Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

サロメからカルメンへ:歴史はイヴォンヌ・デ・カーロで作られる

2016-02-22 | その他



 西部瓦版 其の四壱参 イヴォンヌ・デ・カーロ、ローラ・モンテスを演ずの巻

 Salome Where She Danced(1945年、ユニヴァーサル)

 物語は南北戦争の終結とともに幕を開ける。敗戦を受け入れようとしない若い南軍兵(デヴィッド・ブルース)に新たな時代のはじまりを説得するリー将軍。その現場に居合わせたジャーナリスト(『ガン・ホーク』のロッド・キャメロン)が、つぎのシーンではいきなりベルリンにいて、観劇に訪れたビスマルクを取材。舞台上でアンナ・マリア(イヴォンヌ・デ・カーロ)というダンサーがエキゾチックで扇情的なダンスを披露している。かのじょの協力をとりつけてプロシアによるオーストリア侵攻をスクープするジャーナリスト。一騒動あったあと、舞台はふたたび西部へ。アリゾナの原始的なホールでサロメのダンスをおどり、押しかけた野蛮な男たちの喝采を浴びるアンナ・マリア。名前のなかった街が「サロメ。かのじょがおどったところ」と命名される。アンナ・マリアは強盗団のかしらにおさまっていたデヴィッド・ブルースと恋に落ちるが、かのじょを囲いものにしようとする富豪があらわれ……と波瀾万丈のどたばた西部劇。監督はアボット&コステロものを何本も手がけているチャールズ・ラモント。ウォルシュの『南部の反逆者』ではゲーブルを相手にヴィヴィアン・リーふうの役どころを演じ、ドワンの『怒りの刃』ではクールなカウガール姿で拳銃を操ってみせたイヴォンヌ・デ・カーロの最初の主演作で、ダンサーの出自に恥じない見事なパフォーマンスを披露している。さいしょの登場シーンでは、客の望遠鏡ごしに巨大な貝殻のなかから薄衣をまとって姿を現す。チャイナドレスで紗のカーテンごしになまめかしい東洋風ダンスを舞ってみせるシーンもあり、ブルースとともにカリフォルニアに向かう旅の途上では、焚き火の傍らで「もみの木」を朗々と歌い上げてしんみりさせる。クライマックスでは、深紅の床が鮮やかな富豪宅のホールでブルースとそのライバルがくりひろげるフェンシングでの決闘をダイナミックなキャメラワークで追い、いちおうラスト近くでは幌馬車が崖から転落するというスペクタクルシーンも用意されている。レンブラントの絵をめぐるギャグも可笑しい。『アフリカの女王』『狩人の夜』の脚本家で作家・批評家のジェームズ・エイジーが本作を絶賛。脇でウォルター・スレザック、アルバート・デッカー。『ヒズ・ガール・フライデー』『レオパルド・マン』のアブナー・ビバーマンが中国人の老師を演じ、ジェシー・ジェームズの『地獄への……』三部作(?)などのエドワード・ブロンバーグがアンナ・マリアの音楽コーチ役。製作ウォルター・ウェンジャー。
 作中、劇場の客がヒロインをローラ・モンテスと比べて賞讃するくだりがあるが、じっさいヒロインのキャラはローラ・モンテスをモデルにしているふしがある。




 その推測を諾うかのように、その数年後、デ・カーロはじっさいにローラ・モンテスを演じることになる。ジョージ・シャーマンの Black Bart(1949年、ユニヴァーサル)でそれで、『帰って来たガンマン』のダン・デュリエがかのじょと恋に落ちる黒い仮面の陽気な盗賊を演じる(ただし、ラストは相棒とともに官憲とのはげしい銃撃戦をくりひろげ、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドさながらに華々しく銃弾の雨に命を散らす)。デ・カーロがおどるシーンは二度だけで、そのさいしょのものはカルメンをイメージしたらしいフラメンコ調のものであり、それなりにじっくり撮っているが、Salomé と同じように、舞台上のかのじょと男たちの粗野なリアクションがしつこくカットバックされ、ふりつけも Salomé で披露したのとそっくり。終盤のふたつめのダンスは庭園でのスパニッシュダンスで、クレーンがダイナミックにかのじょを追う。デュリエの役名もなんとなく Salomé におけるブルースのそれに似る。フランク・ラヴジョイのデビュー作で、ほかにジョン・マッキンタイアが脇を固めるも、作品の出来は凡庸。『縛り首の三人』というタイトルのリメイクがあるそうな。


 





奇跡の丘:『殺して祈れ』

2016-02-14 | その他


 西部瓦版 其の四拾壱  カルロ・リッツァーニ『殺して祈れ』(1967年)

 ネオレアリズモの担い手のひとりであるリッツァーニによる西部劇で、同じくネオレアリズモにルーツをもつピエロ・パオロ・パゾリーニが出演していることでしられる(パゾは原案にも絡んでいるらしい)。

 砂漠のロングショット。丘の上から武器を手にしたメキシコの民衆たちが下りてきて、砦のグリンゴらとにらみ合う。一瞬の後、停戦協定の成立を喜び合う両陣営。とおもいきや、白人の司令官(マーク・ダモン)の裏切りでメキシカンらは虐殺される。機関銃の銃桿を握った部下のなかにひときわサディスティックな面構えの者がいて、屍体の山を前に満足そうにバービー人形に頬ずりしている。フランコ・チッティ。パゾの分身的俳優がクラウス・キンスキーの演じそうな悪役を怪演。累々と積み重なる死体をなめるパン。ここでタイトル。

 ただ一人虐殺から生き延びた子供が幌馬車で通りかかった牧師に救われ、養子として育てられる。『群盗荒野を裂く』で純白のスーツ姿の謎めいたグリンゴを演じていたルー・カステル。たしかファスビンダーは『群盗……』のカステルに目をとめて自作への出演をオファーしたのであったかと記憶する。革命軍のリーダーで名うての拳銃遣いでもあったらしい父親の血を引いたカステルは、はじめて手にした拳銃で強盗を一撃でお釈迦にしてしまう。呆然と死体に歩み寄り、胸の内ポケットからとりだした携帯用聖書の一節を呟くカステル。安らかに眠り給え……。これが原題 Requiescant の由来。殺しの才能と信仰といういわばおのれのうちなる分裂に引き裂かれる主人公。

 家出した芸人志願の牧師の娘を捜して旅に出たカステル。フライパンで馬の尻を叩いて景気づけ。一宿一飯の恩義にあずかった農夫の敵をこれもまた半無意識的に片付ける。すると目の前に白装束をまとった農夫ふうの男が忽然と姿をあらわす。パゾリーニ。仲間とともに屍体の埋葬を買って出、ついでに釈迦の武器をくすねていく。

 娼婦となっていた牧師の娘の身柄を拘束する男と酒場でトラブルを起こしたカステル。酔いつぶれ、後ろ向きに馬にまたがって帰る途中、男の手下に心臓を射たれるが、内ポケットのバイブルのおかげで命拾い。おもわず天を仰ぐカステル。かれのPOVでカメラが遥かな丘をパン。そこに荘厳なパイプオルガンの響きがかぶさる。と目のまえにまたくだんの白装束の男がいつのまにか立っている……。

 反逆の化身カステルとその敵であるダモン(ファナティックな奴隷制維持論者にして倒錯的なダンディー)との果たし合いをいわば守護天使(皆殺しの天使というべきか)的なパゾが見守るという構図。

 ダモンはかつてじぶんが手にかけた男の娘を囲っている。この女の小間使いを的にした射撃合戦にカステルを引込むダモン。やめさせようと悲鳴をあげるダモンの女。勝負なし。千鳥足で的になった女に歩み寄り、謝罪の言葉を呟いて意識を失うカステル。折檻室(?)に女を閉じこめ、余興の邪魔をしたことを責めるダモンへのカットバック。牧師の娘を木に縛り付け処刑する場面でのダモンは黒づくめの装束で白馬にまたがっており、マリオ・バーヴァ(『白い肌に狂う鞭』)の世界からそのまま抜け出してきたような体。

 互いに首を縄に突っ込み、0時の鐘を合図に撃ち合うという『夕陽のガンマン』かなにかをパクったような決闘シーン。農夫に身をやつしてはいるが実はレジスタンスのリーダーだったパゾの仲間役で、かれの映画の常連ニノ・ダヴォリも顔をみせる(「いちばん男前だ……」)。そして、ダモンの女、その小間使い、牧師の娘の娼婦仲間、パゾの仲間の女闘士ら、虐げられた女たちの言葉なき連帯が生まれ……

 と、魅力的なディティールには事欠かず、凝った台詞がアクセントに添えられるが(「猿を知っているか?……」)、それらをひとつにまとめきれているとはいいがたい。リッツァーニにはもう一本、リー・W・ビーヴァー(マカロニの偽名によくある確信犯的に紛らわしい命名)名義で撮った『帰って来たガンマン』というそれなりに評価の高い西部劇があり、まとまりの点ではこちらに一歩譲る。

 『帰って来たガンマン』も本作どうようきほんてきに復讐譚であり、「アンソニー・マンとセルジオ・レオーネのブレンド」というマカロニ・ウェスタンのひとつの雛形をつくりあげた作品とみる向きもある。また、主要登場人物が本場ハリウッドの俳優で固められている点(とくにマンの俳優であるダン・デュリエとベティカーの俳優であるヘンリー・シルヴァ)もマカロニとしては異色である。

 主人公トマス・ハンターと張り合う倒錯的だが憎めないメキシコ人を演じるシルヴァの怪演が見どころで、DVDのボーナスに入っている英語版予告編は作中なんどもはじけるシルヴァの狂気じみた高笑いをテンポよく繋いだ好篇。レオーネないしマカロニの権威であるサー・クリストファー・フレイリング教授が、たしか『夕陽のガンマン』のDVDコメンタリーで、“マカロニは台詞が少ないぶん、間をもたせるために悪役が意味なく笑う”といったことを述べていたが、この作品のシルヴァがまさにそれ。『殺して祈れ』のダモンは『帰って来たガンマン』のシルヴァともうひとりのダンディーな裏切り者とのアマルガムというおもむき。『帰って来た……』で主人公の守護天使役を演じるのは『逮捕命令』ほかかずかずの西部劇(および犯罪映画)で魅力あふれる悪役をこなしてきたデュリエ(これはその最晩年の作品)。

 冒頭ちかく、南北戦争から帰郷したトマス・ハンターが妻の死を知って半狂乱で部屋のなかをめちゃめちゃにする場面は、『殺して祈れ』でカステルがかつての虐殺現場に戻り、散らばる白骨の山を見て正気を失う場面につうじているといえよう。白痴のように体を回転させるカステルのアップ(『ポケット中の握り拳』の名高い発作場面を想起させないこともない)、かれが脳裡にみる虐殺場面のフラッシュバック(フィルムが赤く染色されている)、かれのPOVによる白骨の野の断片的なショットが高速でカットバックする。

 アレックス・コックスはあるアンケートで『殺して祈れ』をマカロニ・ウェスタン・ベスト10の一本に挙げている。コックスが本作をこのみそうなのはよくわかるが、むしろ、同じアンケートでコルブッチの『黄金の棺』を挙げていることにきょうみをそそられた。『続・荒野の用心棒』みたいに棺の中身がすり替わっているとか、盲目の退役軍人とのエピソードとか、アル・ムロック演じる追い剥ぎとか、見どころの多い作品であったなあ。

ジュリー&ジュリア:『決斗!一対三』

2016-02-05 | その他


 ウェスタナーズ・クロニクル No.40

 ラオール・ウォルシュ『決斗!一対三』(The Lawless Breed, 1953年)

 ボブ・ディランも歌ったジョン・ウェズリー・ハーディン[グ]の伝記映画。タイトルにつづき、ダルトン、ジェームズ、ヤンガー兄弟、リンゴ・キッドにくらべてマイナーな無法者であるハーディンの名誉復権(?)を訴える字幕が掲げられる。ひと際でかく書かれたハーディンの名にアンダーラインが施される念の入れよう。物語はフロリダの刑務所を出所したハーディン(ロック・ハドソン)が新聞社に自伝の原稿を持ち込むところからはじまり、サディスティックな父親(ジョン・マッキンタイア。キャラ的に真逆の伯父との二役)と南北戦争がトラウマとなった少年時代へとフラッシュバック。最後に現在(1890年代)に戻る。本作はこの自伝に基づいているらしく、身勝手なノスタルジーの投影されたディランによるロマンティックな無法者像にもまして、眉に唾つけて鑑賞すべき「伝記」映画だ。ようは西部でもっとも凶悪なアウトローのひとりによる自己弁明の「物語」であり、無責任なハッピーエンド(息子がおのれの轍を踏むのを阻止する)によってしめくくられる。

 見所はただ二つ。まず、親の敵であるハーディンを狙うリー・ヴァン・クリーフとの決闘。吹きすさぶ大風、視界を遮るほどに立ちのぼる砂嵐。台詞はほぼなく、風のうなる音や通りかかる馬車のきしむ音が緊張感を高める。砂嵐のなかをゆっくりと歩いてくるヴァン・クリーフが先に抜くも、一撃のもとに倒される。横たわる亡骸をふたたび砂塵が隠してしまう。ちなみにタイトルをみると、クライマックスに「一対三」の「決斗」が用意されていると誰でも考えると思うが、アクション映画としての本作のあきらかに最大の見せ場であるこのシーンは開巻ちょうど三十分めの出来事。「一対三」という文句は作品を終わりまでみても意味不明なのだが、「三」とはどうやらヴァン・クリーフとかれに加勢しようとする二人の兄弟のことを指すらしい。とはいえ考えてみるとこの邦題、きわめてマカロニっぽくないだろうか。そう、この場面はマカロニ・ウェスタンの先駆けとして価値がある。セルジオ・レオーネはハリウッド時代のリー・ヴァン・クリーフがつねに映画の序盤で殺される役どころを演じていたといみじくも述べている。本作にもまさにその法則があてはまる!バロック的な誇張、および上述したサウンドの使い方もきわめてレオーネ的である。

 二つめの、そして最大の見所は、われらが着せ替えアイドル、ジュリア(ジュリー)・アダムズ(“オールドファン”だけに独占させておくのはもったいない!)。酒場の女として登場し、ハーディンの婚約者の田舎娘が殺されたあとはその糟糠の妻の座におさまる。最後は老け役まで披露。序盤の酒場のシーンでは深紅の制服(舞台衣裳?)で登場し、中盤のユーモラスな競馬のシーンでは、グリーン(本作の色彩設計の基調色)のドレスでビールジョッキ片手にハーディンに声援を送り、ハーディンへの好意を遠回しに口にする(「私たちは似たものどうし」)。テキサスレンジャーの手からハーディンを救う場面ではシックなワインレッド、負傷したハーディンを馬車に乗せて手当する場面ではふたたびグリーン、回復したハーディンとの愛の巣では、ピンクの下着姿で前かがみポーズとり谷間を見せつけ、ガウンをたくしあげてガーターに札を挟むといったサービスショットの連続。ベッドに横座りになって美脚をつきだしながらやはり遠回しに結婚をせがむも、たしなめるハーディンにシーツを引っぱられてベッドから転落。ジョン・ウェインに尻ペンされるモーリーン・オハラさながらの眺め。ハーディンの目をまっすぐに見据え、無法者の生活から足を洗うことを説く場面では誠実そうなブルー、裁判のシーンでは控え目なグレーをお召しに。とある朝、来客を連れてきたハーディンが慌ただしくジュリアを起こす。純白の下着姿で寝室から下りてきたジュリア、あわててズロースを履き、近くにあった白い布をとりあえず羽織る。来客は神父。「このご婦人が新婦ですかな?」との問いに頷くハーディン。「きれいなドレスですこと」と神父の連れの老婦人。ジュリアが羽織ったものは、ウェディングドレス。これよりかなり前、ワイルド・ビル・ヒコック(ボブ・アンダーソン)と絡む場面で、元婚約者のためにウェディングドレスを誂えるユーモラスなエピソードが伏線となっている。引いたショット主体の本作ではかなり寄った部類のバストショットで感激に顔を紅潮させるジュリアを捉える。夫を見送る場面では明るいブルーをまとい、ラスト近く、二十年ぶりに帰宅したハーディンを迎える場面では三たびグリーンに身を包んでいることで感動もひとしお。

 アダムズ嬢のコスチュームプレイにかんしては「怒りの河」、「征服されざる西部」についてのバックナンバーを参照していただければさいわいだ。いずれも本作同様ロック・ハドソンの相手役を務めている。

 本作のプレミア上映に立ち会ったユニヴァーサルのスター、ジェーン・ワイマンは、ここではじめて主役を張ったロック・ハドソンの演技を高く買い、ダグラス・サーク作品でのじぶんの相手役に推薦したという。