白夜の炎

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尖閣問題に関する沖縄タイムスの社説

2013-01-09 19:07:00 | 政治

社説[尖閣問題]共生の海へ外交発信を

2013年1月6日 09時30分

 正月番組で息をのむ映像に出合った。国際宇宙ステーションから超高感度カメラで捉えた地球の夜景だ。人類の技術の粋を目の当たりにし、あらためて感じたのは、こうした英知が人倫には及んでいない現実への歯がゆさだ。

 尖閣諸島の領有権をめぐって中国との緊張関係が続いている。岩のような無人島を紛争の火種とする愚かさは、多くの人が認識している。それでも回避する手だてが容易には浮かばない。軍事的なリスクにも向き合わざるを得ない現状だ。だからこそ今、求められているのは、軍事に軍事で対抗する悪循環を断つ大局観だろう。

 なぜこうなったのか。東京都知事(当時)の石原慎太郎氏が「尖閣買い取り」を打ち上げたのが発端であるのは論をまたない。自らの政治的地歩を固めるために「領土」を利用するのは許し難い。が、石原氏や民主党あるいはかつての自民党政権を批判したところで事態収拾にはつながらない。かといって、「中国が悪い」というだけで済む話でもない。内向きの姿勢から脱却し、日本が苦手としてきた自主外交力を養う局面だ。

 敵と味方を措定する冷戦時代の認識は通用しない。多元的でしたたかな手腕が求められている。そんな中、安倍政権は日米同盟強化を図り、中国への圧力を強める構えだ。では、その上で中国とどう向き合うのか。肝心の道筋が見えてこない。米国にすがるだけでは中国との関係は改善しない。「日米基軸」以外に外交目標が存在しない日本外交の弱みを露呈したかたちだ。

    ■    ■

 領土問題が浮上すると、日本にも中国にもナショナリズムが台頭する。これを拡大再生産しているのがメディアである。とりわけマスメディアの責任は大きい。偏狭な「領土ナショナリズム」に踊らされず、「国民の利益」を冷静に見極める能力が国民の側にも求められている。

 中国では尖閣国有化が近代日本の覇権主義の象徴あるいは延長線上の行為と捉えられている、との指摘もある。日本でも中国の覇権主義的イメージが定着しつつある。日本人の「嫌中」、中国人の「反日」の本質から目を背けず、丁寧に解きほぐす努力が欠かせない。

 対話を重ね、相互理解を深める中で、尖閣問題は領有権の棚上げを模索するのが賢明だろう。その上で、突発的な軍事衝突を防ぐメカニズムの構築と、漁業トラブルを回避するルールづくりを先行させるのが現実的ではないか。

    ■    ■

 沖縄は台湾とともに尖閣海域を「生活圏」として共有してきた利害の当事者である。問題解決にコミットする大義はある。近代日本の版図に包摂され、その帰結として地上戦の悲劇を被った沖縄の教訓は、日中の強硬路線の転換を促す触媒になり得る。

 どうすれば争いのない「共生の海」を長期的に維持できるのか。その解は、近代国家の「固有の領土」という価値概念からは見つかりそうにない。歴史的経験に基づき、平和の懸け橋となる万国津梁(りょう)の理念の提示こそ沖縄が果たすべき役割だろう。」

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-01-06_43585

沖縄の軍事利用を拡大する安倍政権/琉球新報より

2013-01-09 18:58:53 | 政治
「空自の下地島使用 火種の拡大許されない

2013年1月9日

 防衛省は2013年度予算の概算要求に下地島空港の自衛隊活用など南西地域での航空自衛隊の運用態勢強化を模索する調査研究費を盛り込む。与那国島にも陸上自衛隊沿岸監視部隊、航空自衛隊移動警戒隊の配備が計画されており、沖縄の離島を次々と軍事拠点化する政府の方針に強い疑問、危うさを禁じ得ない。

 下地島は長年にわたり、民間パイロットの訓練専用空港として利用されてきた。その根拠は飛行場設置に当たって、1971年に屋良朝苗琉球政府行政主席と日本政府が交わした「屋良覚書」にさかのぼる。

 「日本国運輸省は航空訓練と民間航空以外に使用する目的はなく、これ以外の目的に使用することを琉球政府に命令するいかなる法令上の根拠も持たない」と明記され、事実上、軍事利用を封じている。覚書には「琉球政府が所有及び管理を行い、使用方法は管理者である琉球政府が決定する」ともある。防衛省は「屋良覚書」を尊重すべきだ。

 さらに西銘順治知事時代の79年に県は「軍事目的使用の制限については航空法の範囲内で知事の管理権で可能」という大臣見解を引き出している。

 この趣旨からしても軍事利用が制限されているのは明らかだ。従って、現在は県管理の同空港について、国が県への打診もないまま研究調査費を概算要求に盛り込む自体、越権行為だ。

 防衛省が運用を模索するきっかけになっているのは昨年12月の中国機による尖閣諸島周辺での領海侵犯のようだ。空自那覇基地から戦闘機が緊急発進したが、到着時には領空を出ていた。

 こうした状況を踏まえて至近距離に部隊展開する必要があるとの考えに傾いているようだが、領空侵犯したのは中国軍機ではなく、海洋局の航空機だ。先島に自衛隊の戦闘機を配備すれば、かえって中国を刺激して軍拡競争を招き、紛争誘発の可能性を高めよう。

 安倍政権は防衛大綱と中期防衛力整備計画を見直す方針だ。小野寺五典防衛相は現大綱の「動的防衛力」という言葉を「防衛態勢の強化に直結する感じがしない」と疑問視し、中国への警戒を強める計画にする構え。

 しかし戦争の火種をつくり、拡大しかねない動きは容認できない。安倍政権はあらゆるトラブルの外交的解決こそ注力すべきだ。」

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-201155-storytopic-11.html

マイケル・グリーンの見解/安倍政権について

2013-01-09 18:50:19 | 政治
「安倍氏のある種のタフさが評価された

――自民党の勝利は、安倍総裁の歴史、防衛、外交に関する考えが支持された結果と考えるべきでしょうか。それとも、他にいい選択肢がなかったため、消去法的に自民党が選ばれたのでしょうか?

安倍氏が自民党の総裁に選出されたのは、外交政策に負うところが大きい。総選挙での自民党の勝利は、有権者が外交政策に関する安倍氏の考えを支持していることを示唆するのだろうか、と問われれば、広い意味ではそうだと思う。

世論調査によると、日本の人々は中国を非常に不安視しており、領土問題に関して、日本に対する中国、韓国、ロシアの屈辱的な動きへの民主党の弱腰な対応に心を痛めている。

安倍氏はある種の強さ・タフさを体現しており、それが支持を得ている。しかしそれは、日本の有権者が、安倍氏の具体的な個々の提案を支持していることを意味するのだろうか。たとえば、韓国との間のいわゆる「慰安婦」問題の解決を図る目的で15年前に発表された河野談話を見直そうという提案を支持しているだろうか。靖国神社への参拝を支持しているだろうか。尖閣諸島に公務員の常駐施設を建設することを支持しているだろうか。私はそうは思わない。

思い出してほしい。石原慎太郎氏が初めて東京都知事に当選したとき、出口調査によると、有権者は近隣諸国についての石原氏の見方を支持しているわけではなかった。むしろ圧倒的多数の人々は、石原氏の断固とした姿勢を評価して石原氏に投票した、と回答していた。

安倍氏の政権復帰は、外交政策に関して断固としたタフな姿勢を支持する幅広い声を示すものだと言えるだろう。対照的に、民主党は、近隣諸国からの圧力に対して弱腰の対応をしてきたように見られている。

――安倍政権は、外交上の具体的な問題に対し、どのように対処するでしょうか? その対応いかんで、日米関係にはどのような影響があるでしょうか。

安倍政権の総選挙での勝利は、河野談話の見直し、靖国神社への参拝、尖閣諸島への公務員常駐施設の建設などについて有権者が支持を表明したものだ、と結論づけるとしたら、それは大きな誤りだと思う。


マイケル・グリーン
CSIS上級副所長/ ジョージタウン大准教授
1961年生まれ。94年ジョンズ・ホプキンス大学助教授。97年アメリカ国防総省アジア太平洋部局特別補佐官。2004年米国家安全保障会議(NSC)上級アジア部長兼東アジア担当大統領特別補佐官、05年より現職
これらの問題について、一般の人々に対し「そこから生じる影響と切り離して賛成か反対か」を問えば、大多数はこのうちのいずれの問題についても、「賛成だ」と回答するだろう。

しかし、「河野談話の見直し、靖国神社への参拝、尖閣諸島の公務員常駐施設の建設は、日中関係だけではなく、日米関係やオーストラリアをはじめとする地域の国々との関係をも損なう可能性がある」と告げたうえで賛成か反対かを問えば、人々はこれらの動きに賛成しないだろう。これが現実だ。

河野談話の見直しと尖閣諸島への公務員常駐施設の建設は、日米関係にマイナスの影響を与える可能性がある。これらと比べると重大さは低いものの、靖国参拝も同様だ。

このような理由から、安倍氏の外交政策アドバイザーたちは、これらを実行することの影響について警告している。悪影響を生むことなく実行できるなら、これらの措置は理屈のうえでは支持されるだろう。しかし、日本の対中国戦略に悪影響を及ぼしかねないという理由から、実行に反対する声が優勢となるだろう。このような考え方と対極にあるのが、菅義偉元総務大臣など安倍氏にイデオロギー的な観点からアドバイスを与える人たちだ。

――なぜ河野談話の見直しと、尖閣問題への対応が日米問題に害をもたらしうるのでしょうか。

米国政府内では、これらの措置は割に合わない、挑発的な動きだと受け止められる可能性がある。尖閣問題に関する日本のアプローチについて、米国政府内で深刻な議論を巻き起こしかねないからだ。

ジョージ・W・ブッシュ大統領が政権の座にあった8年間のほぼ全期間を通して、安倍氏は非常に高く評価されていた。安倍氏は、非常に賢明で戦略的思考に長けた人物として、また日本がオーストラリアやインドなどの民主制諸国と歩調を合わせることの重要性を理解している人物として、正当に評価されていた。確かに安倍氏は、日米同盟の重要性を理解していた。

安倍氏は2006年に総理大臣に就任した際、中国および韓国との関係を改善させた。10年前に米国の政権内にいた人たちは、安倍晋三氏について極めて肯定的な見方をしている。日本の外交政策を極めて戦略的かつ賢明に仕切る人物だったからだ。

しかし、オバマ政権内部の人たちは、安倍氏に関するこのような見方を共有していない。オバマ政権においては、発足当初からずっと、アジアにおける勢力の均衡を重視するグループと、中国との戦略的協力を推進する必要があると考えるグループとが対立してきた。

中国が南シナ海および東シナ海で挑戦的な動きを見せたため、両グループの違いは狭まり、米政権内部では「アジア重視」で足並みがそろってきている。

ところが、尖閣問題については、一方の側を支持するのは挑発的すぎるのではないか、という議論が政権内部にある。

米国が、領土問題については「中立」の立場をとるとする一方で、「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用範囲内だ」と明言することについて、オバマ政権内には難色を示す高官が複数存在する。これら高官は中国から、「米国が日米安保条約の第5条に言及することは挑発的であり、米国は中立的立場をとるとだけ明言すべきだ」と告げられている。中国の主張は、オバマ政権内の一部にある程度の共感を呼んでいる。

オバマ政権でも、大きな論争が起きうる

オバマ政権は、安倍氏が非常に戦略的かつ賢明なやり方で、同時多発テロや北朝鮮問題に対処し、日米同盟を取り扱ったことを、現場で目の当たりにしたわけではない。そしてオバマ政権内部では、米国の対中国政策は、東アジアにおける勢力均衡をどの程度重視し、中国を安心させることにどの程度の基礎を置くかについて、意見が分かれている。

そこでもし安倍氏が、たとえば尖閣問題についてこれまで主張してきたことの一部でも実行することになれば、オバマ政権内部で尖閣問題をどう取り扱うかについて大きな論争が起こるのではないかと思う。

そうだとすると、安倍氏を取り巻く外交政策専門家たちは、安倍氏がこれまで主張してきた内容の一部は中国に対する日本の立場を弱くする可能性がある、と忠告するようになるのではないか。

もちろん、安倍氏を取り巻くこの人たちは、中国を喜ばせようとしているのではない。彼らは戦略的なものの見方に長けた人たちだ。日米を引き離しかねない政策を現時点で推進するのは賢明な戦略ではない、とわかっている。

河野談話の見直しは、結果的に中国を利する

また、河野談話の見直しについての議論も、極めて深刻な問題を引き起こす可能性がある。日米韓の三カ国間の関係が悪化すると、北東アジアにおける米国の戦略的立場が大きく弱体化する。

なぜなら、そうなれば北朝鮮に対する圧力が弱まることになり、また中国にとっては、近隣諸国を互いに反目させて分断するという、これまでも使ってきた外交政策上の戦略が、今まで以上に遂行しやすくなるからだ。

日本と韓国の関係悪化は、米国の戦略的政策にとって手痛い敗北となる。

今回の件では、国内政治上の理由から竹島に上陸し、天皇を侮辱した李明博大統領こそ、大いに非難されるべきだ。

しかし韓国ではもうすぐ新しい大統領が誕生する。これは日韓関係を再起動させるためのよい機会だ。それなのに、もし韓国の新政権が発足して最初の数カ月に、日本が河野談話を見直したいという意図を表明することになれば、米国政府は「日本は米国の国家安全保障および日本自身の国家安全保障を弱体化させる方向に進んでいる」というように見るのではないか。そのなれば、中国を、この状況を巧みに利用できる立場に立たせてしまうことになる。

東アジアサミットでは、李明博大統領は野田首相との面談を拒否する一方で、中国の温家宝首相とは面談した。また中国と韓国の外務大臣は共同声明をまとめ、日本が右傾化しているとして懸念を表明した。

これは米国の外交政策という観点からすると、非常に困った傾向だ。日本と韓国は本来同じ側に立つべきだ。

――河野談話の見直し、靖国参拝、尖閣諸島への公務員常駐施設の建設が、結果として、中国を利するとあなたは主張しています。そのことを、安倍氏は十分理解していると思いますか。

私は、安倍氏はこの点を理解している、と楽天的に見ている。

理由は2つある。第一に、それまで内閣官房長官を務めていた安倍氏は06年に首相に就任すると、政治家として成長した。内閣官房長官の立場で追求してきたアジェンダの一部を取り下げた。中国との関係を安定化させ、韓国との関係を強化し、オーストラリアおよびインドとの間で新たな安全保障合意に道を開くスタンスをとった。これらは外交政策に関する大きな業績だった。安倍氏はこの点がよくわかっている。

第二に、安倍氏に助言するアドバイザーには2つのグループがある。一方は、安倍氏や菅義偉元総務大臣を含む同世代のグループで、1990年代に発表された河野談話に憤慨している。彼らは、河野談話はいわゆる「慰安婦」問題を、90年代当時にボスニアで問題となっていた性的暴行と道義上同じだとでっち上げるものだととらえた。こういう文脈で、河野談話は問題視されてきたのだ。

90年代当時ボスニアでは、戦争の道具として性的暴行を利用するという問題が起こっていたが、安倍氏や下村博文氏をはじめとするこの世代の人たちは、第2次世界大戦当時の日本が本質的にこれと同じことをしていたと認める河野談話に、強い憤りを感じた。実際には、この2つはまったく別物だ。ただしその違いは、日本に対する非難を特に軽減するものではない。

現時点で安倍氏がこれらの問題を重視するのは、石原前東京都知事および橋下大阪市長と足並みをそろえたい、右派の中で彼らに出し抜かれたくないという政治的努力なのだ、という解釈もできる。

しかしこの世代の政治家の一部に、河野談話が発表された経緯について強い憤慨があるのも事実だ。これには非常に根深いものがある。

その一方で、安倍氏の周りには、保守的だけれども賢明で戦略的な思考に長けた人たちがいる。元外務事務次官の谷内正太郎氏、自民党の塩崎恭久氏、JR東海の葛西敬之氏などがこのグループに含まれる。

彼らはそれなりに愛国心が強いけれども、特定の行動が国際社会の中で生み出す影響が見えている。また、とりわけ中国に対処するうえでも、積極的に日本の国力と影響を強化しようとしている。

選挙運動期間中というのは特殊な時期だ。右派の石原慎太郎氏や橋下徹氏が注目を集めようとしており、一般の人々は日本がこれまで外国からいいように扱われてきたことに戸惑いを感じ、安倍氏はいまだに河野談話に憤慨している。このような文脈の中で、イデオローグたちが勢いづくのは驚くことではなく、どこの国においても選挙期間中にはよくあることだ。

しかし、いったん政権を担当する側に回れば、戦略的な考え方に長けた人たちが優勢になると思う。安倍氏はかつてそれを経験しており、政権の運営と選挙運動とは違うことを知っている。

とはいえ、私は100%の自信を持ってそうなると言い切ることはできない。今回の総選挙は、日米関係にとって非常に重要な意味を持つ転換期になるだろう。

安倍政権は、鳩山・菅政権よりずっと望ましい

私が安倍氏に期待したいのは、海洋諸国と手を結び、防衛費を増額し、日米同盟を強化し、集団的自衛権の行使を認め、その一方で日中関係の安定化に努めるという戦略だ。こういった戦略は、鳩山政権および菅政権が進めた戦略よりもずっと望ましい。

野田首相自身は、これらの問題について非常に優れた手腕を発揮している。しかし、支持率の低迷と、内部がばらばらな民主党に足を取られて、動きがとれない。

安倍氏にはこれまでとってきた戦略的姿勢を貫いてほしい。中国では、次期リーダーに決まった習近平氏が一貫して、中国の東シナ海および南シナ海に関する政策の背後にいるからだ。これらの政策は、習近平氏と無関係に生み出されているのではない。

習近平氏はこれら政策が導入された当時、中央軍事委員会の副議長を務めていた。個々の戦術上または作戦上の詳細には関与していないかもしれない。しかし一般的に、中国はいわゆる「近海」を統治下に置こうと主張していると言われているが、そこには習近平氏の影が見え隠れする。

しかし習近平氏もまた、現実主義者かつナショナリストであり、しかも戦略的思考に長けた人物だ。

現実主義的で戦略的な考え方をするナショナリストの2人が相対することには、プラスの面もある。いずれの側にも譲歩する余地はなく、したがってある意味ではそれが状況を安定化させる。つまりもし一方が弱腰または予測不可能に見えれば、他方が強い態度に出ようとする。しかしもし双方が同程度にしっかりとした動じない姿勢を貫けば、緊張緩和策を模索するインセンティブが働く。どちらの側も緊張が高まるのを望まないからだ。

ともに海洋を重視する戦略的なナショナリストである安倍氏と習近平氏が相対することで、日中両国は緊張緩和に向けた戦略を指向する方向に動くだろう。

安倍氏がこの状況を有利に展開するには、米国をはじめとする海洋諸国との関係を強化しなければならず、韓国と争うことはできない。

中国政府高官と会って感じたこと

安倍氏は深く、個人的にも河野談話に憤慨している。また安倍氏は、中国は自国が優位に立っていると考えていると見ていて、日本の決意をしっかりと示すためにはさらなる手段を講じねばならないと確信している。

尖閣諸島に施設を建設するという議論は、単に大衆迎合主義から出たものではない。この議論の背後には、中国はここ数年間にわたり自国のほうが優位に立っていると考えている、という見方がある。私自身、中国政府の高官たちとの交流の中で、彼らは実際に中国が優位にあるとの見方をしているとの感触を得た。

安倍氏の言説の背景にあるのは、単なる大衆迎合主義のナショナリズムではない。安倍氏は、一線を画したいと考えているのだ。安倍氏とその周辺の人たちは、たとえば、国が尖閣諸島の所有権を取得しただけでは不十分だと考えている。それに加えて、橋下氏や石原氏との、右派の主導権争いがある。

また別の要因としては、かつて米国政府が北朝鮮への対応に関して勝手な単独行動をとったことがあったが、安倍氏には、そのとき北朝鮮政策に関してブッシュ政権に煮え湯を飲まされたとの思いがある。本人からそれを聞いたわけではないが、安倍氏がこの経験から、自分の意見を貫くのがベストだ、との結論に至った可能性はある。

以上のような理由から、安倍氏が今まで主張してきたことの一部を実行に移す可能性を否定し去ることはできない。」

http://toyokeizai.net/articles/-/12157
http://toyokeizai.net/articles/-/12167?page=1

アベノミックスのウソ

2013-01-09 18:23:31 | 経済
 藻谷俊介(もたに・しゅんすけ)氏/スフィンクス・インベストメント・リサーチ代表取締役エコノミスト(1962年生まれ。85年東京大学教養学部卒業。住友銀行、ドイツ銀証券を経て96年に独立。日経ヴェリタス「人気アナリストランキング」の常連)の見解


「安倍晋三首相の発言と経済政策で、円安と株高が起きたと言われます。本当に経済は良くなるのでしょうか。

「無制限にやれば良くなる」のウソ

藻谷:ちょっと、アベノミクスはどうかと思いますよね。国土強靭化のために公共投資を増やし、一方でマネーを供給して流動性を高めるという。それは、どっちも過去、やってきたことじゃないか、と。それで経済が良くなるんだったら、とっくに良くなっているはずですよ。

 まるで、これまで何もやってこなかったかのように言う。その上、「外国人が期待している」というストーリーまで作ってしまって。単なる参院選に向けたパフォーマンスじゃないかとさえ思ってしまいます。

 「10兆円規模」と言っても、真水(経済政策のうち政府が直接負担する財政支出)がどれぐらいか分からないし、(政策の)実体も分からない。言えることは、過去に真水で10兆円を超える景気対策が打たれてきたが、経済が回復しなかったという事実。それで、今更なんなのだろう、と思いますね。

 つまり、「リフレ論者」と呼ばれる人たちの発言で、私が理解できないのは、「無制限にやり続ければ、いつかは良くなる」みたいな、極めて危なっかしい議論をしていること。しかも、最終的にどれぐらいやるのか、彼らは正直言って計算できていないわけです。こういうものに「政策」という名が付くのか、という気すらします。

 ただ、それを応援する人がいるのは確かです。干上がってきたゼネコンとか、厳しい経営状態の業界にしてみれば、すごくありがたい。消費税を引き上げたい財務省も、とりあえず目先だけでも景気が良くなれば、別にデフレ退治なんてできなくてもいいじゃないか、と。周りに「リフレ論者」のサポーターがたくさんいるのは分かるんだけど、政策の中身が非常に空虚だという気はしますよね。

自民党でもまともな人は反対している

「空虚」だけで終わればいいのですが、ネガティブな効果は出てきませんか。

藻谷:ありますよ。投資家と話していても、「マネーを刷ったり、あるいは外債を買ったりすることについて言えば、あまり実害は感じないけど、大規模な公共投資をやるというのは、明らかに日本の国力を弱める」とはっきり分かっている。財政赤字を心配しているんです。しかも、工事の対象が堤防とか、乗数効果のないものばかりでしょう。どうかなあ、という感じがしますよね。

こういう時に限って、トンネルの壁が崩れたりします。

藻谷:そうそう。アメリカでもほぼ同時にトンネルの壁が落ちたじゃないですか。そういうことは起こりますよ。それなのに、「日本の1960~70年代の建築が一斉にボロが出てきて、ものすごい金額のカネが必要になる」という声が沸き上がる。これは悪のりした議論だと思いますけどね。いくつか、そういうことが発生する危険はあると思いますが、大げさに語っている。公共工事よりは、まだ森(喜朗)内閣時代のIT戦略の方が、同じカネを遣うんだったらよかったんじゃないかな。

インフレターゲットを2%に設定するように日銀に強要しました。「言うことを聞かなかったら、日銀法を改正する」と。

藻谷:好ましくないですよね。石破(茂・自民党幹事長)さんも反対しているんでしょう。自民党でもまともな人は反対するんじゃないかな。

 でも、とりあえず日銀が折れたのは、「表現で何とかごまかせる」と思っているからでしょうね。だって、日銀はもともと、「(インフレ率)1~2%」をメドにしているわけですし、その上限を目指すと考えれば、今までと言っていることは何ら変わらない、ということになりますから。ただ、「3%」と言われたら、「それはどうか」と思うだろうけど。

「安倍トレード」は虚像

 今、おカネを刷らなければならないことは、実は別の理由があります。アメリカがQE3(量的金融緩和第3弾)をやっているわけで、このままでは日米のマネーサプライのバランスが崩れてしまうんです。そうすると、為替がドル安円高に振れることになりかねない。

 米国はQE1とQE2でマネタリーベースが急増しましたが、ここに来て横ばっている。一方、日本は2003~2005年にカネを大量に刷ったんですが、円キャリートレードによって海外に逃げていってインフレが起きなかった。ただ、その後、円安がやってきたので、ちょっとインフレが起きたという形になったわけです。

 日銀は震災直後からマネタリーベースを増やして、昨年に入っても右肩上がりで増やしてきた。実は、日米のマネタリーベースの差が重要で、これと為替レートには相関関係が見て取れます。日本が(金融を)緩めると米国のマネタリーベースを上回って「勝った」状態になる。実は、日銀の白川総裁はがんばって米国を上回ってきて、それが今の円安の要因になっている。別に「安倍トレード」ではないんです。安倍さんと無関係の様々な現象の結果として、今の金融の様々なことが起きている。

 で、これをもう一回、QE3で米国に巻き返されると困る、と。そこで、日本もおカネを刷らざるを得ない。つまらない戦いだと思いますけどね。

 日本も表向きは「日米同盟」だけど、この喧嘩は買わざるを得ない。米国がQE2を仕掛けてきた時は、たまたま震災があって、日本もカネを刷ってマネタリーベースを上昇させている。この日米の動きがほぼ重なって相殺されたんです。

 日銀は、こうした点で見ると、マネタリーベースの上昇は仕方がないと思っているんじゃないかな。だから、安倍首相に「協力しましょう」と。どっちにしても、QE3が出てきたタイミングで、対抗措置を取らなければならないわけですから。

犠牲者は新興国

逆に言うと、日銀は「安倍首相が言うから、仕方なくやっているんだ」という形にして、本当は自分たちがカネを刷りたい、と。

藻谷:そういう形にしてやる、と。ただ、インフレターゲティングは日銀の方針に反するので、それは誤魔化しながらやっていく。そもそも1~2%と言っていたわけなので、まったく目標がないわけではない。

 今、金融マーケットが良くなっているのも、「円安期待」があるからで、これが円高になってしまうと、バタッといくかもしれない。「裏切られた」と感じて。

 でも、カネの刷り合い、という戦いは空しいものですよ。無益です。何兆円も使って。

このマネタリーベース戦争って、やり続けた副作用はどう出てくるんでしょうか。

藻谷:世界ベースでのインフレになりますよね。根本的な誤謬は、先進国ブロックでは資本と財の移動がほぼ自由になっているので、一国で刷ったおカネの影響が、国の内部にとどまらないということです。唯一の閉鎖空間は「地球」ということになるけれども、それぞれの国家は「閉空間」ではないわけです。だから、内部において公共投資の需給バランスを変えるという発想なわけですよね。需要を増やして、供給とのギャップを埋めて、デフレを抑えるという。これはケインズ的発想です。

 マネタリストの発想でいくならば、カネを刷って、国の内部にインフレを発生させる。だけど、2003~2005年の段階ではインフレが発生しなくて、カネは海外に流れてしまった経験がある。すでに一回、裏切られている。それで世界にインフレが流れていく。そして、アメリカや中国でバブルが起こったりする。結果、今度は(金融)引き締めをしなければならない。

 経済大国がマネタリーベース戦争をやると、最初に困るのは新興国です。先進国はそう簡単にインフレにはなりません。賃金も高水準だし。どこでインフレが発生するかといったら、需要が強い新興国になってしまう。それで一斉に引き締めに走らなければならなくなって、景気が悪化する。そうなると、新興国にモノを売っていた先進国も困ってしまう。それが今回のリーマンショック以降の流れの中で起きてきたことです。こうした事態が今後、また起こる。しかも、よりプレーヤーが増えて、大規模になって。

「陳腐な政策」の意外な効果

アメリカに対抗しているが、困るのは日米ではないわけですね。

藻谷:その害は他の国に現れる、というわけです。日本がインフレになることは、まずないでしょうね。

 でも、つまらないですよ。同じ1兆円あったら、量的緩和に遣うのか、1兆円遣ってドルを買うべきなのか、分からないですよね。今までは介入というオプションもあったわけです。でも、通貨介入は「不自然な動きである」ということになっている。「良くないことだ」と。

 ところが、おカネを刷るんだったら「マクロ政策」として文句は言われない。しかも、刷っただけで「見せ金」なんですよね。おカネが実際に流れるというよりは、どれぐらい刷ったかマーケットの人たちが見て、「それじゃあ、どっちを買うか」と決めるというね。そういうエサでしかない。やっかいですよね。

 だから、アベノミクスは、全然新味のない政策ですが、マネタリーベースを増やすという観点から言えば、日銀は「仕方がないのかな」と思っている。売られた喧嘩は買うしかないわけなので。

 安倍政権になって「アメリカと仲良くなる」と言われていますが、少なくともアベノミクスは、アメリカに対して挑発的ですよ。「なんだ、俺たちの効果をチャラにする気か」と。

そこまで安倍首相は考えてない、という可能性はありませんか。

藻谷:なきにしもあらず、です。「リフレ策をやるんだ」と単純に思ってやっているかもしれませんね。アメリカに対するカモフラージュとしては、その方がいいとも言えます。

 ただ、公共投資との組み合わせは、どういうことなんだ、と。宮澤(喜一)政権からずっとやってきて、1998年に金融破綻が起きた。あの時、「これまでの公共工事は何だったんだ」というひどい状況になってしまったじゃないですか。

 それなのに、私にこう聞いてくる人がいるんですよ。「あなたは公共工事派ですか、お金を刷る派ですか」って。どっちも嫌だって(笑)。その2つしかないのか、と。

 ただ、マーケットとのコミュニケーションは重要で、これまで日銀は「為替レートは関係ない。マーケットが決めることだ」と言ってきた。だから、市場から日銀はなめられていたわけですよ。「何をやっても、日銀は文句を言わないんだ」と。

 でも、今回を契機に、「我々は為替レートを、すごく重視しているんだ」っていうことを前面に打ち出して、「下手なことをやると、ヤケドしますよ」と。直接、為替介入にカネを出すのは財務省ですが、日銀も外債を買うというオペレーションをすれば、為替介入したのと同じことになる。

 日銀は、実は重要なポジションを占めていて、様々なことができる。「日銀が本気で為替をウォッチしている」ということになってきた時、マーケットに与える影響は大きいと思いますね。そもそも、「為替は関係ない」と日銀は言えなくなってきているんだろうな、という気もしますし。

アベノミクスは、本人が意図しない所で効果がある、と。

藻谷:単純に経済政策として見た時、アベノミクスは陳腐なものですよ。でも、マネー戦争という側面を考えると、少し意義があるかもしれませんね。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130108/241955/?P=1

中国の時代へ

2013-01-09 18:07:14 | アジア
「030年、「中国の覇権」で機能しない日米同盟

(2012年12月13日 Forbes.com)

 筆者は前回の記事で、日米安保体制は時代遅れだと指摘した。言わんとしたのは、圧倒的支配力を持つ中国を軸とする日本以外のアジア地域は、急速に強大かつ豊かになりつつあり、今後もその傾向は続くだろうということだ。これは米国や欧州、そして日本との相対関係でも同じである。アジア、そして特に中国はすでに、日本にとって最大の輸出先であり、日本企業の最大の投資先だ。

 こうした傾向が続くのであれば、アジア諸国が日本の安全保障戦略に影響を与える、というよりそれを決定づける可能性がある、もしくは当然そうなると見るべきではないか。また冷戦の産物であり、対中国でも冷戦の論理を必要とする日米同盟はどう見ても、日本はもちろん、米国にとってすら無意味になるのは明白ではないか。

 この問題と関連するのが、国家情報長官の承認のもとに米国家情報会議(NIC)が取りまとめ、12月10日に発表した報告書「2030年の世界展望:変貌する世界」である。同報告書は中国経済が米国を抜くと予測したことから、様々なメディアで大きく報道された。以下は報告書からの引用である。

 「大きな構造変化の結果、国内総生産(GDP)、人口、軍事費、技術への投資規模で見た2030年時点のアジアの影響力は、米国と欧州の合計を上回っているだろう。おそらく中国はその数年前に米国を抜き、世界最大の経済大国となるだろう」

 「一方、欧州、日本、ロシアの経済は、今後も相対的にゆるやかな衰退が続く可能性が高い」

 次の段落にはこうある。

 「米国は国力を構成する幅広い側面で優位性を持ち、また長年世界で主導的地位にあったことから、2030年においても超大国の中で“同輩中の首席”の立場を維持するだろう。その経済力もさることながら、国際政治における米国の支配的地位は、軍事や経済のハードパワー、ソフトパワーの双方において幅広い優位性を維持したがために生じた。だが他国の急激な台頭により、“米国の一極体制”は終わり、1945年に始まった国際政治におけるアメリカ優位の時代“パックス・アメリカーナ”は急速に終焉に向かいつつある」

 ここではっきりと指摘しておこう。報告書の言うとおり、米国はこれから20年というわずかな間は、世界の中で“同輩の中の首席”にとどまれるかもしれないが、世界のあらゆる場所でというわけではない。特に最も変化が激しく、成長力の高いアジア地域では、そうならないだろう。この地域の支配的勢力は中国になるはずだ。

 米国を含めた域内のあらゆる国に必要とされるのは、この急速に姿を現しつつある新たな現実に対して、自らの国益を最大化する戦略を受け入れ、実行することだ。

現状は維持できる、変わらないという希望的観測にしがみつき、冷戦時代の精神や考え方を復活させようとする試み(ウォール・ストリート・ジャーナル紙までがこのような論調を取っている)は、現実離れしており、非生産的だ。

 アジア地域に必要なのは、それぞれの国が国益が何かを改めて検討し、それに即した行動をとることだ。それぞれの国が中国との「当面のつき合い方」を模索し、中国との関係を軸に他国との関係を構築していくことを迫られる。日本も、そして米国も例外ではない。われわれが今後目の当たりにするのは、「パックス・シニカ(中国の覇権)」とも呼ぶべき新たな地域秩序の台頭である。日米安保体制をこの新秩序に当てはめることはできないし、そうはならないだろう。日本と米国の重要な国益に照らしても、その必要性はない。

by Stephen Harner (Contributor)

(c) 2012 Forbes.com LLC All rights reserved」

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1803R_Y2A211C1000000/?df=1

B787のバッテリーはGSユアサ製/問題深刻化は必至

2013-01-09 17:49:12 |  北米
 「GSユアサ、「ボーイング787にリチウムイオン電池全量供給」

時事通信 2013/1/9 16:41

 ジーエス・ユアサ コーポレーション <6674> は9日、米ボストンの空港で日本航空 <9201> ボーイング787機が出火トラブルを起こした件について、「ボーイング787機のリチウムイオン電池は全量当社が供給している」ことを明らかにした。また、「事故の原因がリチウムイオン電池にあったかはどうかは、確認している最中」とし、コメントなどは公表していない。」
http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20130109-00000093-jijnb_st-nb

 また湯浅は以下のHPで自社が受注していたことを明らかにし、バッテリーに関する情報も提供している。
http://www.gs-yuasa.com/jp/nr_pdf/20050623.htm


 このバッテリーについて、アメリカの運輸当局は以下のように発言。

「【ニューヨーク共同】米運輸安全委員会は8日、日本航空の新鋭機ボーイング787が米東部マサチューセッツ州のボストン国際空港で7日に起こした出火によるバッテリーの焼損程度が「深刻」との見解を示した。新たに調査官2人を派遣し、態勢を拡充する考えも明らかにした。AP通信が伝えた。

 APによると、今回発火したリチウムイオン電池は高温で燃えて消火が困難になることがあり得るため、重大な関心が持たれている。運輸安全委は日航機の消火活動に40分を要したとしている。」
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013010901001243.html

 原因の究明が急がれるのはもちろんだが、今後ユアサ製バッテリーの不適格ということになれば大きな問題になることは避けられないだろう。

韓中合作で従軍慰安婦を描く映画

2013-01-09 17:30:29 | アジア
「【密陽聯合ニュース】旧日本軍の従軍慰安婦被害者をテーマに制作される韓中合作インディペンデント映画「音叉」(原題)の撮影が慶尚南道・密陽で本格的に始まった。

 同映画は日本植民地時代に中国に連行された密陽出身のパク・オクソンさんの実体験を基に描いたもので、地元住民の関心も高い。密陽市は9日、同映画制作を行政支援すると明らかにした。昨年12月からソウルや中国で撮影に入っていた同映画の約7割は密陽市で撮影される予定だ。


撮影現場の様子=(聯合ニュース)
 就職を斡旋(あっせん)するとの言葉にだまされ中国に連れて行かれた女性を中心に、その孫にまで続いた苦悩を描く。

 同映画は慰安婦被害者への思いを共有する映画人たちが、出演料を受け取らずに演じていることでも注目を浴びている。作品性を認められ、韓国映像コンテンツ振興院が制作費の一部を支援する。メガホンを握るチュ・サンロク監督も調査官役で出演する。

 制作陣は映画の収益金を全額、従軍慰安婦の歴史を伝える事業に寄付する計画だ。8月中旬に公開予定。

sjp@yna.co.kr」

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2013/01/09/0200000000AJP20130109002200882.HTML

IBMに吹き荒れる解雇の嵐

2013-01-09 17:08:39 | EU
「「ルーマー(噂)は真実だった」

 あるIBM社員は、不安を隠さない。

 ドイツでコストカッターの異名を取ったマーティン・イェッター氏が日本IBMの社長に就いたとき、大規模なリストラが始まるとの見方が流れた。報道陣に真偽を問われたイェッター社長は、「それはプレスが言っているルーマー(噂)だ」と一蹴したが、その舌の根も乾かぬうちに常軌を逸したクビ切りが始まった。

 複数の社員によれば、それは決まって夕方、退社時間の少し前に起こる。上司から突然呼び出され、別室で解雇が通知される。併せて「退社時間までに荷物をまとめて会社を出るように。明日からは出社に及ばず」と告げられる。業務の引き継ぎもなければ、同僚へのあいさつもない。問答無用で社員を叩き出すこうした解雇は、ロックアウトと呼ばれる。

 解雇理由は「個人の勤務成績不良」というが、どの解雇通知にも同じ定型文が印刷されているだけ。その内容は「貴殿は、業績が低い状態が続いており、その間、会社は様々な改善機会の提供やその支援を試みたにもかかわらず業績の改善がなされず、会社は、もはやこの状態を放っておくことができないと判断しました。以上が貴殿を解雇する理由となります」というもので、一言一句変わらず、個人ごとに業績や努力を検討した形跡はうかがえない。

 IBM関係者が語る。

「しかもその際、自ら退職する意思を示せば解雇を退職に切り替え、退職加算金と再就職支援をする、と付け加えるのです。それを選べば、解雇撤回を争う道はほぼ閉ざされますが、切羽詰まったなか、加算金を選ぶ被解雇者が多いようです」



●解雇撤回を求めた裁判始まる

 そうしたなか、JMIU(全日本金属情報機器労働組合)日本アイビーエム支部に所属する3人が、解雇撤回(従業員としての地位確認)を求め会社を訴えた裁判の第1回口頭弁論が、12月21日、東京地裁で開かれた。傍聴席の定員98人の大法廷(103号法廷)が同僚や友人らで埋まるなか、解雇された原告男性が意見陳述に立った。26年間尽くしてきた会社から9月20日にクビを告げられた彼には、小学1年生の息子がいる。

 妻が彼に言った。

「小1の息子にとって、働いていないお父さんはありえない」

 彼も「ありえないな」と考え、妻子と別居し、実家に越した。息子には「実家のほうが会社に近いから、実家から通うね」と言い含めて。

 弁論が終わった後、彼は「解雇されてから、私は悲しい気持ちを封印することで、なんとか生きてきました。それが裁判の準備のなかで封印を解き、気持ちを公にすることにしました。陳述を原稿に起こしている最中も涙がこぼれましたが、満員の傍聴席を見て勇気が湧きました」と振り返り、こう付け加えた。

「解雇を撤回させ、この社会が幸せに満ちていることを息子に伝えたいんです」
 彼が意見陳述で明かした「Uの話」には、どよめきも起きた。

 上司が親指と人差し指で「U」のかたちをつくって見せ、「これだろ?」と質問。「Uですか。ユニオン、組合のことですね?」と答えると、「活動やっているのか」「これ(U)は良くない」と言葉を重ねた、という。別の上司は「組合に入っていると不利な査定がなされるという事実を知っていますか」と迫った、と彼は述べた。

 こうした言動の詳細、さらに今回の解雇との関連は現時点では不明だが、「この解雇は労働契約法第16条(合理性と相当性を欠いた解雇の禁止)に違反するが、組合差別が理由なら、労働組合法に違反する不当労働行為になる」とベテラン労働弁護士は解説する。日本IBMは組合員も対象に含むロックアウト型解雇について組合との団体交渉を誠実に行わなかったとして、東京都労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てられている。

「9月の1カ月だけで200人が切られた」(中堅社員)とも言われるIBMリストラだが、「現在、職場は不気味なほど静かです。予断は許しませんが、裁判に立った3人の勇気が、ひとまず新たな解雇を止めているのだと思います」とJMIUの三木陵一書記長は言う。

 IBM解雇は国会でも取り上げられ、2012年11月13日の衆議院予算委員会で野田佳彦首相(当時)は、「もしそういうことがあるならば、それはあってはならないやり方であります」と答弁した。

 折しも、電機業界では13万人リストラの真っただ中だが、「ほとんどは希望退職」(業界関係者)。先の弁護士のコメントにもあるように、正社員を簡単には解雇できないからだが、万が一にもIBMの「あってはならないやり方」(野田氏)がまかり通ってしまえば、今年は「派遣切り」ならぬ「正社員切り」の嵐が吹き荒れかねない。
(文=北健一/ジャーナリスト)」

http://news.livedoor.com/article/detail/7294109/

さすらいの安倍外交―今度はアセアンへ

2013-01-09 16:29:01 | 政治
 オバマとの会見を断られ、2月中に会う予定で調整中と言いながら、いまだアメリカのOKをもらえない安倍は、どうやら先にアセアンを訪問するようだ。

 アメリカは安倍政権が国家主義者・民族主義者の集団であり、とんでもない右翼集団である日本会議のメンバーが多数閣僚に入っていることにも深刻な懸念を持っていよう。
(日本会議→http://www.nipponkaigi.org/)

 日本会議はHPを見れば明らかな通り、戦前の日本の侵略を否定し、残虐行為を生みだした政治を賛美する立場にたつ、とんでも政治集団である。

 こんな組織に日本の政財界のメンバーがな歩連ねていることはそれこそ日本の恥であるが、それ以上に今や日本の存否にかかわる安全保障上の最大のリストになっている。

 こんな内閣、そしてあの安倍では、民主主義を掲げる、そして第二次大戦の戦勝をリードしたことに誇りを持つアメリカが、支持できるわけがない。

 今アメリカは日本のふるまいに注文をつけつつ、様子を見ている。

 安倍の立ち回り先はアセアンになったが、アセアンの首脳たちも舞台裏はよくわかっていることだろう。

 果たしてアセアンでどこを訪ね、どんな話をするつもりなのか。

 大国ぶってばかなことをやりかねない安倍とそのお仲間たちのやり様を、よく見ておく必要がありそうだ。


「首相訪米は2月上旬で再調整 アジア重視アピールに転換
朝日新聞デジタル 1月8日(火)21時18分配信

拡大写真
米国とアジアをめぐる安倍首相の発言
 安倍晋三首相が1月中の実現を目指していた訪米は、オバマ大統領の多忙を理由に2月上旬で再調整することになった。代わって首相が初外遊先に選んだのは、東南アジア諸国連合(ASEAN)の各国。ASEANとの関係強化にも踏み出す。

 安倍首相は衆院選の2日後にオバマ大統領と電話で協議し、「1月に日米首脳会談ができるよう調整している」と記者団に明かした。7年前の首相就任直後は訪中して中国との関係改善を演出したが、今回は日米同盟強化を重視するメッセージとして初訪問国に米国を設定。通常国会で予算審議が本格化する前の訪米に意欲を示していた。

 だが、オバマ大統領にとって1月は2期目への政権移行期で、21日の就任式、月末ともみられる一般教書演説と政治日程が目白押しだ。首相は7日、河相周夫外務事務次官を米国に派遣して調整させたが、国務省高官は「1月は日程がタイト」とにべもなかった。」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-00000036-asahi-pol

安倍を非難するNYT社説/ハンギョレより

2013-01-09 14:15:09 |  北米
 ハンギョレからの転載だが、NYTが安倍の歴史修正主義を厳しく非難している。

 それにしても日本のネトウヨ達は、韓国や中国の批判には口汚くののしるという反応を見せるのに、どうしてアメリカの批判には立ち向かえないのか。

 罵ることさえできないこの連中の精神構造は全く理解をこえている。

「右傾化 日本政府、植民支配 謝罪否定の動き
NYT‘歴史を否定しようとする日本の試み’として批判

安倍晋三日本総理. 東京/APニューシス
 米国の有力紙<ニューヨークタイムズ>が‘慰安婦問題’等日本が犯した戦争犯罪を否定しようとする安倍晋三日本新任総理をより強力に非難した。

 米国<ニューヨークタイムズ>は3日‘歴史を否定しようとする日本のまた別の試み’という題名の社説で、慰安婦動員に軍の介入と強制性があったことを認めた‘河野談話’(1993年)と過去の植民支配の歴史に関してアジア各国に謝罪の意向を明らかにした‘村山談話’(1995年)を修正する意向を明らかにした安倍総理の言動に対して "深刻な間違い" 、 "恥ずかしい衝動" 等の表現を使いながら猛非難した。

 安倍総理は総理になる前の昨年8月にも "自民党が再執権すれば(教科書で周辺国に配慮することに約束した)宮沢喜一官房長官談話、河野談話、村山談話などを全て再検討する必要がある" と明らかにした経緯があり、最近再び村山談話を修正する意向があることを表わした。

 米国の主要言論が主要同盟国である日本の新任総理をより強力に非難したのは、彼が持つ右翼的世界観が世界2次大戦の戦勝国である‘米国の価値’や東北アジア地域の安定に利することがないと判断したためと見える。

 米国下院は安倍1期内閣時の2007年7月にも‘慰安婦謝罪要求決議案’を決議した経緯がある。 ヒラリー・クリントン国務長官も昨年7月、慰安婦の公式名称を‘強要された性奴隷’(enforced sex slave)に変えなければなければならないと言及したことがある。

 安倍総理の発言に対する日本国内の意見は交錯している。 昨年8月安倍総理の発言が社会的な波紋を呼び起こした後、進歩系列の<朝日新聞>は "日本の一部政治家らは今回だけでなく(慰安婦問題に関する)政府見解を否定しようとする発言を繰り返してきた。 これではいくら首相が謝罪をしても真正性に疑いをもたれても返す言葉がない" と彼を非難したが、<読売新聞>は安倍総理の主張に力を加えたことがある。

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***以下は<ニューヨークタイムズ>社説の全文

<歴史を否定しようとする日本のまた別の試み>

 アジアの安定に韓日関係ほど重要なものはない。 しかし安倍晋三日本新任総理は深刻な間違いとともに任期を始めるようだ。 それによって韓日間葛藤に火が点いて協力は一層難しくなるだろう。 彼が2次世界大戦期間になされた韓国人と他国の女性たちの性奴隷問題に対する謝罪を含んだ(過去の歴史に対する謝罪の意を込めた)日本政府の歴代談話を修正するという信号を送ったためだ。

 1993年日本政府は日本軍が数千名に及ぶアジアとヨーロッパ(慰安婦にはインドネシアの宗主国だったオランダ女性たちも多数含まれていた-訳注)女性たちを強姦し、売淫窟に入れて性奴隷にしたという事実を認めて、そのような残酷行為に対して正式に謝った。 1995年には村山富市総理が "過去の植民支配と侵略の歴史" を通じて日本が "特にアジアを含んだ多くの国の国民に途方もない苦痛と被害を与えたこと" を認めるより広範囲な談話を発表しもした。

 しかし右翼政治家である安倍は後から<ロイター>通信に引用報道された<産経新聞>とのインタビューで彼が1995年談話を明確に特定されない "未来指向的な声明" に代えることを願うと語った。 安倍総理は彼が以前に総理として在職した2006~2007年に戦争期間に日本軍の性奴隷として仕事をした女性たちが実際にそのような仕事をするよう強制されたという証拠はないと話した。 しかし先週の記者会見で菅義偉官房長官は安倍総理が1995年談話は維持するだろうが、1993年談話は修正する意向があることを表わした。

 安倍自民党総裁が以前の談話をどのように修正するのかはまだ明らかでない。 しかし彼は以前に日本が戦争期間に犯した歴史を修正するという意を堂々と明らかにした。 過去の犯罪を否定して謝罪をあいまいにしようとするいかなる試みも韓国だけでなく中国やフィリピンなど残忍な日本の戦時統治で苦痛を受けた周辺国を怒らせるだろう。

 (過去の歴史を修正しようとする)安倍総理の恥ずかしい衝動は北韓の核開発プログラムのようなこの地域の懸案に対する重要な協力を脅かしうる。 談話を修正しようとする企図は過去を洗濯するものではなく、長期沈滞した経済をよみがえらせることに焦点を合わせなければならない国が取る政策と見るには非常に当惑するものである。

 韓国語原文入力:2013/01/04 15:40
http://www.hani.co.kr/arti/international/america/568287.html 訳J.S(2089字)」

http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/13698.html

安倍政権の危険性・再軍備改憲歴史修正主義/ちきゅう座より

2013-01-09 13:20:48 | 政治
「【連載論文】極右による「国家改造」の性格―耳栓・目隠しで「日本を取り戻す」(下) ――平和主義原理の抹殺と「日米同盟」の新文脈

2013年 1月 2日 時代をみる 憲法改悪と国防軍日米同盟  武藤一羊


<武藤一羊(むとういちよう):ピープルズ・プラン研究所>

自民党憲法草案の国防軍創設の文脈

右翼的勢力の改憲の最大の動機が、戦後期全体を通じて、合憲的合法的な軍隊を持ちたい、そのため憲法9条を変えたいということであったのは言うまでもありません。その状況の下で、日本国憲法の大原則の一つである「非武装平和主義」をどのように扱うかは、主として憲法9条の存廃をめぐる論争、対立として展開されてきました。それが誤りだというのではありません。しかし今回の自民党改憲草案が提起している「国防軍」の創設は、日本国の普遍的基準からの切断という文脈の中に据えられているので、国家は軍隊を持つべきか否か、といった抽象的・一般的議論のレベルだけでは扱えない歴史の中での具体性を備えているのです。自民党の改憲案はその具体性において捉える必要があります。

そこで、もういちど日本国憲法前文に戻る必要があります。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。これは、短い言葉ながら、「日本国民」が日本帝国の過去を反省的に総括する文言です。日本帝国の侵略と戦争のなかでは、日本の民衆自身が「政府の行為」に加担を強制され、もしくは進んで加担し戦争の惨禍を引き起こす側に回った。それは明らかですが、しかしここで、そうした惨禍全体が政府の行為によって引き起こされたと捉えなおす。すなわち政府に再び同じ行為を犯させない責任を自覚し、そうさせないことを「決意」する。だから「決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と続くわけです。国民一般ではなく、政府に同じ過ちを犯させないことを決意したところの国民に主権が存する宣言です。日本国憲法の非武装条項は、戦後日本がアジアの諸国民に向けた誓約であるとはこれまでも指摘されてきたことですが、その通りです。敗戦日本が、反省もせず、負けたのはアメリカに物量でかなわなかったからだなどと開き直っただけだったら、戦後アジアとの関係は不可能であったでしょう。非武装憲法の誓約はかろうじて関係つくりの基礎の役割を果たしたのです。現実には戦後日本は、米国のアジア支配に便乗してこの基礎をないがしろにし、脱帝国・脱植民地の課題に直面せず、アジアとの間の過去を清算することを回避してきました。それでも、この憲法の誓約は戦後日本がアジアとの関係を回復する際の前提として存在してきたのです。

自民党草案は、その前文において、戦後期冒頭に置かれたこの礎石を取り外し、投げ捨てました。すなわちアジアとの関係の前提をこちらから崩したのです。自民党草案の前文では歴史はこう総括されます。そして総括はこれだけです。

我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を推進し、世界の平和と繁栄に貢献する。

もういちど「ジコチュウ」という言い方に戻ったほうがよさそうです。書き写しながら、こういう文章、それを平気で書く無神経さへの生理的嫌悪を抑えることができません、「先の大戦」とはいったい誰が起こした戦争なのでしょうか。我が国はアジア中に「荒廃」を引き起こした張本人ではありませんか。確かに「我が国」も「荒廃」したけれど、それは他国を植民地化し、侵略し、破壊し、千万の単位の人びとを殺し、その結果として三百万の自国民をも殺した日本帝国というものの終着点だったのではないでしょうか。憲法がその前文で歴史を「我が国」の「大戦による荒廃」(我が国の荒廃)と総括するとは、近代日本の戦争・植民地化責任を一切認めないという極右の帝国継承原理を一元的な国家原理として採用するということにほかなりません。これは相当に極端なこと、そのような国家を21世紀の初めにアジアに出現させるという行為です。しかし自己中の意識の中ではその極端さ、空恐ろしさは自覚できないかもしれません。その無自覚・マヒこそがこの物語にもっとも恐ろしい結末を予感させる部分です。

そのように過去を記述した上で、日本国憲法の第二章のタイトルは 「戦争の放棄」から「安全保障」に変えられ、その下に9条が置かれます。「国権の発動としての戦争を放棄」が書き込まれていますが、それはほぼ何も言わないに等しいのです。戦争の違法化は、第二次大戦後に国際連盟によって宣言され、1928年の「戦争法規に関する条約」(パリ条約)の第一条で、紛争解決のために戦争に訴えることが禁止され、国家の政策手段としての戦争は放棄がきまっているのです。(日本もこの条約に参加しています)。その後に何がおこったか。日本の中国全面侵略を開始しました。そして史上もっとも残虐な戦争、第二次世界大戦が勃発しました。その戦後に結成された国連は、武力による威嚇または武力の行使を禁止しました。それにもかかわらず戦後67年間、戦争も武力介入も一時も休む暇なく続いています。自民党草案は戦争放棄に触れたあと、9条2項で「全項の規定は、自衛権の発動を妨げるものでない」としています。これですべて帳消しになります。自衛権の名によればいくらでも武力行使ができるようになります。尖閣をめぐって日本政府が頑なに尖閣は日本固有の領土であり「領土紛争は存在しない」と言い張るのも、国際紛争解決のためでなく自衛権の発動としての武力行使への伏線と見ることが妥当でしょう。「戦争放棄」は、日本国憲法9条2項、戦力の不保持と交戦権の否認なしにはまったく意味を持たないのです。その新9条1項に(平和主義)というタイトルを付けるとは詐欺みたいなものです。

このような前提の下に国防軍が組織されることになっています。それは戦争放棄どころか戦争する軍隊です。「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保」するためばかりでなく、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」(PKO、米軍との共同行動)、「公の秩序を維持する」(治安維持・治安出動)、「国民の生命若しくは自由を守るための活動」(災害出動だけでなく、在外居留民救出や拉致被害者の武装救出までカバーできる)にも出動する軍隊で、「審判所」とよばれる軍事裁判所が設けられます。そして彼らの憲法草案は「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において」「内閣総理大臣は緊急事態の宣言を発することができるとしています。そのとき誰がどんな権限を振るうのか、は「法律の定めるところにより」とあるだけで、まったくオープンです。緊急事態法のような法律をつくればどんなことでもできてしまう規定ですが、緊急事態が軍事管制を柱とすることは明らかです。人民主権が国家主権に置き換えられたなかで、国防軍は、対外的な戦争のための軍であるばかりでなく、緊急事態が宣言された場合人民に君臨する国家の暴力装置として機能するでしょう。

極右政権がこのような「国のかたち」を目途に国家再編を進めていく状況では、原発問題は次第に公然と核武装のための必要不可欠な前提という位置付けが与えられてくるでしょう。脱原発・再稼働阻止という世論の空前の盛り上がりにたいしては、原発推進派は主としてエネルギーと経済を持ち出して原発廃止を食い止めようとしてきましたが、安倍自民党政権の下で原発推進勢力は、そこから一歩を進めて、抑止力としての(いつでも原爆製造可能な能力としての)原子力の維持という主張を強めてくると思われます。石原慎太郎は核武装のシミュレーションを主張していますが、自民党幹事長になった石破茂は福一メルトダウンから半年も経たぬ2011年8月に、テレビ出演して、一年以内に核爆弾をつくれる能力による抑止力を維持すべきだと主張していたのです。この文脈は極右政権の下でいっそう明確になっていくでしょう。その中で9条改憲に反対する運動と再稼働阻止の運動が基盤と目標を共有する状況が急速に生まれてくるでしょうし、それが当然となるでしょう。

「帝国継承原理」はどうなったか、どうなるか

さてそろそろ結論に進みましょう。この極右政権はどのような軌道を進むだろうかという問題です。それを占うにはちょっと迂回が必要です。

私はこれまで戦後日本国家というものが相互に矛盾する三つの正統化原理を内部化し、使い分けることで成立した歴史的な政治的構造物であると繰り返し論じてきました。三つの原理とは(1)米国のグローバル支配の原理(覇権原理)、(2)日本在住民衆の闘争・運動によって実質化された憲法平和主義と民主主義の原理、(3)明治以降の日本帝国の犯した戦争と植民地化を合理化・美化しそれを継承する原理です。その中で圧倒的に強かったのは(1)のアメリカ原理、それに対抗して(2)が1960年の安保闘争を始めとする民衆の運動のなかで鍛えられ保持され、国家の行動を縛る原理としての働きをしていました。(3)の帝国継承原理は、戦後世界の中で公然とは主張できないものでしたが、戦後日本国家の中に固く保持されていて、戦後期全体を通じて「慰安婦問題」、「教科書問題」、閣僚や政治家の「妄言」などの形で表に出てくるのでした。しかし、1990年代半ばからこれら3原理の均衡が破れました。冷戦後の状況の中でアメリカは、日米安保を、ソ連や中国への軍事対決ではなく、直接米国の世界的覇権の維持のための「日米同盟」に変えようとし、日本はそれを受け入れました。1996年安保再定義がそれです。そのころ平和と民主主義の担い手だった労働組合の総評は消滅し、それを基盤とする社会党も弱小化し、平和・民主主義原理の力は、沖縄を除いて著しく弱まりました。そしてその機を掴んで、帝国継承原理を公然と推進する右翼勢力が攻勢を開始したのです。彼らは自民党の多数派を形成し、ついに2006年その勢力の代表である安倍晋三が首相になりました。しかし右翼の「お友達」で固めたこの安倍内閣は、「慰安婦」はお金目当ての売春婦とか南京虐殺はなかったとか、大東亜戦争はアジア解放の戦争であったとかいう彼らの主張を貫徹できず、安倍首相は戦争への反省を盛り込んだ「村山談話」を踏襲すると語らざるをえず、アメリカ政府の警戒をも呼び起こし一年で自壊しました。

帝国継承原理は、日本帝国によるアジア侵略・植民地化だけでなく、対米英戦争の正当性を主張することになるので、本来米国の覇権原理と絶対に矛盾するものでした。極右勢力の改憲主張の最大の論点は日本国憲法はアメリカ製だということにあるのですから。私は2006-7年の安倍内閣で右翼は権力の頂点に達した瞬間、この国家原理を国策化できなかった。したがって彼らはそこで原理的に破産した、と論じました。この意見は今でも変わっていません。

しかしいま安倍晋三氏は同じ主張を掲げて政権を握りました。破産した原理をもういちど振り回すのでしょうか。他者なしでジコチュウ的に掲げられている帝国継承原理をどうするつもりなのでしょうか。マスコミは安倍政権は当面は「安全運転」でいくだろうと観測しています。「竹島の日」の国家行事を見送るとか、靖国参拝については明言しないとか。しかし(上)で見たように「政権公約」ではすごいことが書かれています。安倍氏は選挙演説では「他人が書いた憲法」への攻撃を繰り返していました。いつまでも「安全運転」を続けることができるのでしょうか。それとも帝国継承原理で中央突破を図るでしょうか。

帝国継承原理は、近隣アジアとの関係をぶちこわすのはもちろんですが、アメリカ原理とも衝突する原理です。以下の時事通信の記事(12月16日配信)は安倍政権とアメリカの微妙な関係をたいへん正確に捉えています。

【ワシントン時事】衆院選での自民党圧勝を受け、アジア重視のオバマ米政権は日米同盟関係の深化に期待を寄せている。同時に、次期首相就任が確実な安倍晋三自民党総裁が中韓両国との関係をこじらせ、地域の不安定要因をつくるのではないかと懸念する見方も広がっている。
景気の本格回復が遅れる中、成長著しいアジア地域への関与を深めるのがオバマ政権の基本戦略だ。経済・軍事両面で台頭する中国への警戒感はこの数年間で一段と拡大。厳しい財政事情もあり、日本をはじめとする同盟国の役割を重視する。
自民党が防衛予算の拡充などを公約したことについて、米側の評価は一様に高い。戦後、長く政権を担当してきたという安心感も強いもようで、懸案の米軍普天間飛行場移設や環太平洋連携協定(TPP)交渉の進展にも期待がある。
ただ、領土や歴史問題で強硬姿勢が目立つ安倍氏に対しては不安視する向きが多い。マイケル・グリーン元国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長は靖国神社参拝、従軍慰安婦問題に関する河野談話の見直し、沖縄県・尖閣諸島への公務員常駐の三つを挙げ、これらに踏み切ることは「日本の自滅行為だ」と警告している。
米側は当面、日本の新政権の外交方針を注意深く見守る考え。グリーン氏によると、米国の国益に反すると判断すれば、オバマ政権は「静かに阻止に動く」構えだ。

これは一つの外交的牽制球です。グリーンの言う三つの行為は、安倍極右政権にとって核心的な意味があり、選挙公約でもあります。そう簡単に譲れるものではないはずです。この記事はよくできています。米国がいかに安倍政権を歓迎しているか、しかし条件つきで歓迎していることを明確にする。そういうアメリカの態度を伝えています。

しかしアメリカにとっては三つの具体的行動だけでなく、安倍の「歴史認識」が受け入れがたいのです。米国の有力な右翼シンクタンク、ヘリテージ財団のブルース・クリングナー研究員の2012年11月14日付の論文を、孫崎享氏が引用して論じています。この論文は、大変露骨に安倍政権成立の見通しを歓迎し、安倍の保守的外交政策と高まる日本世論の対中懸念は、あいまって、「米日同盟の健康に決定的に重要ないくつかの政策目標を達成する素晴らしい機会」を作り出しているとし、アメリカの都合丸出しの9項目の対日要求を並べています。「普天間代替基地建設の目に見える進展」はもとより「自国と同盟国の必要を完全にまかなえるだけ軍事費を増額せよ」とか「米・韓・日の軍事協力」をすべての分野で実行せよ等々。強力な米国の前方兵力配備は、韓、日両軍と緊密に統合されることで、日本軍国主義の無制約の復活への韓国の懸念を鎮める役にも立つ、とも言われています。そしてその最後の項目は、「安倍が彼の修正主義の歴史主張を推進しないよう個人的に忠告すべし」というものです。「戦時中の日本の行動についてのこれまでの政権の声明(村山、河野声明)を撤回すると安倍は述べているが、そんなことをすれば長いことくすぶってきた地域における敵意を燃え上がらせることになる」。その代わりに「日本は償いと謝罪についてのこれまでの声明を、韓国(Korea)の敏感な感情を満足させるとともに、アジア地域の対日反感を利用して地域に戦略的利点を確保しようとする中国の努力を挫くような仕方で、修正しなければならない」と言うのです。

日米同盟の意味の転換

さて安倍政権はどうするでしょうか。アメリカに受け入れてもらえるために、またアジアとの関係を悪化させてアメリカの利益を害することがないように。帝国継承原理を放棄するでしょうか。私は、この問題をめぐって駆け引きと取引が行われると見ています。安倍政権にとっては、どこまで継承原理に沿う政策や立ち位置をアメリカに認めさせるかという駆け引きです。取引としては何を差し出すか。軍事一体化と経済譲歩の大盤振る舞いです。軍事予算削減を余儀なくされ、中国との競争に晒されて苦境にある米国に、軍事と経済でとことん尽くす、それと引き換えに帝国継承原理の適用を部分的に認めてもらう。憲法改定、国軍の創設、おそらくは米国の核武装も米国の厳重な管理の下であれば、米国の歓迎するところでしょう。しかし、歴史認識の反米部分には黒く墨を塗る。それがアメリカの条件でしょう。アジアにたいしては、米国が困るほどには挑発しない。しかし、ここが恐らく落とし所でしょうが、日本国内の支配については好きなようにやらしてもらう、それをアメリカに黙認させる。国家は権威主義体制、家族は国家の基礎、子どもは国の宝、教科書は事実上国定にし、自虐史観は排除する。公益と公の秩序に反する分子には厳罰をもって臨む。義務果たさねば人権なし、日本国は天皇を戴き古来からの文化を誇る美しい国。日本は(アメリカとともに)アジアに冠たる先進国。すばらしい国、日本!ざっとこんなところが取引での獲得物でしょう。それぐらいは絶対アメリカに認めさせる。日本の誇りをかけて認めさせる。その代わりアメリカにそれ以外では無条件の忠誠を誓う。アメリカが中国と対決すればその最前線を固め、中国との関係を勝手に悪化させてアメリカの迷惑になることはしない。日米同盟万歳!

本稿(上)で私は、安倍自民党式ジコチュウ日本には他者はいない、アメリカはいるがそれは他者ではなく日本を一体化した日米同盟という拡大された自己として観念されていると述べ、にもかかわらず日本はアメリカの一州ではないので、ジコチュウは日本一国のジコチュウなのだと奇妙なことを言い、それについては後述、と話を進めました。この奇妙なことの中身がこれなのです。日本一国のジコチュウ(それゆえアメリカのジコチュウとは別のジコチュウ)、それをつっぱろうとすればするほど、日米同盟に、したがってアメリカのジコチュウに深くはまっていく。そういう不思議な構造の中にいまわれわれはいるように思えます。「日米同盟」の意味はここにおいて変容しました。日本が帝国継承原理にしがみつくかぎり、それは日本をいよいよ深くアメリカの利益にコミットさせるワナとして働く。他方、安倍の日本にとっては、アメリカにとっての同盟の有用性・必要性を利用して、日本のジコチュウを最大限に承認させるための枠組みになる。

これをナショナリズムと言えるでしょうか。無理でしょう。大国におもねり、従属を深めながらナショナリズムもないです。日米同盟のわなにはまった日本が感染するのは排外主義でしょう。勃興するアジアの隣国に対する傷つけられた優越感による排外主義、それにはけ口を見出すような、それによって自己肯定ができるような情けないあり方です。

二度目の安倍政権は一度目の失敗から何の教訓も引き出さず、このような沼地に足を進めようとしています。帝国継承の原理で「戦後レジームからの脱却」を果たそうとすれば、その原理と矛盾するアメリカ中心主義の深みにはまっていく。

そこから抜け出る道は、戦後国家の第二の原理を鍛え直し、非軍事化・平和・民主主義・非覇権を原理として具体化し、それに拠って大きい抵抗の戦線を広げていくことにあります。政権交代・原発破局・沖縄支配の下からの闘いによる破綻、そして極右政権の成立―これは「国のかたち」をめぐる長期の本格的な闘いの幕開けであると私には見えます。この闘いは開かれたもの、目隠しと耳栓を外し、視野と聴覚を外に開き、窓を開き風を入れて、日本社会のジコチュウの毒を吹き払うものであろうと思います。それはすでに始まっている運動であり、闘いであると私は感じています。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye2138:1300102〕」

安部晋三は世界の敵/ちきゅう座より転載

2013-01-09 13:15:58 | 政治
「序章

日本軍による南京大虐殺が起きて75年を迎えた2012年の12月、この恐るべき事件を歴史の記憶に刻み、伝え継ぐことによって二度と日本が他国と戦火を交えず、東アジアの平和を生み出すための教訓としようと考えた少なからぬ日本人にとって、極めて大きな試練が課せられた。

同月16日に実施された総選挙の結果、前回の2009年8月の総選挙で敗北して野党に転落していた自由民主党が圧倒的多数を占め、再び政権の座に就いたのだ。しかも、首相に返り咲いたのは、極右歴史修正主義者の安倍晋三に他ならない。もはや、日本国内だけに留まらない段階となった。

なぜならこの自民党は、いまだ日本軍による加害の記憶が鮮明な中国や韓国、北朝鮮といった諸国に対し、この記憶自体があたかも歴史的に正確さを欠き、他国からの記憶の呼び起こしを求める隣国の声は不当な言いがかりであって、それに耳を傾けるのは「自虐的」と主張する歴史修正主義者の巣窟である。のみならず、自民党のこうした恥ずべき体質を最も雄弁に象徴するのが、安倍だからだ。

日本は1951年9月の対日講和条約の調印によって国際社会に復帰したが、日本から被害を受けたアジア諸国にとって前提とされたのは、日本が大日本帝国と決別し、自らの行為を加害者として隣国に心底から謝罪することであったはずだ。だが戦後のドイツ連邦共和国の出発点がナチズムとの決別とホロコーストへの謝罪であったのに反し、戦後日本の大半の時代を与党として君臨した自民党は常に歴史修正主義者の拠点であり続け、今もそれはまったく変わらない。

おそらく世界は、「ホロコーストはなかった」などと主張する政治家がドイツの首相に就任するという事態は想像しがたいだろう。だが南京大虐殺から75年たった現在、世界が目撃しているのは、日本の新首相が、今も南京大虐殺は「虚構」などと主張する歴史修正主義者の側に立つ政治家であるという驚くべき光景なのだ。

そのため、日本軍によっておびただしい数の人々が犠牲になり、その目撃者、体験者もまだ生存しているアジアの諸国民、そして北米を始めとしたアジア系コミュニティの人々は、この極右歴史修正主義者の首相に対し、「南京大虐殺は『虚構』だと考えているのか」、「日本が隣国を侵略したという歴史事実を認めるのか」と改めて質す正当な権利がある。

とりわけ韓国や北朝鮮、そして世界のコリアンにとっては、南京大虐殺と並んで大日本帝国が手を染めた最も残忍で恥ずべき犯罪の一つである従軍「慰安婦」について、「どのように認識しているのか」と安倍に質すことが急務である。なぜならこの首相は、今でも公教育の歴史の授業から、従軍「慰安婦」の既述を削除することに執着しているからだ。

このような人物が首相である限り、日本が国際社会復帰から61年が経とうとしている今日においても、改めてそこでの一員たりうる資格があるのか否かの正当性が根本的に問われるべきだろう。この作業の責務は、何よりもまず日本人が負う。同時に繰り返すようにアジアを始めとした世界の諸国民にとっては、そうした問いかけは正当な権利として与えられているはずだ。

1 安倍という政治家

安倍は、自民党の中でも特異な存在である。この男は、外務大臣など要職を歴任し、自民党の総裁候補者の一人でもあった父親・安倍晋太郎の七光りで1993年に初当選して以来、一貫して党内有数の極右修正主義者として行動することにより、現在の地位を勝ち得たといってよいからだ。以下、その経歴を列挙する。

・安倍は当選したばかりの1993年8月、自民党の「歴史・検討委員会」の委員となる。この「委員会」は右派の学者を招いて20回ほどの会合をもち、その検討内容をまとめて95年8月15日(日本の敗戦記念日)に『大東亜戦争の総括』なる本を出版する。そこでは、①「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)は侵略戦争ではなく、自存・自衛の戦争であり、アジア解放の戦争であった。② 南京大虐殺、「慰安婦」などの加害はデッチあげであり、日本は戦争犯罪を犯していない。加害責任もない。③ 教科書には、侵略や加害についてありもしない既述があり、新たな「教科書のたたかい」(教科書を『偏向している』と攻撃する)が必要である――と既述してあった。現在の安倍も、同じ認識である。

・敗戦から50年目の1995年8月に侵略戦争への反省が盛り込まれた国会決議が採択されようとしていた動きに反対し、「歴史・検討委員会」のメンバーを中心とした右派の「終戦50周年国会議員連盟」が1994年12月に結成された際、安倍は事務局長代理に抜擢される。この「議員連盟」は、神道系を中心とした極右宗教集団と連携して「終戦50周年国民運動実行委員会」を運営し、「日本は侵略国家ではなかった」「戦争に反省する決議には反対する」という主張を盛り込んだ決議を、全国26県議会、90市町村議会で可決させた。

・党内のこうした右派議員は1996年6月、歴史教科書への攻撃を狙った「明るい日本・国会議員連盟」を結成し、安倍は事務局長代理となる。さらに安倍は1997年2月に結成された同じ歴史教科書への攻撃に特化した「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(2004年に『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』と改名)の事務局長となった。

・安倍は常にこうしたグループの先頭に立ち、「従軍『慰安婦』は売春婦」だとして歴史教科書からの従軍「慰安婦」や南京大虐殺の既述削除に向けて奔走する。教科書を検定する文部科学省の官僚のみならず、教科書会社の社長や教科書執筆者に対しても、侵略戦争や従軍「慰安婦」の既述が「わい曲されている」などと詰問し、削除するよう圧力をかけた。

・安倍が官房副長官だった2001年1月30日、日本の公共放送であるNHKが放映した番組「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」の制作に事前に介入し、従軍「慰安婦」を扱った箇所についてNHKの放送総局長に「ひどい内容だ」「公平で客観的な番組にするように」「それができないならやめてしまえ」と攻撃した。その結果、放映された番組の内容が大きく変更された。その中には、2000年12月に東京で開催された「女性国際戦犯法廷」の席上、日本軍による強姦や慰安婦制度が「人道に対する罪」を構成すると認定し、日本国と昭和天皇に責任があるとした部分の全面的カットが含まれる。

2 「河野談話」への攻撃

宮澤喜一首相時代の1993年8月4日、「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」(河野談話)が発表される。そこでは、官房長官の河野洋平が主に以下のような内容を述べていた。

「調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」

この河野談話に対し、同じ自民党ながら最も激しく攻撃したのが安倍であった。

・安倍は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」とはかり、会合に河野を呼び、「確たる証拠もなく『強制性』を先方にもとめられるままに認めた」などと「談話」を攻撃したが、河野は屈しなかった。さらに安倍は1997年5月27日にも衆議院決算委員会で「従軍『慰安婦』は強制という側面がなければ(教科書に)特記する必要はない。この強制性については、まったくそれを検証する文書が出てきていない」と発言している。

・安倍は幹事長当時の2004年6月14日、「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が主催したシンポジウムの席上、「河野談話」を無視し、「従軍『慰安婦』という歴史的事実はなかった」と断言し、「文部科学省にも教科書改善(注=従軍『慰安婦』の記述削除)への働きかけを積極的に行っていく」と述べている。

3 首相時代の二枚舌

安倍は2006年9月26日、首相に選出される。だが、一国の代表としてそれ以前の極右歴史修正主義者の姿を貫くことは最初から無理があった。そのような姿勢は自民党、あるいは日本国内で通用はしても、到底国際社会では多大な嫌悪感と反発を招くのは明らかだった。特に安倍が醜態をさらしたのは、従軍「慰安婦」をめぐる問題であった。

・安倍は2006年10月4日、衆議院本会議で、河野談話について「政府の基本的立場は、河野談話を受け継いでいる」と答弁した。これに対し、安倍を支持していた右派勢力から批判があがったためか、2007年3月5日の参議院予算委員会で、「河野談話をこれからも継承していく」と述べながらも、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」などと答弁し、河野談話の「強制性」について修正が必要との考えを示唆した。

・米下院議会で2007年1月31日、「『慰安婦』問題で日本政府に対し謝罪を求める決議」案が民主党のマイク・ホンダ議員によって提出された際、安倍は「決議が採択されても謝罪するつもりはない」「慰安婦を日本軍兵士が拉致・強制したとの『狭義の強制性』の証拠はない」などと繰り返した。「河野談話」自体、政府の名において「従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と「謝罪」しているにもかかわらずだ。しかも「強制」されたのでなく彼女たちがあたかも「自主的」に「日本軍兵士」の相手をしたと言わんばかりのこの発言は、米国の『ニューヨーク・タイムズ』や『ロサンゼルス・タイムズ』、『ボストン・グローブ』といった各紙に批判された。

・このためか、結局安倍は外国(特に欧米)の目を最後まで無視するわけにはいかなかったようだ。英BBCは2007年4月27日、訪米した安倍がブッシュ大統領とキャンプデービッドで会談した際、「極めて痛ましい状況に慰安婦の方々が強制的に置かれたことについて大変申し訳なく思う(I feel deeply sorry that they were forced to be placed in such extremely painful situations.)」と発言したと報じている。また、米『ニューズウィーク』4月30日号は、訪米に先立って安倍をインタビューした記事を掲載したが、安倍は「私たちは、戦時下の環境において、従軍慰安婦として苦難や苦痛を受けることを強制された方々に責任を感じている(We feel responsible for having forced these women to go through that hardship and pain as comfort women under the circumstances at the time.)」と発言している。ここでは「強制性」を明らかに認めており、二枚舌と批判されても仕方なかった。

4 再び牙をむく

安倍は2007年9月12日、国会での所信表明演説を行った直後、各党の代表質問を受ける当日になって突然政権を投げ出し、辞任するという前代未聞の醜態を演じた。世論から「無責任」との批判が浴びせられるが、何ごとも忘れやすい国民の性格に助けられて2012年9月26日、再び自民党の総裁に選出される。その前後から、前の首相時代に保守派や右翼を失望させた「失敗した歴史修正主義者」の汚名を挽回するかのように、再び極右的言動を強めていく。

・名古屋市長の河村たかしが2月20日、中国共産党南京市委員会の幹部と面会した際、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と語り大きな問題になった。これに対して右翼勢力は3月6日、東京都内で「『河村発言』支持・『南京虐殺』の虚構を撃つ」と題した「緊急国民集会」を開いたが、安倍はそこに「河村支持」のメッセージを送った。さらに同年8月3日と9月24日には、右翼勢力の「機関紙」ともいえる『産経新聞』に「河村たかし名古屋市長の「南京」発言を支持する意見広告」が掲載されたが、安倍は主な「呼びかけ人」の一人となっている。

・2012年8月28日付の『産経新聞』で、安倍は首相時代に自身が「引き継いでいく」と明言したはずの「河野談話」について、また一転して「(自民党が与党に復帰すれば)見直しをする必要がある。新たな政府見解を出すべきだろう」と発言した。しかも「見直し」の対象は、①1982年8月26日に、宮澤喜一官房長官が、教科書の検定にあたっては「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」を定めると発表した「宮澤談話」=「近隣諸国条項」②敗戦から50年経った1995年8月15日、村山富市首相が発表した「談話」の二つも含まれる。

この「村山談話」には、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします」と記されている。なおこの「村山談話」についても安倍は前首相時代、「政府の認識」だと答弁していた。

・なお、安倍新内閣の菅義偉官房長官は12月27日の記者会見で、「河野談話」について「学者や専門家の研究が行われている。そうした検討を重ねることが望ましい」と見直しを示唆した。前首相時代に一度は実質的に認めた従軍「慰安婦」の「強制性」を、また蒸し返す可能性が高い。菅官房長官はこの会見で「村山談話」については、「歴代内閣の立場を引き継ぐ考えだ」と述べたが、その3日後の12月30日、安倍は産経新聞の単独インタビューに答え、「村山談話は、社会党の首相である村山富市首相が出された談話だ。21世紀にふさわしい未来志向の談話を発出したい」と言っている。安倍は「村山談話」が発表された当時、これに攻撃を加え、前首相時代には「引き継ぐ」と変えながら、首相を辞めた後に「見直す」と公言した。また首相に返り咲いたと思ったら一週間も経たないうちに「引き継ぐ」と「見直す」との矛盾したメッセージを世に対して送っている。

・2012年4月10日、自民党本部で党の「文部科学部会」と「日本の前途と歴史教育を考える議員連盟」の合同会議が開かれた。そこでは文部科学省の担当者が呼ばれ、高校の教科書検定について報告したが、安倍は従軍「慰安婦」の記述について「動員された」「かりだされた」とする記述があると非難し、「自分は総理のときに、『いわゆる従軍慰安婦の強制連行はなかった』と国会で答弁したが、一体、いつ変更したのか?なぜ(政府答弁を)無視するのか?」と詰問し、また「強制性」を問題にした。安倍によれば、従軍「慰安婦」について記述すると、「常識からかけ離れた教科書」(2011年5月10日に都内で開かれた右翼の集会での発言)なのだという。なおこの席では、自民党議員たちは、「中学校の教科書から従軍『慰安婦』の記述が削除されたのに、高校の教科書に記載されている」との批判が相次いだ。

なお、この「『いわゆる従軍慰安婦の強制連行はなかった』と国会で答弁したが、一体、いつ変更したのか」という安倍の主張はおかしい。安倍が示しているのは前首相時代、辻元清美衆院議員の質問書に対する2007年3月16日の閣議決定をへた答弁書のことだ。ここでは「河野談話」について、「政府の基本的立場は、官房長官談話を継承している」と言明している。

「河野談話」では、「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」「その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と、その「強制性」を認めている。

安倍首相時代の2007年の答弁書では、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」と述べているが、特に「河野談話」と食い違っているわけではない。なぜなら、「河野談話」を取りまとめた当時の 石原信雄官房副長官は、次のように認めているからだ。

「結局私どもは通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証するような物的証拠は結局見つけられなかったのですが、実際に慰安婦とされた人たち16人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦にされたことは間違いないということになりましたので」、「調査団の報告をベースにして政府として強制性があったと認定したわけです」(アジア女性基金オーラルヒストリー・プロジェクトの聞き取りより、2006年3月7日)。

したがって安倍が今になって、教科書に「動員された」「かりだされた」という記述があるのを怒るのは不思議である。「資料」ではなく、従軍「慰安婦」にされた女性自身の聞き取りからそのような記述は裏付けられているのであって、何もおかしくはない。「変更」などなかったのは、安倍自身も含め歴代内閣が「河野談話」を「継承」すると宣言しているからだ。安倍は、わずか5年前の自分の行為の意味もわからないほど愚かなのか。

・安倍は2012年12月26日、新内閣の閣僚を発表したが、19人の閣僚中、これまで一貫して教科書から従軍「慰安婦」や南京大虐殺の記述を削除させる策動を続けてきた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」のメンバーが約半数の9人加わっている。さらに、神道勢力を中核とする日本最大の右翼団体である「日本会議」と連携している「日本会議国会議員懇談会」に加盟する閣僚が、安倍も含めて実に13人もいる。安倍新内閣の極右的性格を雄弁に示している。

・安倍が任命した新閣僚で、最も警戒を要する一人は文部科学大臣の下村博文である。この男は「日本会議国会議員懇談会」の幹事長であり、極右歴史修正主義者として安倍と共に「教科書攻撃」を一貫して続けてきた。安倍が再び自民党の総裁に選任された直後に新設した「教育再生実行本部」の本部長であり、今回の総選挙に際し、①自虐史観に基づく偏向教育の中止②「宮澤談話」による科書検定での「近隣諸国条項」の廃止③愛国教育の強化――といった党の「教育に関する公約」を作成した。下村氏は、日本の侵略の歴史を認めたり、反省することが「自虐史観」だと主張している。今後、日本の歴史教科書の記述がどのように改悪されるか、国内外での注視が必要であろう。
5 世界が今後日本を警戒すべき理由

安倍は新首相になって再び、日本国内で極右歴史修正主義者として振る舞いながら、米国に出向くと「大変申し訳なく思う」とか「責任を感じている」などと口にする二枚舌を使うつもりなのか。日本国民ならず全世界の人々は、それを決して許すべきではない。

安倍は2012年8月28日、テレビに出演し、「河野談話をそのまま維持すれば韓国と真の友好関係を結べない」という趣旨の発言をした。だが、韓国の人々にとってみれば、安倍のような人物が首相となり、あるいは「有力政治家」でいられ、さらには自民党のような恥を知らない徒党が支配的である限りは、日本に対して永遠に「真の友好関係」を築けるとは考えないだろう。これは韓国のみならず、アジア、ひいては全世界の国々にとっても同様のはずだ。

改めて繰り返す。安倍のような極右歴史修正主義者たちが権力の頂点を握った日本が今問われているのは、国際社会の一角を占める正当な資格があるのか否かである。
下村は2012年10月3日、アパホテルチェーンのオーナーとの会談で、「前回の安倍政権が掲げた『戦後レジームからの脱却』は、東京裁判史観や河野談話、村山談話など日本の近現代史の全てを見直すということです」と述べている。この「東京裁判史観」とは、安倍や下村など極右歴史修正主義者がよく口にするが、要するに日本を侵略国家として裁いた1946年5月3日から1948年11月12日まで開廷された極東軍事裁判は勝者による裁きであり、日本を侵略国家として裁いたのは認め難いという主張が前提にある。

だが対日講和条約は第11条で「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」する(Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East and of other Allied War Crimes Courts both within and outside Japan)と規定している。この「戦争犯罪」は、言うまでもなく中国を始めとしたアジア諸国への侵
略を指す。

安倍や下村が「東京裁判史観」を「見直す」ならば、論理的に考えると政府としてこの裁判の無効を宣言し、同時に日本との講和条約に署名した世界48ヵ国に破棄を通告しなくてはならなくなる。それがいかに非現実的で愚かなことか、安倍に象徴される日本の極右歴史修正主義者は理解できないらしい。

彼らは侵略の事実を頑として認めようとせず、「自存・自衛の戦争」と居直り、その事実を認めることは「自虐史観」と非難するのだ。しかも教科書を通じ従軍「慰安婦」や南京大虐殺の事実を教えることに対しても、執拗に妨害し続けている。このような勢力が再び権力を握ったことは、日本の民主主義と国際上の信頼性にとって大きな脅威である。同時にそれは、アジアを始めとした国際社会への挑戦なのだ。

この極右歴史修正主義者の挑戦に対し、世界は反撃すると共に、安倍が一歩国外に出たならば、現地で抗議行動が取り組まれ、開催されるだろう記者会見で報道関係者が上記に記した事実を確認する質問を提出することを強く望む。それは、安倍が国際的視野からすればいかに自身が恥知らずで、卑劣な存在であるかを思い知らせるための最も有効な方策となるだろう。

安倍に象徴される日本の極右歴史修正主義者は、ドイツのネオナチと同様に、自国民のみならず世界にとっても共通の敵なのだ。

初出: 「Peace Philosophy」2013.01.02 より許可を得て転載。

http://peacephilosophy.blogspot.jp/2013/01/muneo-narusawa-shinzo-abe-far-rightist.html

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye2141:20130103〕」

「アジアのギリシャ 日本の増加する国債時限爆弾」 シュピーゲル英語版より

2013-01-09 13:01:02 | 政治
 日本の借金への懸念が高まっている。

 日本では国債を買っているのは国内だから大丈夫という、何とも理屈抜きとしかいいようにない説明がまかり通っているが、内だろうが外だろうが借金は借金である。

 そして膨大な国債を抱えている邦銀が、国債の信用低下に見舞われた場合、それは国際的な信用危機を引き起こしかねない。

 アジアのギリシャと書かれるまでに日本は落ちぶれたのだということを、まずは認識しなければならないようだ。


"The Greece of Asia   Japan's Growing Sovereign Debt Time Bomb

By Anne Seith

REUTERS

The eyes of the financial world are on Greece and other heavily indebted euro-zone countries. But Japan is in even worse shape. The country's debt load is immense and growing, to the point that a quarter of its budget goes to servicing it. The government in Tokyo has done little to change things.

Today's Tokyo has become a permanent mecca of consumption, its boroughs seemingly divided according to target markets. The city's Sugamo district, for example, is dominated by the elderly. Escalators in the subway station there go extra slow, while the stores along the Jizo Dori shopping street offer items such as canes, anti-aging cream and tea for sore joints. The Hurajuku neighborhood, on the other hand, is teeming with fashionistas made up to look like Manga characters.

This world of glitter, however, is but an illusion. For years, the world's third-largest economy has been unapologetically living on borrowed cash, more so than any other country in the world. In recent decades, Japanese governments have piled up debts worth some €11 trillion ($14.6 trillion). This corresponds to 230 percent of annual gross domestic product, a debt level that is far higher than Greece's 165 percent.
Such profligate spending has turned Japan into a ticking time bomb -- and an example that Europe can learn from as it seeks to tackle its own sovereign debt crisis. Japan, the postwar economic miracle, has never managed to recover from the stock market crash and real estate crisis that convulsed the country in the 1990s. The government had to bail out banks; insurance companies went bust. Since then, annual growth rates have often been paltry and tax revenues don't even cover half of government expenditures. Indeed, the country has gotten trapped in an inescapable spiral of deficit spending.

The fact that this tragedy has been playing out in relative obscurity can be attributed to a bizarre phenomenon: In contrast to the debt-ridden economies in the euro zone, Japan continues to pay hardly any interest on what it borrows. While Greece has recently had to cough up interest at double-digit rates, for example, the comparable figure for Japan has been a mere 0.75 percent. Even Germany, the euro zone's healthiest economy, has to pay more.


Endless Amount of Money

The reason is simple: Unlike countries in the euro zone, Japan borrows most of its money from its own people. Domestic banks and insurers have purchased 95 percent of the country's sovereign debt using the savings deposits of the general population. What's more, the Japanese are apparently so convinced that their country will be able to pay off its debts one day that they continue to lend their government a seemingly endless amount of money.

Experts warn that this system cannot go on for much longer. Takatoshi Ito, an economics professor at the University of Tokyo, says for example that Japan could become the "next Greece" if its government doesn't change course; the money, he says, will eventually run out. Ito and a colleague have calculated that even if the Japanese people invested all of their assets in sovereign bonds, it would only be enough to cover 12 years of state expenditures.

But who is supposed to come to Japan's rescue once that point has been reached? "If Japan is forced to go looking for investors abroad, a debt crisis will be unavoidable," says Jörg Krämer, the chief economist of Commerzbank, Germany's second-largest bank.

The man tasked with averting this disaster has his office in a building that looks like a fortress compared to the glass-and-steel skyscrapers surrounding it. The walls of the Bank of Japan, the country's central bank in Tokyo, are made of heavy, gray stone decorated with thick columns and gables.

Yet the impression of an impregnable fortress is misleading. The bank's 63-year-old governor, Masaaki Shirakawa -- a thin man with neatly parted hair -- no longer adheres to the disciplined monetary polices his Western counterparts preach. Instead, Shirakawa keeps the money printers going to stimulate the economy. Since 2011, his bank has launched emergency programs with a total volume of around €900 billion. In comparison, the euro bailout funds jointly financed by the euro zone's 17 member states only add up to €700 billion.


Carefully Weighing Each Word

For some time now, Japanese banks have been able to borrow money from the central bank at interest rates close to zero. By following this policy, Shirakawa is doing exactly what a number of European politicians -- and particularly ones from cash-strapped Southern European countries -- have been asking the European Central Bank (ECB) to do: He is financing the Japanese government. He denies doing so, and the method he uses are circuitous, but it amounts to the same thing.

So far, though, his strategy has done little to help. "At the moment," Shirakawa admits, "the effect of our monetary policy in stimulating economic growth is very limited." The cheap money is stuck in the banks rather than flowing into the real economy. "The money is there, liquidity is abundant, interest rates are very low -- and, still, firms do not make use of accommodative financial conditions," Shirakawa adds. "The return on investment is too low."

Shirakawa is sitting stiffly in a black leather chair with a straightened back and crossed legs. He carefully weighs each word.

The chief central banker, though planning to retire this spring, is currently under massive pressure. The government of newly elected Prime Minister Shinzo Abe, a conservative, recently made clear that it expects Shirakawa to print even more money. Abe's inauguration took place on Boxing Day.

The prime minister wants to launch a massive new €91 billion ($120 billion) economic stimulus program, refuelling the Japanese economy with public investments in the construction sector. At the same time, Abe wants Shirakawa to pump unlimited cash into the economy. If the central banker is unwilling to go along with those plans, Abe has warned he is prepared to change the law and place the central bank under government control.

It's the kind of idea economists have little regard for. "That would be tantamount to the driver of a car steering towards a wall and putting the pedal to the metal one more time before impact," economist Krämer says dryly. Klaus-Jürgen Gern, an Asia expert at the Kiel Institute for the World Economy, speaks of "pure helplessness".


Election Gift?

Central bank chief Shirakawa himself seems unsure of the best way to respond. Four days after Abe's electoral victory, the central banker apparently caved and increased his emergency sovereign bond and securities buying program by a further €90 billion. Observers described it as a Christmas present for the imperious election winner.

Still, it also appears that Shirakawa is likewise aware that he may just be throwing good money after bad -- even if, according to Japanese tradition, he hides the concession behind prim courtesies.

Money is only a means with which "to buy time," he says. "It can alleviate the pain. But the government has to implement reforms too."

That may be, but every political effort that has been made in recent decades to activate the overregulated economy has failed. In the retail sector, for example, proceedings have become hopelessly old-fashioned. The industry has slept through many IT revolutions because the country seeks to "preserve as many jobs as possible through extreme state regulation," says Martin Schulz, who has worked since 2000 at the Tokyo-based Fujitsu Research Institute.


It even appears that election victor Abe may be planning to scrap his predecessor's plan to increase the value-added tax (the VAT sales tax) in several steps, from 5 to 10 percent.

One thing is sure, warns central banker Shirakawa, "If we don't deliver fiscal reform, then the yield on Japanese government bonds will rise."


'A Real Problem'

Were that to happen, it would be tantamount to pulling a card directly from the center of a house of cards. Fully one-quarter of the government's overall budget currently goes toward servicing debt. Were Tokyo forced to pay higher interest rates, it's mountain of debt would grow even more rapidly.

One additional "potential risk," is the "amount of holdings of Japanese government bonds within the banking sector," as central bank chief Shirakawa politely notes. If long-term interest rates were to rise considerably, it could affect the stability of the sector.

That, at the very latest, would mark the point at which the crisis could spill across Japan's borders. In Germany, financial institutions like Mitsubishi UFJ may not be widely known, but they are still internationally networked mega-institutions that have the potential to destabilize the entire finance community.


Predicting the potential effects of the Japanese debt crisis is extremely difficult. But researcher Schulz is convinced that there won't be any "major crash." Out of self-preservation, he says, it is unlikely that large holders of Japanese bonds, such as domestic banks, would shed those bonds very quickly. Such a move would severely damage faith in Japanese debt and, by extension, in the banks that hold that debt. Instead, he predicts "many small crises" in the coming years. He and other economists further believe that there is plenty of room to raise taxes as a countermeasure; taxes in Japan remain relatively low.
Nevertheless, warns Commerzbank economist Krämer, one shouldn't give short shrift to the potential dangers of the Japanese debt crisis. "The psychological effect could be the most dangerous one," he says. What would happen, for example, were investors to suddenly lose faith in other heavily indebted countries such as the US.

"Japan remains one of the world's biggest industrial nations, and the yen is an important currency for international monetary transactions," says Asia expert Gern. "If everything were to spin out of control, then the world would have a real problem."

Translated from the German"

http://www.spiegel.de/international/world/massive-japanese-sovereign-debt-could-become-global-problem-a-875641.html

長春の包囲戦・チャーズ/遠藤誉氏のブログから

2013-01-09 11:29:19 | アジア
 遠藤さんの『チャーズ』を昔読んだことがある。長春の包囲戦は専門家の間ではそれなりに知られ、『大地の子』でも主人公の一家が長春市を脱出する経過の中に描かれていたと思う。

 また長春在住の市民の間ではよく知られていることで、私の知り合いも親たちから聞いた話をしてくれたことがある。

 ちなみに国民党軍の司令部は旧満州中央銀行本店-現中国人民銀行長春支店-の地下室におかれていたという。一度見学したことがあるが頑丈な施設だった。

 以下では遠藤氏が改めて体験を整理して語っておられる。


「中国に言論の自由はいつ来るのか?

遠藤 誉  【プロフィール】 バックナンバー2013年1月9日(水)1/5ページ

 リベラルな論調で知られる広東省の新聞「南方周末」は今年の新年特集として「中国の夢、憲政の夢」というタイトルの記事を出そうとしていた。「憲法に基づいて自由と民主を実現しよう」という内容だ。胡錦濤元総書記が2012年11月8日の第18回党大会で繰り返し主張した「政治体制改革」を習近平政権が実現するか否か、その決意のほどが試される記事であったといっていい。

 ところがこの記事は中国共産党広東省委員会宣伝部によって掲載を禁止され、「こんにちの中国は民族復興の偉大な夢に最も近づいた」という中国共産党礼賛記事に置き換えられたのである。正月明けに初めてそのことを知った同紙の記者は、2013年1月3日の中国のツイッターに相当する微博(ウェイブォー、中国内で禁止された「ツイッター」に相当するサービス)で経緯を暴露。言論弾圧だという怒りをぶつけた。

 すると、中国のネット空間はいきなり炎上。多くの網民(ネットユーザー、ネット市民)が「南方周末」を支持した。

 1月4日にはリベラル派の長老たちが主宰する雑誌「炎黄春秋」のウェブサイトが閉鎖されたばかりだ。

 1月7日、言論の自由を求めるメディア関係者は南方周末新聞社の付近に集まり、抗議集会を呼びかけた。応援は中国全土の知識人からも届いている。

 前回の記事で私は昨年の11月15日に選ばれた中共中央のトップ7名である「チャイナ・セブン」の布陣が、あまりに保守的であることを述べ、「これで政治改革ができるのか」と危惧したが、こんな形で早くも現実になってしまった。

 私が中国の「言論の自由」にこだわるのは、私自身が経験した革命戦争における惨事を、65年経った今も中国政府が認めようとしないからだ。

 1947年晩秋、中国共産党軍(のちの中国人民解放軍)は私が住んでいた吉林省長春の街を都市ごと鉄条網で包囲して食糧封鎖し、数十万の市民を餓死に追い込んだ。私は長春を脱出するために「卡子(チャーズ)」という中間地帯に閉じ込められ、餓死体の上で野宿した。恐怖のあまり記憶喪失にまでなったこの経験を1984年に『卡子――出口なき大地』(読売出版社)として出版。中国語に翻訳し中国で出版しようとしたが、こんにちに至るも、出版許可は出ていない。

 しかし中国建国の父であり革命の父でもある毛沢東は、「自由と民主」を掲げて中国人民を革命に駆り立てていったのである。それを信じて、どれだけ多くの人民が命を失っていったことだろう。

 革命の犠牲者は、天安門広場にある「人民英雄紀念碑」に祀られている。これは革命戦争や日中戦争(中国側から見れば「抗日戦争」)で犠牲になった者を慰霊するために建立された記念碑だ。慰霊塔の正面には「人民英雄永垂不朽」(人民の英雄は永遠に不滅だ)という毛沢東の揮毫(きごう)がある。その裏面には周恩来による顕彰(けんしょう)文が彫ってあり、その中の一節に「三年以来在人民解放战争和人民革命中牺牲的人民英雄們永垂不朽」(ここ3年来の人民解放戦争と人民革命の中で犠牲になった人民の英雄たちは永遠に不滅だ)という文言がある。

 しかし、この犠牲者の中には「長春で中国共産党軍が餓死に追いやった数十万の一般人民」は入っていない。

 なぜなら丸腰の人民の命を奪ったのが「人民の味方」であるはずの中国人民解放軍だからである。

 それは1989年6月4日、天安門で民主を叫び中国人民解放軍の銃弾により命を落とした若者たち同様に、語ってはならない犠牲者なのだ。
 語ることさえ犯罪なのである。
 自分の肉親を殺されながら、私たちは殺された事実を語ってはならない。まるで犯罪者が自分の過去を語るように、ヒソヒソと周りに知られないように語らなければならないのである。

 私はもう72歳になる。生きている間にこの史実を何としてもこの世に残し広めたいと思い、昨年末に『卡子--中国建国の残火(ざんか)』(朝日新聞出版)を出した。新政権の「チャイナ・セブン」が早々にこのような言論弾圧をするのであれば、私が生きている間にこの中国語版が中国で出版されるかどうか、はなはだ疑問だ。おそらく無理だろうと思う。

 そこで、その史実の概略をここに紹介させて頂きたい。

 私は1941年に中国吉林省の長春で生まれた。

 1945年8月15日、日本が終戦を迎えたとき中国は「中華民国」という国号で、国民党の蒋介石によって統治されていた。しかし中国共産党による国を創ろうとしていた毛沢東は、「革命」を起こすために国民党に戦いを挑み、「国共内戦」を展開していた(国民党と共産党の間で戦われた戦いなので「国共内戦」と称する)。

 日本が敗戦で苦しんでいたころ、長春にはソ連兵が侵攻してきて、私の家の向かいにはゲーペーウーという、ソ連の軍警察の拠点が設置された。ソ連軍が支配する中、共産党と敵対するはずの国民党が長春入りした。この軍隊は旧満州国の鉄石部隊と、改編した現地即製の小部隊ではあるものの、「中央軍」と呼ばれて、それなりに国民党政府による軍隊らしく構成されていた。

 1946年になると、北に向って移動するソ連軍の巨大な軍用トラックが目立つようになった。長春およびその近郊にある工場の部品等、重機を根こそぎ奪って、ソ連軍は長春から引き揚げていったのである。「ロスケ」と呼ばれたこの時のソ連軍は、シベリヤ流刑囚を中心として編成されていたためか、凶暴で貪欲。市民から奪えるものは全て奪っていったと言っていい。

 次に何が起きるのだろうかと、市民は息を潜めたが、その不気味な静けさを破ったのは銃声であった。毛沢東が率いる中国共産党軍が攻撃してきたのだ。当時は共産党軍のことを八路軍と呼んでいた。

 市街戦が続いている間、私たちは地下室に避難していたが、銃声が少なくなってきたので、私は家の2階に上がった。

 そして大好きだった夕陽を見ようと窓を開けた瞬間、私は右腕に弾を受け、気絶していた。国民党の兵隊が私の家の屋根伝いに逃げようとし、それを狙った八路軍の流れ弾に当たってしまったのである。46年4月16日のことだ。

 気がついた時には、長春市は八路軍によって支配されていた。

 八路軍が支配していた期間は短く、5月22日になると突如姿を消した。毛沢東の指示で瀋陽に行ったと、後に聞く。

 入れ替わりに進軍してきたのが、蒋介石直系の国民党正規軍だ。最新鋭のアメリカ式装備で固めた、ビルマ歴戦の精鋭部隊である。

 高圧的な軍隊だったが、しかしアメリカのマーシャル特使の指示もあって、ようやく治安が暫時保たれるようになり、日本人の大量帰国である「百万人遣送(遣送は送還、退去の意味)」が、その年の夏に始まる。しかし私の父は技術者だったので、政府に「留用」され、帰国を許されなかった。

 翌47年夏にもまた、日本人の遣送があり、国民党政府にとってどうしても必要な最低限の日本人技術者を残して、他は帰国させるという方針が実行された。父はこの時もまた帰国を許されなかった。

 この遣送における最後の日本人一行を送り出した10月、長春の街から突然、電気が消えた。水道もガスも出ない。

 長春市が丸ごと八路軍に包囲されたのである。食糧封鎖だ。
 食料を近郊に頼り、都市化していた長春は、たちまち飢えにさらされる。

 最初のうちは物々交換により、いくばくかの食料を手に入れることも出来た。しかし食糧そのものが底をつき、餓死者が増え始める。特にその当時の長春の冬は零下38度を記録したこともあり、10月ともなれば零下にいきなり突入する。暖を取る薪も石炭もなく、多くの日本人が引き揚げていって荒屋となった家屋を壊して燃料とする者が多くみられた。さもなければ凍死するしかない。

 私たちはできるだけ体力を消耗しないように、昼間も横になって飢えを凌いだ。
 飲み水は同じ庭にあった唯一の井戸を用いた。
 やがて腹違いの兄の子供が餓死し、次に兄が餓死した。

 私の右腕の傷は化膿して腫れ上がり、両腕の関節が次から次へと化膿しては潰れていった。私の父は、ソ連軍の攻撃から逃れて長春に辿りついた開拓団の人たちを数多く養ってあげていたが、その中の一人のお姉さんが結核性の筋炎を患っていた。私は彼女の包帯交換などをしていたために、弾が当たった右肘の傷に結核菌が感染して、それが全身に回っていたのである。

 やがて、春がやってきた。
 5月になると長春の草花は一斉に芽吹く。
 摘みさえすれば食料が入るのだ。

 もう何カ月間も歩いたことのない体に鞭打ち、幽霊のような足取りで、表に出て雑草を摘んだ。どのような政治勢力が働いていようとも、この天地の力をも奪うことはできまい。大地に降り注ぐ陽光までを遮ることは何人(なんぴと)にもできないのだ。

 アカザは茹でるとほうれん草のような匂いがした。オオバコには苦みがあり、楡の葉は粘っこく口の中を這いまわる。それでも、何カ月ぶりかで口にする野菜により、化膿した傷口から出てくる濃の量がいくらか減るのを見て、生命の循環に圧倒される。

 しかし、新芽は芽吹く先から摘まれていくので、あっという間になくなってしまった。
 
 このとき、中国共産党軍は長春に対して「久困長囲」(長く包囲して困らせる)という決定をしている。そして「長春を死城たらしめよ」という指示を出しているのである。

 長春の街はまさしく死の街と化していた。

 餓死体が取り除かれることもなく街路樹の根元に放置され、親に先立たれたのか、その周りで2、3歳の子供が泣き喚いている。幼子の周りをうろついている犬。犬は野生化して、餓死体だけでなく、親に先立たれた幼子を食べるようになっていた。

 旧城内という、中国人だけの居住区では、人肉市場が立ったという噂が流れていた。
 国民党軍は瀋陽から飛んでくる飛行機が無人落下傘で落とす食糧により肥えていた。その落下物に市民が近寄れば銃殺される。しかし飛行機自身も低空飛行をすれば八路軍に撃ち落とされるので、上空から落とすようになり、そのうち飛来してくる回数も少なくなっていた。

 この状況下、国民党政府は軍の籠城を保たせるために、市民に長春から出ていってほしかったのである。そこで国民党軍は市民を一人でも多く長春から追い出す方針を採った。

 長春を包囲する包囲網を「卡子(チャーズ)」と称するが、その卡子には「卡口(チャーコウ)」と呼ばれる出入り口があり、そこからなら脱出して良いということになっていた。

 ところが、私たち一家は国民党政府に「留用」されていたので移動の自由がない。しかしこれ以上長春にい続ければ餓死者が続出して一家全滅となる。

 そこで父は長春市長に会い、国民党政府に「留用の解除」を求めた。市長はあまりに変わり果てた父の姿を見て、すぐに「解除証書」を発行してくれた。

 9月20日、私たちはいよいよ長春脱出を決行することになった。その前夜、末の弟が餓死した。

 「卡口」には国民党の兵隊が立ち、一人ひとりの身分を確認しながら「ひとたびこの門をくぐったならば、二度と再び長春市内に戻ることは許されない」と言い渡していた。

 戻るはずがない。餓死体が街路に転がり、人肉市場まで立ったという所には二度と戻りたくない。この門をくぐりさえすれば、「解放区」がある。「解放区」とは八路軍(中国人民解放軍)によって解放された地域のことだ。

 しかし、その門は「出口」ではなかった。
 真の地獄への「入口」だったのである。

 鉄条網は二重に施されていた。内側が長春市内に直接接し国民党が見張っている包囲網。

 外側の包囲網は解放区に接し、八路軍が見張っている。その中間に国共両軍の真空地帯があり、こここそが、まさに卡子(挟まれたゾーン)だったのである(卡子には(軍の)「関所、検問所」の意味と、「挟むもの」という二つの意味がある)。
 
 足の踏み場もないほどに地面に横たわる餓死体。
 四肢は棒のように骨だけとなっているが、腹部だけは腸(はらわた)があり、それが腐乱して風船のように膨れ上がっている。それが爆発して中から腸が流れ出している餓死体もある。そこに群がる大きな銀蠅。近くを難民が通ると「ブン!」と羽音が唸る。
 
 外側の包囲網である鉄条網が見えた辺りから、八路軍の姿が多くなり、導かれるままに腰を下ろす。死体の少なそうな地面に、持ってきた布団を敷き、野宿。陽は既に沈んでいた。
 
 翌朝目を覚まして驚いた。布団の下が嫌にゴロゴロすると思っていたら、ふとんの下から餓死体の足がニョッキリ出ている。

 新たな難民が入ってくると、それまで死んだように横になっていた難民たちが一斉に起きあがり、ウワァーッと新入りの難民を取り囲んで食料を奪う。八路の兵隊は、それを特に止めるでもなく、黙って見ている。そしてその八路軍が守る解放区側に接する包囲網の門は、閉ざされたままだった。

 私たちは、この真空地帯に閉じ込められたということになる。
 ここで死ねというのか――。
 赤旗の下で戦っている八路軍は、苦しむ人民の味方ではなかったのか――。

 夜になると、前の夜には聞こえなかった地鳴りのようなうめき声が暗闇を震わせた。父が「ちょっと行ってくる」と立ち上がった。父にしがみつくことによって何とか恐怖に耐えていた私は、そのまましがみついて父のあとを追った。

 そこには死体の山があった。うめき声はここから出ていた。

「死に切れぬ御霊(みたま)の声じゃ・・・」

 父はそういうなり地面にひれ伏して、御霊を弔う神道の祈りの詞を唱え始めた。
 するとどうだろう。死んだはずの死体の手が動いたのだ――。
 鉄条網の向こう側の電柱についている裸電球に照らされて、青白い手が動いた――!
 その瞬間、私の精神をギリギリまで支えていた糸が、プツリと切れてしまった。

 死体の前で祈っている父の姿が、どんどん小さくなっていく。
 うめき声は消えたが、私は正常な精神を、この瞬間失っていた。記憶を喪失してしまったのである。

 四日目の朝、父に卡子出門の許可が出た。アヘン中毒患者を治癒する薬の特許証を持っていたからだ。解放区は新中国建設のために技術者を必要としていた。しかし、いざ門を出ようとすると、敗戦後父を頼って私たちの家に居候をしていた元満州国政府の技術者の遺族が出門を禁止された。技術者の遺族は技術者ではないので、解放区に入ることは許さないというのだ。

 このとき私には二人の姉と妹および弟がいたが、弟は既に脳症を起こして人事不省だ。
 私は全身結核菌に侵されて化膿した複数の傷口から膿が噴出し、しかも恐怖のあまり記憶を喪失している。このまま、あと二日も卡子内に留まれば、死は確実だろう。長春を脱出する前夜に息子を一人失っている母としては、申し訳ないが、我が子の命を助けたいと思うのが人情というものだろう。このまま技術者たちのご遺族とともに卡子に留まるという父を母は捨て身で説得し、私たち一家は卡子をあとにした。

 「共産党にとって有用な者だけを放出せよ」という指令が毛沢東から出ていた。私たちはまさにその方針により出門できたのである。1948年9月24日のことだった。

 だからいま私はここに生き残っている。

 卡子の門を出るとすぐにお粥が配られた。
 解放区で飢え死にする者は一人もいないようにしろ、というのが、毛沢東の指示であった。毛沢東は「誰が民を食わせるかを民に知らせるのだ。そうすれば民は自分たちを食わせてくれる側につく」という戦略に基づく指令だった。すなわち、民は毛沢東率いる共産党を選ぶか、それとも蒋介石率いる国民党を選ぶかと、という意味だ。

 この論理は現在の中国においてもなお、変わっていない。
 だから、私は命を賭して経験に根差した中国分析を試みるのである。

 中国共産党は「中国を経済的に豊かにしているのは中国共産党だ」として、統治の正当性を主張している。

 たしかに中国は豊かになった。
 しかしその分だけ貧富の差が開いている。
 そして人は腹が満ちればそれでいいという生き物ではない。
 尊厳を求めている。
 経済的に豊かになれば権利意識も芽生える。

 これからの5年間、まず第一期目の習近平政権の覚悟のほどが問われている。」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20130107/241896/?P=1

中国の報道規制(続)

2013-01-09 11:27:18 | アジア
「中国紙書き換え、共産党寄り社説転載を通達

読売新聞 1月9日(水)9時29分配信

 【広州=吉田健一】中国の有力紙・南方週末の新年社説が広東省共産党委員会の指示で大幅に書き換えられた問題で、英BBC(電子版)は7日、共産党中央宣伝部が新聞社などに対し、党の報道機関への介入を正当化する内容の共産党機関紙・人民日報系列の同日付社説を即時転載するよう通達したと報じた。

 報道統制強化で問題の封じ込めを図る習近平(シージンピン)指導部の姿勢が鮮明になった形だが、8日付中国紙には転載しなかった所も多数あり、党の露骨な介入に「暗黙の抗議」(中国紙記者)を示した可能性がある。

 転載指示があったのは、7日付の環球時報の社説。「メディアが中国の『政治特区』となってはならない」「西側の主流メディアでも、政府に公然と対抗する選択肢はあり得ない。中国でそのようなことをすれば、必ず敗れる」などと強硬論が展開されている。

最終更新:1月9日(水)9時29分」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130108-00001321-yom-int