白夜の炎

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出征慶応ボーイ 戦争日常の隣に 三田で遺品展/東京新聞

2014-10-07 14:28:45 | 歴史
「 太平洋戦争に赴いた慶応大生の学生生活や出征前の心境に迫る企画展「慶應(けいおう)義塾と戦争 残されたモノ、ことば、人々」が七日、同大三田キャンパス(東京都港区)で始まった。自由への憧れや恋心を吐露した遺品の数々は、収集に取り組んだ学生らが「しゃれた慶応ボーイだった」と親近感を抱く先輩たちの日常と、後に続く過酷な戦争との垣根の低さを浮き彫りにしている。 (辻渕智之)

 資料は慶大福沢研究センターの都倉武之准教授(34)や学生ら十人がOBらに昨夏から募り、提供された千点余のうち約百点を展示。学徒出陣した本人や遺族らが亡くなり処分される寸前だった資料も少なくない。

 「私は明確に云(い)へば自由主義に憧れてゐ(い)ました。(中略)現在、日本が全体主義的な気分に包まれてゐるからです」。陸軍の特攻隊員として戦死した経済学部出身の上原良司は自由への渇望を遺書に記した。

 愛読書のページごとに数個の文字を○で囲んでもいた。つなぎ読むと「きょうこちゃん さようなら きみがすきだった」。幼なじみに打ち明けられなかった思いだった。当時、慶大創始者の福沢諭吉は自由主義者とみられ、その学風は矢面にも立った。戦死した経済学部出身の学徒、原亮は中隊長が訓話で「福沢諭吉ノ害ニツイテ触レル」と日記に書き残した。

 展示では、遺族らが寄せた個別の資料を組み合わせ、例えば法学部政治学科F組だった「親友三人の学生生活」を描き出した。うち一人の手紙は、三人で作詞作曲してよく歌った歌も登場する。「♪肩をならべて行く道の 通りすがりにつんだ花 君によく似た花ゆえに 胸にさして我れ行かん」

 青春を謳歌(おうか)していた三人は海軍入りを志望。一人だけ不採用だった学生は「親友(トモ)の顔、望み叶(かな)ひて輝ける 取り残されし我身(わがみ)をかこつ」とぼやいている。三人のうち、陸軍に入隊したこの学生を含む二人が戦死している。

 展示に取り組んだ法学部修士課程の小山太輝さん(23)は「当時の慶応ボーイは写真一枚見ても立ち居振る舞いからクール。そうした面白い発見がある半面、先輩たちが当たり前に過ごした日常の中に戦争があり、軍隊があったと分かった」と話した。慶大で学徒出陣など戦死者は二千二百人以上が確認されている。

 企画展は三十一日まで。図書館展示室(日祝閉館)とアートスペース(土日祝閉館)で入館無料。問い合わせは、福沢研究センター=電03(5427)1604=へ。
(東京新聞)」

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014100790135852.html


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