たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

死を考える <滝野隆浩の掃苔記 孤独死と生きづらさ>などを読みながら

2019-04-26 | 人の生と死、生き方

190426 死を考える <滝野隆浩の掃苔記 孤独死と生きづらさ>などを読みながら

 

今日も何かと忙しくしていて、いつの間にか業務時間が過ぎ、はたと今日のテーマをと考えるのですが、浮かびません。最近話題のネット大手による不公正取引(たとえば価格拘束)なども興味深いものと思いつつ、情報不足で今ひとつ乗り気になれません。

 

そんなとき毎日デジタル情報で、偶然<滝野隆浩の掃苔記孤独死と生きづらさ>を読みました。だいたい「掃苔」って何とひっかかりました。そえが孤独死とどう関係するのと、ひきずりこまれました。

 

で、本論に入る前に、今日の花言葉を取り上げます。長ーくまっていたのがようやく花弁が開き始めていて、まちきれずシャッターを切りました。翁草オキナグサです。名前が気に入りました。このなかなか花が開かない状態でいる様子もよかったです。で、花言葉は<オキナグサ(翁草)の花言葉>によると、<「奉仕」 「何も求めない」 「清純な心」 「告げられぬ恋」 「裏切りの恋」 「背徳の恋」>と前3者はある種の共通イメージがわきますが、4番目以降はあれれ という感じです。今日は前3者のイメージでこの翁草をとりあげたいですね。この見出しのテーマとどう関係するのか、いまのところ暗中模索ですが、欠いているうちに脈略ができればとおもうのです・・・

 

さて上記の毎日記事を書いたのは、滝野隆浩記者ですね。その「掃苔(そうたい)」の意味はデジタル大辞泉だと<墓の苔(こけ)をきれいに取り去ること。転じて、墓参り。>とのこと。でも滝野記者の文面を見ている限り、そのような限定ではなさそうです。

 

滝野記者は「孤独死」問題をフォローしているようです。もしかして私が以前、このブログで取り上げたかもしれませんが、一度書くとすぐ忘れるので、そこははっきりしません。

 

「特殊清掃」ということばも出てきたので、毎日記事で検索したら昨年1228日付け記事<記者の目平成とは 激変する葬儀と墓 最後は「お互いさま」で=滝野隆浩(東京社会部)>が上がっていました。

 

そこでは<部屋で突然死し、もし発見が遅れればそこで腐敗していく恐れがあるのだ。そうした「事故物件」の部屋を片づける「特殊清掃」の専門業者>という風に、特殊清掃を取り上げています。

 

滝野記者のこの問題の一端に遭遇した契機についても触れていて、<私が葬送というテーマに出合ったのは、平成が始まった1989年ごろ。東京と新潟に血縁に頼らない合葬式共同墓が誕生し、市民グループが初めて散骨を実施した。>というのです。

 

そう散骨は私が同士と一緒に始めたわけですから、その後のさまざまな問題が展開する契機になったかもしれません。90年代初頭は、都内で霊魂の行方や葬式のあり方、自己決定権とか、次々と多様なテーマでシンポを開催していました。それがバブル後の世相を反映していたのかもしれません。だいたいいつも大勢の人が来て立ち見状態でしたか。真剣な議論だったように思います。それは奉仕とは違いますが、純粋に何かを求めていたかのように思います。忙しくても結構楽しいひとときでした。当代の専門研究者、学者、宗教家にきていただいていました。そこに素人、一般が参加して議論していたのですから、面白いです。

 

でも滝野記者が指摘するように、<「墓じまい」(改葬)が進み、多額の「離檀(りだん)料」請求が問題になることも。「自然へ返れる」と散骨は人気だが、心ない業者がいて地元とトラブルになっている。激変ぶりは葬儀のほうも同じ。あっという間に、安く小規模で短時間にという「安・縮・短」傾向が主流になった。葬儀なしで火葬・納骨される「直葬」は地方でも急増している。>という、私たちの意図とは異なる方向に流れが加速化されたような印象もあります。

 

そのような恐れ、懸念に比べ、家制度や墓制度で自由を奪われてきた個人の尊厳、自由への熱い思いの方に、私の関心の重点があったように思います。今回滝野記者が取り上げるような問題は10数年前くらい前からようやく明確に意識するようになったわけですから、ずいぶんのんきな話です。

 

滝野記者が取り上げた横須賀の孤独死の事例、とくに<虎の子の預金15万円で「無縁仏」にしてほしいと依頼していた>ということを知り、同記者は<<私を引き取る人がいない> これほど深い絶望の言葉を、私は知らない。>と嘆きに近いことばは吐露しています。

 

私自身、横須賀で社協のお手伝いを長くやっていましたので、彼らが懸命に孤立している高齢者のために日夜苦労しているのを見てきました。実によくやっていたと思います。でも市も社協もスタッフが孤立する高齢者の数に比べればとてもわずかで、到底行き届いたサービスを全員に提供することはできません。

 

ただ、無縁仏にして欲しいと依頼した方が、絶望の淵にあったかはわかりません。むろん記者自身は自分のことと思いそう感じたのでしょう。私は諦念という思いと安らかな思いがそのメモにあらわれていないかとふと思うのです。そう思ってあげたいと考えているのかもしれません。

 

自分の遺体の引き取り手がいないことを認め、でもだれか、行政の人にでも、火葬・無縁仏として託すことで安心を得たのではないかと思うのです。託すことで安心したのではないかと思うのです。そう思ってあげたいと思うのです。それに絶望感を抱くのも人情かもしれません。でも私は安念のひとときを感じたいと思うのです。

 

記事では<「引き取り手のない遺骨」の急増を深刻に受け止めた同市は、今年5月から「終活登録」事業を開始した。緊急連絡先や遺言を記した書類の置き場所、さらに墓の所在地などの情報を市役所が預かり、事前の希望に沿って死後に開示する画期的な仕組みだ。>とのこと。横須賀市頑張っているなと、思うのです。私が関与していた当時も、身寄りのない人で判断能力が劣った人に対し、法人後見を開始したり、後見人として市民後見制度を立ち上げたり、それ以外で私の知らない分野でもいろいろ行政ニーズに対応していたように思います。

 

ところで最初の記事に戻ります。<菅野久美子さん(36)の新著「超孤独死社会 特殊清掃の現場をたどる」>が取り上げられています。それは高齢者でない、もっと若い世代にも孤独死がいて、そこに「超」がついているのでしょうね。

 

その現場を菅野さんがどのように掬い上げたかですね。<布団や食べ残したカップ麺、尿の入ったペットボトルに交じって、故人の文庫本やCD、家族から贈られた鉢植えが出てくる。モノは人の内面を映し出す。だから、見えてきた。「ゴミの部屋にいた人はずっと、『生きづらさ』を感じてきたんだと思います」>と生きづらさを指摘しています。

 

菅野さんはいじめを受けた経験から<孤独死しないためのさまざまな具体策が挙げられている。IT機器を使った安否確認のサービスや、自治体による各種取り組みも取材した。>というのです。このようにゴミの部屋になった状態であれば、やはり救済の措置を検討されてよいと思うのです。しかし、そうでない孤独死もあると私は信じています。

 

以前少し書いた記憶がありますが、死後事務委任のことです。終活とか死の作法とか、いろいろな表現で、喧伝されていますが、私は人は一人ひとりが自分で死にまじめに直面して、考え、多様な選択の道を自らの考えて選んでいくものだと思っています。むろん死後の世界にあれこれいうのはどうかと思う面もあります。他方で死後の処理をきちんと収まりつけるのも自由を享受する人であれば、けじめかなと思うのです。

 

立つ鳥跡を濁さず、ということがほんとかどうか知りませんが、人生を閉じるときそうありたいと思うのです。それはいつやってくるかもわかりません。まだ当分やってこないかもしれませんが、いつやってきても安心して迎えを受ける覚悟というか、気持ちが大事だと思うのです。その場合死後事務委任というものがうまく働くといいなと思いながら、実際にはなかなか機能しにくいかもしれないとこのことを考えるようになって思っています。

 

有形物についてはたいていはなんとか自分の責任で処理し、死後においても対応できる措置は可能だと思います。ただ厄介なのは自分の遺体ですね。まだこれはイタイというか、いい考えが浮かびません。

 

と脈略のない話となりました。おつきあいありがとうございます。どこまで花言葉の前3者と符合するかは?ですが、今日はこれにておしまい。また明日。

 

 

 

 

 

 


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