Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

若松孝二を偲んで:『狂走情死考』『裸の銃弾』

2012-10-21 | その他
『狂走情死考』
 脚本・足立正生。1968年新宿街頭。騒乱の光景に機動隊員とデモ参加者の顔のアップがオーバーラップする。ドキュメンタリーのような実験映画のようなオープニング。疾走して逃げる青年(吉沢健)を追うカラーの移動撮影。鉄柵のむこうのまばらな街明かりが目にしみる。

 もともとオーバーラップを多用する若松映画。この作品ではそのオーバーラップ好きが全開。北の街を彷徨う逃亡者のカップル。うらぶれた街の風景に全裸で抱き合う彼らの映像がかぶさる(こちらはカラー)。

 東北本線?の無人の駅のホーム、曇天の日本海をパンする寂しげな映像も忘れがたい。
 
 大島渚の『少年』のいわば双子の映画で、実際にロケ隊がどこかで合流したこともあったという。じっさい見ていてわたしも『少年』の記憶がちらっと頭を掠めた。とくに、雪景色のなかに赤か緑の衣服が点景として配される抽象度の高いショットなどに。(大島組の戸浦が出ているせいもあろうけど。)

 亡霊の影に怯えつつ北へ逃げる二人。厳寒の湖畔で全裸の女が村の衆に拷問される場面は、いわば逃亡者たちが幻視するじぶんじしん、つまりドッペルゲンガーであり、かれらがみる「映画」であろう(「スクリーン」のなかの世界に対してかれらは決定的に無力である)。

 亡霊を体現するひとりである海坊主(小水ガイラ一男)につきまとわれる海岸のシーンもいい。岩地の抽象的な眺めがアヴァンギャルド。

 ラスト、ソフトフォーカスで撮られた人影のショットも亡霊度高し。

                         

『裸の銃弾』
 若松唯一の犯罪活劇という。奇跡的にネガが残っていた珍品らしい。脚本の大和屋竺の個性が色濃い作品で、若松じしん言うように、大和屋が演出した映画みたい。ひょうひょうとしてシュール、そしてどこまでもスタイリッシュ。

 主演は『狂走情死考』の吉沢健。犯罪仲間に港雄一(『荒野のダッチワイフ』『㊙湯の町 夜のひとで』)と小水一男。過去を背負うギャングが人質の女(林美樹)と長野を彷徨う抒情的なシークエンス(「まるでこの日のために生まれてきたように思えるじゃねえか」)は、一瞬『狂走情死考』を彷彿させる。

 ラスト、山上の神社での二対一の決闘は笑える。朝7時に鳴る鐘の3つめが合図。銃声の応酬に間延びした鐘の音が重なる。

 さいごは全員死ぬ。逃げようとした女が瀕死のギャングに撃たれる。撃たれて一瞬凍りついたかのじょを、急な石段を強調した極端な仰角でとらえる。逆のカメラポジションから、かのじょが持ち去ろうとしたアタッシェケースが石段をスピーディーに滑り落ちるブレッソンふうのショットで幕。

 汚水と鮮血にみまれた拷問のシーンと感傷的な温泉シーンで挿入されるパートカラーの使い方は、『狂走情死考』のそれと同様に効果的。

若松孝二 FOR EVER :『壁の中の秘事』『胎児が密猟する時』

2012-10-20 | その他
 テオ・アンゲロプロスと同い年の若松孝二が同じ年にやはり交通事故で亡くなってしまうとは……。この二人には作風やテーマのうえでも大いに共通項があったとおもう。合掌。

 この夏、熊野大学の会場近くで高良健吾と二人で歩いているところを見かけたと知人が言っていた。監督のお姿に接したことはなかったが、じぶんで見たわけでもないその映像がばかに脳裡に焼き付いた。

 以前amazonで6割引で出ていたときにまとめ買いしたまましまい込んでおいた初期作品集をひっぱり出す。かれの初期のものはある機会に集中的に見たので、どれがどの作品なのか記憶があいまいなものが多い。

 出世作『壁の中の秘事』。これは初見。団地の外壁の号棟表示(2-14, etc.)がとびとびに映し出される。無機的な幾何学性を強調したちょっとアントニオーニふうのタイトルバック。つづいて、肌に注射針が突き刺される超アップ。男の背中のケロイドを愛撫する裸の女。『二十四時間の情事』か?
 
 同じ団地の何世帯かの人物たちのエピソードをつなげた物語。タンクトップにホットパンツ姿の若い女性が、箪笥の谷間の狭苦しいスペースで「美容体操」をしている。ぽっちゃりした唇が肉感的。間延びしたBGMが流れている。箪笥の上には日本人形なんかが所狭しと置かれている。シュールだ。『裏窓』にもこういうシュールな体操女が出てくるよね。じっさい、これは『裏窓』ふうの映画。
 部屋の狭さを強調する俯瞰。ホットパンツのお尻越しに会話相手をとらえる扇情的な仰角。俯瞰や仰角がめだつ作品。スクリーンの端が歪み切ったアナモルフィックレンズがオフビート感を強調する(オリジナルサイズのDVDが出るまでは16ミリのプリントでしか見られなかったとのこと)。そういえば、ロジャー・コーマンも、観客を飽きさせないようにアングルにヴァリエーションをつけることを弟子たちに教え込んだ。やはり若松プロ(これは設立以前の作品)にも同じ血脈が?

 わたしも幼少期を過ごした昭和の団地。家族の会話が自然でリアル。吉沢京夫の朗々たる台詞まわしは『日本の夜と霧』でもおなじみ。にじみ出るペーソスがどこか中村伸郎ふう。若松さんは「普通」の演技をつけるのも上手だったんですねえ。
 吉沢夫婦を訪ねてきた妻の姉らしきおばさんのクレイジーな酔っぱらい演技も秀逸。

 『胎児が密猟する時』。脚本は足立正生。純粋な閉鎖空間のなかで展開する純粋なSM劇。山谷初男も女優さん(志摩みはる)もすばらしい。まじりけのない傑作だ。オープニング。豪雨の夜。路上に停められた車中の男女。「ここじゃいや」「おれの部屋へ行こう」。雨の降らせ方は予算に見合ってか相当ぞんざいだが、二人がアパートに駆け込む姿にちょっと胸が熱くなる。ここからずっと男のアパートが舞台。撮影隊は若松さんの事務所に5日間閉じこもって撮った。男と亡き妻のフラッシュバックも同じカップルが演じる。女は亡き妻に生き写しという設定。『壁の中の秘事』が『裏窓』だとすれば、こっちは『めまい』か。

 こんなに強烈な映画だというのに、まえに見ていたことを忘れていた。記憶が甦ったのは、フラッシュバックのシーン。妻は子供をほしがっているが、夫はそれを拒み、不妊手術までしている。妊娠した妻を問いつめる夫。「裏切りやがって。男がいるんだな」。勝ち誇ったように笑う妻。「男なんかいないのよ」。手にはどこから取り出したのか一本の試験管。「医者に人工授精を薦められたの」。「ちくしょう」。試験管をひったくり、壁に投げつける夫。カーテンを伝って垂れるスペルマ。……シュールだ。
 『壁の中の秘事』でも、広島で被爆した男の愛人が不妊手術をしている。かつて反戦運動に身を投じた女は、子供をあきらめることがかれとともに戦うことであるとずっと覚悟を決めていたが、愛の終わりを悟ったとき、「赤ちゃんが欲しい!」と泣き崩れる。差し向かいに坐る男ならずとも、その重さにおしつぶされてしまいそうな叫びである。 

ゴッドファーザー:ファースト・ジェネレーション:『ララミーから来た男』

2012-10-07 | アンソニー・マン

 ウェスタナーズ☆クロニクル No.15

 『ララミーから来た男』(アンソニー・マン監督、1955年、コロンビア)

 アンソニー・マンとジェームズ・スチュアートのコンビの最後の作品にして最高傑作。脚本フィリップ・ヨーダン(『最前線』『シャロン砦』『エル・シド』『ローマ帝国の滅亡』)、撮影チャールズ・ラングJr.。
 タイトルバックは有刺鉄線がスクリーンを斜めに引き裂いているようなデザイン画にノスタルジックな男声ハミングがかぶさる。
 1870年、ニューメキシコ。山腹で男(ジェームズ・スチュワート)が馬車を止める。「まだ進める」と隣の相棒(ウォーレス・フォード)。「いや、ここで野宿だ」と否応がない。『怒りの河』『遠い国』でもすでに見慣れたやりとり。馬を降りるスチュワートを、画面手前に縞目模様のように大写しにされた手綱ごしにとらえたショット。全身に斜線を引かれたように見える。刻印されたトラウマの存在をそれとなく伝える演出。つづけて、幌馬車の残骸も生々しい一面の焼け跡をゆっくりとなめるパンショット。これがアンソニー・マン初のシネマスコープ作品となる。騎兵隊の遺品を拾い上げ、感慨深げに見入るスチュワート。アパッチ族の犠牲になった弟とその一隊のものだ。スチュワートはアパッチに連発銃を横流しし、間接的に弟を殺めた何者かに復讐を誓っている。軍隊を離脱し、いまは行商人の身。
 ララミーから運んできた商品を店に納めに行くスチュワート。ここでも画面手前の木の梯子がかれの全身を縞模様に切り刻む。店の主人は若い女性(キャシー・オドネル)。幌馬車に何かを積んで帰りたいとオドネルに相談すると、近くで塩がとれるという。塩を荷台に積んでいると、馬を駆る男たちが近づいてくる。リーダーらしきサディスティックな男(アレックス・ニコル)にどろぼう扱いされる。荷台を焼かれ、ラバを撃ち殺されたうえ、ロープで引き回されそうになるが、かれらの身内の一人(アーサー・ケネディ)に助けられる。男たちは塩田の所有者で家父長的な大地主(ドナルド・クリスプ)の家の者。サディスティックなデイヴはクリスプの無能な実子でオドネルともいとこ、ケネディはクリスプの義理の息子で、ばか息子のサポート役。オドネルの恋人でもある。ケネディはクリスプに遺産相続人と認めてもらえず不満をかこっており、ばか息子を抱き込んでアパッチに銃を流している。スチュワートは町で二人に偶然再会、喧嘩になる。デイヴに撃たれそうになるが、馬車を駆るタフな老女(アリーン・マクマホン)にたすけられる。駆けつけたクリスプに、財産を弁償せよと訴えるスチュアート。クリスプは訴えに応じる。老女はクリスプの元婚約者で、親の反対で婚約を破棄されてからも独身を守り、隣接する土地所有者として元婚約者と張り合ってきた。そのあと、殺し屋(ジャック・イーラム。手の動きが美しい)に狙われたスチュワートは難を逃れるも、直後にその殺し屋が死体で見つかるという不可解な事件が起こり、無実の容疑で牢獄にぶちこまれる。そこにクリスプが面会に来て、町を出て行けと言う。スチュワートを満更憎からず思っているらしいクリスプは、心の裡を吐露する。かれはむかしから同じ夢にうなされつづけていた。痩せて背の高いストレンジャーが息子を殺しにくるという悪夢だ。スチュワートとの因縁を根に持っていたデイヴは、あるときスチュワートの命を狙おうとするが、逆に掌を撃ち抜かれる。血迷ったデイヴは、スチュワートを捕らえてその掌を同じように撃ち抜く。アイリーン・マクマホンの家で手当を受けている最中のオドネルとのやりとり。「あなたはトラブルメイカーよ」「この町のトラブルはおれが来る前からだ」「あたしの心の中のトラブルよ」「それはすまなかった、ミス・ワゴマン」「そんな呼び方よして」「ケイト?」「言ってはいけないことまで口にしてしまいそう」。あわてて逸らした話題がダニエル・ブーンのことだったりするのもしみじみ。あるときケネディは闇商売をめぐる言い争いの最中にニコルを射殺してしまう。曇天の下、厳かに馬で運ばれてくる遺体を牧場でクリスプが迎える。すっとぼけて第一発見者づらをきめこむケネディ。スチュワートに容疑がかかる。スチュワートへの復讐を決意する父親。秋景色が目に染みる牧場での一騎打ち。木陰にたたずむスチュワートに、失明途上のクリスプが馬で突進していく。スチュワートは負傷した方の手にライフルをのせて構えるお得意のポーズ(『怒りの河』『裸の拍車』でもやっていた)で応戦。赤子の手をひねるようにねじふせられるクリスプ。「おれはやってない。おれは夢の男じゃない」とクリスプに弁明するスチュワート。息子の身辺を整理するうち、クリスプは帳簿に穴を見つける。ケネディを呼び出して難詰する。「いくらばかな息子でも、アパッチに銃を売るほど愚かであったはずがない」。闇商売がばれそうになり、クリスプを崖から突き落とすケネディ。クリスプは命をとりとめ、スチュワートにケネディの所業をばらす。ラストでスチュアートはケネディに銃を向けるが、いざとなると復讐のむなしさにとらわれて撃てず、そのまま仇を放り出す。アパッチのうろつく荒野に逃れたケネディは、ただちにかれらの餌食になる。身寄りを失い一人になった盲目のクリスプに昔の婚約者が手を差し伸べる。「いつもそばで見張ってきたついでだよ」。皮肉にも人生の黄昏に至ってやっと結ばれた二人。一方、スチュワートとオドネルのロマンスは、予感だけを残して終わる。「ララミーに寄ることがあったらたずねてくれ」。同じアーサー・ケネディから女を奪い返すのは『怒りの河』の再演。

 実子を亡くしたうえに義理の息子にも裏切られるクリスプにとって、スチュワートはいわば第三の、精神上の息子。ここに注目してクリスプをリア王になぞらえた批評家がいたが、わたしはむしろドン・コルレオーネを連想した。巨体にパンチパーマ、血気に満ちたうすらばかのデイヴはジェームズ・カーンのソニーそっくりだし、切れ者の義理の息子アーサー・ケネディは、額の後退ぶりからしてもロバート・デュヴァルを思わせずにいない。反逆的な息子スチュワートがさしずめマイケルだ。あとフレドーがいれば完璧だね。アンソニー・マンの西部劇には雪山が見えていることが多いが、『ララミー』はうんと南が舞台なのもこの連想に与って大きいかも。

ミセス・ロビンソンとハンター:『シャロン砦』

2012-10-06 | アンソニー・マン
 ウェスタナーズ☆クロニクル No.14

 『シャロン砦』(アンソニー・マン監督、1955年、コロンビア)

 山道を行く狩人三人組(ヴィクター・マチュア、マチュアの親代わりのジェームズ・ウィットモア、先住民の血を受け継ぐパット・ホーガン)が、前方から蛇のように匍匐前進しながら、かつは背後から音もなく忍び寄ってきた先住民の一隊に一瞬のうちに取り巻かれるフィックスショット。サミュエル・フラーあたりが撮りそうな度肝を抜くオープニング。三人は何ごともなかったかのようなふりをしてその場に腰を下し、リラックスしきった体で冗談を飛ばし合いながら昼飯を広げ始める。背後で蝋人形みたいに不動の姿勢の先住民たちが矢を向けながら見守っている。けっきょく、馬と財産を脅し取られる三人。近くにできた騎兵隊の砦に生活を脅かされた先住民が、無害の狩人をも襲うようになっていた。教育的には最下層をもって任じる三人、「文明が悪い」と憤る。シャロン砦に出向き、奪われた財産を弁償しろと訴え出る。そこで三人は陽気な大尉(ガイ・マディソン)にまんまと言いくるめられ、斥候として雇われる。マチュアは騎兵隊の青い軍服に、ホーガンはウィスキーにつられて。ウィットモアだけは苦い顔。「あんたが一枚上だ (You trapped.)」。その夜、就職祝いにウィスキーをあおってはめをはずす三人。酔った勢いで大佐の宿舎に忍び込んだマチュア、出向中の大佐(ロバート・プレストン)の留守を守る妻(アン・バンクロフト)を見初める。大佐は1500人の部下を無茶な作戦で戦死させ、世間から「殺人者」呼ばわりされている。それに懲りずシャロン砦でも自殺的な総攻撃の指令を下す。大佐と妻の間はすっかり冷えきっている。妻の心はがさつだが誠実なマチュアに傾く。戦いを前にパット・ホーガンはルーツである先住民の下に帰っていく。ワイドスクリーンで撮影された美しい森林を舞台に血なまぐさい殺戮の火ぶたが切って落とされる。ウィットモアが命を落とし、残されたマチュアは獅子奮迅して騎兵隊を勝利に導く。大佐も戦死。ラスト、雪の舞う砦。入隊を許可され、念願の軍服に身を包んだマチュアが揚がる星条旗に敬礼する。

 出陣の場面。大佐は斥候のウィットモアを先住民の的として野に放つ。腹這いになって丘の上から待ち伏せる先住民たちを、背後に回りこんで木の上からその動向をうかがうマチュアの視点でとらえた大俯瞰のクレーンショット。冒頭のショットと韻を踏むショッキングなショットだ。散り散りに地面に横たわり、戦死体のように身じろぎもせずにいる先住民があるしゅの生物の擬態さながらに森林と一体化しているさまが底知れず不気味(ジャン=リュック・ゴダールは「植物的なショット」と形容した)。シネマスコープの可能性をフルに活かした天才的なショットと言えよう。

 脚本フィリップ・ヨーダン(『ララミーから来た男』)。キャメラにウィリアム・C・メラー(『裸の拍車』)。マチュアとアン・バンクロフトのラブシーンで、マチュアをシルエットにしたショットなんかには、マンのフィルム・ノワール的な感性が窺える。毛皮をまとい、半獣半人然とした最下層階級のマチュアらトリオは、『怒りの河』のごろつき三人組や『西部の人』の三馬鹿息子を思わせる。森林のアモルフな空間と砦の幾何学的な造型のコントラスト。クライマックスの戦闘場面、森いっぱいに上がり、木漏れ日に照らされた土煙がひたすら美しい。
 
 ジェームズ・スチュワートとの偉大な連作の直後に撮られた作品で、アンソニー・マンの撮ったもっとも美しい西部劇の一本ながら、その影に完全に隠れてしまっている。野蛮人が「法と秩序」に組み入れられるというラストが、善悪のあいまいさを容赦なく問うたスチュワート連作からの後退と見なされているせいなのか。

原生林の聖女ジャネット:『裸の拍車』    

2012-10-03 | アンソニー・マン
 
 ウェスタナーズ☆クロニクル No.13

『裸の拍車』(1953年、アンソニー・マン監督、MGM)

 アンソニー・マン=ジェームズ・チュワートのコンビの3作目。登場人物が5人しか出てこない。文明の匂いがまったくしない究極的にエッセンシャルな舞台装置。文字どおり掘建て小屋一軒出てこない。
 賞金稼ぎのスチュワート。金鉱掘りのミラード・ミッチェル(『ウィンチェスター銃'73』のスチュワートの相棒)。スチュワートの同郷のお尋ね者ロバート・ライアン。その連れあいでボーイッシュなショートヘアーのジャネット・リー。先住民の酋長の娘にちょっかいを出して素行不良で騎兵隊をお役御免になったラルフ・ミーカー。
 保安官を名乗るスチュワートは、実は賞金稼ぎ。ライアンの捕獲に協力したミッチェルとミーカーにばれ、賞金の山分けを要求される。ちぐはぐな五人組の道中がはじまる。途中、ミーカーに復讐せんとする先住民と一悶着起きる。スチュワートは、南北戦争に出兵している間に妻に裏切られたことがトラウマになってひどい人間不信に陥っている。負傷し、うなされて妻の名を呼ぶスチュワートをジャネット・リーが寝ずの看病をする。ジャネット・リーに髭をあたらせ、肩をもませるライアン。始終へらへらしている。洞窟で夜営した際、ライアンはジャネット・リーにスチュワートを誘惑させる間に逃げようと目論むも失敗。その後、ライアンは銃を奪い、ミッチェルを射殺。「安らかに往生してやつは幸せだぜ」。せせらぎに仰向けで横たわるミッチェルの顔をロバがのんびりと嘗めている。ランボーの「谷間に眠る者」のような情景。さらにミーカーをだまして撃とうとしたライアンは逆に射殺され、崖から落下する。ミーカーは急流に飛び込んで金蔓の遺体を引き上げようとするも、流木に激突して命を落とす。スチュワートとジャネット・リーだけが生き残る。「一緒になってカリフォルニアで暮らせば賞金をあきらめてくれる?」とジャネット・リー。「なぜだ?」と振り返るスチュワート。「おれは死体を運んで賞金を受け取るような男なんだぜ」。涙を流して問いかけるスチュワート。ジャネット・リーは無言でスチュワートを見ている。おもむろに鞍から死体を下ろすスチュワート。かすかにうなづくジャネット・リー。シャベルでライアンを埋葬するスチュワート。「コーヒー入れるわ」とジャネット・リー。クレーンがせり上がって幕。