Negative Space

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旅路の果て:『荒野の女たち』

2016-03-22 | その他


 西部瓦版 ~ウェスタナーズ・クロニクル~ No.43
 
 ジョン・フォード『荒野の女たち』(1966年)


 To Furiosa


 1930年代の中蒙国境というのはじつは口実で、いつのどことも知れない文化果つる辺境。ファナティックなオールド・ミス(マーガレット・レイトン)率いる女たちのプロテスタント布教団は騎兵隊の亡霊のようでもある。人里離れた施設に立てこもって暮らす彼女らは、一人(若いブロンドのスー・“ロリータ”・リオン)を除いていい加減薹が立ち、人生に疲れた風をしている。更年期にさしかかろうかというそのうちの一人(ベティー・フィールド)はあろうことか最初の子を孕んでいる。その初老の夫(エディ・アルバート)も、牧師になる夢を実現するために高齢の妊婦をアジアの奥地に同伴させたことを悔やむ負け犬であり、女だけの世界に完全に埋没している。
 そこに呼ばれてきた医者は革ジャン、乗馬ズボンにテンガロンハットという出で立ちで、たえず煙草をふかし、食卓でウィスキーを煽る蓮っ葉な女(アン・バンクロフト)。たちまち団長とのあいだに火花が散る。性にかんして極度に潔癖性な団長は、じつはスー・リオンに気があり、スー・リオンがバンクロフトに好意的な態度をみせたことがそれに油を注ぐ。女医は8年に及ぶ医学修行と引き換えに女の幸福をあきらめたうえ、既婚の男に騙されて体よく捨てられ、この辺境に流れてきた。使節団の女たちもそれぞれわけありの身の上。スクリーンのうえに男っ気がなくとも、女たちの内面は男の想い出やら男への欲情やらにあふれかえっている(このへんは同じく男の登場しない室内劇であるジョゼフ・ロージーの遺作『スチームバスの女たち』、あるいはロバート・アルトマンの『わが心のジミー・ディーン』あたりを思わせる)。
 コレラの発生を女医の如才ない対応で乗り切るも、モンゴルの獰猛な馬賊があたりに出没との報を受けて、優柔不断なエディ・アルバートが偵察を買って出るが、死体で戻ってくる。馬賊の手がついに施設にまで伸び、引き取って育てている子供らは虐殺され、女たちは人質にとられる。ときあたかも妊婦が産気づき、薬とミルクを確保するために女医は馬賊のボス(マイク・マズルキ)におのれを委ねる。発狂状態の団長は女医を娼婦と罵り、良識を代表する団員(ミルドレッド・ダノック)がその団長を罵る。他の団員たちはといえば、すでになんらかの反応をする気力すら失っている。スー・リオンの懇願によって団員全員を解放するべく馬賊のボスに進言した女医は、その代償としてかれの囲いものとなることを約する。別れ際に女医を抱きしめにきたミルドレッド・ダノックの唇に乱暴に接吻するバンクロフト。団員たちが無事施設を後にするのを見送った女医は、グロテスクな芸者風スタイルに身を包んで新たな「主人」の部屋を訪う。誇張したお辞儀と愛想笑いとともに「主人」に杯を手渡す女医。杯に口をつけたその瞬間、椅子から滑り落ちて画面の外に消えるマズルキ。死体に目をやることもなく、一言 ”So long, bastard!” と吐き捨て、一瞬のためらいのあとで同じ毒の入った杯を干し、床に叩き付けて割るバンクロフト。すかさずキャメラが手前に引いてくると同時にフェイドアウトがかかり、赤い文字でエンドマークがかぶさる。

 本作はフォードの実質的な遺作である。So long, bastard! ――奇しくもこれがジョン・フォードによる、観客への永遠の別れの台詞となったのである。

 オールセットで撮られた本作の舞台は施設を一歩も出ることがなく、息苦しい緊張が全篇を覆う。その大胆きわまりない省略技法はリュートン=フレゴネーゼの『Apache Drums』をはるかにしのぐ効果を挙げている。これほどに身震いさせるホラー演出はほかにない。

 『肉弾鬼中尉』のように演劇的な作風の、『駅馬車』(『脂肪の塊』)のようなカトリック的メロドラマ。どこからともなく姿を現す女医は、地平線の彼方から亡霊のように近づいてくるイーサン・エドワーズであると同時に、怪物の血に汚れた姪デビーである。フォークダンスの楽の音はすでに遠く、松明が囲む野蛮人たちのレスリングに飛び交う恐ろしい怒号だけが響く。

 隅から隅まで異様にして衝撃的な映画。保守的なフォードのファンに本作が認知されていないのは、先住民に徹底して寄り添った『シャイアン』で「政治的に正しい」西部劇の極北に立ったフォードが、ここでふたたび馬賊という「他者」を文明の対極にある極悪非道なモンスターとして描いているためにほかなるまい。就中、馬賊の一人を演じさせられているのは『バッファロー大隊』のアフリカ系ウッディ・ストロードである。So long, bastard!  この台詞は訳知り顔の世間の良識にたいしてフォードの放った痛烈な最後屁でもある。

 女医役に予定されていたのはゲイリー・クーパーとのロマンスで知られ、ジョン・ウェインが最後に恋の炎を燃やした美しきパトリシア・ニール。急病のニールに代わって登板した友人バンクロフトの“侠気”にしびれる。



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4 コメント

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はじめまして (すかあふえいす)
2016-12-10 02:45:08
これは凄い作品でしたね。
閉じ込められ閉鎖された空間で新たな命を産み、引き換えに己を犠牲にしてまで葬り去る…。

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コメントありがとうございます。 (baltasar)
2016-12-12 21:51:24
同感です。何度見てもあのラストには言葉を失ってしまいます。世間のイメージとはぎゃくにジョン・フォードは閉鎖空間でこそ真価を発揮する監督なのかもしれません。世間的な代表作『駅馬車』のネガというか、裏ヴァージョンみたいな作品ですね。
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7 women (Red Pine)
2021-08-21 09:29:56
最後のセリフの「So long, bastard!」には「So long, you bastard!」と「you」が入っています。
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ご指摘ありがとうございます。 (baltasar)
2021-09-11 12:15:56
なるほど!ご指摘どうもありがとうございました。
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