Negative Space

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アンディの神業に座布団一枚:『モンタナ・ベル』

2017-05-05 | アラン・ドワン




 〜西部瓦版〜 No.57 アラン・ドワン『モンタナ・ベル』(Montana Belle, 1952)之巻


 ジェーン・ラッセルが二丁拳銃も凛々しいベル・スター(1848-89)を演じる。縛り首になるところを救い出され、手錠をはめられたままダルトン兄弟のアジトへ連れてこられるベル。かのじょをめぐりたちまち男たちの情欲が渦巻く。屋根裏部屋へ上がり、寝支度のため下着姿になるサービスショット。このあたりは『ならず者』の再演か?

 押し込み強盗に入った先のサルーン経営者(ジョージ・ブレント)は、顔を隠したかのじょの「目」に一目惚れ。二人でメキシコに逃げ、新たな人生を踏み出そうとするが……

 1948年にリパブリックで製作されるも、ラッセルと契約していたRKOのハワード・ヒューズが買いとり、52年に公開。べったりしたトゥルーカラーが目に痛い。序盤に出てくる林間の長い長いチェイスシーンはリズミカルなアクションが小気味よい。

 ラストの大がかりな強盗シーンは『逮捕命令』のクライマックスシーンと同じく独立記念日のデコレーションで飾られた街が舞台になる。

 ブロンドの鬘でモンローふうに変装したラッセルがサルーンで二曲ほど喉を披露。『紳士は金髪がお好き』を予言するディティール。ブルーの薄衣をまとい、挑発的に体をくねらせ酔客らのあいだをねりあるくさいしょのナンバーは、かなりの長回しで撮られている。ピアノ(であったか?)に尻をのせ、あらわなふとももをキャメラのほうに突き出しながら呟くように歌うバラードはいやがうえにも『帰らざる河』のMMを彷彿させる。が、いつもながら艶かしいというよりはひたすら逞しいという印象が先に立ってしまうラッセル姉御。

 フォード一家のアンディ・ディヴァインが、登場する度に人の酒を巧みにくすねるギャグで笑わせる。酒を盗むために磨いた(わけでもなかろうが)縄投げの技術が、ただ一度ヒロインを救うために発揮される。

 脚本ホレース・マッコイ。キャストはほかにフォレスト・タッカー、ジャック・ランバート、スコット・ブレイディ(ボブ・ダルトン)。

 

愛しのサラ:『フロンティア・マーシャル』

2016-04-05 | アラン・ドワン



 西部瓦版~ウェスタナーズ・クロニクル~ No.45

 アラン・ドワン『フロンティア・マーシャル』(1937年、フォックス)


 アープ没の翌々年に刊行されたスチュアート・レイクによる伝記『フロンティア・マーシャル:ワイアット・アープ』に基づく。アープ伝説はこの伝記によって生まれた。レイクはウィル・ギアがアープを演じた『ウィンチェスター銃73』にも原案を提供している。

 同じ原作に基づき、3年前にすでに同名の作品(ルイス・セイラー『国境守備隊』)が撮られているが、『荒野の決闘』のプロトタイプになったのは本作である。

 『フロンティア・マーシャル』でも『荒野の決闘』でも、アープの保安官就任のきっかけになるのは酒場で酔漢が起こした騒動を解決したことであるが、酔漢を演じているのはいずれの作品においても同じチャールズ・スティーヴンスである。ちなみにこの俳優はあのジェロニモの実の孫にあたるらしい。

 ウォード・ボンドも両作品に出演していて、『フロンティア・マーシャル』では保安官役、『荒野の決闘』ではアープ兄弟の長兄を演じている。

 アープ(ランドルフ・スコット)の札を覗き込み、ポーカー相手に目配せで手を伝えた酒場の女ジェリー(ビニー・バーンズ)をアープが外につまみだし、逆切れされてびんたをくらうと水桶に突き落とすという場面は『荒野の決闘』でそっくりそのまま反復されている。
 
 ドックが登場するのはその直後。演じるのはヴィクター・マチュアよりよほどスマートなシーザー・ロメロ。『荒野の決闘』と同じく白いハンカチで口を押え、はげしく咳き込む。本作では咳き込んだところを狙った敵をアープがたしなめ、友情が芽生える。サルーンのカウンターで互いの銃を見せ合う場面では、アープ自慢の”バントライン・スペシャル”(銃身16インチのコルト)が披露されるが、この銃は実際にはもっぱら棍棒代わりに使用されていたとか。

 ジェリーはドックをめぐるライバルのサラ(ナンシー・ケリー)に肩入れするアープへの恨みから、アープを罠にかけようと駅馬車襲撃を仕組むが、その駅馬車にドックも乗り込むめぐりあわせに。ドックは腕を負傷してサラに看病されるが(さらなるジェリーの嫉妬をかき立てる)、ときあたかも親しいバーテンダーの子供が流れ弾に当たって瀕死の重傷を負う。町医者は留守。ドックが呼ばれて子供の命を助けるが、外に出たところをカーリー・ビルの一味に射殺され、アープにも決闘状がつきつけられる。

 したがってドックはOK牧場の決闘には参加しない(『荒野の決闘』では決闘で命を落とすというやはり史実とは異なる設定)。『荒野の決闘』とは違って、そもそもアープの兄弟は登場せず、敵のクラントン一家も登場しない。結局、ジェリーがカーリー・ビルにこめた銃弾を残らず撃ち込んでドックの復讐を果たすという成り行きに。

 『荒野の決闘』はアープが父親のもとに報告に戻るところで終わっているが、 『フロンティア・マーシャル』はジェリーが街を去るところで終わる。向かいにできた銀行の看板を見送りのアープに指差し、「町民が貯金をするようになちゃ商売あがったり」との捨て台詞を残し、乗り込んだ駅馬車の座席からアープに敬礼。駅馬車が街を後にするまえに、ドックの墓に窓から投げキスを送り、この墓石にキャメラが寄っていくところで幕。『荒野の決闘』よりも、『フロンティア・マーシャル』はクレム=サラ(ナンシー・ケリー)に冷淡で、チワワ=ジェリーにずっと花をもたせている。

 『荒野の決闘』では俳優の失念したハムレットの台詞をドックが引き取ってインテリぶりを示すが、『フロンティア・マーシャル』では、捨て鉢になることと勇敢であることとの違いをドックに諭すために、サラがかつて朗読して聞かせた『ジュリアス・シーザー』の一節(「臆病ものは何度も死ぬ。勇者は一度しか死なない」)をふたたび口にするというかたちでシェイクスピアへの言及がある。

 エディ・フォイ役を演じているのは『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー』『パジャマ・ゲーム』などにも出演している本人の息子。ステージでの出し物よりも、からんできた酔漢にキックを食らわせ撃退するギャグが痛快。

 そのエディ・フォイを招聘した興行主が、「ジェニー・リンドとリリー・ラントリーも呼ぶぞ」。スウェーデンの歌姫ジェニー・リンドは1850年から52年にかけてアメリカ興行を行っている。リリー・ラントリーは、『ロイ・ビーン』でエヴァ・ガードナーが演じた女優ジャージー・リリー。

 冒頭は「石しかない」トゥームストーンの野蛮と無法の街が小刻みなモンタージュによってナレーションとともに紹介される。その街に銀行と学校ができ(サラは教師として街に残るだろう)、アープの活躍によって法の支配がもたらされる。つまり、砂漠に文明が芽生えるところで幕となる。とはいえ実際にはOK牧場の決闘によって街に平和がもたらされることはなかったし、保安官バッジをはずしたアープ自身はその後、さすらいの生活の果てにハリウッドで人生を終えている。

 地味な作品だがドワンお気に入りの一作であったようだ。「ランドルフ・スコットとキャストのほぼ全員を好きだったし、いい出来だと思っている」。

 同年の作品『スエズ』のセットに運び込まれた大量の砂で西部の街を再現。主役のフロンティア・マーシャルをワイアット・アープにしたのはスタジオの大君ザナックの指示によるもの。ドワンによれば、「われわれが撮っていたのは『フロンティア・マーシャル』という映画であり、じっさいにはどんなフロンティア・マーシャルでもよかったんだ」。アープの名前を使うために多額の使用料をわざわざ親族に支払ったが、サラとのロマンスが事実にそぐわないとかの理由で完成後にこの親族に告訴される。

 とはいっても、『荒野の決闘』とはちがい、二人のロマンスは少なくともあからさまに示されることはない。ジェリーがドックを取り戻すためにサラをしきりとアープに押しつけようとはするが、スコットのいつものポーカーフェイスからはかれの本心が読み取れない。もっとも、やはり『荒野の決闘』とはちがってアープは街に残るので(『荒野の決闘』のフォードも望んでいた幕切れ)、後日譚に委ねるというかたちでロマンスが暗示されているととることはかろうじてできる。

 歩く人物を長く追う移動撮影が数カ所。ぬかるんだ通りでスカートを捧げもったジェリーのくるぶしに馬が反応するとか、町医者のふとった家政婦にジェリーが体当たりするといったギャグがちらほら。『荒野の決闘』では床屋でのおめかしの場面で使われる鏡が、ここではシリアスな手術の場面に使われる。

 キャストはほかにジョン・キャラディン(如何せん精彩を欠く)、ロン・チェイニーJr.。

極道の妻たち:『暗黒の命令』『私刑される女』

2015-12-28 | アラン・ドワン


 ウェスタナーズ・クロニクル No.33

 クァントリルとそのゲリラ団を素材にした二本。いずれもクァントリルの周囲にその母親や妻という虚構性の強い人物を配してロマネスクな物語に仕立てている。


 ラオール・ウォルシュ『暗黒の命令』(1940年、リパブリック)

 W・R・バーネットの原作をグローヴァー・ジョーンズほかの4人の脚本家が脚色。貧乏な教師のカントレル(ウォルター・ピジョン)は保安官に立候補するが、テキサスから仕事を求めてやって来たカウボーイ(ジョン・ウェイン)にその座を奪われ、教師をやめて強盗団を結成する。しかもウェインがカントレルの婚約者でやがて妻となるクレア・トレヴァーに横恋慕していることが対立に火を注ぐ。カウボーイにあこがれるトレヴァーの弟(“歌うカウボーイ”ロイ・ロジャース)はウェインとの友情と裁判で救ってくれたカントレルへの恩義のあいだで揺れ動く。同居する母親(マージョリー・メイン)を世間体から家政婦で通らせているカントレルはマザコン。父親から受け継いだ悪人の血と厳格な清教徒の母親の板挟みになって苦しむ。やがて南北戦争の火蓋が切って落とされる。略奪品のなかにたまたま南軍の軍服を見つけたカントレルらは、南軍を装って悪事を続ける。クライマックスはローレンス襲撃(スタントはヤキマ・カヌート)。カントレルがウェインを撃とうとするが瀕死の母親に阻止されてぎゃくに撃ち殺される。ウェインは未亡人となったトレヴァーと結ばれる。あほくさ。

 前年の『駅馬車』のカップルを起用した鳴りもの入りの一作なるも凡庸な出来。カントレルの心の闇をクローズアップした精神分析的ともいうべきアプローチは興味深いが、狂言回しに徹しているべきジョン・ウェインが出しゃばりすぎて中途半端に終わってしまった。失業者時代のウェインの相棒の歯医者=床屋にジョージ・“ガビー”・ヘイズ、判事役にプレストン・スタージェス作品などで知られるレイモンド・ウォルバーン。舞台は1860年代だが、1870年代に製造されたピースメイカーという通称のコルト銃が使われているというアナクロニズム(IMDBのトリヴィアに依る)。


 


 アラン・ドワン『私刑される女』(1953年、リパブリック)

 ミズーリ=アーカンソーの州境に位置し、中立を守る無法地帯の町。南軍側からも北軍側からも無法者がつぎつぎと流れ込んできている……はずが、じっさいには通りにはひとっこひとりみあたらない。みな縛り首の見物に出払っているからだ。保安官もおらず裁判も開かれないこの町では、町の平穏を破る者が町長の一存によって死刑に処されることになっている。見物人の輪のなかに、町民に肩車されて縛り首を見守る不敵な面相で恰幅のいい中年女性がいる。これが町長。

 町の入り口でクァントリル(ブライアン・ドンレヴィ)のゲリラ団が馬車を襲撃(B班監督のウィリアム・ウィットニーが演出しているらしい)。乗客の若い女性(ジョーン・レスリー)を見てコール・ヤンガー(ジム・デイヴィス)は口説きにかかり、ジェシー・ジェームスはその清純さをほめたたえる。女性はサルーンを経営する兄に会いにいくところであった。再会した兄は恋人の歌手をクァントリルに攫われ、荒んだ生活を送っていた。攫われた恋人(オードレー・トッター)はクァントリルの妻となってゲリラ団を仕切り、その凶暴さによって悪名を轟かせていた。

 レスリーは兄が喧嘩で命を落とすとサルーンのマダムにおさまり、なにかとちょっかいをだしてくるトッターとのあいだに火花を散らす。レスリーに撃ち合いで負かされたトッターは心中のトラウマを吐露、クァントリルと別れて歌手としての再起を誓う。レスリーはクァントリルを罠にかけるべく送り込まれた南軍のスパイ(『ロデオ・カントリー』のジョン・ランド)と恋に落ちる。作戦はクァントリルにばれ、レスリーはスパイを匿ったかどでリンチにかけられそうになるが、たまたま終戦の知らせが届いて助かる。あほくさ。

 トッターの男装、およびレスリーとの撃ち合いや取っ組み合いからは『悪の対決』もしくは『大砂塵』あたりにつうじる倒錯性が香り立つ。ドワンは本作をパロディーのつもりで撮ったらしい。「スカート姿の女優の股越しに決闘シーンを撮ってもよかったくらいだ」。トッターはミュージカルシーンで スタンダードナンバー “All My Life”ほかを披露。酒場の女役のひとりで『恐怖のまわり道』のアン・サヴェージ。

 中立地帯の町民はリパブリック讃歌を歌ったりディキシーを歌ったりして日和見的に立場をつかいわけて保身に努めている(たしかイーストウッドの『アウトロー』にもそういうキャラがいた)。終戦の知らせを受けて合唱するのはディキシー。

 二作ともに南軍の旗をたなびかせたゲリラ団が薄明のなかをローレンスに向かって疾走する映像がでてくる。『叛逆の用心棒』も同じような映像ではじまる。




ミスター・ノーボディー:『対決の一瞬』

2015-12-27 | アラン・ドワン


 ウェスタナーズ・クロニクル No.32; アラン・ドワン『対決の一瞬』(1955年、RKO)

 原題は Tennessee’s Partner。ベネディクト・ボージャース製作になる一連の傑作群のひとつで、『悪の対決』と同じ年に同じジョン・ペイン、ロンダ・フレミング主演で撮られている。

 結婚式場を装った娼館のマダム「公爵夫人」(ロンダ・フレミング)のヒモであるいかさま賭博師テネシー(ペイン)がトラブルに巻き込まれた際、通りがかりの「カウボーイ」(ロナルド・リーガン)に救われる。「カウボーイ」は結婚のためにゴールドラッシュに賑わう街にきていたが、花嫁(コリーン・グレイ)の正体は賭博師と恋仲だった娼婦。賭博師はカウボーイを結婚詐欺から救うために金を餌に女を連れ出し、サンフランシスコ行きの蒸気船に乗せて逃げ帰る。賭博師に裏切られたとおもったカウボーイは賭博師の命を狙うが、賭博師の真意(「背中から狙う奴が嫌いでね」)を知って和解する。カウボーイは無実の罪を着せられた賭博師をリンチにかけようと追ってきた衆から賭博師を救うが、賭博師を狙った真犯人の銃弾をみずから受けて命を落とす。名前さえ知らぬ恩人によって人の道に目ざめた賭博師は、「公爵夫人」を妻に迎える決心をする。

 類型そのままの登場人物たちが織りなす図式的なメロドラマなるも、ブレット・ハート原作と聞けば納得がいく。本作は同じ原作にもとづいて1916年に撮られ、1924年にリメイクされた映画の再リメイク。著作権の切れた原著をミルトン・クリムス、D・D・ボーシャン、グレアム・ベイカー、テディ・シャーマンおよびドワンの5人がかりで脚色、ノスタルジックな香りは残しつつ、真逆のキャラクターどうしが固い友情で結ばれて精神的な変容を被るという、『血斗のジャンゴ』にもつうじる現代的なテーマを浮き彫りにし、「楽天的悲劇」(ピーター・“マイ・ファニー・レディ”・ボグダノヴィッチは「メランコリー」という形容を是とする)とでもいうべきユニークな味わいの佳作となった。

 ミニマリズム俳優ペイン(''Big girls don't cry.'')と世界一のセクスィー女優ロンダの息は相変わらずばっちりだし、リーガンのけっして荒立つことのない演技はドワンも高く買っている(政治家としてよりも演技者としてのほうがすぐれている?というボグダノヴィッチの意地の悪い質問にはお茶を濁しているが)。保安官役でレオ・ゴードン。アンジー・ディキンソンも出ているようだ(クレジットなし)。

 キャメラはジョン・オールトン。闇を効果的に使い、超低予算に似合わぬゴージャスな画面作りに成功している。ポーカーシーンではシャンデリア越しの俯瞰から賭博台にクレーンがゆっくりと下降していく。同シーンでのレンブラント・ライトも印象的だ。

 ドワンはすでにサイレント時代にダグラス・フェアバンクス主演でブレット・ハートの原作を映画化している(The Halfbleed)。エジソン社の映画などに原作を多数提供したハートは、『駅馬車』『三人の名付け親』といった映画にインスピレーションをあたえているともされる。


Strongly Scarlet:『悪の対決』

2015-08-30 | アラン・ドワン


 アラン・ドワン「悪の対決」(Slightly Scarlet, 1955, RKO)

 州刑務所の看板。キャメラが下にパンすると、そこから出てきた女を仰角気味のアップでとらえる。アーリーン・ダール。刑務所の前に駐車した車の運転席に別の女が座っている。われらがロンダ・フレミング。少し離れたところに別の車が止まっており、望遠レンズつきの写真機を構えたあやしげな男が外を見張っている。ジョン・ペイン。タイトルバックでメインの三人の登場人物が要領よく紹介される(原作ではダールは冒頭から登場しない)。けばけばしい原色、クロースアップ、まったく無駄なスローモーションとストップモーション。これぞ「キャンプ」。期待が高まる。

 ロンダは車を降り、出てきた女に近づいて抱き寄せる。この身振りのうちにレズビアン的な含意を読みとることは観客の自由。男はこのようすを盗み撮りする。女たちの関係は? 男の行為の目的は?

 ダールには盗癖があり、その科で服役していた。おまけに色情狂でもある。ロンダはその姉で、市長候補の恋人。市長候補は街にはびこるギャング団の追放を公約に掲げている。ペインはそのギャングの一味で、親分との勢力争いに勝つためにロンダに情報を提供する。ロンダとペインは恋に落ちる。市長候補は当選し、ペインは親分にとって代わる。ペインは組織の金を横領し、ロンダとの逃避行を企てる。そんな折り、ふたたびダールが窃盗で逮捕される。ロンダはペインにすがる。ペインは身内の保安官にダールの釈放を指示するが、清廉さを掲げる市長は釈放を認めない。ふてくされたダールは姉への反抗心とペインをめぐる嫉妬から家出し、ペインの別荘に身を隠す。ギャングの親玉がそこに入ってくると、寝椅子の陰から裸の女の足が揺れているのを目にする。親玉を誘惑するダール……。ラストはペインと親玉が撃ち合い、ペインは一命をとりとめる。

 セット、衣裳、女優の髪。原色に染まったノワールらしからぬ世界(むろん『哀愁の湖』という例外はある)を『逮捕命令』につづきジョン・オールトンの照明設計が艶やかな漆黒に沈める。そして『逮捕命令』につづきジョン・ペインをめぐってかれを争う二人の対照的な女が配される(髪の色こそ同じ赤毛だが)。しっかりものの姉と堕落した妹という設定だけは『三つ数えろ』の姉妹と同じだが、エロティックコメディーのヒロインみたいな姉とダグラス・サークのヒロインみたいな妹をむりやりくっつけたミスマッチが逆にそそる。ちなみに脚本のロバート・ブリースはサークの『わが望みのすべて』『心のともしび』を手がけている(すでにとりあげた『平原の女王』もこの人)。原作はジェームズ・M・ケイン。善悪のはざまを揺れ動くペインのキャラは典型的にノワール。