | アラン・ドワン


 ウェスタナーズ・クロニクル No.32; アラン・ドワン『対決の一瞬』(1955年、RKO)

 原題は Tennessee’s Partner。ベネディクト・ボージャース製作になる一連の傑作群のひとつで、『悪の対決』と同じ年に同じジョン・ペイン、ロンダ・フレミング主演で撮られている。

 結婚式場を装った娼館のマダム「公爵夫人」(ロンダ・フレミング)のヒモであるいかさま賭博師テネシー(ペイン)がトラブルに巻き込まれた際、通りがかりの「カウボーイ」(ロナルド・リーガン)に救われる。「カウボーイ」は結婚のためにゴールドラッシュに賑わう街にきていたが、花嫁(コリーン・グレイ)の正体は賭博師と恋仲だった娼婦。賭博師はカウボーイを結婚詐欺から救うために金を餌に女を連れ出し、サンフランシスコ行きの蒸気船に乗せて逃げ帰る。賭博師に裏切られたとおもったカウボーイは賭博師の命を狙うが、賭博師の真意(「背中から狙う奴が嫌いでね」)を知って和解する。カウボーイは無実の罪を着せられた賭博師をリンチにかけようと追ってきた衆から賭博師を救うが、賭博師を狙った真犯人の銃弾をみずから受けて命を落とす。名前さえ知らぬ恩人によって人の道に目ざめた賭博師は、「公爵夫人」を妻に迎える決心をする。

 類型そのままの登場人物たちが織りなす図式的なメロドラマなるも、ブレット・ハート原作と聞けば納得がいく。本作は同じ原作にもとづいて1916年に撮られ、1924年にリメイクされた映画の再リメイク。著作権の切れた原著をミルトン・クリムス、D・D・ボーシャン、グレアム・ベイカー、テディ・シャーマンおよびドワンの5人がかりで脚色、ノスタルジックな香りは残しつつ、真逆のキャラクターどうしが固い友情で結ばれて精神的な変容を被るという、『血斗のジャンゴ』にもつうじる現代的なテーマを浮き彫りにし、「楽天的悲劇」(ピーター・“マイ・ファニー・レディ”・ボグダノヴィッチは「メランコリー」という形容を是とする)とでもいうべきユニークな味わいの佳作となった。

 ミニマリズム俳優ペイン(''Big girls don't cry.'')と世界一のセクスィー女優ロンダの息は相変わらずばっちりだし、リーガンのけっして荒立つことのない演技はドワンも高く買っている(政治家としてよりも演技者としてのほうがすぐれている?というボグダノヴィッチの意地の悪い質問にはお茶を濁しているが)。保安官役でレオ・ゴードン。アンジー・ディキンソンも出ているようだ(クレジットなし)。

 キャメラはジョン・オールトン。闇を効果的に使い、超低予算に似合わぬゴージャスな画面作りに成功している。ポーカーシーンではシャンデリア越しの俯瞰から賭博台にクレーンがゆっくりと下降していく。同シーンでのレンブラント・ライトも印象的だ。

 ドワンはすでにサイレント時代にダグラス・フェアバンクス主演でブレット・ハートの原作を映画化している(The Halfbleed)。エジソン社の映画などに原作を多数提供したハートは、『駅馬車』『三人の名付け親』といった映画にインスピレーションをあたえているともされる。


ラストマン・スタンディング:『叛逆の用心棒』『馬上の男』

2015-12-25 | その他



 ウェスタナーズ・クロニクル No.31  アンドレ・ド・トス=ランドルフ・スコット二本立て!

 『叛逆の用心棒』(1953年)

 クァントリル強盗団のローレンス襲撃(1863年)場面で幕を開ける。逃げ惑う住民たち(強盗団はこのとき150人の住民を虐殺している)。現地の奴隷解放論者のリーダーらしき老人を強盗団が射殺する場面は画面に映らない。襲撃をお膳立てしたのは密偵のスコット。じぶんのしたことに嫌気がさして強盗団を去る。

 スコットはその後、かれの過去を知る男らにからまれた際、ジョージ・マクレディーに救われる(シャンデリアを落下させて闇のなかを逃す)。逮捕を逃れるためカンザスを離れてアリゾナのプレスコットに逃れるが、逮捕状の話はスコットを新天地に連れ出して夫にしようとしているクレア・トレヴァーの出まかせ。プレスコットにマクレディーを訪ねたスコットは、用心棒に雇われ、ふたたびスパイをやらされるはめになる(ノワール的な展開だ)。ときあたかもツーソンに州都が移り、町民が「州都」の看板に「元」という文字を自虐的に書き込んでいる。これは1867年のことであるから、ローレンス襲撃から4年が経っていることになる。クァントリルは1865年に死去しており、そのことはトレヴァーの台詞のなかでも言及されている。ちなみに十年後、プレスコットはふたたび州都の栄誉に浴するが、1889年にフェニックスにその座をもっていかれ、いまに至る。

 じつはマクレディーもクァントリルの一党であり、スコットとはちがい、いまなお「偉大な」クァントリルを信奉し、北軍の金をせしめるとの口実で駅馬車の金を強奪しようとしていた。

 マクレディーは地元の古株のワル(アフォンソ・ベドヤとボリス・カーロフふうの相棒ジョゼフ・ヴィテール)と張り合っていた。スコットは三十郎みたいに両陣営を殺し合わせようと画策し、マクレディーの狙う駅馬車をベドヤに襲わせるが失敗。ベドヤは殺され、スコットはマクレディーの手下リー・マーヴィンとアーネスト・ボーグナインに捕まる。スコットは単細胞の監視役ボーグナインを女の話でつって縄をほどかせる。ついで、マーヴィンに背後から銃をつきつけ、至近距離から撃ち合う。最後はサルーンが炎に包まれ、マクレディーは焼け死ぬ。駅馬車の宿場の娘に心惹かれていたスコットだが、はやくもかれを尻に敷く腐れ縁のトレヴァーに引き離され、トレヴァーとともに町を後にする。

 闇のシーン、見せない演出(友人の御者が拷問されるところは見せない)。本作は3D(名高い『肉の蝋人形』と同年の作品)ゆえ、キャメラに向かって頻繁に銃弾が発せられたり、パンチが繰り出されたり、ものが投げられたりする。馬車の移動シーンが必要以上に長いのも3Dを意識したものか。もともと縦の構図を活用する術に長けているド・トスだが、隻眼であることと無関係ではないらしい。
 
 ジェームス兄弟、ヤンガー兄弟も輩出(?)したクァントリルの “Raiders’’。 クァントリルは、ウォルシュの『暗黒の命令』(W・R・バーネット原作。クレア・トレヴァーはこちらにも出ている)でウォルター・ピジョンが、ドワンの『私刑される女』でブライアン・ドンレヴィが演じている。本作ではローレンス襲撃場面でジェームズ・ミリカンという俳優が演じているようだが、クレジットされていない。南軍の側に立つ西部劇が多いなかで、クァントリルを登場させることは政治的にデリケートな問題を提起するらしい。かれが信奉した南軍の大義を守るために、クァントリルを利己的な野心に憑かれたならず者と位置づけることが多いようだ。

 製作は『反撃の銃弾』『決闘コマンチ砦』などベティカー=スコットの“レナウン・サイクル”連作も手がけるハリー・ジョー・ブラウン。





『馬上の男』(1951年)

 同じハリー・ジョー・ブラウンの手がけた作品で、キャストも一部ダブり(アフォンソ・ベドヤなど)、スコットは同じような革のコートを着ている。出来はこちらのほうがよほど上。

 スコットの恋人(ジョーン・レスリー)がライバルの牧場主(アレクサンダー・ノックス)と結婚する。スコットはいざこざで負傷したところをレスリーの姉(エレン・ドルー)に救われ、恋心を抱く。ノックスの使用人でドルーに横恋慕するジョン・ラッセルがスコットをつけ狙うが撃退され、スコットへの嫉妬からドルーを罵ったところ、妻を罵られたと勘違いしたノックスに撃ち殺される。強欲だが妻を熱愛するノックスは、新天地へ旅立つ約束を妻ととりつけることを条件に牧場をスコット側に売ることを承諾するが、手下の一人に撃たれる。ラッセルとスコットの対決場面では、山小屋の屋根が崩壊したり、山の急斜面を三人ともにすごい勢いで転がり落ちるといったド派手なアクション。ラストは半端ない強風ふきすさぶなかでの対決。

 闇のなかでのアクション(ランプを消すしぐさが何度か登場する。これは『叛逆の用心棒』でも反復される)、クライマックスの台詞なしの長いアクションシーン。縦の構図(画面奥の男がカウンターに置かれた画面手前のグラスを撃つ、etc.)。

 原作は心理的な葛藤を描くのがとくいなアーネスト・ヘイコック(『大平原』『駅馬車』『インディアン渓谷』)。脚本は『叛逆の用心棒』ともどもケネス・ガメット。ランドルフ・スコットと多く組んでおり、ベティカーが開花させるスコットのキャラクターをクリエイトしたのはこの人だとされる。撮影チャールズ・ラングJr.。