Negative Space

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さかしまのフィルム・ノワール:アイダ・ルピノの監督作『陵辱』

2020-06-15 | アイダ・ルピノ



 アイダ・ルピノ『陵辱』(Outrage, 1950年)

 薄暗い街灯の下、小走りに誰かから逃げているらしき若い女を大俯瞰でとらえたタイトルバックのクレーンショットからはやくも並なみならぬ緊迫感が画面にみなぎり渡る。

 婚約したばかりの女性会社員が顔なじみの男に暴行され、周囲から容赦ないセカンドレイプ(好意に発するそれであれ)の辱めを受けたあげくに行き場所を失い、衝動的にロス行きの深夜バスに飛び乗るまでの最初の30分の息もつかせぬ堂々たる筋運び。

 ラストこそ表向きメロドラマ仕立てにしてあるとはいえ、1950年の映画界では絶対的タブーであった主題にここまでストレートかつ妥協のない姿勢で迫れているのは奇跡というほかない。

 前半、深夜の夜道を逃げ惑うヒロインがサーカスのポスターの前を横切る。巨大な道化師の似顔が皮肉っぽく見下ろす。すぐあとで同じポスターの前を男が横切る。男は破れかけたポスターの端をちぎり、ヒロインを追って角を曲がって闇のなかに消える……。

 足がつきそうになってロス行きのバスから逃げ、夜道で気を失ったヒロインを拾って車で去っていく男はなにものか?

 のちの『ヒッチハイカー』につながるようなフィルムノワール風のサスペンス演出が効いている。逃げても逃げても追ってくる「男」の影はフィルムノワールの主人公にまとわりつく運命の影のようでもある。あるいはむしろ、本作はさかしまのフィルムノワールだ。逃亡「せねばならない」のは犯罪者ではなく犠牲者のほうなのだ!

 事件のあと出社したヒロインが周囲の物音(臨席の事務員が規則的にハンコを押す音、正面の女性事務員が無意識に指で机を叩く音……)にパニックを起こす場面などのヒッチコックふう心理描写。

 前半からヒロインのすがたが画面手前の物体越しにとらえられることが目を引く。案の定、後半でもじどおり囚われの身となった彼女を鉄格子ごしにとらえるショットの予告であった。

 体当たり演技でヒロインを演じるマーラ・パワーズは神がかっている。スターになってもまったくおかしくなかった素材だ。彼女はほかのルピノ作品のヒロインたちと似た面立ちをしている。つまりルピノ自身の演じてきた女たちに似ている。

 『望まれずに』『恐れずに』に続く監督ルピノの第三作。夫コリアー・ヤングの独立プロ The Filmmakers作品。ルピノは脚本にも参加。撮影はフォード作品で知られるアーチー・スタウト。

 スモールタウンの偏狭なモラルの告発、田園の理想化などに『天の許し給うすべて』との類縁性がある。


『二重結婚者』:映画監督アイダ・ルピノ(4)

2014-05-14 | アイダ・ルピノ

 
 アイダ・ルピノ『二重結婚者』(1953年)

 
 ソーシャルワーカーの事務所で養子縁組の面接をする夫婦。ジョーン・フォンテインとエドモンド・オブライエン(『The Hitch-Hiker』)。ソーシャルワーカー(エドマンド・グウェン)は、夫の態度に不審を抱き、身元調査を開始する。夫には別の家庭があり、赤ん坊がいた。警察に通報しようとする弁護士を夫が止め、それまでのいきさつをフラッシュバックで語り始める。

 ビバリーヒルズの映画スターの邸宅を見学するバスツアー。ガイドがジェームズ・スチュアート、ジャック・ベニー、バーバラ・スタンウィック、ジェーン・ワイマンらの家を窓越しに紹介していく。出張中のオブライエンが、隣りに座り合わせた女性フィリス(アイダ・ルピノ)に話かける。妻が仕事に夢中なので、空き時間に映画館めぐりをして暇をつぶしていたこの男は映画にくわしい。「エドマンド・グウェンの『三十四丁目の奇跡』見たかい?」と楽屋落ちのギャグ。映画に無関心で、たんにバスに揺られるのが趣味というフィリスを監督みずから演じているのも強烈な皮肉。悪趣味なツアーの間、窓の外に一瞥すらくれようとしない。男は女にタバコを差し出す。バスを降りるとき、男は女に名刺をわたし、食事に誘おうとする。下心を疑われ、「一度手痛い思いをして以来、女性には臆病だった。女性を口説くのははじめてだ」。女は一度断ったあとで、いい中華料理店があると言う。そこは女が働く場末のレストランで、ルピノはチャイナドレスふうの制服姿だが、中華とは名ばかり。仕事場から女をアパートまで送っていくオブライエン。アパートの階段を上りかけて振り返り、「わたしも同じ。ずっと寂しかった」と女。かつて兵士の恋人に去られた経験が心の傷となっていた……。

 ブラインド越しに街の灯を眺めるオブライエンの背中。ここでフラッシュバックがいったんとじられる。

 このあと、サンフランシスコの自宅での夫婦とロスでのルピノとの逢瀬(誕生日の訪問、アカプルコでダンス……)が交互に映し出される。

 そのうち、妻の父親が危篤になり、しばらく妻の側を離れずに暮らしていたオブライエンが久々にロスを訪ねると、フィリスは店をやめていた。アパートを訪ねると、管理人に「彼女はあなたを必要としている」と言われる。彼女はかれの子を宿していた。妻に離婚を切り出すべきか悩んでいると、折り悪く妻の父が死ぬ。

 オブライエンはフィリスに求婚するが、妻のほうでは養子をもらうことを心待ちにしている。二重生活を決意するオブライエン。ここでフラッシュバックがふたたび閉じられ、この計画の愚かさをグウェンになじられるオブライエン。

 フラッシュバックのつづき。病院でフィリスの出産に立ち会うオブライエン。そのうち「歯車が狂いはじめる」。出張先のロスに突然妻がたずねてくる。食事に連れ出すと、折悪しく知人リッキーに出くわす。「やあ、お帰り」。「お帰りって?」と怪訝な様子の妻。

 ロスの家。リッキーはオブライエンが女を作ったと思い込み、フィリスに告げ口していた。「出てって!」とフィリス。翌日、水辺の公園に会いにくるフィリス。「やっぱあなたが必要なの」

 フラッシュバックがとじられる。通報するグウェン。サンフランシスコのマンション。車から降り立つ二人の男。帰宅したばかりの妻に別れの言葉を告げ、すがりつくかのじょを振り払って出て行くオブライエン。バルコニーから階下を見下ろす妻。待機していた捜査官に連行されるオブライエン。

 弁護士からの電話で事情を知らされる妻。電話の向こうの声は聞こえない。キューカーの『女たち』を想起させるジョーン・フォンテインの名演技。黒い服に身をつつんだシルエットが悲しみを滲ませる。

 裁判所。二人の女が顔を合わせる。情状酌量を求める弁護士に「もうたくさんだ。おれは有罪だ!」フレームアウトして退廷するオブライエン。妻は傍聴席に立ち尽くしたまま。 THE END

 子供を授かれない夫婦の悲劇を描く社会派メロドラマであるが、フラッシュバックとヴォイスオーバーによるナラティブやロスの場面のローキーのライティングはフィルム・ノワールを思わせる。


『おそれずに』:映画監督アイダ・ルピノ(3)

2014-05-12 | アイダ・ルピノ


 アイダ・ルピノ『Never Fear (aka Young Lovers)』(1950年)

 
 「これは真実の物語である……」

 花屋の鉢植えのアップ。キャメラが引き、鉢植えの棚、次いでクチナシの花を手に取る青年の姿を映し出す。青年はガイ(『Not Wanted』のキーフ・ブラッセル)。花屋の脇は劇場。「初演」の看板が見える。劇場の階段を上っていくガイ。

 ステージではパートナーのキャロル(サリー・フォレスト)がダンスのリハーサル中。花を渡すガイ。

 観客が次々と劇場に入っていく。スワッシュバックラー仕立てのダンスがひとしきり演じられる。

 楽屋。ローブ姿の二人。ドアに☆のマークをつけて出て行くガイ。キャメラが左にパンすると、水着姿の二人が夕暮れの海岸にいる。婚約指輪を贈るガイ。

 劇場。ピアノを弾くガイ。画面奥でキャロルがロープにつかまり、涙を流している。その視界が徐々に霞んでいく。ガイはまだ事態に気づいていない。おもむろに病院のシーンへ。キャロルの父親とガイがつきそっている。この辺の省略的描写は見事である。つづいて、担架で運ばれ、入院するキャロル。「本当のことを言ってくれてありがとうございます、先生」「いまに歩けるさ」「ダンスはできるようになりますか?」「何より大切なのは歩こうという意志だ」……医師が病室を出て行くと、枕に顔を埋め、泣き崩れるキャロル。医師に小児麻痺との診断結果を告げられるところも効果的に省略されている。開け放しのドアから車椅子の青年レンが入ってきて心配する。「出てって!」と追い出すキャロル。

 看護師に足のマッサージを受けるキャロル。台に横たわり、片足をいろいろな角度に上げるポーズがダンスのリハーサルシーンを想起させ、痛々しい。

 ここからドキュメンタリーふうのリハビリ風景がディゾルブによって連ねられていく。

 パートナーを失ったガイはショービジネスに見切りをつけ、不動産会社に就職する。

 ふたたびリハビリ風景。グループでのリハビリ、プールでのリハビリ、ふたたびマッサージ……

 木蔭での患者たちのピクニック。メキシコの歌手がギターで陽気な曲を奏でている。頭にクチナシの花を刺し、ガイの腕の中で幸福そうなキャロル。
 
 自室のキャロル。ガイからプレゼントされたガウンを羽織り、ベッドを立ち上がってものにつかまりながら部屋のなかを歩く。窓辺で力強い表情のアップ。「歩けるわ!」という確信もつかの間、その場に倒れる。ラジオからは調子はずれのラグタイムピアノ。床を拳で叩くキャロル(『Not Wanted』のラストのドルーと同じ身振り)。立ち上がることができない彼女の背中をブラインドの格子状の影が覆う。

 リハビリ室で美術製作。粘土で作ったばかりの幸福なカップルの像をヘラでつき刺してめちゃくちゃにするキャロル。レンは子供に絵を教えている。塞いでいるキャロルに気づき、絵を渡し、余興のスクエアダンスに誘う。

 ステージにはカントリー歌手。キャメラが引くと、ホールで車いすの患者たちがペアになってダンスしている。ダンサーたちを低目のアングルから捉えたロングショット。見物する幼い患者たち。壁際で見物するガイにレンを紹介するキャロル。

 エキゾチックな彫刻が飾られたロビーのようなところで話すカップル。キャロルはガイに婚約指輪を突き返す。「別れましょう」「あたしはかたわものよ!」松葉杖の患者とその妻が傍らを通り過ぎる。「ごめんなさい」と夫婦に謝るキャロル。

 キャロルが院長室に呼び出されて赴くとガイがいる。ガイはキャロルを車で連れ出す。「仕事はどう?」「おれの女でいてくれ!」激しい口論。

 仕事の退けた職場で一杯やるガイ。同僚の女性を誘う。女性の部屋へ。「私、離婚経験があるの……」しかし彼女には自分がガイの恋人になれないことがわかっている。

 陽気なキャロル。患者のジョジーの髪をとかしている。ジョジーは煙草をくわえている。リタ・ルピノ。煙草は本作で人物たちをとりもつ重要なモチーフ。

 手すりの間で歩く足のアップが、リハビリ風景と何度も交互に映し出される。ガイの言葉が耳の奥に反響する。キャロルを励ます医師。おそるおそる手すりから手を離すキャロル。「歩けたわ!」と涙。

 バースデイケーキのアップ。キャロルが一同の前でスピーチ。ガイはキャロルを庭に連れ出し、キャロルをベンチに腰掛けさせる。「女とべガスに行くことになったんだ」。煙草をねだるキャロル。ガイが立ち去ったあと、贈られたクチナシの花を弄びながら虚空を見つめるキャロル。背後から車いすのレンが近寄り、煙草に火をつけてやる。「ねえ、あたしは女よね! あたし、自分が誰なのかわからない。あたしはどうなってしまうの?あたしを愛して頂戴!」乱暴にキスを迫るキャロルをおだやかにたしなめるレン。

 杖をついて退院するキャロル。院長に「レンは?……」「きみのケースとは別なんだ……」と顔をくもらせる院長。ドアのところにレンが見送りに来ている。レンから目が離せず、いつまでも立ち去らないキャロルを、「お行きよ」と笑顔で励ますレン。

 病院の外。はげしく行き交う通行人。大きなソファを運ぶ二人の人夫にぶつかりそうになる。建物の壁にしがみつき、舗道のはじをにじるように進もうとするキャロル。と、向こうから歩いてくる見覚えのあるシルエットが目に入る。ガイである。「さあ! やれたじゃないか! それでこそおれの彼女だよ!」杖を投げ捨て、飛びつくキャロル。路上で抱き合う二人を通行人たちが微笑んで振り返っては通り過ぎていく。

 「信念と勇気をもつすべての人たちにとって、これはたんなる始まりにすぎないのだ」

 THE END

 本作は自伝的な色彩が強いと言われる。ルピノ自身が、ハリウッドのキャリアの初期に似た経験をしているらしい。

 多くのシーンが実在のリハビリ施設で撮影され、キャストに混じって施設のスタッフや患者が登場している。メロドラマの枠組みにドキュメンタリー性豊かな場面を溶け込ませる大胆さには真に驚くべきものがある。

 脚本はルピノが夫のコリアー・ヤングと共同で手がけている。サリー・フォレストの演技はあいかわらず力強い。かのじょのすべてのキャラはルピノが女優として演じてきたキャラの延長線上にあるといえよう。事実、場面によってはフォレストが若き日の監督その人に見える。

 キャメラにはジョン・フォード作品で知られ、『Outrage』『Hard, Fast and Beautiful』でもついたアーチー・スタウト。


『望まれず』:映画監督アイダ・ルピノ(その2)

2014-05-11 | アイダ・ルピノ
  

 エルマー・クリフトン&アイダ・ルピノ『Not Wanted』(1949年)

 オリジナル・ストーリーは『地の塩』のポール・ジャリコと『裸の町』のマーヴィン・ウォルドによるもの。エルマー・クリフトン名義だが、クリフトンが撮影開始三日目に心臓発作で倒れ、他の監督を雇う予算もなかったため、製作・脚本のルピノが演出を引き継いだということになっている。ルピノ主演の『危険な場所で』のスタッフであったらしいクリフトンという人の素性はよくわかっていない。これがルピノの監督第一作ということになった。

 未婚の母のための施設に対する献辞。ビルディングと車の往来によって舞台が中規模の都会であることが告げられる。画面の奥から坂道をまっすぐに歩いて上ってくる若い女性。その足取りとたたずまいはどこかたよりなげ。顔がアップになるまでキャメラの方に歩きつづける。うつろな眼差しのサリー・フォレスト。画面の外で赤ん坊の鳴き声が聞こえる。その方へと顔を向ける女性。赤ん坊のアップに切り返す。乳母車の方へ静かに歩み寄り、赤ん坊を抱え上げ、そのまま別の方角へ歩き出す。悲鳴が聞こえ、赤ん坊の母親が駈けてくる。「この子はあたしのよ。あたしの赤ちゃんよ」と力なくつぶやくサリー。警察に連行され、取り調べを受ける。「結婚はしていません」。トチ狂った女たちですでにいっぱいの留置所に収監される。「あたしどうしてこんなことになっちゃったの?……」というサリーのヴォイス・オーヴァーに導かれ、おもむろにフラッシュバックへ。『Hard, Fast and Beautiful』同様、物語のかなりの部分がフラッシュバックによる語りによって構成されている。

 はつらつとしたサリーが勤めから帰ると、父親が掛け時計を修理している。台所で小言を言う母親との長いやりとりがワンシーン・ワンショットで示される。二人の友人と連れ立ってライブハウスのようなところへ遊びに行く。ハンサムなピアニストに視線を引きつけられるサリー。そこで働きはじめたサリーは、ピアニストとの仲を発展させていく。夜のデートに出かけるサリーの服装に相変わらず母親の小言が絶えない。ダンスホールからの帰り、公園の木立で唇を重ねる二人。キャメラが右にパンして、ピアニストが指からはじき捨てた煙草が疎水を流れていくのを追う。

 昼間の路上。無免許運転で補導されたサリー。警官に自宅でお説教をされる。凍りついたようにうなだれる両親は、キャメラに背中を向けている。両親をどなって荷物をまとめ、家出するサリー。

 グレーハウンドで隣りに座り合わせた若い男性の寝相に迷惑そうなサリー。話をするうち、サリーがピアニストに会うために向かう街は、この男ドルーの故郷でもあることがわかる。会話が盛り上がり、後ろの席のロバート・ミッチャムそっくりの客に注意される。「一晩中話しつづけるつもりかい」

 ピアニストのアパートをたずねていくが、歓迎されない。電話を待つよう言われ、追い返される。ドルーの経営するガスステーションで働きはじめるサリー。制帽と半袖のシャツ、黒パンツという出で立ちがキュート。ドルーは足を引きずって歩いている。ドルーが趣味の鉄道模型を披露し、はしゃぐ二人。ドルーは義足であった。ピアニストからの電話はいっこうに来ない。ふたたび訪ねていくと、ピアニストは仕事がはかどらず、ぴりぴりしている。「おれはどさ回りの生活で、きみを幸せにはできない」とピアニスト。ピアニストが弾くラフマニノフふうのパーカッシヴなピアノ曲をバックに、ピアニストの家の階段を俯きながら下るサリー。

 仕事に身が入らないサリーを元気づけようと、足をマッサージするドルー。遊園地に連れて行き、求婚した瞬間、サリーの視界がぼやけ、失神する。妊娠であったが、内緒にしてくれるよう医者に頼み、そのまま黙ってアパートを去るサリー。グレーハウンドへ別の街へ行き、仕事を探す。サリーに去られ、絶望するドルー。ここで冒頭と同じ、キャメラの方へ歩いてくるサリーのショットが反復される。「Heaven’s hospital」の門前にたどり着いた瞬間、意識を失って倒れる。クリスマスのメッセージを元いたアパートの管理人に送ったことからサリーの居場所が知れ、ドルーがプレゼントを抱えて施設を訪ねてくる。未婚の母のための施設であることを知り、愕然として立ち去るドルー。

 ベッドで同室の若い女性ジョーンと将来への不安を語り合うサリー。ジョーンを演じているのは監督の縁者のようだ(リタ・ルピノ)。赤ん坊がたくさんいる育児室を眺めるサリーとジョーン。

 自室のベッドに寝ているサリーが担架で運ばれていく。意識のはっきりしないサリーの見た目で病院の壁をソフトフォーカスの移動撮影で捉えていく。分娩室の天井から巨大なライトが照らしている。白衣を身につけた医師の姿がキャメラの方にかがみこむ。キャメラが揺れ、レンズがかすむ。

 赤ん坊と対面するサリー。会話シーンなどでは切り返しがほとんど使われていないだけに、赤ん坊とサリーの切り返しが印象に残る。赤ん坊をどうするかの判断を迫られるサリー。

 女性が次々にタイムカードを差し込む。子供を養子に出し、クリーニング店で仕事をはじめたサリー。勤めからの帰り、無表情で歩くサリーを捉える長いトラヴェリングショット。コートにベレー帽。『ハイ・シエラ』での監督を彷彿とさせる姿。乳母車の母親や遊ぶ子供たちとすれ違う。アパートに戻ると、隣室から赤ん坊の鳴き声と叱る母親の声とピアノが聞こえてくる。いたたまれなくなり、アパートを出て行く。施設に行き、考えが変わったことを告げるが、すでに遅かった。「あなたの赤ちゃんは別の人を幸せにしているのよ」。サリーがうなだれて出て行った後、電話でドルーを呼び出す院長。

 ふたたび冒頭の「誘拐」場面が繰り返される。留置所から連れ出され、被害者と面会するサリー。「抱いてみたかっただけなんです」。被害者に同情され、無罪放免に。警察を出たところで、ドルーに呼び止められる。困惑して逃げ出すサリー。ここから、『捜索者』のラストを思わせる一切台詞なしの追いかけっこがしばしつづく。陸橋から線路に飛び降りようとするがタイミングを逸し、ふたたび駆け出して別の陸橋に上っていく。今度は『突然炎のごとく』そのままのかけっこのシーン。義足のドルーは橋の途中で倒れ込み、動けなくなる。顔を地面に伏せたまま、拳を握りしめるドルー。振り返り、一瞬のためらいのあとでドルーに駆け寄るサリー。抱き合う二人。THE END

 素晴らしくシンプルで、素晴らしく力強い映画だ。舞台となる時代と場所のリアリティを絶妙に映しとりつつ、そうしたものを超えた普遍的なドラマに到達している。これはたんなる社会派映画でもなければ、いわんや「女性映画」などでもない。


はげしく、速く、美しく!:映画監督アイダ・ルピノ

2014-05-10 | アイダ・ルピノ

 アイダ・ルピノ『砂に咲くバラ』(Hard, Fast and Beautiful, 1951年)

 闇の中の無人のテニスコート。風に舞い散るいくつもの紙屑が白く浮かび上がる。そこにかぶさる「はげしく、速く、美しく」というタイトルのアイロニー。

 コートをはつらつと動き回る少女にもの憂げなヴォイス・オーヴァーがかぶさる。「あなたが生まれた瞬間から、あなたは別格だとわかっていたわ。あなたのなかにあってほかのだれにも見抜けないものがわたしには見えていたの。あなたがボールを叩く音を聞くたびに、わたしはいてもたってもいられない気持ちになった。だからあなたのためにもっといいことをしてあげたいといつもおもってた。どんなことがあっても、それを叶えるんだって決心したのよ……」

 娘を一流テニス選手に育てるためにすべてをなげうつ母親をクレア・トレヴァーが演じる。ぱっとしないキャラとルックスの彼女にうってつけの憎まれ役。この女優のキャリア中のべストワンだろう。ミリーという役名はミルドレッド・ピアースへの目配せだろうか。

 娘役はルピノ作品の常連サリー・フォレスト。世界のトップ選手にのし上がるも、恋人との仲を母親に引き裂かれ、心がすさんでいく。キュートなルックス、挫折したキャリアという点で、ひと昔まえのスター選手ジェニファー・カプリアティの面影がなんとなくオーヴァーラップした。野望にとりつかれたトレヴァーは、夫への愛を失って久しい(同衾しない夫婦を隔てるベッドの柵)。夫が危篤に陥っても、娘の試合を優先して、病床を見舞うことはない。娘の方は、その父親への愛着によってなんとか人間性を喪失せずにいる。不利なコンディションで迎えた世界選手権の息詰る決勝戦。激戦を制し、トロフィーを手にした彼女のもとに一度は彼女のもとを去った恋人が駆け寄ってくる。「これはあんたのものでしょ」とトロフィーを母親に押しつけて恋人とともにコートを後にする娘。

 陽の暮れ切ったコート。無人の観客席にただひとり抜け殻のようになったトレヴァーが背をもたせかけている。キャメラが下方にパンすると、風に舞い散るビラが寂寥感をかき立てる。 THE END

 少なからぬ点で師匠格のニコラス・レイの兆しの下に撮られた作品といえるのではないか。父性の失墜、見放された子供というテーマはレイの映画を貫くものだし、ラストで効果的に反復されるビラのショットは、『ザ・ラスティ・メン』の冒頭近く、観客の去った夕刻の闘牛場に舞い散る数知れぬビラのショットを否応なく彷彿させる。ついでに『危険な場所で』での共演者ロバート・ライアンもカメオ出演している。