Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

罪と罰:『復讐の荒野』

2015-12-29 | アンソニー・マン


 ウェスタナーズ・クロニクル No.34; アンソニー・マン『復讐の荒野』(1950年、パラマウント)

 『流血の谷』『ウィンチェスター銃73』と同年の作品。製作ハル・ウォリス。

 1870年代ニューメキシコの広大なプランテーションの主(これが遺作のウォルター・ヒューストン)とその娘(バーバラ・スタンウィック)の確執を描く。TC(ヒューストン)の息子の婚礼の際、決闘で代々の土地をTCに収奪された一家の息子リップ(ウェンデル・コリー)が訪ねてきて険悪な雰囲気になる。娘ヴィンスはプランテーションの使用人(ギルバート・ローランド)と恋仲であったが、リップに魅せられ、アタックをかける。TCは社交界の老婦人(ジュディット・アンダーソン)との結婚に際してローランド一家をお払い箱にしようとするが、一家は砦に立てこもって抗戦、ローランドは縛り首となる。父をカモにしようとするアンダーソンを刃物で傷つけ勘当されたスタンウィックは復讐を誓い、賭博場経営者のリップの協力の下、父の濫発した手形を買い戻し、父を破産させる。父娘の和解も虚しく、父はローランドの母親に復讐の銃弾を撃ち込まれる。

 原作のニーヴン・ブッシュ(『真昼の決闘』『追跡』『大いなる西部』)はロシア文学とギリシャ悲劇に大きな影響を受けた作家。仰々しいトーン、親子の葛藤、復讐、運命といった[精神分析的]モチーフはいかにもこのひとらしい。

 タイトル、荒涼とした風景、じゃじゃ馬スタンウィックと高慢なコーリーのラブシーンは『嵐が丘』をおもわせるところがあるが、アンソニー・マン自身によれば、本作はなんとドスエフスキーの『白痴』の翻案なのだそうだ。厳格な家父長である一方で底抜けにおめでたい男でもあるTCをムヌーシュキン男爵になぞらえているのかもしれないが、あまりに苦しいこじつけだ。

 屋外シーンは逆光の多用が夢幻的でロマネスクな雰囲気の醸成にあずかる。屋内場面はパンフォーカスや階段の使い方がウィリアム・ワイラーのパロディのようだ。メキシコ人一家との銃撃戦のあとローランドが縛り首にされる場面(縛り首の映像は見せない)、スタンウィックがアンダーソンを傷つける場面(鏡と階段が活用される)が見所といえば見所か。ナポレオンを引用し、オフィスにナポレオンの胸像を飾っているTC。家父長キャラはもちろん『ララミーから来た男』のドナルド・クリスプをおもわせる。コーリーは自宅への招待をすっぽかされて怒鳴り込んだスタンウィックの顔を洗面器に突っ込む。「おまえは誰も愛せない。憎しみに恋しているから!」

 脚本チャールズ・シュニー(『赤い河』『女群西部へ!』)。キャメラはヴィクター・ミルナーだが、リー・ガームズが一部を撮影(クレジットなし)。音楽フランツ・ワックスマン。出演はほかにベラ・ボンディ、アルバート・デッカー、ウォーレス・フォード、トマス・ゴメス、ルイス・ジーン・ヘイト。


ゴッドファーザー:ファースト・ジェネレーション:『ララミーから来た男』

2012-10-07 | アンソニー・マン

 ウェスタナーズ☆クロニクル No.15

 『ララミーから来た男』(アンソニー・マン監督、1955年、コロンビア)

 アンソニー・マンとジェームズ・スチュアートのコンビの最後の作品にして最高傑作。脚本フィリップ・ヨーダン(『最前線』『シャロン砦』『エル・シド』『ローマ帝国の滅亡』)、撮影チャールズ・ラングJr.。
 タイトルバックは有刺鉄線がスクリーンを斜めに引き裂いているようなデザイン画にノスタルジックな男声ハミングがかぶさる。
 1870年、ニューメキシコ。山腹で男(ジェームズ・スチュワート)が馬車を止める。「まだ進める」と隣の相棒(ウォーレス・フォード)。「いや、ここで野宿だ」と否応がない。『怒りの河』『遠い国』でもすでに見慣れたやりとり。馬を降りるスチュワートを、画面手前に縞目模様のように大写しにされた手綱ごしにとらえたショット。全身に斜線を引かれたように見える。刻印されたトラウマの存在をそれとなく伝える演出。つづけて、幌馬車の残骸も生々しい一面の焼け跡をゆっくりとなめるパンショット。これがアンソニー・マン初のシネマスコープ作品となる。騎兵隊の遺品を拾い上げ、感慨深げに見入るスチュワート。アパッチ族の犠牲になった弟とその一隊のものだ。スチュワートはアパッチに連発銃を横流しし、間接的に弟を殺めた何者かに復讐を誓っている。軍隊を離脱し、いまは行商人の身。
 ララミーから運んできた商品を店に納めに行くスチュワート。ここでも画面手前の木の梯子がかれの全身を縞模様に切り刻む。店の主人は若い女性(キャシー・オドネル)。幌馬車に何かを積んで帰りたいとオドネルに相談すると、近くで塩がとれるという。塩を荷台に積んでいると、馬を駆る男たちが近づいてくる。リーダーらしきサディスティックな男(アレックス・ニコル)にどろぼう扱いされる。荷台を焼かれ、ラバを撃ち殺されたうえ、ロープで引き回されそうになるが、かれらの身内の一人(アーサー・ケネディ)に助けられる。男たちは塩田の所有者で家父長的な大地主(ドナルド・クリスプ)の家の者。サディスティックなデイヴはクリスプの無能な実子でオドネルともいとこ、ケネディはクリスプの義理の息子で、ばか息子のサポート役。オドネルの恋人でもある。ケネディはクリスプに遺産相続人と認めてもらえず不満をかこっており、ばか息子を抱き込んでアパッチに銃を流している。スチュワートは町で二人に偶然再会、喧嘩になる。デイヴに撃たれそうになるが、馬車を駆るタフな老女(アリーン・マクマホン)にたすけられる。駆けつけたクリスプに、財産を弁償せよと訴えるスチュアート。クリスプは訴えに応じる。老女はクリスプの元婚約者で、親の反対で婚約を破棄されてからも独身を守り、隣接する土地所有者として元婚約者と張り合ってきた。そのあと、殺し屋(ジャック・イーラム。手の動きが美しい)に狙われたスチュワートは難を逃れるも、直後にその殺し屋が死体で見つかるという不可解な事件が起こり、無実の容疑で牢獄にぶちこまれる。そこにクリスプが面会に来て、町を出て行けと言う。スチュワートを満更憎からず思っているらしいクリスプは、心の裡を吐露する。かれはむかしから同じ夢にうなされつづけていた。痩せて背の高いストレンジャーが息子を殺しにくるという悪夢だ。スチュワートとの因縁を根に持っていたデイヴは、あるときスチュワートの命を狙おうとするが、逆に掌を撃ち抜かれる。血迷ったデイヴは、スチュワートを捕らえてその掌を同じように撃ち抜く。アイリーン・マクマホンの家で手当を受けている最中のオドネルとのやりとり。「あなたはトラブルメイカーよ」「この町のトラブルはおれが来る前からだ」「あたしの心の中のトラブルよ」「それはすまなかった、ミス・ワゴマン」「そんな呼び方よして」「ケイト?」「言ってはいけないことまで口にしてしまいそう」。あわてて逸らした話題がダニエル・ブーンのことだったりするのもしみじみ。あるときケネディは闇商売をめぐる言い争いの最中にニコルを射殺してしまう。曇天の下、厳かに馬で運ばれてくる遺体を牧場でクリスプが迎える。すっとぼけて第一発見者づらをきめこむケネディ。スチュワートに容疑がかかる。スチュワートへの復讐を決意する父親。秋景色が目に染みる牧場での一騎打ち。木陰にたたずむスチュワートに、失明途上のクリスプが馬で突進していく。スチュワートは負傷した方の手にライフルをのせて構えるお得意のポーズ(『怒りの河』『裸の拍車』でもやっていた)で応戦。赤子の手をひねるようにねじふせられるクリスプ。「おれはやってない。おれは夢の男じゃない」とクリスプに弁明するスチュワート。息子の身辺を整理するうち、クリスプは帳簿に穴を見つける。ケネディを呼び出して難詰する。「いくらばかな息子でも、アパッチに銃を売るほど愚かであったはずがない」。闇商売がばれそうになり、クリスプを崖から突き落とすケネディ。クリスプは命をとりとめ、スチュワートにケネディの所業をばらす。ラストでスチュアートはケネディに銃を向けるが、いざとなると復讐のむなしさにとらわれて撃てず、そのまま仇を放り出す。アパッチのうろつく荒野に逃れたケネディは、ただちにかれらの餌食になる。身寄りを失い一人になった盲目のクリスプに昔の婚約者が手を差し伸べる。「いつもそばで見張ってきたついでだよ」。皮肉にも人生の黄昏に至ってやっと結ばれた二人。一方、スチュワートとオドネルのロマンスは、予感だけを残して終わる。「ララミーに寄ることがあったらたずねてくれ」。同じアーサー・ケネディから女を奪い返すのは『怒りの河』の再演。

 実子を亡くしたうえに義理の息子にも裏切られるクリスプにとって、スチュワートはいわば第三の、精神上の息子。ここに注目してクリスプをリア王になぞらえた批評家がいたが、わたしはむしろドン・コルレオーネを連想した。巨体にパンチパーマ、血気に満ちたうすらばかのデイヴはジェームズ・カーンのソニーそっくりだし、切れ者の義理の息子アーサー・ケネディは、額の後退ぶりからしてもロバート・デュヴァルを思わせずにいない。反逆的な息子スチュワートがさしずめマイケルだ。あとフレドーがいれば完璧だね。アンソニー・マンの西部劇には雪山が見えていることが多いが、『ララミー』はうんと南が舞台なのもこの連想に与って大きいかも。

ミセス・ロビンソンとハンター:『シャロン砦』

2012-10-06 | アンソニー・マン
 ウェスタナーズ☆クロニクル No.14

 『シャロン砦』(アンソニー・マン監督、1955年、コロンビア)

 山道を行く狩人三人組(ヴィクター・マチュア、マチュアの親代わりのジェームズ・ウィットモア、先住民の血を受け継ぐパット・ホーガン)が、前方から蛇のように匍匐前進しながら、かつは背後から音もなく忍び寄ってきた先住民の一隊に一瞬のうちに取り巻かれるフィックスショット。サミュエル・フラーあたりが撮りそうな度肝を抜くオープニング。三人は何ごともなかったかのようなふりをしてその場に腰を下し、リラックスしきった体で冗談を飛ばし合いながら昼飯を広げ始める。背後で蝋人形みたいに不動の姿勢の先住民たちが矢を向けながら見守っている。けっきょく、馬と財産を脅し取られる三人。近くにできた騎兵隊の砦に生活を脅かされた先住民が、無害の狩人をも襲うようになっていた。教育的には最下層をもって任じる三人、「文明が悪い」と憤る。シャロン砦に出向き、奪われた財産を弁償しろと訴え出る。そこで三人は陽気な大尉(ガイ・マディソン)にまんまと言いくるめられ、斥候として雇われる。マチュアは騎兵隊の青い軍服に、ホーガンはウィスキーにつられて。ウィットモアだけは苦い顔。「あんたが一枚上だ (You trapped.)」。その夜、就職祝いにウィスキーをあおってはめをはずす三人。酔った勢いで大佐の宿舎に忍び込んだマチュア、出向中の大佐(ロバート・プレストン)の留守を守る妻(アン・バンクロフト)を見初める。大佐は1500人の部下を無茶な作戦で戦死させ、世間から「殺人者」呼ばわりされている。それに懲りずシャロン砦でも自殺的な総攻撃の指令を下す。大佐と妻の間はすっかり冷えきっている。妻の心はがさつだが誠実なマチュアに傾く。戦いを前にパット・ホーガンはルーツである先住民の下に帰っていく。ワイドスクリーンで撮影された美しい森林を舞台に血なまぐさい殺戮の火ぶたが切って落とされる。ウィットモアが命を落とし、残されたマチュアは獅子奮迅して騎兵隊を勝利に導く。大佐も戦死。ラスト、雪の舞う砦。入隊を許可され、念願の軍服に身を包んだマチュアが揚がる星条旗に敬礼する。

 出陣の場面。大佐は斥候のウィットモアを先住民の的として野に放つ。腹這いになって丘の上から待ち伏せる先住民たちを、背後に回りこんで木の上からその動向をうかがうマチュアの視点でとらえた大俯瞰のクレーンショット。冒頭のショットと韻を踏むショッキングなショットだ。散り散りに地面に横たわり、戦死体のように身じろぎもせずにいる先住民があるしゅの生物の擬態さながらに森林と一体化しているさまが底知れず不気味(ジャン=リュック・ゴダールは「植物的なショット」と形容した)。シネマスコープの可能性をフルに活かした天才的なショットと言えよう。

 脚本フィリップ・ヨーダン(『ララミーから来た男』)。キャメラにウィリアム・C・メラー(『裸の拍車』)。マチュアとアン・バンクロフトのラブシーンで、マチュアをシルエットにしたショットなんかには、マンのフィルム・ノワール的な感性が窺える。毛皮をまとい、半獣半人然とした最下層階級のマチュアらトリオは、『怒りの河』のごろつき三人組や『西部の人』の三馬鹿息子を思わせる。森林のアモルフな空間と砦の幾何学的な造型のコントラスト。クライマックスの戦闘場面、森いっぱいに上がり、木漏れ日に照らされた土煙がひたすら美しい。
 
 ジェームズ・スチュワートとの偉大な連作の直後に撮られた作品で、アンソニー・マンの撮ったもっとも美しい西部劇の一本ながら、その影に完全に隠れてしまっている。野蛮人が「法と秩序」に組み入れられるというラストが、善悪のあいまいさを容赦なく問うたスチュワート連作からの後退と見なされているせいなのか。

原生林の聖女ジャネット:『裸の拍車』    

2012-10-03 | アンソニー・マン
 
 ウェスタナーズ☆クロニクル No.13

『裸の拍車』(1953年、アンソニー・マン監督、MGM)

 アンソニー・マン=ジェームズ・チュワートのコンビの3作目。登場人物が5人しか出てこない。文明の匂いがまったくしない究極的にエッセンシャルな舞台装置。文字どおり掘建て小屋一軒出てこない。
 賞金稼ぎのスチュワート。金鉱掘りのミラード・ミッチェル(『ウィンチェスター銃'73』のスチュワートの相棒)。スチュワートの同郷のお尋ね者ロバート・ライアン。その連れあいでボーイッシュなショートヘアーのジャネット・リー。先住民の酋長の娘にちょっかいを出して素行不良で騎兵隊をお役御免になったラルフ・ミーカー。
 保安官を名乗るスチュワートは、実は賞金稼ぎ。ライアンの捕獲に協力したミッチェルとミーカーにばれ、賞金の山分けを要求される。ちぐはぐな五人組の道中がはじまる。途中、ミーカーに復讐せんとする先住民と一悶着起きる。スチュワートは、南北戦争に出兵している間に妻に裏切られたことがトラウマになってひどい人間不信に陥っている。負傷し、うなされて妻の名を呼ぶスチュワートをジャネット・リーが寝ずの看病をする。ジャネット・リーに髭をあたらせ、肩をもませるライアン。始終へらへらしている。洞窟で夜営した際、ライアンはジャネット・リーにスチュワートを誘惑させる間に逃げようと目論むも失敗。その後、ライアンは銃を奪い、ミッチェルを射殺。「安らかに往生してやつは幸せだぜ」。せせらぎに仰向けで横たわるミッチェルの顔をロバがのんびりと嘗めている。ランボーの「谷間に眠る者」のような情景。さらにミーカーをだまして撃とうとしたライアンは逆に射殺され、崖から落下する。ミーカーは急流に飛び込んで金蔓の遺体を引き上げようとするも、流木に激突して命を落とす。スチュワートとジャネット・リーだけが生き残る。「一緒になってカリフォルニアで暮らせば賞金をあきらめてくれる?」とジャネット・リー。「なぜだ?」と振り返るスチュワート。「おれは死体を運んで賞金を受け取るような男なんだぜ」。涙を流して問いかけるスチュワート。ジャネット・リーは無言でスチュワートを見ている。おもむろに鞍から死体を下ろすスチュワート。かすかにうなづくジャネット・リー。シャベルでライアンを埋葬するスチュワート。「コーヒー入れるわ」とジャネット・リー。クレーンがせり上がって幕。

ジュリア・アダムズの男装は必見:『怒りの河』

2012-10-02 | アンソニー・マン
 ウェスタナーズ☆クロニクル No.12

 『怒りの河』(アンソニー・マン監督、1952年、ユニヴァーサル)

 『ウィンチェスター銃'73』に続く、マン=スチュワート・コンビの2作目。脚本ボーデン・チェイス(『ウィンチェスター銃'73』『遠い国』)。
 幌馬車でオレゴンへ向かう開拓者たち。家長のジェイ・C・フリッペンに娘二人(ジュリア・アダムズ、ロリ・ネルソン)。途中で知り合った元無法者のジェームズ・スチュアートが道案内。ミズーリいちの早撃ちでならしたが、足をあらって農業に従事するつもりでいる。というのはなかば口実で、じつは一家の長女アダムズに思いを寄せている。あるとき、山中で男(アーサー・ケネディ)が縛り首になろうとしているところに行き合わせ、助ける。「縛り首がきらいでね」とスチュワート。快活に笑うケネディ。やたら爽やかで感じのいい男。名前を聞いてスチュワートはピンとくる。かれはカンザスの有名人らしい。夜営地で先住民に囲まれ、アダムズが肩を矢で射られるが、スチュワートとケネディが協力して撃退する。ポートランドに着くと、そこから汽船に乗る。船長チャビー・ジョンソンと船員ステピン・フェチット(ご存知フォード一家)の愉快な掛け合い。かの地でスケこましの賭博師(ロック・ハドソン)とも知り合う。ロリ・ネルソンはかれにお熱。ケネディは酒場でじぶんの過去を知っていたポーカーの相手をいかさまを理由に撃ち殺す。猜疑心を募らせるスチュワート。ふたたび陸路。ポートランドから送られてくるはずの食糧が届かないので引き返す。そこではゴールドラッシュのどさくさにまぎれて買った食糧の所有権が反古にされていた。怪我の治療のために残っていたアダムズは、ケネディといい仲になっていた。消沈するスチュワート。ジェイ・C・フリッペンはケネディを毛嫌いしている。悪党が回心することはけっしてないというのがかれの持論。スチュワートは反論しようとするが、自分の過去は知られたくないので言葉を濁す。一行は食糧を強引に奪い返し、ごろつき三人組(ジャック・ランバート、ヘンリー・モーガン、ローヤル・デイノ)を雇って運ばせる。追っ手が迫る。三人組は食糧を強奪しようと計り、スチュワートを襲う。金に目が眩んだケネディが漁夫の利を得ようと態度を豹変させ、幌馬車をジャックする。ケネディをののしるアダムズ。追い出されたスチュワートは距離を置いて一行を追っていた。河で追いつき、ケネディとの決着をつける。流されそうになったスチュワートをロック・ハドソンが縄で助ける。スチュワートの首に縄の跡が生々しくついている。「すまん」「これは古傷でね」。「ミズーリの無法者だった頃のかい?」とジェイ・C・フリッペンが口をはさむ。スチュワートの過去を知っていたかれは、悪人は更生しないという自説を快く撤回する。アダムズが幌馬車に飛び乗り、スチュワートのとなりに腰を下ろす。

 同じ過去をひきずるケネディはスチュワートのいわば分身。その意味では、『ウィンチェスター銃'73』の兄弟殺しと同じような物語であり、大自然を舞台にしたエレメンタルなドラマではあるが、それ以上に精神性の強い寓話という側面も。ちなみに本作はアンソニー・マン初のカラー作品。雪山を望む平原は観光写真のようにきれい。神々しい自然美と欲望剥き出しで醜く争い合う人間の卑小さのコントラストという演出は、次回作『裸の拍車』で深められる。本作におけるカラーの最大の恩恵は、ジュリア・アダムズの美貌だろう。キュートでかつクール。男装(船員の恰好)もバッチリきまってる。