Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

ボーイ・ミーツ・ガール:『サムソンとデリラ』(1949年)

2013-08-31 | その他

Viva! Peplum No.13

セシル・B・デミル『サムソンとデリラ』(1949、パラマウント)

――あなたの映画をどう定義されますか?
――芸術作品です。(……)
――『サムソンとデリラ』は性的な誘惑の物語ではないのですか?
――いいえ。これは性的な誘惑に対する勝利の物語であります。信じることの物語であり、神への信仰の物語であり、盲目になるまでものが見えていなかった男の物語であり、肉欲と悪魔の誘惑にのってしまった男の物語であり、自分自身の救済を得ることで民を救うことができた男の物語なのであります。

                       *
 
 一般にセシル・B・デミルは古代史劇映画の監督というイメージが強い。しかし、じっさいには70本あまりのフィルモグラフィー中、古代史劇映画は10本たらず。

                       *               

プロデューサー:きょうび聖書ものはあたらんのだよね。

デミル:ちょっとその紙に描いてみてくれませんか。イケメンの体育会系男子の絵を。それからその横に、この男子に誘惑するような見下すような視線を投げるそそるようなとびきりゴージャスな女子を描いてください……。

(スタジオのお偉いさん方にその絵を見せて)今度の映画の題材はこいつでっせ。どうでっか?

お偉いさん連中:おお!これぞ映画やんけ!ボーイ・ミーツ・ガール!! しかもなんちゅうゴージャスな男の子と女の子!!

デミル:これはサムソンとデライラのお話です。

お偉いさん連中:ええやん、ええやん! これがあんたの撮りたかったものなのね~。いや、われわれはてっきり……ずいぶん想像とちがったなあ……いや、とにかくこれで行きまひょ!

                       *


 サムソンの神話は尺を縮められてラブストーリー仕様になっている(たとえば誕生のエピソードなどはカットされている)。水辺で戯れるシーンをはじめ、男女が親密に過ごす水入らずのシーンが多い。

 セックス&バイオレンス! 旧約の世界を忠実に映像化すると必然的にそうなることをお忘れなく。「私は聖書が書かれた文体に忠実にしたがった」(デミル)。旧約という鏡は現代社会の退廃にまみれた人間の「裸」の姿を映し出す。本当はエロかった旧約聖書。

 男子はヴィクター・マチュア。ありえないサムソン。不当にも忘れ去られたマッチョなやさ男。『荒野の決闘』のドック・ホリデイ。ジーン・ティアニーがもっとも美しかった『上海ジェスチャー』では相手役を務めている。

 マチュアの数あるアレルギー(水、刃物etc.)が撮影の大きな妨げになったという。髪を切られるシーンでは、カットされた量にくらべて残っている髪が長すぎ。おおかた坊主になるのがいやでダダをこねたんだろう。

 サムソン役にはほかにバート・ランカスター、ロバート・テーラー、ロバート・ミッチャム、エロール・フリン、ロリー・カルフーン,ロバート・ライアン、ジョン・アイアランド、それに古代史劇映画御用達のマッチョマン、スティーヴ・リーヴスなどが候補に挙がっていたという。

 女子はヘディ・ラマール。デミルはすでに30年代にミリアム・ホプキンスをデライラ役に考えていた。候補に挙がった女優はほかに、アン・シェリダン、ジーン・ティアニー、モーリーン・オハラ、アリダ・ヴァリ、エヴァ・ガードナー、リタ・ヘイワース、ジェーン・グリアー、ルシール・ボール,マリア・モンテス、ヴィヴェカ・リンドフォース、イボンヌ・デ・カーロ、ナンシー・オールセン、ルース・ローマンなどがいたが、エドガー・G・ウルマーの The Strange Woman の撮影現場でラマールを見たことがきっかけでラマールに決まった。これも「らしくない」デライラだ。

――ヘディ・ラマールは宗教的な題材を扱った映画とは毛色のちがう映画に出ています。セクシーなスターですよね?
――デライラはセクシーな女性でした。

 サイケなテクニカラーの画面上でしゃなりしゃなりと肢体をくねらせたポーズを次々と繰り出す。サムソンならずとも目がつぶれそう。ラマールにかぎらず、俳優の演技は異様にスタティック。映画のテンポも極端にのろい。ベリー公の時祷書もかくやの豪華絢爛な絵画的なショットが連鎖していく。

 The Strange Woman でラマールと共演していたジョージ・サンダースが第三の登場人物であるガザの総督を演じる。旧約には出てこない創作されたキャラクターで、サンダースお得意のシニカルでデカダンな人物。クライマックスで杯を手に、微笑みをたたえてデライラの名を呼びながら瓦礫の生き埋めになるところは、この俳優のもっとも感動的な演技のひとつであると同時に、映画史におけるデカダンスの最良の表象のひとつだろう。サンダース本人がそういうキャラだったらしい。晩年はポルノ映画などにも出演したあげく、人生に退屈したとか言って自殺したんじゃなかったっけ。

 このラストシーンの音響効果はじつに凝っている。デミルという監督はたまにこういう前衛的なところを見せたりするのだよね。

 サムソンが求婚するセマダールはデライラの姉という設定になっている。演じているのはアンジェラ・“ジェシカおばさん”・ランズベリーだが、じっさいにはラマールより十歳近く年下。



最強のひとり:『アレキサンダー大王』

2013-08-25 | その他
Viva! Peplum!! (No.12)

『アレキサンダー大王』(1956年)

脚本・監督・製作:ロバート・ロッセン、撮影:ロバート・クラスカー、音楽:マリオ・ナシンベーネ

キャスト:リチャード・バートン(アレクサンドロス3世)、フレドリック・マーチ(ピリッポス2世)、クレア・ブルーム(バルシネ)、ダニエル・“the french star”・ダリュー(オリンピュアス)、ピーター・カッシング(メムノン)、ハリー・アンドリュース(ダレイオス3世)、スタンリー・ベイカー(アッタロス)

 紀元前356年、アテナイの神殿。演台上のアイスキネスがふり返り、デモステネスを指差して叫ぶ。「戦争だ!デモステネスは戦争を望んでいる!」

 反マケドニア強硬派のデモステネスは逆に、マケドニアとの宥和を説くのはマケドニアの金に目が眩んでいるだけだと論敵に応酬する。

 サウンドトラックで論争が続く間、画面上にはピリポッス2世(フレドリック・マーチ。隻眼ではない)の軍隊がギリシャのポリスを次々火の海にするさまが映し出される。

 ピリッポスが野営地で悪夢にうなされている。そこに息子誕生の知らせが届けられる。王妃オリュンピアス(ダニエル・ダリュー)は「神の子が生まれた」と祝福しているとの由。異郷出身で密儀宗教を信仰しているオリュンピアスの相も変わらぬ物言いに顔を曇らせるピリッポス。「母親なら子供を神と信じても不思議はないよ」と慰める側近のパルメニオン。フェイドアウト。

 花で身を飾った女たちに囲まれ、鳴りもの入りで帰還する夫を神殿にたたずんで見下ろすオリュンピアス。再会した夫が妻の肩に手を置くが、妻はその手をふりはらうように夫から離れる。妻のとなりにはエジプトの神官らしき側近がぴったりくっついている。一方、ピリッポスにはアッタロス(スタンリー・ベイカー)が同じようにひっついている。

 別室。机に短剣を突き立て、エジプトの神官を殺すと息巻くピリッポスをパルメニオンがいさめる。妻のところに戻るよう進言する。ピリッポスはその言葉に従い、妻とともに民衆の前に出て新生児を見せる。

 ミエザ。成長したアレクサンドロスがアリストテレスの下で体育にはげんでいる。Wonders are many, but none is more wonderful than Man himself.というソフォクレスの一節を引用しつつ、ギリシャの偉大とペルシャの脅威を説くアリストテレス。ギリシャ人としてのエリート意識まるだし。 射止めた鹿を抱えて入ってきたアレクサンドロスに幼なじみクレイトスの帰還を告げる。ペルシャに出兵していたクレイトスは、援軍を募るために引き返してきたのであった。アレクサンドロスは目を輝かせる。アリストテレスの弟子になって、一生勉学に費やすなんてまっぴらごめんだ。俺はアキレウスのように短命でも栄光ある生涯を送りたい。『イリアス』を朗読して戦への夢を育むアレクサンドロス。

 学園にフィリッポスが訪ねてくる。アリストテレスはフィリッポスにアレクサンドロスの育て方を進言。二人の会話にアッタロスが聞き耳を立てている。

 父子の再会。ペラで暴動が起こり、たいへんなことになっている。息子にペラを統治するよう要請、アレクサンドロスはこれを了承する。

 ゴーストタウンのようなペラの通りを行くアレクサンドロス一行。リンチにかけられた人の死体が磔にされている。この間、まったく台詞なし。母親を訪ねていくと、母は男たちに囲まれて酒宴を催している。「あなたが来るのを待ってたわ」「おれが来るのを誰から聞いた?」「ある人からよ」。オリュンピアスは夫に不満たらたら。ピリッポスはアッタロスの姪エウリデュケに熱を挙げ、嫁にしようとしていた(古代マケドニアは一夫多妻制)。しかもありもしない陰謀をでっちあげ、妻をその首謀者と思い込んでいるという。

 アッタロスは異郷出身のオリュンピアを厭い、姪を嫁がせて由緒正しいマケドニアの血を引く後継者を生ませようとしている。息子の王位を脅かされたオリュンピアスが陰謀をたくらんでいると思われているのだ。オリュンピアスは息子が摂政に任命されたのを機に、この世継ぎ争いにおいて優位に立とうという腹。「私たちが世の中を支配するのよ」。「私たち?」

 ちなみにこの母、オリバー・ストーンの『アレキサンダー』では、アンジーが誇張した巻き舌英語でまくしたてるエキゾチックかつワイルドな蛇使い女として演じていた。対照的にダニエル・ダリューは始終抑えた演技でミステリアスな雰囲気を醸し出している。

 オリュンピアスの部屋から出ると、エウリデュケとすれ違う。エウリデュケはもの言いたげな視線をアレクサンドロスに送ってよこす。そこへピリッポスが息子を迎えに出る。別室に連れて行き、妻がアンティパトスと結託して陰謀をたくらんでいるという考えを打ち明けたあと、オリュンピアスを追放する命令を下す。反抗するアレクサンドロス。

 摂政に任命されるアレキサンドロス。その場にいる母親に聞こえよがしに「誰も信じるな」と父。

 着々と支配を固めるアレキサンドロスに母も満足。父は「英雄気取りめ」とたしなめつつ、ともにアテナイに出兵することを約束させる。「俺たちは似ている」。エウリデュケが距離を置いて二人のあとについてくる。「あの女への気持ちは本気なんだ」と息子に打ち明ける父。

 一人になったアレキサンドロスにエウリデュケが近づき、話しかけるが、アレキサンドロスは冷たくあしらう。「父への嫉妬かもしれない」。「女の好みも似てるのね」「父には女と子供がたくさんいるんだぜ」。顔を覆って泣くエウリデュケ。アレキサンドロスは父親の話をもちだされるときまってアグレッシブになる。近づいてきたピリッポスがエウリディケを抱き寄せ、仲良くやろうと息子に声をかける。「明日はテーバイとの決戦だ」。

 翌日、カイロネイア河畔でピリッポスの軍はギリシャの連合軍を迎え撃つ。窮地に陥った父をいったんは見捨てるそぶりを見せたアレキサンドロス、結局父を救う。

 その夜、戦場で勝利の祝宴。ギリシャ軍のメムノンに向かってピリッポスが言う。「人は俺を野蛮人よばわりするが、そのおれがデモステネスのような文明人を負かしたぜ」。片足を引きずりながら跳ね回り歌い叫ぶピリッポス。

 ピリッポスはポリス同盟との和平条約を結ぶために息子をアテナイに送り込む。アテナイでデモステネスの出迎えを受けたアレキサンドロス、「戦のあとだというのになぜこんなに屈強な若者たちが残っているのだ?」「そう思うのも不思議はない」とメムノン。メムノンは傍らにいた妻のバルシネを紹介する。アレキサンドロスはたちまちバルシネから目が離せなくなる。バルシネはペルシャとギリシャ双方の血を引いているが、ギリシャ的なアイデンティティにこだわっている。散策から戻ってくるアレキサンドロスと妻を疑わしげなまなざしで迎えるメムノン。

 デモステネスらに対し、和平の条件としてポリス連合軍の出兵を要請するアレキサンドロス。「マケドニアのおかげで弱小のおまえらがペルシャと戦えるんだぜ。ギリシャの意地を見せてやれ」。その弁舌にバルシネが聞き惚れている。

 アテナイからのみやげを抱えて母に会いにいくと、自分の留守中、母が公衆の面前で夫に裏切り者呼ばわりされ、離縁されたことを知る。里に帰るつもりだという。自分をアテナイに使いに出した父の真意を知り、怒りくるうアレキサンドロス。

 ピリッポスの婚礼。不機嫌なアレキサンドロスに対し、「カイロネイアでビッグになったつもりか?」と父。アッタロスがアレキサンドロスに聞こえよがしにマケドニアの「正統的な」王妃の誕生を言祝ぐと、母親を妾扱いされたアレキサンダーが食ってかかり、喧嘩になる。止めようとしたフィリッポスがつまづいて転ぶ。「諸君、この方はヨーロッパからアジアへ渡る準備をなさっているが、椅子から椅子をまたぎ越す間にお転びになるとは」(プルタルコス)。

 婚礼の後、アレキサンダーは母の寝室へ。すぐに王宮を去ろうと促す。フェイドアウト。

 マケドニアの山々に喇叭が響き渡る。ピリッポスの息子の誕生の知らせである。

 ピリッポスとアレキサンドロス、ペルシャへの出兵を誓う。息子は母の身の安全を保証するよう父に厳しく迫る。フィロタス、パウサニアス、プトレマイオスらアレキサンドロスの側近計4名が裏切りを理由に追放を言い渡される。アッタロスがピリッポスになにごとか耳打ちし、退室しようとするパウサニアスを呼び止める。「神アレキサンドロスがいないと何もできんのだろ」。爆笑する側近たち。

 コケにされたパウサニアスがオリュンピアスの寝室でやけ酒を飲んでいる。オリュンピアスはパウサニアスにピリッポス暗殺をそそのかす。そこに入ってきたアレキサンドロス。「いったいやつになにをそそのかした?」。

 翌日、神殿で祭儀がとりおこなわれる。オリュンピアスのヴォイス・オーヴァーが「ピリッポスの心の内は?」とくりかえし問いかける。

 神殿でパウサニアスがフィリッポスを刺す。アレキサンドロスはパウサニアスのただならぬ様子を認めるが、そのままやり過ごす。王が刺された直後、思い切り引いた仰角のショットを一瞬インサートしているのが効果的。すぐさまパウサニアスを刺して処罰するアレキサンドロス。「殺し屋が誰であれ、殺し屋は死ななければなりません」とアレキサンドロスに聞こえよがしに言うエウリディケ。父の遺体にすがり、「俺が下手人じゃない」とアレキサンドロス。

 オリュンピアスの寝室に入ってきて、血に染まった短剣を足もとに投げてよこすアレキサンドロス。台詞なしの短いシーン。

 神殿から見下ろすオリュンピアス。アレキサンドロス「次の王をきめなければ。わが国の慣習では、軍が王を選ぶことになっている。ピリッポス暗殺の黒幕はペルシャと通じている奴だ。ペルシャに出兵してかならず復讐するのだ!」戦意をくすぐられた兵たちが歓呼してアレキサンドロスを王と認める。それを見届けたオリュンピアス、けわしい表情で神殿をあとにする。

 王宮にポリスの盟主たちが召集されている。自分がポリス同盟を率いることを承認させようとするアレキサンドロスに、ギリシャの自由な選択権にこだわるアテナイのメムノンだけが応じない。メムノンは追放される。

 夜。屋外。白い布に覆われた亡骸が担架で運ばれてくる。アレキサンドロスがアッタロスに事情をたずねると、自殺したエウリディケを慣習にしたがって夜間に埋葬しようとしていたのだという。エウリディケの自殺の原因は生まれたばかりの息子を火に投じて殺されたことだった。「そういえばおまえの母ちゃんもそんな儀式をやる宗教を信じていたっけな」と皮肉るアッタロス。

 大木の下、暁の空に勝利を誓うアレキサンドロスのロングショット。「おお、父よ、ゼウスよ」

 出兵するアレキサンドロスと母の別れ。母は神に祈る。「予言どおり、短命ならば、せめて栄光をあたえよ」

 マケドニア軍の帆船のショットに「334年、ヘレスポントスに到着、大陸制覇の火蓋が切って落とされた」云々との字幕がかぶさる。

 ダマスコス。ダレイオス3世が車で王宮に到着する。アレキサンドロスに追放されてペルシャに寝返った傭兵のメムノンが焦土作戦を進言するも、国土を焼け野原にすることに州長官が抵抗。結局、グラニコスで迎え撃つことになる。

 テントで作戦の打ち合わせをするメムノン。そこへバルシネが入ってきてメムノンに抗議する。「いったいどっちの味方なの? アレキサンドロスへの個人的な恨み?」「アテナイでのアレキサンドロスの演説を聴いて目覚めたの」。「まさかおまえ、アレキサンドロスに心を……!?お別れだ」。一呼吸置いてバルシネが否定する。無言で目を逸らすメムノン。

 グラニコス。河を挟んでマケドニア軍とペルシャ軍がにらみ合う。「おれにとってのヘクトールになるのはだれかな」と自分をアキレウスになぞらえるアレキサンドロス。合戦中、スピリダテスに背後から狙われるも、クレイトスに窮地を救われる。

 ペルシャ兵は軒並み遁走。メムノン率いるギリシャ人の傭兵だけが残る。メムノンが許しを請うも、父の例を出したことでまたしてもアレキサンドロスの怒りを買い、けっきょくその場で殺される(このへん史実とちがうようだ)。

 未亡人となったバルシネらが捕虜として馬車に乗せられる。フェイドアウト。

 ゴルディウム。「この結び目を解いた者がアジアの征服者となる」。結び目を一刀両断にするアレキサンドロス。

 小アジアの地図をカメラがパンしていく背景で激しい戦闘場面がオーヴァーラップ。ゴルディウスからハリカナックスまで、小アジア一帯をわがものとしたアレキサンドロスの偉業がナレーションで伝えられる。
 
 アレキサンドロス、ペルシャのギリシャ人傭兵を処罰。ギリシャ人の屈辱をまのあたりにしたバルシネは不満顔。「むくいがあるわよ」とアレキサンドロスを罵る。

 裸で寝台に寝そべるアレキサンドロス。着物の襟をととのえるバルシネ。窓の下ではペルシャの女が犯され、殺されている。「人質は階級に応じた扱いを受ける」とアレキサンドロス。階級闘争の理想に燃えているらしいバルシネ(左寄りのロッセンの代弁者か?)は怒りをあらわにする。「アレキサンドロス……」と独り言をもらすアレキサンドロス。バルシネはそれを聞き逃さず、「あなたに言えないこととは何なの?」と問いただす。このシーン、わかりにくい。

 デモステネスがダレイオスに密書を送り、アテナイによる援軍をキャンセルするらしいことがリークされ、アレキサンドロスの耳に届けられる。「アテナイは裏切った。ここミレトスで戦うしかない」とパルメニオン。ついでに、ピリッポスなら人質との交換を条件にアテナイに出兵を迫るところだとつけ加えたばかりに、アレキサンドロスがマジ切れ。走馬灯のように甦る父の記憶がアレキサンドロスの苦渋の表情のアップにオーバーラップ。「おれはアレキサンドロスだ! 親父じゃない!」と叫んで卒倒する。

 マケドニア軍を帰国させ、ギリシャの傭兵をも自由にし、人種をとわない部隊を再編成する意向を一行に伝えるアレキサンドロス。バルシネに「おまえも自由の身だぜ」。結局残ったバルシネ、帰国するマケドニアの帆船を城塞から見送りながら、「あなたがどこにいてもあなたの居場所はギリシャよ」とアレキサンドロスに囁く。

 ダレイオスがアレキサンドロスへの手紙を代筆させている。「さっさと母ちゃんのふところに帰りな。おまえはいたずらをしにきたガキにすぎない。おもちゃと貧困児童への施し銭を恵んでやるぜ」

 返信を代筆させるアレキサンドロスにカットバック。「金持ちだなどと吹聴してくれたおかげでこちらの意気があがったぜ。おれはこそ泥のガキだからおれを討ってもなんの名誉にもならないが、ガキのおれがおまえを討てばヒーローってことだぜ」
 
 満月の夜。ガルガメラの河畔を俯瞰するロングショット。斥候のもちかえった情報を得たペルシャ軍が賑やかに兵を出す。「勝利は盗むものじゃない。太陽のもとで勝ち取るものだ」と攻撃を控えるアレキサンドロス。不意に満月が欠ける。災いの兆候だとパニックに陥る兵士をいさめる。「逆に吉兆だ。ペルシャの月はマケドニア軍から身を隠した。安心しろ。天はわれわれの味方だ」。焚き火を前に神に祈るアレキサンドロスに、やはり燃え盛る火を前にアフラ・マズダの神に祈願するダレイオスのショットがつづく。二人のいわば分身的な性格を際立たせる対位法的なカットバック。

 「これが最後の戦いだ。戦略を説明しよう。ダレイオス一人を殺せばただちに決着がつく。ダレイオスを殺せ、ダレイオスを殺せ、ダレイオスを殺せ……」

 車輪に刃のついた二輪馬車で突撃してくるペルシャ軍を長槍のファランクスが3列に分かれてできた隙間に引き入れては囲い込むという戦術。ペルシャ軍はまたも全員逃走。

 逃げた王を追って(プルタルコスによると「戦の汗をダレイオスの風呂で流しに行こう」として)ダレイオスの宮殿に赴くアレキサンドロス一行。ダレイオスの家族が隠れていることに気づく。ダレイオスの妻がクレイトス(ヘファイスティオンではなく)に拝跪。ふたりの幼い子供を抱き寄せるアレキサンドロス。「父親よりずっと勇敢だな」。傍らには美しい娘ロクサネの姿もあった。

 逃走をつづけるダレイオスとかれを追うアレキサンドロスを交互に映し出すカットバック。ダレイオスはアレキサンドロスに寝返ろうとたくらむベッソスに退位をせまられ、縛られる。抵抗したところを刺され、車の中の玉座によじ上ったところで息絶える。

 アレキサンドロスがダレイオスの亡骸と対面。アレキサンドロスにあてられた手紙があった。「わが子アレキサンドロスよ。おれの死に様を見てくれ。せめては弔ってほしい。わが娘ロクサネと結ばれて、世継ぎを生んでアジアとギリシャを一つにしてくれ。わが魂をそなたに委ねた」

 下手人を名乗らせ、名乗り出たベッソスを処刑する。「王を殺せるのは王だけだ」。ダレイオスの亡骸を乗せた車が出発すると、その背景に磔にされたベッソスの姿が小さく見える。フェイドアウト。
 
 バビロンのハーレム。ペルシャ服をまとって玉座につくアレキサンドロス。町に火が放たれたというので宮殿はパニックに。「ペルシャがギリシャに滅ぼされた証拠として、この宮殿も燃やすべきよ」と息巻くバルシネ。まわりの女たちを煽動して、松明を手に火をつけてまわるバルシネ。ほかの側近もそれに倣うが、アレキサンドロスは止めようとする。「ここはおれの宮殿だ。おれが通ったあとには灰しか残らないとは言われたくない」。
 
 アテナイの神殿。演壇でアイスキネスが「アレキサンドロスはいまや神となった。すでにアジアを征服し、インドに向かおうとしている」。論敵のデモステネスに非を認め、アレキサンドロスを神と認めるよう迫る。すごすごと引き下がるデモステネス。
 
 アレキサンドロスの側近からは不満が爆発していた。「実父を否認し、神を父と崇める一人の男の野心のために1000人の命を犠牲にする必要があるのか」とフィロタスが不平をもらしたところを耳聡いアレキサンドロスに聞きとがめられる。「……と兵士たちが申しておりました」とフィロタスがフォローしようとするも、父親の話が絡んでいるとアレキサンドロスの怒りは収まらない。父親のパルメニオンをアテナイに偵察に出している間にフィロタスを処刑にする。「ああ、たしかにおれも親父も裏切り者さ」と捨て台詞を吐いて死刑台で息絶えるフィロタス。

 夜の荒野で白馬が草を食んでいる。カメラがパンするとその傍らにパルメニオンの死体が転がっている。

 クレイトスがやけ酒を飲んでいる。マケドニアの兵士とペルシャのグラディエーターを戦わせる賭けをアレキサンドロスにもちかける。「おれもペルシャ風の着物をまとってみたい。負けたらおれがもらった領土をぜんぶ返してやる」。あきれ顔で賭けに応じるアレキサンドロス。マケドニア兵はたちどころに屈強なペルシャの剣闘士に組み伏せられる。とどめを刺すことをアレキサンドロスが止めると、「ほかのマケドニア人と同じくこいつも死なせてやってくれ」とクレイトス。「わがマケドニアに敗者などいない」とアレキサンドロス。「おまえ以外は全員敗者だよ」とクレイトス。「邪魔者を片っ端から排除しやがって。おまえ自身の父親をさえ!」クレイトスが父親のことを口走るや、傍らのプトレマイオスがとっさにアレキサンドロスの短剣をとりあげるが、アレキサンドロスはそばにあった長槍を手にとり、エウリピデスの皮肉な台詞を口にしながら踵を返したクレイトスめがけて投げつける。同じ槍で自らも命を絶とうとするがプトレマイオスらにとめられる。クレイトスの亡骸を抱きしめ「兄弟!! マケドニアに帰ろう」。ペルシャ人の側近が皮肉たっぷりにつぶやく。「権力者は絶対的に正しいはずなのにアレキサンドロスは泣いている」。
 
 憔悴して砂漠を進む一行のショットにナレーションがかぶさる。「私はプトレマイオス。インドからの帰路は悲惨を究めた。アレキサンドロスを嫌っていない者はひとりもなかった。アレキサンドロスにとってははじめての後退だったが、この後退さえ前進を意味していた。クレイトスの死をきっかけにアレキサンドロスは考えを変えた。征服すべきは領土ではなく、人の心なのだと悟った」。

 スーサでのロクサネとの婚礼。同時に執り行われた合同結婚式でマケドニアの兵士たちに抱き寄せられる色とりどりに着飾ったペルシャの女たちの列をとらえた抒情的な移動撮影。

 婚礼の席で乾杯の音頭をとるアレキサンドロス。ふらついてその場に倒れこむ。死の床ですがるように花嫁が寄り添っている。バルシネが近づくと、「亡骸をユーフラテス河に流してくれ。神から生まれ、また神のもとへ戻ったのだと人々が信じるように」。

 続いて駆け寄った側近たちが訪ねる。「帝国を誰の手に?」「……最強の者に」。カメラがパンして空を映す。空のショットにアリストテレスによるソフォクレスの引用がもう一度かぶさる。 Wonders are many, but none is more wonderful than Man himself. 「不思議なものは数あれど、人間にまさる不思議はない」。THE END

 幕切れの台詞がソフォクレスの『アンティゴネ』の一節であることは意味深長だ。この作品ではアレキサンドロスがアキレウスのというよりも、オイディプスの末裔としてあからさまに描かれているからだ。マザコンのアレキサンドロスが父を否定し、神を父に選ぶまでの精神分析的な伝記。世界征服という夢は、実の父を否定したいという一人の男の家族小説にほかならない。オリバー・ストーンのバージョンがこのシナリオのへたくそな焼き直しもしくはパロディにすぎないことは明白である。

 ストーン版は、ぜんたいがプトレマイオス(アンソニー・ホプキンス)のフラッシュバックという体裁になっていた。最初の戦闘シーンがガルガメスの戦いで、クライマックスにポロスの象軍団との派手な戦闘シーンが用意されていた。アンジーが怪演するおどろおどろしいファリック・マザーについてはすでに触れた。この母親のおかげで両性愛者になったというおまけもついていた。動物学的シンボリズム(鷲、蛇、馬、象)が全篇を彩るのもストーン版ならではの特徴。

 シナリオは脚本家出身(『札付き女』『彼奴は顔役だ!』『激戦地』『呪いの血』『黄金』)のロッセン自身が手がけている。アレクサンドロスを腐敗と裏切りに満ちた世界で敗北を余儀なくされる理想主義者として描いているところは『ボディー・アンド・ソウル』『オール・ザ・キングズ・メン』『ハスラー』の監督らしいともいえる。この作品は赤狩り旋風が猖獗を極めるアメリカにいづらくなったロッセンがヨーロッパに逃れて撮った作品。放浪の王の物語にどこか自分を重ねるところがあったのだろう。

真打ち登場?:『クォ・ヴァディス』 (1951年)

2013-08-20 | その他

 Viva! Peplum! No.11

 マービン・ルロイ(with アンソニー・マン)の『クォ・ヴァディス』(1951年)

 ノーベル賞作家シェンキーウィチによる小説の映画化。サイレント期から繰り返し映画化されてきた。セシル・B・デミルを擁するパラマウントのお株を奪うべくMGMが総力を結集した超大作。脚本ジョン・リー・メイヒン。撮影はチネチッタ。

 メイキング映画のコメントによると、権力にしがみつこうともがくネロには、当時ドア・シャリーにスタジオの実権を奪われつつあったルイス・B・メイヤーの自画像が反映されているとかいないとか。

 主役のカップルを演じるのはロバート・テーラー(マルクス・ウィキニウス)とデボラ・カー(リギア)。当初はオーソン・ウェルズとマルレーネ・ディートリッヒ(『黒い罠』のカップル)がキャスティングされていたそうな。リギア役にはオードリー・ヘプバーンの名前も挙がり、ウィキニウス役にはグレゴリー・ペックが決まっていたが、眼病のため降板。

 メイキングのドリュー・“ハリウッド白熱教室”・キャスパー南加大教授によるコメントでは、愛と信仰に引き裂かれたヒロインの葛藤をデボラ・カーが「感動的に」演じているとの由であるが果たして如何?? 

 テーラーはキャスト中「ほぼ唯一のアメリカ人」とか。ヨーロッパ俳優のアクセントの強い英語がエキゾティスムを醸し出すのに貢献しているという。これは古代史劇のギミックのひとつになった。いまやるとパロディーになっちゃうけど(『アレキサンダー』のアンジーとか?)。

 事実上の主役はだれもが認めるようにネロ役のユスティノフだろう。ラスト近く、孤立無援になったネロがサイケデリックに照明された王宮のなかを狂乱の体で右往左往するさまは圧巻。

 その他の登場人物。
  ペトロニウス(『サチュリコン』の作者とされる。レオ・ゲン)
  セネカ
  ポッパエア(ネロの妻。パトリシア・ラファン)
  アクテ(ネロの元愛人。ネロの自殺を幇助する)
  ユニス(ペトロニウスの奴隷。愛する主人の後を追って自殺。マリナ・ベルティ)
  ペテロ(逆さ吊りのシーンあり)
  パウロ
 ソフィア・ローレンもどこかに顔を出しているようだ。

 メイキングでは、ミクロス・ローザのスコアが古代ローマの金管音楽を模しているとコメントされているが、ローザの自伝『二重生活』によれば、古代ローマの音楽はこんにち知られておらず、古代ローマの音楽のモデルと推測される古代ギリシャの音楽および教会音楽の源であるヘブライ音楽を参照している(グレゴリー聖歌ふうのコーラスも聞こえてくる)。古代楽器の音色をそれに近い現代楽器を見つけて鳴らしたりしている。こういうリアリズムというか実証主義は音楽学者ローザの十八番。

 ローザにとってこれは初の古代史劇作品。このあと、『ジュリアス・シーザー』、『ベン・ハー』、『キング・オブ・キングズ』のスコアを書いて、このジャンルの大立役者となる。

 ネロのギリシャ風の歌(大火のシーン)とキリスト教徒たちのヘブライ風のコーラス(アリーナのシーン)の歌合戦という図式を演出に活かそうとするつもりはルロイにはなかったみたい。

 同じくメイキングによれば、ローマ大火のシーンはルロイ自身のサンフランシスコ大震災の体験が反映されているとのことであるが、大火のシーンを監督したのは、じつはアンソニー・マンのはずだ(ノン・クレジット)。24日だかかけて撮影されたらしいが、残念ながら著しく精彩を欠くシーンと言わざるを得ない。

 ネロの死に際の台詞が同じルロイの『犯罪王リコ』の有名な台詞(「これがリコの最期なのか?」)の自己パロディーだったというのは、このメイキングを見てはじめて気づいた。実際には、ネロの最期の台詞は、「なんと惜しい芸術家が私の死によって失われることか」(ウィキペディア)だったとかなかったとか。

 ペトロニウスの台詞で、退屈させることが最大の罪悪だ、みたいな台詞があるが、観客を多いに退屈させるこの作品自体がその罪悪を犯してはいまいか?

 クライマックスのアリーナのシーンが実は合成で、観客数を水増ししていた、なんて事実もはじめて知った。