Negative Space

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一葉は天才ではない:「にごりえ」

2012-08-09 | 文語文
 一葉の「にごりえ」。

 おい木村さん信さん寄つてお出よ…… 上々の書きだし。

 冒頭近く、「姉さま風」のお力の描写やよし。「頸もと計の白粉も栄えなく見ゆる天然の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸くつろげて……」

 「あの小さな子心にもよくよく憎くいと思ふと見えて私の事をば鬼々といひまする、まあ其様な悪者に見えまするかとて、空を見あげてホツと息をつくさま、堪へかねたる様子は五音の調子にあらはれぬ。」

 「いひさしてお力は溢れ出る涙の止め難ければ紅ひの手巾かほに押当てて其端を喰ひしめつつ物いはぬ事半時、坐には物の音もなく酒の香りしたひて寄りくる蚊のうなり声のみ高く聞こえぬ。」

 「後には透きもる燈火のかげも消えて、唯軒下を行かよふ夜行の巡査の靴音のみ高かりき。」

 ……などなど、サイレント映画のフェイドアウトみたいな余韻の出し方がドラマティック。これは「五重塔」に関してすでに書いた。

 逆に、うねうねとした文から情景が徐々に立ち上がってくる文語文とくゆうの調子はさながらフェイドイン。


 遊郭と源七のぼろ長屋の場面のカットバック、お力のフラッシュバックでこぼれる米と源七の女房が投げ捨てる菓子のイメージのオーバーラップとか、とにかく構成力が高い。
 
 短い終章は新聞の三面記事をそのままのせたみたい。モダンだなあ。そっけなくドライな筆致が効いている。

 山本夏彦によれば、一葉は天才ではない。かのじょの傑作は、千年におよぶ文語文の伝統が書かしめたものだ。そのとおりだよね。

 今井正の映画(1953年)では淡島千景がお力を演っているはずだが、未見。近いうちみることにしよう。