Negative Space

日本映画、文語文学、古代史劇映画、西部劇、フィルムノワール、hip-hopなど。

アイヴズ&ティナ:『無法の拳銃』

2015-09-07 | その他


 ウェスタナーズ・クロニクル No.27:アンドレ・ド・トス「無法の拳銃」(1959年)

 ワイオミング。雪山に囲まれた辺鄙な町に流れてきた馬上の二人(ロバート・ライアンとその相棒)。ぽつんと建つロッジ。バーには酒壜がみあたらず、商品棚も空だ。広い階段とカウンターの奥の鏡(いずれも演出に巧妙に利用される)が目を引くだけのがらんとした屋内。

 流れ者と入植者には古い因縁があるらしい。縄張りをめぐる争いの影には女がいる。流れ者の昔の恋人(われらが美しきティナ・ルイーズ)はいまや入植者の妻となっている。

 たちまちにして果たし合いの予感。「ボトルがカウンターを転がり落ちたら撃て」と酔った相棒に告げるライアン。カウンターを転がるボトルを追ってキャメラが右にパン。ボトルが転がり落ちようという瞬間、傍らの扉が押され、銃を構えて乱入した賊が画面右側からフレームイン。騎兵隊のユニフォームに身を包んだバール・アイヴスと4人の手下。

 かれらは軍資金を横領してトンヅラしてきた。追っ手がすぐそこまで迫っている。数日のあいだ匿えとそこにいる全員を人質にとる。そこへ階段から降りてきたティナ。賊らはよだれを垂らして欲情する。しかし鬼隊長アイヴズは手下に酒と女と銃を禁じる。この鬼隊長に逆らったものは命がない。一味のうちもっともまともそうな若者は町の若い女に一目惚れする。

 町に医者はおらず、手負いのアイヴズは獣医に手当を受ける。麻酔を拒否して銃弾の摘出を受けるアイヴズに助手役のライアンがたずねる。「モルモン教徒を全滅させた騎兵隊長の話を聞いたことがある。あんたと同じ名前だった」「おれのことだ。退却すればこちらが全滅する状況だったのでやむなく突撃命令をかけた……」。弾はとりだされたが、生命の保証はない。

 娯楽もない掘建て小屋で無聊をかこつ手下らは、この期におよんで威厳を保つことのむなしさを説いてアイヴズに抗議する。せめて茶会を催してご婦人たちを招きたいと頼み込む。アイヴズは承知する。

 宴の席上、欲情した男たちは女たちをむりやりダンスに誘い、貪るように抱きしめて唇を奪おうとする。必死に顔を背ける女たち。いつおわるともしれない疑似レイプシーンを離れ業的なキャメラがみずから回転しながらうつしだす。この場面で起こることをあらかじめ知らされていなかった女優陣のリアクションは本物である。見境のつかなくなった手下から救うためにティナに丁重にダンスを申し入れるアイヴズ。「なぜこんなことを許すの?」厳しく問いつめるティナ。「もっとわるい事態を防ぐためだ」。

 ライアンは一味に道案内を申し出る。実は山道は存在せず、かれらを山に迷い込ませようという腹。アイヴズは承諾する。若い二人は名残惜しげに別れの挨拶を交わす。道中で一人が馬を失う。アイヴズは若者に馬を譲らせて町に帰す。そのうちにアイヴズは容態が急変し、命を落とす。かれは騙されていることを知っていたが、危険な手下どもを住民から遠ざけるためにあえて死の行軍に同意したらしい。分捕り品の分け前を増やそうと仲間割れした一味は、殺し合って全滅する。

 空虚な屋内と白一色の景色。スペクタクル的な要素を極限まで削ぎ落とした舞台のうえで人間たちのエゴが剥き出しになる。ベルトラン・タベルニエはいみじくも「ドライヤー的西部劇」と形容している。モノクロの選択はもちろん演出上の意図によるものだ。
 
 派手なアクションもなく、コミカルな要素もない。ド・トスのノワール的な持ち味が活かされている。アヴァンギャルドなアイディアをちりばめたアレクサンダー・カレッジ(「スター・トレック」)の手がけたスコアも陰鬱さの演出に大いに寄与している。

 屋内場面ではスクリーンの奥行きを活用したロングテイクが多用される。雪景色の超ロングショットが多い。殴り合いのシーンではアップから極端に引いた画に繋ぐなどの技法がつかわれる。

 ティナ・ルイーズの女優としての最高作。アイヴズ演じる破滅型の家父長的人物は『エヴァーグレイズを渡る風』の役柄につうじるだろう。

 アンドレ・ド・トスは生地ハンガリーでキャリアをスタートさせ、ハリウッドに渡った。ジョン・フォード、ラオール・ウォルシュ、フリッツ・ラングと並ぶ隻眼の巨匠として知られる。

 脚本にフィリップ・ヨーダン、撮影にラッセル・ハーラン。悪役にジャック・ランバート、ポール・ウェクスラー、フランク・ディコーヴァ、ランス・フラー。ほかにイライシャ・クック・Jr.。


黄色い大地:『廃墟の群盗』

2015-09-06 | その他



 ウェスタナーズ・クロニクル No. 26;ウィリアム・ウェルマン「廃墟の群盗」(1948年、フォックス)

 1865年、アメリカのどこか。雪に埋まった砂漠を六頭のくたびれた馬たちがゆっくりとフレームインしてはフレームアウトしていく。馬上にはペックとウィドマークの顔がみえる。そのほか、ワル(『ペイル・ライダー』のジョン・ラッセル)がいて、デブ(チャールズ・ケンパー)がいて、若造がいて(バル・ラン)、真面目ふう(ヘンリー・モーガン)がいる。これら一揃いの類型的なキャラが、いずれ表面化するペックとウィドマークの対立に絡むという展開が早くも読める。この顔見せ的な(?)ショットがいくたびかくりかえされる。

 かれらの行く手の一方は雪深い山、一方は砂漠、一方はアパッチのシマ、そして背後からは騎兵隊。

 騎兵隊とのダイナミックきわまりない追いかけっこがしばしつづく。最初の見せ場。

 砂漠に追いつめられた強盗団。「やつらもここまでは追ってこない」「さすがにそんなばかじゃない」……。

 渇きと飢えに半死半生になりながら砂漠を横切る一団。ぼやけた視線(もじどおり画面が歪む)の先にらしきものがみえてくる。(視点ショットとしては、もっとあとで銃弾の見た目ショット??というのもある)

 Yellow Sky と名づけられたそこは……ゴーストタウンと化していた。思わず卒倒する若造。と、背後から銃を突きつける女の姿が。ボーイッシュななりのアン・バクスター。町はずれに泉があることを聞き、余力をふりしぼって立ち上がる一団。

 生き返った男たちは早速バクスターを品定め。たちまちライバル心むきだしにするオスたち。最初に手をだしたジョン・ラッセルからかのじょを守ろうとする若造。

 バクスターと、ともに暮らすその祖父(ジェームズ・バートン)は、町に残った唯一の住人。「探られないうちに食事をあたえて追い出そう」と孫娘にささやく祖父。

 切れ者のウィドマークはかれらが金鉱掘りであることをめざとく察知する。かつてバクスターに似た女に捨てられたことがトラウマになっているらしいかれは、いまや金(きん?)の亡者と化している。

 ライバルらに抜け駆けしてバクスターをレイプしようとするグレゴリー・ペック。押し倒し、唇を奪いかけるも、パンチを食らって事を果たせず。ついでに頭の先を銃弾で掠められる。祖父の話ではかのじょはアパッチに育てられたとかでいたって狂暴。「なんで射った?」と祖父。「わからない……」とマイク(祖父はかのじょをそう呼ぶ)。自室に戻り、壁に貼られた淑女のイラストを破り捨てるバクスター……。

 閉鎖空間のなかでいやがうえにも本性むき出しになった男たちの[汗臭さに]息詰るドラマは、同じ“ワイルド・ビル”・ウェルマンの『牛泥棒』をおもわせる。逆光を多用したバロック的なカメラワーク然り。

 けっきょく、金を横取りするかどうかで分裂した一団が殺し合う。撃たれた若造はバクスターに見守られ、オハイオに残してきた母親を思いながら息を引き取る(ベッドの下に横たえられたシルエット)。

 ラスト、生き残ったペックと二人の仲間が強盗をした町に戻ってくる。つかつかと銀行に歩み入るや、“Hold up!”。支配人のデスクにずだ袋を投げ「お借りしていたもの、耳を揃えてお返しする」。出がけに中年の婦人のかぶっていた帽子に目をとめ、4ドルで買い取ってマイク=コンスタンスにプレゼント。とってつけたようなハッピーエンド。

 ウェルマンらしい省略表現が随所に。砂漠で行き倒れた馬をヘンリー・モーガンが射殺する場面。見守るペックのショットに銃声がかぶさる(台詞を言っている人物をショットからはずすことが多い)。ラスト近く、駆けつけたバクスターが撃ち合いの結果に立ち会う場面。カウンターの奥の床にだらりと動かない手がのぞいている。まわりこむとウィドマークの死体である。胸のポケットにしまった布袋から砂金がさらさらと流れ落ちている。つづけて針の止まった時計のアップ。どけると白目を剥き、銃を構えたままのジョン・ラッセルの死体が……。多用される逆光も省略に一役買う。

 W・R・バーネット(『暗黒街の顔役』『ハイ・シエラ』『犯罪王リコ』『死の谷』『アスファルト・ジャングル』)の原作を『牛泥棒』のラマー・トロッティが脚本化。撮影ジョー・マクドナル、音楽アルフレッド・ニューマンと、フォックスの立役者が脇を固める。


サタデーナイト・ライブ:『恐怖の土曜日』

2015-09-05 | その他


 リチャード・フライシャー『恐怖の土曜日』(20世紀フォックス、1955年)

 スモールタウンに集まってきた三人のやくざもの(J・キャロル・ネイシュ、スティーヴン・マクナリー、リー・マーヴィン)が銀行を偵察。オーセンティックなノワールと思いきや、犯罪映画をベースにファミリードラマ(父子の確執)、メロドラマ(夫婦の破局)、エロティックスリラー(変態)、エキゾチズム(アーミッシュ)が絡む群像劇。張り巡らせた何本もの伏線が最後にどう交差するのかに期待が高まるが、とってつけたようなケリのつけかたで、とっちらかした感が残る。リチャード・イーガンのエピソードはダグラス・サークのパロディーみたいな画面づくり(シネマスコープの巨匠フライシャーの面目躍如)。イーガンは最後のクライマックスにほとんど絡まない。不仲になっていたが再出発を誓った女房がホールドアップのとばっちりを食って命を落とす。浮気しかけた若い女性に慰められて男泣きの大根芝居(完全にギャグ)。この女性は銀行支配人トミー・ヌーナンのストーカー被害を受けていた。強盗に撃たれたが命拾いしたヌーナン、たまたま担当の看護婦に就いていたこの女性にストーカーの罪をあっさり懺悔。女性はあっさり許す(「ブラインドをしめてなかったわたしが悪いのね」)。ヌーナンは図書館員シルヴィア・シドニーが経済難からおよんだ窃盗を知るが、逆にストーカー現場を押さえられて脅迫される。このへんもギャグ。ヌーナンのおとぼけ演技は絶好調。バーでイーガンに絡まれおどおど。ヴィクター・マチュアは大戦中、国内勤務に就かされていた。そのため、息子が戦場の英雄を父にもつ親友にばかにされている。ラストで銀行強盗をやっつけて街の英雄となったマチュア。友人たちを招いた息子が自慢気に父親に寄り添うショットで幕。炸裂するご都合主義。アーミッシュのアーネスト・ボーグナイン、信仰からマチュアへの荷担を頑に拒んでいるが、悪を滅ぼすことは神の御心に適うという理屈をない脳みそから健気にひねりだしてじぶんを説得し、マチュアの命を救う。悩ましげな表情とタフなアクションのコントラストがさわやかな笑いを生む。マーヴィンは登場早々鼻炎にくるしんでいる。銀行偵察中、ぶつかってきた子供が落とした煙草を拾おうとすると、その手を踏みつけ、苛立たしげに追い払う。強盗決行前夜、不眠をまぎらわそうとマクナリーの部屋に入ってきてぐちをこぼす。「眠れねえ。奴[仲間のJ・キャロル・ネイシュ]はぐっすりだ。じじいだからだろう」。「そうだな」とマクナリーが相づち。「いやな野郎だ……おれの逃げた女房をおぼえてるか?……スキニーな女だった……おれはスキニーな女がすきなんだ……おれに鼻炎をうつして、ケチな旅行会社の[だったか?]男と逃げやがった……」。帽子に眼鏡のネイシュのコメディーリリーフぶりもいい。冒頭近くの列車の場面でのアーミッシュの家族との絡み。強盗の場面では賊に飛びかかろうとするマチュアの息子をいさめて呼び寄せ、あめ玉をあたえる。「これでもなめてろ」。機嫌よく「おじさん、ありがとう」と少年。戻ってきた息子に「ちょっと、やめなさい」と母親。ネイシュをにらみつけ、あめ玉の包み紙を不機嫌に放り投げる息子。
 
 ……というわけで基調は良質なコメディーだった。脚本シドニー・ボーム

ストリート・オブ・ノーリターン:『殺人地帯USA』

2015-09-03 | その他



 サミュエル・フラー『殺人地帯USA』(Globe Enterprises製作、コロンビア配給、1961年)

 少年の鋭い両目のクロースアップ。スラム街の大晦日の晩。路上に寝そべった酔漢から時計と財布を奪い、逃走する少年。そのまま初老の婦人のアパートへ逃げ込む。肉づきのよいスリップ姿の婦人はわけありの「酒場」のマダムで少年の母親代わり。赤ん坊の人形に話しかけている。「あんたが人形を可愛がるのは子供ができないからだよな」と少年。悲しげに顔を曇らせる婦人。窓外で喧嘩のもの音が聞こえる。スラム街の壁に殴り合う男たちの巨大な影が投影される(スタンバーグと表現主義へのオマージュ)。殺されたのは少年の父親だった。復讐を誓う少年。かろうじて目撃した敵の一人の家へ出向く少年。敵はちょうど刑務所入りしたところだった。じぶんも刑務所に入るためにわざと盗みをはたらいて逮捕される少年。孤児院、そして少年院と渡り歩き、やっと敵のいる刑務所へ入ったのは十余年を経てのこと。その間にかれ(クリフ・ロバートソン)は金庫破りのプロフェッショナルになっていた……。

 『ディパーテッド』みたいないっしゅの潜入もの(?)。フラーのフィルモグラフィーのうえではさしずめ『拾った女』の双子的作品。偏執狂的な一匹狼の主人公、主人公をとりまく二人の女性キャラクター(老女と娼婦)、ドラッグへの言及、等々において。

 トレードマークの超クロースアップと小刻みなカッティングが冴える。汚職警官の自殺の場面(弾丸が額の写真に命中する)。ヒットマンが目撃者の娘を轢き殺す場面(窓辺の母親にカットバック)。敵の一人が車に閉じこめられ、ガソリンで焼き殺される場面(恐怖に歪む顔のクロースアップをごく一瞬インサート)。いずれも死の瞬間をちょくせつ見せない。リアリズムを売り物に、「大人の」ギャング映画を謳った本作。PCA(映画製作倫理規定管理局)に提出したスクリプトは4稿におよんだ。見せない演出は[自主]検閲との妥協の産物だが、結果的に観客に想像力によっていやがうえにもヴァイオレンスのこわさを体感させることになる。

 少女殺害の場面は、主人公がプレゼントの剥いた七面鳥を布袋から取り出すキッチンのシーンへと繋がれ、ガソリンによる殺害場面の最後では、闇夜を照らして炎上する車をバックに、組織の親玉がヒットマンに一言。「火を貸せ」(Gimme a light.)。なんてブラックなギャグでフォローするところも辛辣きわまりない。ユーモアは、全員食べ物を頬張りながらの警察のミーティングとか、プールサイドのギャングたちといった描写にもあらわれている。

 もともと巻頭にはいかにもフラーらしいとほうもないアイディアが用意されていたらしいが、製作サイドにつぶされた(『映画は戦場だ!』参照)。女性キャラ(プラチナ・ブロンドと白い肌がまぶしいドロレス・ドーン)の設定も稿が改まるにつれておだやかなものになったが、スティック状の氷をしゃぶるなど暗示的な表現がぎゃくにエロティシズムをかもしだす。

 ラストはどうみても『勝手にしやがれ』の逆引用(?)であろう。撮影は巨匠ハル・モーア。

 本作は今月開催されるPFFの上映プログラムに入っている。同じ特集中に『ベートーベン通りの死んだ鳩』のタイトルもみえる。