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日清戦争とは?

2013-09-15 17:30:37 | 歴史
 2013年8月2日(金)に行われた、日本近代政治史が専門の歴史学者、北海道大学名誉教授の井上勝生(かつお)氏への、岩上安身によるインタビュー。

「 井上氏は、髑髏(どくろ)の話から語り始める。1995年7月、北海道大学の古河講堂において6体の頭骨が発見され、そのうちの1体の中から「書き付け」が見つかる。その文面は、要約すると、「明治27年、韓国で東学党が蜂起した。全羅南道の珍島(チンド)は、最も悪党がはびこったが鎮圧した。蜂起した首唱者(活動家)、数百名を殺し、遺体が道路に横たわり、首魁者(リーダー)は晒し首にした。この頭骨は、そのうちの一つ。珍島の視察に際し、採集したもの」という内容。北海道大学の前身である札幌農学校の出身で、韓国統監府に赴任している男性技師が、朝鮮半島南西部の小島である珍島で、「東学農民」の遺骨を研究目的に「採集」し、日本に持ち帰ったものとみられることが判明する。

 北海道大学では、朝鮮総連や韓国の研究者らが構成した交渉団との間で、頭骨の返還交渉を進める。井上氏は、頭骨が学内で見つかった経緯を調べるための調査委員会のメンバーとして、交渉団の研究者らと情報交換や調査を進めていく。その過程で、これまで当然のように日本の教科書に記述され、学生が歴史の授業で習う「日清戦争」や「東学党の乱」について、日本にとって都合の悪い事実を隠すための「歴史の捏造」があるのではないかと、井上氏は次第に疑問を抱くようになる。

 1894年春に起きた東学農民による蜂起のあと、同年秋から翌年にかけて、朝鮮半島全土で起きた大規模な抗日運動を弾圧するために、広島大本営が「東学党討滅隊」を朝鮮半島に派遣する。そして、無差別・無慈悲な殺戮作戦を討滅隊が遂行したという事実が、当時の軍人が克明に記録していた陣中日記によって明らかになる。だが、この殺戮作戦は、陸軍参謀本部が編纂(へんさん)した、日清戦争の史実を記録する「日清戦史」には全く記載されていない。しかも、陣中日記からは、当時の陸軍兵站総監・川上操六が仁川(インチョン)の司令部に送った、「東学党に対する処置は厳烈なるを要す。向後(こうご)悉く(ことごとく)殺戮すべし」という戦慄の電報も明らかになる。

 井上氏は、日清戦争が日本側の謀略によって引き起こされたものであることや、日本軍兵士の戦死が隠蔽された疑惑、さらに「東学党」と呼称すること自体への疑問など、様々な疑惑や疑問について、調査結果や関係者の証言などを織り交ぜながら、詳しく解説する。【IWJテキストスタッフ・久保元】」

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/94362


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