Negative Space

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いつも上天気:『青空娘』

2014-08-18 | 増村保造

 増村保造「青空娘」(1957年、大映)


 海岸の崖の上で制服姿の三人の(薹の立った)女学生が将来の夢を語り合っている。舌の上で言葉を転がすような若尾文子のねばつくディクションは、厚化粧とあいまってはやくも妖艶マダム風……。
 卒業後、両親のいる東京に出る若尾をうらやむ級友。さわやか青春美術教師が合流。空にむかって大声で呼びかける二人の背中をとらえたショットがティルトアップし、けばけばしい青空がスクリーンいっぱいに映し出されると、そこにタイトルがかぶさる。タイトルバックは東京へと向かう列車を追うヘリコプター撮影。両親の家につくや否や、小学生低学年の弟にののしられる。「おい、おまえが新しい女中か?」 正妻の子でない若尾は、地方の祖母のもとで暮らしていたのであった……。

 評判をとった『くちづけ』につづく増村の二作目。「明星」に連載された源氏鶏太のライトノベルの映画化。青い空のもと、白いブラウスに赤いスカートの若尾が緑地に横たわる。レトロなポスター風の天然色は、要所要所でダグラス・サークふうにあやしい輝きを帯びはじめて心を騒がせる。増村一流の明確な台詞回しは学芸会ふうだが、すばらしくスピーディーなテンポがそれを忘れさせる。まさに「ズージャ」そのもの! 奇天烈なコスチューム(豊乳を鷲掴みにする掌の柄)まとったメエ・ウェストふうのクラブ歌手が熱唱する無茶苦茶なナンバーは、エゴ・ラッピンか椎名林檎かと錯覚するほどにおしゃれ。

 オフビートに炸裂するミヤコ蝶々のギャグの数々(「言ってみればセ・シ・ボンですかいな……」)、「哲学」に凝った魚屋のあんちゃん、「中西」と「川上」の年棒を比較する小学生の息子、ワンシーンだけ登場の東山千栄子も貫禄のコメディエンヌぶり!

 「野性的でボーイッシュなヒロイン」という要素だけに的を絞って通俗的な素材を見事に料理した増村の演出術が光る。シュールなほどにさわやかでポジティブシンキングなわがヒロインは、お妾の子であろうと、里子に出されようと、『マーニー』の杏奈みたいにうじうじしないのだ。実家で物置小屋をあてがわれても、「私はどこにいてもしあわせなの」。「他人ん家のにおいがする」なんて陰湿なリアクションはまちがってもしない。

 実姉との対決、 弟が若尾を「お姉さん」と呼ぶ瞬間、父親とのダンス、実母との再会(福間健二監督があついオマージュを捧げている)にあなたもきっと涙する!

 市川崑は増村が大映の色に染まったとけなしたそうだ。この作品が増村のマイナーな作品として顧みらることが少ないのは残念だ。フィルムセンターの特集ではもう上映予定がないようだが、全国のお父さんお母さんよ、子どもを『マーニー』だの『アナ』だのに連れてく暇があれば、『青空娘』を見せなさい!


 アングルをつけ、対角線を強調した鋭角的ないかにも増村ふうの構図も随所に出てくる。東京駅に到着した若尾があやしげな人たちに次々出くわす場面の仰角のショットなど。



 『兵隊やくざ』についての追記。

 ワイズ出版の『映画監督増村保造の世界』をめくっていたら、けっさくなくだりが目にとまったので引用しておこう。

「今子正義――増村さんはイタリーに留学してましたけど、ミケランジェロとかバチカンの壁画がありますよね。あれはひとつの絵のなかに、肉体を隙間なく描いていますよね。ああいうのが増村さんのなかにあったんじゃないかなと思うんですよ。たとえば、『兵隊やくざ』の風呂場のシーンですね。あれはすごいですよ。肉体がゴロゴロしている。[……]ああいうものが増村さんの創作の原点にあるんじゃないかと思うんですけどね。
臼坂礼次郎――あれは、まっ裸の男たちの乱闘をフルショットで撮るんだけど、一発も性器が写らないわけだよね。これは映画の教科書ですよ。[……]あれはすごいですよ。
インタビュアー――アクションシーンで、あれだけ人が動いているんだから、信じられないですよね。[……]
臼坂――綿密なコントロールがあるわけですよね。」

 ……深い。

今です!増村保造再発見:『兵隊やくざ』

2014-08-02 | 増村保造

 増村保造「兵隊やくざ」(大映、1965年)
 
 満州。戦場に横たわる白骨化した兵士のショットにタイトルがかぶさる。

 おもてむきは戦争映画だが、「青春映画」(増村)にしてクイアー映画(?)の名作。シニカルなインテリ(田村)と浪曲師あがりのやくざ(勝新)とが本能的に惹かれ合い、世間(つまり軍)の目をものともせずに恋(?)を貫く。勝新は浴場で全裸で大乱闘を演じ、田村は強行軍でダウンした勝新の靴下を脱がせてやる……。その他、おのろけ、スキンシップ場面多数。

 保護下にある勝新にみずから焼きを入れるよう命じられた田村。「おれは軍隊で殴られたことはあっても、殴ったことはない。だが今日は違う」と自らをふるいたたせるも、手にした竹刀をふるうことがどうしてもできない。背中を向け、厳罰覚悟で引き上げていく田村。勝新はその場に背中を向けてちょこんと座り込み、煉瓦で自分の顔を殴り始める。勝新に救われたことを知った田村が洗濯物を干している勝新のところへ行き、「ばかだな、おまえ」。顔をぱんぱんに腫らした勝新は答えず、♪そよと吹く風、無情の風、おれが親分兄弟分……と口ずさみながら洗濯物を干す手を休めない。紅海を渡るモーゼみたいに、洗濯物の列の間を画面手前に歩いてきてフレームアウトする勝新。画面奥からその姿を見守る田村のショット。「やがて夏が過ぎ、短い満州の秋になり……」と田村によるロマンティックなナレーションがかぶさる。この場面は、出会いのときの願い(「浪花節をいつか聞かせてほしいものだ」)が叶えられる場面でもあり、作品中の白眉。
 
 物干し台に限らず、浴室、調理場……と家庭的な(?)舞台設定が多いのは偶然ではあるまい。

 二人の主従関係の廃棄ないし逆転は、軍隊というヒエラルキー社会(それ自体、一般社会の戯画)へのアンチテーゼ。部隊内では歩兵と砲兵が反目し、果たし合いに明け暮れている。田村が喧嘩相手の等級を調べさせ、ひとつ上の等級の味方を呼んで相手をやり込めようというセコイ戦略を得意にしているのが笑える。

 南方へ送られそうになった勝新は、上官の田村を故意に殴って独房に入れられる。上官の田村が食事を運んで行くと(主従の逆転を暗示する周到な演出)、「上等兵殿と離れたくなかったんです」と勝新。全部隊に激戦地への異同命令が出ていることを知ると、いつか約束した恩返しを果たそうと、強引に田村を脱走計画に同意させる。「考えてる場合か? 黙って俺についてこい!」

 新任地へ向かう車中。「いつやる?」「今です!」……「今日からおまえがおれの上官だ」。ラスト、汽車の屋根に仁王立ちになる勝新(最後まで派手好き)のシルエットが遠ざかって行く。完。