たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

仕事に生きる <ストーリー 月給25万9000円の市長・・>を読みながら  

2017-12-17 | 行政(国・地方)

171217 仕事に生きる <ストーリー 月給25万9000円の市長・・>を読みながら

 

今村俊也九段が見事なうち回しで、強敵黄八段に中押し勝ち。NHK囲碁トーナメントは40年くらい前から時折見ていて、20年くらい前から遠のいていました。最近再び見るようになったら、若き精鋭の一人今村さんがいつのまにか白髪も目立つトーナメント出場選手では年齢が上位に位置するようになったようです。若手は10代、20代がとても強いですね。黄さんもすでに30代でしたか、鋭い読みでとても強いと思っていたので、優位に進める今村さんも逆転されるかと思っていたら、今回は最後まで決めて緩みなく、ベテランの強さを発揮しました。

 

囲碁や将棋の世界では年齢は関係ないですね。年齢という経験を重ねれば強くなるということも内容です。非情な世界というか、自然の優勝劣敗の世界でしょうか。

 

翻って、ビジネスの世界でも、長く年功序列で終身雇用、右肩上がりの給与制は、もう過去の話でしょうか。いまなおしがみついている企業・社員はグローバル社会で取り残されていくのかもしれません。最近の20代、30代の世代では、いつまでも続くと思うな勤め先と安定収入ということが念頭にあるようですね。そのため企業での仕事以外に収入源を見つけたり、スキルを得ようと努めたりで、企業への忠誠心?といったものも薄らいでいるのでしょうか。社会の全体の状況はわかりませんが、少なくともそのような流れが着実に信仰しているように思えます。

 

他方で、国・地方自治体の歳費は、首長、議員、公務員のいずれも一定の基準で標準額があるようで、横並び式というか、多少は社会の影響を受けてカットもあるのかもしれませんが、どうも実績主義や歳費削減の動きが亀並みの進行のように見えるのは一面的でしょうか。

 

そんな中、毎日朝刊では<ストーリー月給25万9000円の市長(その1) 夕張の「サンタ」の10年>と<(その2止)夕張再生目指し格闘>の記事が円谷美晶(つぶらや・みあき)記者によって取り上げられています。

 

市長の月給259000円というタイトル、それだけで衝撃的ですね。破綻した夕張市だから仕方ないと思うのも一つですが、それを担っているのが、元東京都職員で将来を嘱望された若き青年が大幅収入減を承知で続けているとなると、注目したくなりますね。

 

その夕張市について、<北海道の新千歳空港から約40キロに位置する夕張は、かつて炭鉱のまちとして栄えた。ピークだった1960年に11万7000人を数えた人口は石炭産業の衰退で激減。観光振興策の失敗などで632億円の債務を抱えた。民間企業でいえば倒産状態となり、2007年3月から「財政再建団体」(現制度では財政再生団体)として国の管理下に置かれている。>石炭産業に続いて、たしかリゾート推進策という国を挙げての施策に追随邁進した結果ですね。行政の責任は重い、しかし、市民も無自覚だったでしょう。

 

<市長の鈴木直道さん(36)>がなぜこの厳しい自治体の首長になることを選択したのか、それは誰もが気になるでしょう。円谷記者はそれを代わってくれました。

 

出発点は10年前。<一面に銀世界が広がる北海道・夕張山系。東京都職員だった鈴木直道さん(36)は2007年12月25日、この地を初めて訪れた。08年1月21日付で夕張市へ派遣される前に、東京都の猪瀬直樹副知事(当時)らと下見に来たのだ。>

 

<当時26歳の鈴木さんは都の保健政策部疾病対策課主事だった。緊縮財政のまちに身を置くことで、削れる行政サービスとそうでないものは何なのか知りたい。夕張で学んだことを都庁の仕事に生かせるのでは--と考えたという。

 07年に財政再建団体に指定された夕張市は職員の給料を平均3割カット。将来の希望が持てなくなった管理職らが一斉退職し、残された職員が突然管理職になるなど混乱していた。>

 

丹下健三氏が設計した都庁舎の内外のきらびやかさの中から、突然、破綻した田舎の市庁舎を訪れた鈴木さんが目にした現実は予想以上に厳しいものでした。

 

<着任日は歓迎会でもしてくれるのかと思っていたが、そんな様子はみじんもない。午後5時前になると、職員たちは次々とベンチコートやスキーウエアを羽織り始めた。経費節減で庁内の暖房が切れるための防寒対策だった。気温はどんどん下がり、指もかじかみ、パソコンを打つ手の感覚がなくなった。その日の夜、百沢さんとコンビニ弁当を食べながら語り合った。「俺たち、これからどうなるのかな……」

破綻したまちの役所は暗かった。自分の仕事で精いっぱいで、仲間を助ける余裕もない。>

 

普通なら、これだけで根を上げてしまい、早く任期が終わらないか、都庁に帰れる日を指折り数える心境になるのではないでしょうか。その点、猪瀬氏のメガネに叶った青年だったのですね。

 

いや、予想を超えるほどの情熱をもった青年だったように思います。鈴木さんは、中断していた祭りに着目、<農協や青年会議所などの協力を得てまつりを復活。20万円という低予算で手づくりのイベントに生まれ変わらせた。>

 

その上、<せっかくできた住民とのつながりを生かしてもっと仕事がしたいと考え、09年3月までの予定だった派遣期間の延長を申し出た。最後の勤務を終えたのは10年3月。市職員や市民ら約50人が市役所前に集まり、黄色いハンカチを振って見送ってくれた。>

 

そう山田洋次監督作品「幸福の黄色いハンカチ」のように。ロケ地夕張の象徴でもあったように思います。この作品は登場人物は地味だが誠実に生きる普通の人たちばかり。なんでもないような生き方の中に黄色いハンカチは心からのほほえみを与えてくれているように思うのです。そんなしっかり足のついた行政運営をしていたら、夕張市は違っていたと思うのです。

 

<東京に戻った鈴木さんは、都から内閣府に出向し、地方自治を担当する。>それはそれで有意義な、名誉ある仕事であったはずです。でも鈴木さんは、物足りなさを感じたのでしょう。

 

<夕張の若い市民らから市長選への出馬を打診されたのはそんな頃だった。

 当時は婚約者だった麻奈美さん(35)との結婚を控えており、埼玉県内の団地に住み始めたばかり。財政再建のため夕張市長の年収は300万円台で、当選しても200万円近く減ってしまう。

 それでも夕張への思いが勝った。東京23区より広いのに財政破綻後は図書館もなく、6校あった小学校は1校になり、住民税も高い。仲間や友人が自分を必要としてくれるならやれることがある、と思い立って10年11月に都庁を退職。11年4月の市長選で元衆院議員ら3人を抑えて初当選した。>

 

でも彼の熱い思いは、長年慣れ親しんだ行政実務をまさにチェンジするのですから、実際直面した職員には理解不能で、空回りになる危険があったでしょう。

<まず取り組んだのは役所の機構改革。国の同意がなければ予算を変えられず「どうせ何もできない」と思考停止に陥った空気を変えたかった。>

 

鈴木さんと職員の間では厳しい衝突が繰り返されたことは容易に想像できます。

< 「これ以上、業務を増やさないでほしい。私たちに死ねというんですか」

 「私は死ぬ覚悟で仕事している。みなさんも人生をかけて仕事してください」>

 

また鈴木さんのやり方にも一方的なところが合ったようです。

<当時の鈴木さんは、国の管理下で進む財政再建を夕張の実情に合ったものに見直してもらおうと東京に足しげく通い、「夕張のセールスマン」を自任してイベントや講演を一手に引き受けてもいた。職員から「決裁が滞り、仕事にならない」「都知事と違うのだから、もっと職員のところに来てほしい」といった声が上が>ったとのこと。

 

そんなとき<派遣時代に鈴木さんの直属の上司だった寺江和俊さん(55)=現総務課長>が、彼だからこそいえるアドバイスにより、鈴木さん自身の意識を変えるようになったようです。

 

次第に地に着いた行政施策を実現するようになったのでしょう。

 

その鈴木さんの生い立ちも決して楽なものでなく、母と姉の3人で暮らし、経済的事情で大学進学を一旦あきらめ、都庁職員となり夜間大学を出たというのです。苦労して精進に努めてきたから、夕張市長としての苦労も、市民のためにと思ってやれるのでしょうか。

 

公私とも見事な生き方です。

妻となる<麻奈美さんと出会ったのも都職員時代。夕張市長就任の翌月に2人で市役所に婚姻届を提出した。2年ほど賃貸アパートに住んだ後、市内に一戸建てを購入した。「日本一給料の安い首長」と紹介される鈴木さんだが、麻奈美さんも幼稚園で働いて家計を支える。

 現在の鈴木さんは午前7時に起床し、8時半に出勤。9時からミーティングや庁議があり、来客対応や行事にも追われ、帰宅は午後10時を過ぎることも多い。>

 

そして鈴木さんは大きく前進しようとしています。

<財政再建一辺倒だった夕張市は今年3月、地域再生に向けた新規事業に10年間で113億円を投じることの了承を国から取り付け、新たな一歩を踏み出した。具体的には、第2子以降の保育料無料化▽民間アパート建設費の助成▽子育てや文化、交通の拠点となる複合施設の建設--などを進め、鈴木さんは「耐え忍ぶ10年から、夕張の将来を明るく作り上げていく10年がスタートした」と強調する。>

 

でも職員や市民の反応はいまひとつ。

 

それでも鈴木さんは<「夕張は市民にとって理不尽な状況で財政再建団体になった。それを解決することには大義がある。『大義ある逆境』を乗り越えることは、すごくやりがいがあります」。>と。

 

『大義ある逆境』に向かう青年市長、もう少し注視し、期待してみていきたいと思うのです。

 

自分の歳費や給与の増減に頓着しない公務員がもっと増えることを期待しつつ。


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