Negative Space

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倒錯のテクニカラー:フライシャーの『夢去りぬ』

2019-08-08 | その他





 リチャード・フライシャー「夢去りぬ」(20世紀フォックス、1955年)

 オリジナルタイトルは The Girl in the Red Velvet Swing という。なんとも心騒がせるタイトルである。二十世紀初頭、ピンナップガールの先駆けであるイヴリン・ネズビットをめぐる情痴事件に題を取った現代史劇。

 有名建築家スタンフォード・ホワイト(レイ・ミランド)はあるパーティーで売り出し中の“ギブソン・ガール”イヴリン(ジョーン・コリンズ)を見初める。二人は恋に落ち、ホワイトはかねてから犬猿の仲であった富豪ハリー・ソー(ファーリー・グレンジャー)とかのじょを奪い合う。

 妻帯者のホワイトはイヴリンをショービジネスから引退させ、ヨーロッパの全寮制のカレッジに送って教育を受けさせる。イヴリンはホワイトと離れて暮らすことにたえられず精神的な均衡を崩す。そんな折、ソーにかけられた慰めの言葉に心を動かされ、ソー夫人となる。ホワイトはイヴリンへの執着を断ち切れず、ソー夫婦の出向くところにじぶんも押しかける。これを挑発ととったソーは観劇の席上でホワイトを射殺する。裁判でイヴリンはソーに有利な証言を強いられる。ソーは無罪となるが、その判決理由は精神疾患ゆえであった。

 筆者にとって本作はシネマスコープというフォーマットの美に目覚めるきっかけとなった思い入れのある作品だ。作品についての予備知識なしにすこし遅れて入場し、いつもはまず座ることのない上映会場のほぼ真ん中に席をとってスクリーンに目をやった瞬間、スコープ画面に収まった見事に均衡のとれた構図の美しさに目を吸い込まれた。本作がシネマスコープおよびテクニカラーの使い方の見事さで知られる作品であることをあとから知り、深くうなづいた次第であった。

 内容の方はほぼ忘れてしまったので、ひさしぶりに見直そうとずいぶんまえにエアチェックしてあったディスクをかけると、なんとズタズタにトリミングされているではないか!会話の場面では相手がフレームの外にはみ出していたりすることがしばしばで間抜けであることこのうえない。キャメラの動きひとつとってもどういう必然から動かしているのかが理解できず、ストレスがたまりにたまる。我慢して半分くらい眺めていたが、まったく集中できず、けっきょく海外版のディスクを取り寄せて見直すはめに。やはり本作はオリジナルのフォーマットで見なければ完全に無意味であると確信した次第。

 ジョーン・コリンズのブルーの瞳とブルネットの髪とカラフルな衣装のとりあわせには(もちろんボデーにも)、小さな画面で眺めているだけでもはげしく心乱される。ヒロインにはもともとモンローが予定されていたが、新境地を模索中だった(というか、役に伴うリスクにおじけづいた?)マリリンはオファーを断った。しばしば指摘されているように、なるほどジョーン・コリンズの演技力不足は否定しようもないが、かのじょの陶磁器の人形のような顔にときとして閃く狂気というか妖気のようなものゆえに本作にマイケル・パウエル作品のような存在論的に不気味(フロイト的な Unheimlich)で倒錯的な空気が漂うことになっていることを見逃すべきではない。たとえば幕切れのショット(ここでオフュルスの『歴史は女で作られる』を連想するのは筆者だけではあるまい)におけるコリンズの無表情な顔のインパクトをみるがよい。ここでのコリンズは『ピラミッド』のラストでサディスティックな殺され方をするかのじょとおなじくらいゾクゾクさせる。

 映画では言及されないが、じっさいのホワイトはイヴリンが十四歳のときにかのじょを強姦し、愛人にしたという。めっぽううつくしい赤いブランコの場面は言うまでもなく性行為のメタファーである(無人のブランコがかすかに揺れているショットにフェイドアウトして終わる)。コリンズの昂揚した顔にどうしても目がいってしまうが、コリンズの背中を押すミランドの倒錯的な表情を見逃すなかれ。のちの悪夢の場面でイヴリンの脳裏に蘇ってくるホワイトはなぜかステージ上にいて、ラインダンスの真ん中で女たちに囲まれているが、よく見れば同じ表情を浮かべている。ちなみに二重焼き付けを巧妙に使った悪夢のシーンも、シュルレアリスムの傑作というべき名場面だ。

 本作はのちにフライシャーがやはり倒錯と退廃の香り漂う三面記事を素材に撮ることになる『強迫/ロープ殺人事件』、『絞殺魔』(aka『ボストン絞殺魔』)およびBBCの『10番街の殺人』といった彼の真骨頂が発揮された作品群の先駆けとなる。

 スタンフォード・ホワイトはいわゆるボザール様式の担い手の一人。ミロシュ・フォアマンの『ラグタイム』にもイヴリン・ネズビット事件への言及があるが、こちらでホワイトを演じているのはなんとノーマン・メイラーである(イヴリン役はエリザベス・マクガヴァーン)。なお、リュディヴィーヌ・サニエとフランソワ・ベルレアン(+ブノワ・マジメル)の組み合わせで撮られたクロード・シャブロルの『引き裂かれた女』も同じ事件にインスパイアされている。

 脚本はウォルター・ライシュおよび製作も務めたチャールズ・ブラケット、撮影はミルトン・クラスナー、キャストはほかにルーサー・アドラー(弁護士)、グレンダ・ファレル(イヴリンの母)、ゲイル・ロビンズほか。ソーのキャラクターには単なるチンピラにとどまらない厚みが読み取れるだけにファーリー・グレンジャーの淡白な演技が悔やまれる。別の俳優が演じていたら本作が映画史上の大傑作になっていた可能性も否定できまい。





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