Negative Space

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監視塔からずっと:『野良猫ロック セックスハンター』

2012-08-07 | その他
 長谷部春安の『野良猫ロック セックスハンター』(1970年、日活)。

 黒い帽子のつばがもち上がり、梶芽衣子のするどいまなざしがあらわれる。かのじょは物語の主人公というよりも、始終この雄弁なまなざしで出来事を目撃し、観客にむけて証言する立場を崩さない。いわば古代悲劇における合唱隊の役回りだ。

 梶を先頭に繁華街を闊歩するスケ番グループのショットに、有刺鉄線で囲まれた基地の点景が瞬間的にインサートされていくタイトルバック。

 「立ち入り禁止」の立て札に監督の名前がクレジットされる。『市民ケーン』か。

 梶と安岡力也の出会いは、夜の基地でのこと。草のうえに寝転んでいる梶の耳に歌声がきこえ、男が歩いてくる。もっとうたってよ。――びっくりするじゃねえか。そんなところで涼んでると轢き殺されんぞ。――歌、つづけてよ。基地の照明が画面にハレーションをかけている。夢のなかでのような出会いである。かれらは淡い思いをいだきあうようになるが、恋人というよりは兄妹あるいは同胞のような関係でありつづけるだろう。

 脚本は大和屋竺。痛快娯楽アクションに基地問題、人種問題をからめ、暗い色調のドラマにしあげた。

 藤竜也のチンピラ一味と梶のグループがはりあい、そこにハーフの安岡による妹探しのプロットがからむ。藤は少年時代に姉を米兵に犯されるのを目撃したことがトラウマとなり、性的不能になっている。みさかいのないハーフ狩り、罠にかかったスケバンたちが餌食になる暴行の饗宴。グルーヴィーなキャメラワークとカッティングがみる者のきもちを煽りたてる。

 ラストは梶と安岡がタッグを組んで藤のグループと対決する。監視塔にこもるふたりは『暗黒街の顔役』(スカーフェイス)の近親相姦すれすれの兄妹のよう。無言で床に座り込むふたり。もう日も暮れた。撃ち合いはまだはじまらない。うたってよ、と梶。安岡の表情がゆるむ。「なまえも身の上もきかないでおこう さよならの一言もいわないでおこう」。それに梶が唱和する。「いどころも行く先もきかないでおこう。後悔の涙も流さずにおこう」。殴り込みをまえにしての道行きのデュエット。そう、これは任侠映画なのである。
 
 すべてを見届けて生き残った梶。うしろにはねあげていた黒い帽子を目深にかぶると、途方に暮れたまなざしがかくれ、エンドマークが入る。