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アイダ・ルピノ『陵辱』(Outrage, 1950年)
薄暗い街灯の下、小走りに誰かから逃げているらしき若い女を大俯瞰でとらえたタイトルバックのクレーンショットからはやくも並なみならぬ緊迫感が画面にみなぎり渡る。
婚約したばかりの女性会社員が顔なじみの男に暴行され、周囲から容赦ないセカンドレイプ(好意に発するそれであれ)の辱めを受けたあげくに行き場所を失い、衝動的にロス行きの深夜バスに飛び乗るまでの最初の30分の息もつかせぬ堂々たる筋運び。
ラストこそ表向きメロドラマ仕立てにしてあるとはいえ、1950年の映画界では絶対的タブーであった主題にここまでストレートかつ妥協のない姿勢で迫れているのは奇跡というほかない。
前半、深夜の夜道を逃げ惑うヒロインがサーカスのポスターの前を横切る。巨大な道化師の似顔が皮肉っぽく見下ろす。すぐあとで同じポスターの前を男が横切る。男は破れかけたポスターの端をちぎり、ヒロインを追って角を曲がって闇のなかに消える……。
足がつきそうになってロス行きのバスから逃げ、夜道で気を失ったヒロインを拾って車で去っていく男はなにものか?
のちの『ヒッチハイカー』につながるようなフィルムノワール風のサスペンス演出が効いている。逃げても逃げても追ってくる「男」の影はフィルムノワールの主人公にまとわりつく運命の影のようでもある。あるいはむしろ、本作はさかしまのフィルムノワールだ。逃亡「せねばならない」のは犯罪者ではなく犠牲者のほうなのだ!
事件のあと出社したヒロインが周囲の物音(臨席の事務員が規則的にハンコを押す音、正面の女性事務員が無意識に指で机を叩く音……)にパニックを起こす場面などのヒッチコックふう心理描写。
前半からヒロインのすがたが画面手前の物体越しにとらえられることが目を引く。案の定、後半でもじどおり囚われの身となった彼女を鉄格子ごしにとらえるショットの予告であった。
体当たり演技でヒロインを演じるマーラ・パワーズは神がかっている。スターになってもまったくおかしくなかった素材だ。彼女はほかのルピノ作品のヒロインたちと似た面立ちをしている。つまりルピノ自身の演じてきた女たちに似ている。
『望まれずに』『恐れずに』に続く監督ルピノの第三作。夫コリアー・ヤングの独立プロ The Filmmakers作品。ルピノは脚本にも参加。撮影はフォード作品で知られるアーチー・スタウト。
スモールタウンの偏狭なモラルの告発、田園の理想化などに『天の許し給うすべて』との類縁性がある。
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