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ジェリー・ルイス:『最前線はどっちだ?』(Which Way to the Front?, 1970。配給ワーナー・ブラザーズ)
1943年。すでに功成り名遂げてすべてに飽き飽きした大富豪バイヤーズが退屈まぎれに入隊を志願するも門前払いにされ、同じく職にあぶれたわけありどもを勧誘して自前のプチ軍隊を組織。五人の手兵を率いてドイツに上陸し、瓜二つのナチス将校ケッセルリングに変装してヒトラーに近づき、暗殺計画を成功させる。ついで、おなじみの「日本人」メイクをほどこしたバイヤーズが日本軍の将校らにまじって作戦会議に列席しているシーンで幕。
『特攻大作戦』とか『荒鷲の要塞』みたいな戦略もの戦争映画のパロディで、ほのかに『M⭐︎A⭐︎S⭐︎H』の香りもただよう。シュールでナンセンスなシーンのオンパレードで興行的にも批評的にも大失敗、ルイスはそのご十年間映画を撮る機会を奪われることになった。わが国でももちろん未公開。
「わが闘争のための音楽」と題された教則レコードでドイツ語を学んだバイヤーズは、ケッセルリングになりかわるや、その奇妙な発声法をまねて何語ともつかない(?)英語をがなりつづける。とうぜん記憶によみがえるのは『チャップリンの独裁者』。
再会をよろこびあうヒトラー(シドニー・ミラー)とケッセルリング=バイヤーズのシーンでは、抱き合おうと互いに駆け寄るがなんどもすれ違いになるといういっしゅのダンスがスローモーションで延々映し出される。(『独裁者』でチャップリンがたわむれる地球儀状の風船の浮遊感をふと想起する。)
マザコンの隊員の回想(母親役は常連のキャスリーン・フリーマン)、ドイツ軍の敷地内で合言葉を要求されたバイヤーズ=ケッセルリングが歩哨を煙にまくナンセンスなやりとり、ケッセルリングの独特の歩き方を部隊のそれぞれのメンバーがそれぞれの仕方で再現してみせる作戦会議の場面、ケッセルリングをたずねてくるイタリアの愛人(?)との絡みでのミソジニーぶりなど、頰がゆるむギャグはすくなくないが、そのことごとくがストーリー展開のうえではたいした必然性のない脱線的な挿話。おとくいのエピソード映画のスタイルがここでも活用されているといえようか。
クリス・フジワラによれば、本作はルイスのもっともユダヤ的な作品(?)であるそうな。
本作のあと干されている時期に、ルイスはヨーロッパで強制収容所に取材した映画を撮影している。ガス室送りになる子供たちにつきそう道化師の物語だ。その作品『道化師が泣いた日』はついに完成されることがなかった。