白夜の炎

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放射性物質放出量、政府推計の2倍か

2011-10-27 18:16:15 | 放射能


「放射性物質放出量、政府推計の2倍か

読売新聞 10月27日(木)3時11分配信

 東京電力福島第一原発事故の初期に放出された放射性物質セシウム137は約3万5000テラ・ベクレルに上り、日本政府の推計の2倍を超える可能性があるとの試算を、北欧の研究者らがまとめた。

 英科学誌「ネイチャー」が25日の電子版で伝えた。世界の核実験監視網で観測した放射性物質のデータなどから放出量を逆算。太平洋上空に流れた量を多く見積もっている。
最終更新:10月27日(木)3時11分」

中国元の台頭―ロシアの声より

2011-10-27 18:06:33 | 経済
ロシアの声⇒http://japanese.ruvr.ru/2011/10/25/59311674.html


「アフリカでは、ドルにとって先行き暗い時代がやってきそうだ。中国の元が、アメリカ・ドルを押し出し始めているからだ。 ケニヤ政府は、自国通貨のレート安定化のため、外貨準備高の一部を元に切り替える考えである事を明らかにした。

 そうした意向を持っているのは、何もケニヤばかりではない。9月初め、ナイジェリアがアフリカ諸国では初めて、自国の手持ちのドルの10%を元に替えると発表している。ナイジェリア中央銀行総裁は「米国の投資ランキングの低下と大幅な予算赤字を考慮して、外貨準備の多様化を余儀なくされた」と述べた。

 ナイジェリアの外貨準備高は、アフリカ諸国としてはかなり多く、330億ドルだ。 同国中央銀行総裁は又「我々は中国に、元決済で石油を売却する可能性を検討中だ」と伝えた。

 新興国の中でも最大の銀行の一つ南アフリカのスタンダード銀行の予測は、判断基準となりうるものとして参考になるが、同銀行の専門家達は「ナイジェリア、ケニヤや南アフリカに続き、ガーナやアンゴラも貿易決済で、元を採用するだろう。2015年までには、中国・アフリカ貿易高のほぼ4割が、元決済になる」と見ている。

 アジアでもすでにいくつかの国々が、自国の外貨準備の中で、ドルの割合を減らし元で補い始めた。例えはタイ中央銀行は、70億元を手に入れ、フィリピンも元を買う用意のある事を明らかにした。 このほど終わった第8回中国・アセアン見本市から判断するに、両者間の相互決済が元に移行する可能性も、遠い将来の事ではないように思われる。

 アセアン内でそうした雰囲気が広がったのは、アメリカ経済の先行き不安及び欧州で長く続く不況から、新たな金融危機が起こるリスクが高まっている事による。

  ましてアセアン諸国には、元決済に換えた好ましい例が存在する。この三年、ドル・円・ユーロが激しく変動している中、インドネシア・マレーシア・シンガポール・韓国、さらにアルゼンチン、ベラルーシ、スペインといった国々は、中国との間で、決済でドルを使わず、それぞれの通貨をお互いに交換する合意を結んだ。

 今年の夏、アメリカでデフォルトの危機が高まった時、中国は外国企業に対し、中国への直接投資のため、国外で受け取られた元の売上金を使う事を許可した。 このように傾向がはっきりしているにもかかわらず、専門家は「元の完全自由化までには、まだ道のりは大変遠い」と見ている。

 ロシア金融市場研究所のイーゴリ・コスチコフ研究員の意見をご紹介する―

  「元は完全な兌換通貨ではない。レートは明白に調整され、中国当局がそれを行っている。そうしたメカニズムが存在している間は、元が予備通過になるとは、おそらく言えないだろう。一方、中国も通貨メカニズムを最終的な自由化することはない。そんな事をしたら、輸出するのは高くつき輸入については安くなるので、中国経済は激しく落ち込んでしまうからだ。 今後10年、中国の元が、予備通貨の地位を占める可能性はないと思う。しかし10年後は、分からない。」

  ドルが世界通貨となったのは、アメリカが世界最大の経済大国の地位をイギリスから奪って、10年後のことだった。こうした歴史が、今回も繰り返されるのだろうか? 経済専門家達は、8年から10年後には、中国がアメリカを抜き、世界最大の経済大国になると予想している。」

放射能の人体への影響―ロシアの声より

2011-10-27 17:57:13 | 放射能
ロシアの声より⇒http://japanese.ruvr.ru/2011/10/21/59121688.html

「放射線が健康を害し死にいたらしめる恐ろしいものだということ以外、我々のような一般人は放射線について何も知らない。放射線と原発への恐怖はラディオフォビア(放射線恐怖症)と呼ばれている。この恐怖を社会に広めないため、政府は情報を一部隠すことで、住民をなだめる。

 例えば、日本政府は、チェルノブイリ原発の事故を引合いに出し、放射線は決定的な破壊を人体にもたらすわけではないという考えを住民に吹き込んでいる。国際原子力機関もこのような見解を持っており、その目的が原子力発電の発展であることは明白である。

 しかし、ただ自分の学問的興味を満たしたいだけではない学者、研究者、医師たちは現在と将来の人類を憂いている。そのような他者の苦しみに無関心ではいられない学者たちが、今回モスクワに集まり、「放射線が子供の人体にあたえる影響の生物医学的結果」という国際会議を開いた。

 学者たちは、「ここ数十年で地球の環境は悪化している。その要因の一つに放射線汚染が含まれる。環境汚染に決定的な負の貢献をなしたのが、1986年のチェルノブイリ事故だ。日本における福島第一原発の事故の結果がどのようなものになるのかはまだ予想がつかない」とのべた。

 原発やその他の原子力機関の事故で発生する放射性同位体に汚染された地域に住む人々は、健康に高いリスクを負うことになる。特に出産適齢期の女性と子供はその傾向が強い。それは汚染の度合いが低くても同じことだ。チェルノブイリ事故から25年たった今でも、健康被害に苦しむ人々についての報告は数多くなされている。

 放射線の性質については明らかでないことが多い。なぜほんの少量の放射性同位体が大量の放射線同位体と同じかそれ以上に働くことがあるのか?

 なぜ放射線に照射された細胞を試験管にいれその隣に照射を受けていない細胞をおくと、その細胞は照射を一度も受けたことはないのに照射を受けた細胞と同様に異常化してしまうのか?今のところこれらの問いには答えを与えることはできない。この細胞の異常化現象は「傍観者効果」と呼ばれている。

 現在、学者たちは放射線により異常を生じた細胞は遺伝するのかどうかを研究中だ。動物実験では、照射を受けた親の子は一度も放射線を浴びたことがないにもかかわらず、その兆候を見せた。「傍観者効果」の研究は遺伝学において新しい地平を開くものになるだろう。アメリカの『サイエンス』誌はこの発見を近年中でもっとも重要な10の発見の一つに数えている。

 キエフ放射線医療センターのステパノワ博士は「ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人科学者によるチェルノブイリ原発事故後の数多くの研究は日本で役立てることができる」と述べた。不幸にも世界で唯一の被爆国となった日本は、チェルノブイリ原発事故後、放射線由来の病気の診察と治療および予防に尽力してくれた。

 「児童を放射能から護る会」のラリサ・バレーヴァ代表は、「日本は、我が国の学者と医者たちがチェルノブイリ事故後に通った道を歩まなければならない」と考える。

 バレーヴァ代表は、「チェルノブイリと福島の事故後の経過には同じシナリオが待ち受けていると思う。25年後のパラレル関係に両者はある。我々がチェルノブイリ後につきあたった問題が日本を待ち受けていることはほぼ間違いないだろう。その問題とは、甲状腺ガン、子供たちの罹患予防、内部被ばくなどである。でも、私たちには今日までに蓄えた効果的治療法の臨床例がある」と述べた。

 今日では、ガンの80パーセントが環境による原因で罹患することが証明されている。外部被ばくおよび内部被ばくは、ほんの少しの放射線量であっても3世代、4世代にわたって残存することになる。

 会議では人類すべてを脅かしている問題がいくつかふれられたが、それについては「学問と技術」の番組で詳しく取り上げるつもりだ。」

原発労働の実態―続

2011-10-27 14:12:10 | 労働
 原発労働問題です⇒http://synodos.livedoor.biz/archives/1775657.html

「2011/6/109:40

現代労働問題の縮図としての原発 ――差別の批判から、社会的基準の構築へ 今野晴貴(NPO法人POSSE代表)

■はじめに

福島第一原子力発電所での事故を受けて、原発における被曝労働に、かつてないほどの注目が集まった。ひとたび事故が起こると、誰かが命をかけてしか止めることができないという非人間的な装置。「対処」を求めることが、誰かの「被曝」を要求することと同義となってしまうジレンマ。原発が惹起する残酷な現実に、多くの人がとまどわずにはいられなかったのではないだろうか。
ところが、事故のはるか前から、「原発労働」は悲惨な労働問題として、その存在を知られてきた。原発は事故による大規模な汚染が生じなくとも、日常的に労働者を「被曝」させ、多くのガン・白血病患者を生み出してきたからだ。事故によって改めて焦点が当てられた被曝労働は、実は平穏な日々に隠れた「裏側の日常」であった。

3月11日からの数日間、原子炉の冷却作業が一進一退するなかで、私自身は、事例の研究と運動の支援のために派遣・請負労働問題の裁判に出向いていた。派遣労働問題はこの数年来もっとも注目を集めた労働問題の一つであり、POSSEが課題として取り組む中心的なイシューでもある。

私は出身が仙台であることもあって、「いつものように」現代の労働問題に向き合いつつも、内心は震災の被害や放射能の汚染について気が気でなかった。しかし、考えれば考えるほど、原発がもたらす今日の被害は「労働問題」なのである。裁判を傍聴しながら、報告会に耳を傾けながら、そうした思いが込み上げてきた。

第一に、原発労働は親企業が下請企業に危険な労働を押し付けることによって、初めて成り立っている。このことは製造業の派遣労働者や、下請企業に従事する建設日雇い労働者が、危険な労働や生きていくことの難しい低賃金労働を強要されてきたことと同じ構図である。派遣労働者が「派遣切り」で自殺や貧困に追いやられたとしても、実際に不安定労働を利用した企業は「無関係」を装ってきた。実際に労働者を利用する企業の責任をあいまいにする「間接雇用」の蔓延は、雇用される者の生存を十分に脅かしてきたといってよい。

第二に、原発労働はまさに「死をも含みこんだ労働」を必要とするが、これは今日の過労死問題と通じている。どの程度まで危険な労働、過酷な労働を社会的に許容するのか。この点を問うてきたのが過労死・過労自殺訴訟であり、原発の被曝労働についても同じことがいえよう。

すなわち、間接雇用について、より強い規制が敷かれていれば、そして過労死訴訟をつうじて、人間の生命と経済活動の自由のあいだの線引きが、より人間の側に引かれる社会となれば、(直接的にではないにせよ)原発における被曝労働は許容されないのではないだろうか。少なくとも、より労働者に配慮した設計がなされただろう。世界に冠たる技術大国として、原発事故に対応するロボットを30億円をかけて開発していながら、実用化されないまま廃棄されていたことも明らかになっている。労働者の命の軽視にも程があろう。日本でこれまで原発を稼動できたのは、あるいは原発を稼動して大きな利益を生むことができたのは、こうした社会の設定する労働基準が低かったためである。

以上のような労働問題の視座にたって、本稿では第一に、原発における労働がどのように危険であり、それをどのような人々が引き受けてきたのかを考察する。第二に、そうした危険にもかかわらず原発労働が維持されてきた構図を、労働力供給と「差別(レイシズム)」の観点から考察する(危険の隠蔽)。そして最後に、これを是正していく社会的なプロセスについて考えたい(リスクの政治)。

■「死を前提する」原発労働

放射線の毒性については即座に影響の現れる急性障害(確定的影響)と、経年して発症する晩発性障害(確率的影響)とに二分して考えられる。前者については比較的因果関係の特定が明瞭である一方、後者については今日でもなお、影響の全容が把握されていない。

そのため、放射線の晩発性の危険については「ここまでが安全」であり、「ここからが危険」という「しきい値」は存在しない。統計が教えてくれることは、放射線被曝にはどんなに低くとも「確実なリスク」が存在するということである。これまでの研究によれば、微量の放射線であっても人体に影響を及ぼすことが明らかになっている。

このように「しきい値」がなく、総被曝量が増えれば増えるほど、障害発症者数は増加すると見込まれるにもかかわらず、原発における労働は一人当たりの被曝量を管理し、一定以上にならないように交代(人海戦術)で行われる。基準値に到達することが「ノルマ」とされることもあり、「被曝量」が売り物であるとさえいわれる。

この結果、危険性は除去されるわけではなく、拡散しながら増加し、絶対的な疾病数が増大していくのである。原発労働は一定の「死の可能性」を前提し、「死」それ自体が堆積していく労働なのである。

■「危険」としての原発被曝労働

ところが、こうした「死の可能性」(実際には「死の堆積」)は、これまで許容可能な「リスク」として扱われてきた。そこでリスクについて考えることが重要となる。

社会学では予見可能な危険を「リスク」とよび、予見不可能なものを「危険」としてこれと区別する。原発での被曝労働を「リスク」として把握した場合には、その「リスクの評価」(労働災害の認定)をめぐる政治が、「危険」として把握した場合には、これを隠蔽する抑圧の構図(下請、間接雇用)が見えてくる。そして、原発における低いリスク評価(労災認定の政治)と危険の隠蔽(下請、間接雇用)の双方は、まさに現代労働問題の縮図である。



■原発被曝労働の類型と下請労働・下請労働者

原発における労働は、そのほとんどが下請会社の労働者によって行われる。藤田祐幸『知られざる原発被曝労働―ある青年の死を追って』(岩波書店、1995年)によれば、原発被曝労働は以下の三つに分類できる。第一に、原発の制御系や保安系の維持と管理をするグループである。彼らの主な業務は設備の保守・点検であるが、これは経験や知識など専門的な能力を要する業務であるため、特定の労働者が継続的に従事することになる。そのため、もっとも被曝量が多くなりやすい。

第二に、原子炉やタービンを納入したメーカーが行う機械の検査や修理である。実際の検査等はメーカーの技術者や、これに動員される下請企業の労働者が、定期検査の期間だけ短期間の作業を行う。第三に、専門的な作業従事者が作業する現場の放射能を除染する清掃作業などを行う技能を要さない下請作業である。彼らは農村や都市スラムから動員される。

こうした下請企業の労働者を動員することで、大元の電力会社の負担は小さくなり、責任もあいまいになる。電力会社の社員が労災で死亡した場合には、3000万円前後の上積み補償金が支払われる労使協定が結ばれているというが、下請企業の労働者にはそれがないことが象徴的だ。また、第二のグループや第三のグループでは、作業に従事しているあいだは健康診断を受けることができるが、離職した後に「確率的影響」が現れたときには原発とは関係のない場所にいる。農漁村や都市スラムの病院で「原因不明」の病として処理されるのだ。こ原発で利益を享受している何者もこの責任をとることがなく、まさに危険の「隠蔽」がなされる。

■差別と共通原則

だが、こうした「間接化」だけでは原発被曝労働は成立しない。原発を稼動するためには、「差別された労働力」そのものの確保を必要とする。原子力産業における被曝労働は、世界的に先住民族や黒人に課せられてきた。

日本の原発において、もっとも抑圧された労働者のグループは前述の第三のグループ、清掃等の業務に従事する日雇い労働者たちである。原発におけるこのグループの労働力は、こうした不安定労働のカテゴリーそのものである。原発の立地自体が首都圏や大都市圏を避けられているが、現地の兼業農家がこの代表格となる。これに加え、釜ヶ崎などの日雇い飯場からの労働力調達が行われてきた。いわゆる「都市下層」、「スラム」と呼称されうる労働力供給源だ。

差別労働に対し、先住民族や黒人の場合は、人種や民族などにもとづく差別を禁止する方法を取ることができる。だが、こうした「差別批判」の政策論は、日本のパート労働の場合にみられたように、市場を経由した差別を批判できず、むしろ強化しかねない。「雇用形態差別や過酷な労働は、労働者自身の選択の結果である」、すなわち、「市場の取引は自己責任だ」と。

原発労働者への差別に抗するためには、どのような人であれ、どのような事情であれ、たとえ市場の取引の結果であれ、差別は許されないという「共通基準」の思想こそが有効である。これは、現代労働問題としての派遣労働や有期雇用に対し、同一(価値)労働同一賃金という共通基準を獲得することが課題となっている事態と同様である。

■「リスク」は社会が決定する

最後に、原発被曝労働を「リスク」として受容する「政治」について考えたい。これは、原発による放射線被曝による被害が、どの程度認定されるかにかかっている。すでに述べたように、放射線被曝の被害は確定が難しいため、この因果関係は常に判然としない。そのため、どこまでを原発労働の被害として社会的に認定するかが、リスクの範疇を決定付ける。

この認定の基準の程度が小さいほど、原発のリスクは低く評価され、原発のコストも低いものとみなされる。逆に多くの事例において原発労働との因果関係が認められれば、リスクは社会化され、原発のコストは高く見積もられることとなる。

労災における疾病の認定は、ケガの場合と異なり、一般的に事実的因果関係の証明は困難である。そこで疾病リストが作成され、このリストに記載のある場合には賠償がなされることとなっている。最近ではアスベストの被害の事例がわかりやすい。誰かが肺ガンを発症した場合、その原因がアスベストであるのか喫煙であるのか、科学的な特定をすることは不可能である。だが、アスベストを扱った労働者に関しては、肺ガンの場合に因果関係が認定される。労災認定においては、事実的因果関係そのものを社会的に判断する(相当性)しかないのだ。これはすぐれて政治的・社会的問題である。

こうしたことは、私たちがこれまで問うてきた過労死・過労自殺の問題とまったく同じである。過労死の場合には脳・心臓疾患が主な疾病となるが、この因果関係を特定することは、極めて困難である。

長時間労働やパワーハラスメントが過労死・過労自殺を引き起こすということが社会的な合意となり、労災認定の基準がより厳格につくられれば、こうした非人間的労働は抑制される。同様に、放射線の影響は科学的な探究だけによるのではなく、それと連動した社会化によってこそ、抑止されるのだ。

■おわりに

原発事故がなければ、助けられた命がたくさんある。震災後の寒気の中で、奪われていった命がある。そうした人命の特定すら、もはや容易ではない。物資や救援の遅れ、そして政府の意識が被災者に集中できなかった事態を招いた大きな原因は、原発にある。私は、自分自身の手では何もできなかった。せめて労働問題を問うことで、このようなことが二度と起きないようにと思わずにはいられない。

(本エントリーは『POSSE vol.11 〈3・11〉が揺るがした労働』掲載記事のダイジェスト版となります。)

今野晴貴(こんの・はるき)
1983年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程。専門は労働社会学・労働市場政策。著書に『マジで使える労働法』(イーストプレス)、共著に『労働、社会保障政策の転換を――反貧困への提言』(岩波書店)、『「若者の現在」政治』(日本図書センター)。

POSSE vol.11 〈3・11〉が揺るがした労働
著者:POSSE/高橋哲哉/木下武男/岡田知弘/樋口健二/仁平典宏/斎藤幸平/今野晴貴/本橋哲也/萬井隆令/熊沢誠/後藤和智/川村遼平
販売元:合同出版
(2011-05-25)
販売元:Amazon.co.jp」

原発労働の実態

2011-10-27 13:50:35 | 労働

 原発労働者の実体験です⇒http://san-ya.at.webry.info/201103/article_11.html

「松本さん(被曝労働体験者)の話

司会:では、次に移りたいと思います。新宿で野宿している労働者の松本さんをご紹介したいと思います。

 いま、藤田さんのお語にあったように、下続け孫受けの業者が、清掃等の形でくるわけですが、はじめから原発の仕事だって公募することはまずありません。

 松本さんの場合もそうですが、駅の手配で、仕事に行くときにも、簡単な拭き掃除だということしか教えてもらえなかったと。そいで連れて行かれたところが原発の中だったということです。

 寄せ場や野宿の労働者はおそらく圧倒的にそういう形で連れていかれて、多くの場合は出てくるときに口止めをされているために実態が明らかになっていない。儀たちもどういう業者なのかつかめていないので、どこを叩けばいいのかわかっていない。実際中でどんな仕事をしてきたのか聞きたいと思います。


連れて行かれるまで

松本:こんにちは。私は新宿でみなさんにお世話になっております。

 こちらの先輩の方から今日のお話を聞きまして、ぜひ自分の体験したことをみなさんにわかっていただきたいと思いまして、おじゃまさせていただきました。

 私ね、戦争で耳やられちゃってきこえにくいのでそのへん勘弁してください。新宿でお世話になってるのは5年目、いいコケのはえてる親父です。その前はね、食い物のほうが本職なんですよ。6年ぐらい、京都で仕事してまして,そいで契約がきれまして、東京へね、帰ってきたわけです。

 まだ新宿のことは何も知らなかったんですよ。そいで退職金やなんかね、20万以上もってたんで、正直上野で遊んでぶらぶらして、勝手なことやってたんですよ。

 そのうち上野の駅でね、肩たたかれて、「君、何やってんだ」って言うからね、「関西で仕事やってたけど、帰ってきてぶらぶら遊んでるんだよ」って言ったら、「楽な仕事があるからね、半年でも一年でも働いてくれないか、責任持つから」って言うんですよ。で、「どんな仕事か」って聞いたの。そしたら「お宅ね、年輩者だから、土方やなんか経験あるだろ」って言うから、「ないよ、関係ねえから。食いもん商売だから」って。

 「そいでも大丈夫だから、行ってやってみないか」って言うんですよ。掃除仕事だって。ただ雑巾やなんか持って掃除してくれればいいって。

 それならね、ぶらぶら遊んでてもしょうがないからって.そしたらね、私のそばにいた友達が一緒に話を聞いてましてね、私も行ってみようかなって.そしたら手配師が、「二人でも三人でもいいや.立ち話でもなんだから、喫茶店でお茶飲みながら話しようや」って。コーヒーごちそうになったりケーキごちそうになったりして語を聞いたところね、常磐線に土浦、荒川沖ってところがあるんですよ。

 そこに一緒に行きましたら、手配師が電話かけましてね、迎えの車よこしたわけですよ。そいで乗ってきましたところが、荒川沖って駅から、だいたい20分ぐらい離れたところにね、会社っていうんですかね、飯場でね、前に来てたのがね、15から16人いたんですよ。仲間が。

 そこでいろいろ話聞きましたら、責任者っていうんですか、職長っていうんですか、私たちの面倒をみてくれる、世話役っていうんですか、その人に聞きましたら、土方なんか絶対やらせねえから.ね。もう夕方も5時から6時には帰ってきて、遊んでりゃいいんだからって。そいじゃあせっかく荒川沖ってとこまで来たんだから、帰るのもなんだからって思って、やらせてもらいますって言いました。


作業

 ところがね、最初はね、東海大学でもってね、二日ぐらい、いろいろ聞いたんですよ。作業をね、どういうことをするか、つてね。研修っていうんですかね、早く言えば。

 そいで3日目からね、朝、車にのっけられてね、前日にいった東海大学に行くのかと思ったら、水戸を通り越して、東海村っていう、原子力の発電所があったんですよ。全然知らなかったの。門前でストップしまして、職長さんていうんですか、それから世話役さん、一緒に行った会社の責任者、そういう人がね、ちょっと用があるからって言って、私たちを置いてね、帰っちゃったわけですよ。なんだ、無責任な野郎だなと思って。

 そしたらね、原発のね、職員さんが「いらっしゃい、よく来てくれました」って。なんもわかんないだろうから、こっち来てあたしの説明を開いてくださいって。そいで連れて行かれた所で、以前、健康を害してないかとか聞くんで、やせてるけど体だけは丈夫だよって答えて、そしたら詰め所みたいなとこがあってね、着替えてくださいって言うんですよ.おかしいなって思って。

 そしたら上下真っ白いやつを着せられて、作業服って言うんですか、それとね、針とメーターがついたやつ、わかんないけどさあ、くっつけられて、さあどうぞ現場へ行ってくださいって言うわけですよ.帽子かぶってね、マスクしてね.
 何するんだろ-つて思って行ったところがね、さあ、仕事はじめてくださいっつったちね、なんつったらいいんですか、煙突みたいなね、太いやつがあるんですね、そこにね、梯子みたいなのがかかってるんですよ。

 それをかわいた布、はやく言えば雑巾みたい、ちょっと薬品がついてるんですね、渡されて。そいではしごの途中に体休めるとこ、高いとこですから、休憩所っていう動くように上がったり下がったりするとこがあるんですよ。それに乗っけられてね、ここで仕事してくださいって。どうすんですかって、とにかくここをきれいに掃除してくださいって。中を.そいで、台がぐるーつと回るんですよ.

藤田:それは煙突の中ですか。

松本:中。そこをふいてくださいってね.においかいでみたけど,なんの薬だかわかんないけど、においがするんですよね。そいで1時間ぐらいやると、30分くらいで休憩だって言うんですよ。こーりゃいいや、楽ちんだって(笑).ところが、やってるうちにね、「ガーガーガー」って鳴り出すんですよ.

藤田:何分ぐらいで鳴りました?

松本:15分から30分ぐらいの問。そいでね、赤いレッドゾーンて言うんですが、これがオーバーして、針がピーピッてものすごい音が鳴るんですよ、こっちはわからないから一生懸命やってると、「はい、きゆうけ-い」って。そいでまだ休んで,またやる。針がもとに戻っちゃう。そいで始めると、針がピーッて。おっかしな仕事だなーと思って.具合が悪くなる

 そいでね、二日三日はなんともなかったんですよ。私と一緒に行った友達も。そしたらねえ、5日か6日、だいたい一週間ですね、夜、会社へ帰ってきて食事しても、なんだかねえ、風邪ひいてんのかな、体がだるくてね、痛いとかそういうんじゃないんですよ、わかんないけど、なんだか知らないけど、体がだるくてしょうがねえなあって仲間と話してたんですよ。

 そいでねえ、ちょうど3カ月目です.私ね、戦争で耳が悪いんですがね、のどはなんともなかったんですよ。ところがねえ、会社帰って寝ると体があったまってくるでしょう、そうすると苦しくてしょうがない、ごほんごほんってね。そいで責任者にね、体温計貸してくれって言うとね、一応貸してくれてね、38度あるんですよ.

 そいで朝になって、寝不足だけど、やっぱり起きろ仕事行けっていうから、ほいで行ったけど。自分でも考えたんですよ、こんな喉痛くなるような覚えないんだけどなあ、つて。悪いけど、やめさせてくださいって、調子悪いから。ここやめて東京帰って医者にみてもらうからって。自分の体だからね.そうしたら、我慢してやってくれって言うんだよね。でもね、5~6年前の一日の日当がね、1万5千から1万8千くれたんですよ、だけど、そんなお金もらったって、体に代えらんないもん、命に。悪いけど勘弁してくれって言って。


友達の死

 一緒にいた友達にね、どうだ、具合悪くないかつて開いたけど、「今んとこ俺なんともないけどなあ」って.でも一緒に帰ろうやって。この方はね、秋用で農家の方、農家だけでやってかれないから東京出てきて、奥さんと子供と住んでて。で、私は一人で東京へ帰ってきて、その方はどのくらい仕事やったかわからないけど、ご無沙汰しちゃったんですよ。

 そしたら最近ね、私の子供がね、浅草にいるんですよ。子供が、「親父さんこういう人から連絡あったけど知ってるかい」って言うんですよ。ああ知ってるよ、なんだい、って。そしたら、死んじゃったよって。

 なんだい、あんな丈夫で、だるまさんみたいにころころしてたのに。お葬式に行ったんですよ。そしたら、奥さんが泣くばかりでね。子供も下が小学生でねえ。どうしたんだいって聞いたら、あれから一年ぐらい余分にやったんだって。いわゆる白血病になっちゃったんだそうですよ。治んないそうですね。そいで最後のお別れに、お棺の中を見たら、あんなふさふさしてたのがねって、私よりやせちゃっててね、食事も全然受け付けなかったそうですよ。

 どうだい、奥さん、最後は苦しんだかって聞いたら、苦しんで苦しんで苦しみぬいて逝っちゃったって。正直、私も泣いちゃったですよ。
またこういう原発の問題が起きてるんですよね。私は、自分らがそういうふうに友達をなくしてるし、原発を経験して、もう治らないって言われた喘息もってるから、これはそういう仕事やった影響だって医者に言われましたよ。一時直す薬はやるけど,もう直らないよって。そういう体ですからね。絶対仲間を行かしちゃだめです。体張っても絶対反対します。

 一カ月ばかり前に、また上野と新宿でね、私が知ってる熊川って手配師のボスが死んじゃって、その子分が上野とか新宿とか池袋とか、原発の仕事引っぱりに来てるんですよ。先日、仲間の人には黙ってますけど、手配師見つけたから、また引っぼりにきたのか、いい加減にしろって.いや、そうじゃねえよとか言ってたけどさあ。

 池袋の仲間、馬場の仲間 こういうの経験したことないから。今ね、日当ちょっと上乗せしておいしいこと言われれば、仕事がないときだから、話にのっちゃうかもしれないけど、私はもう絶対反対ってね、それだけはみなさんに言いたい。

ここでよけいなおしゃべりしましたけどね。これからも何かの集まりがあったら参加させてもらって、絶対反対の運動の仲間にいれさせてください。よろしくお願いします。


司会:もうちょっと具体的に聞きたいことがあれば。

藤田:最初、東海大学で二日間研修があったと。どこの東海大学ですか。

松本:大洗かどっかの。最近できたとこらしいです。

藤田:そこでどういう話を聞いたんですか。

松本:それはね、知らない人は、こういう仕事だっていうと反対運動だとかいろんな話をふきこまれるだろうけど、決してそんなことはありませんから。

 もし何かあったら、職員のほうで責任持ちますからって言われましたよ。じゃあ、厚生年金もつけてくれるのかって聞いたら、やりますって。国家的事業ですからって。ずいぶんでかいこと言うなあって思ったんだよ、おれは(笑)。
なすび:安全のためにこういうふうにしないさいって話はありました?

松本:ありました。ふつうの土方と違って、一日やってるわけじゃないから。疲れたなあって思ったら、ひとこと言ってくれたら、休憩して休んでくださいって。言うんですよ。ずいぶん調子いいなあって。でもここにつけた赤い針がオーバーしてくると、ガガガガッて鳴るんですよね。少し休むと戻る。

藤田:戻るっていうのがわからないなあ。あー、ポケット線量計か。計は針があがって下がる。もう一つアラームメーター、ピーッて鳴るやつは、設定されたところを越えると鳴りっぱなしになる。あともう一つフィルムバッヂっていうのを持ってて、それは現像して後でわかる。写臭があります。

なすび:まっちゃん、こういうの(岩波ブックレットの中の写真)?

松本:あ、そうそうそう。

藤田:白い作嚢着でしたか? 赤とか黄色ではなく。

松本:真っ白です。

藤田:目は?

松本:防塵マスクかぶって。オートバイのる人がするようなね.

藤田:作業区分としては、たぶんパイプの内部の除染作業ですね。大きさほどのくらい?手で握れるくらい?

松本:ふたまわりくらい(手を抱えるようにして)大きかったかなあ。

藤田:縦ですか? 長さは?

松本:縦。長さはそりゃちょっと見当つかないですねえ。

藤田:「ほうかん」、っていうのいたでしょ。放射線管理者。現場監督。

松本:職員さんですか?いましたよ。私らが乗っかってる下にいた。中にはいない。作業状況をチェックしてるわけだよ。

藤田:鳴ったら出てきなさいとは言わないわけですか。

松本:言わない言わない。

参加者A:行ったのは、東海村の原発?動燃でもなくて原研でもなくて?

松本:一番先にあるんだよ。

藤田:あそこは、最初は動燃、それを通り過ぎると、原研があって、第二原発があって、第一原発があるんですよね。

松本:そう、一番奥。

藤田:じゃあ第二か第一だな。3カ月間ずっとそれをやったんですか? 同じ場所で?

松本:そう。単調ですよ(笑).

参加者A:ずっとトンネルの中を上から下まで。かわいた布で。

松本:そうそう。薬品みたいなのついてんですよ。かすかに匂いはしたけど。

参加者A:マスクはどんなマスクでしたか。

なすび:ここに二つあるんですが。目が出るやつと、目が出なくて全部のやつと…

松本:これこれ(目が出る方を指して)。これにゴーグルをして。

参加者A:全面マスクですね.

藤田:僕も現場行ったことあればいいんだけど。行った人も迷路みたいだって。

松本:仕事終わって帰ってくるでしよ、また行くでしょ.作業服とかね、前の日自分が使ってたやつと達うんですよ。どうしたんだよー、きのう着てたんだよーつて言うと、こっち使ってくださいって。

参加者A:新しいのなんですね。

藤田:作業服を着るときは、パンツ一つになって、全部着替えた?靴下はいて?長靴はいて?手袋も何故か?

松本:二枚か三枚か.

藤田:かなりのとこ行ってるんだね.

藤田:仕事やめるときに、放射線管理手帳という青い手帳もらいました?

松本:くれないよ。

藤田:亡くなったお友達も持ってなかったですか。

松本:持ってないですよ.それで奥さんが怒るんだよ。

藤田:それがあると,被曝したという証拠になるんですよ。無いと、喧嘩にならないんだよね。法律で決まってるけどくれないんだ。

松本:だから奥さんが「殺されたんだ」って言うんだよ。

参加者A:生年月日を聞かれたり、身長と体重とか聞かれた?

松本:聞かれました。

参加者A:じゃあ作ってることは作ってるんだ。

藤田:なぜ渡さないかというと、あいつら労働者はなくすからだって言うんだよね.住民票を持ってこいとは言われませんでしたか?

松本:いやー。手配師が引っぱってくだけだから。

藤田:このあいだ東電に聞いたら、アジア人の労働者であっても、原発労働では差別しませんという言い方をしてた。(一同 笑)

参加者A:いつごろ働いてたんですか。

松本:新宿にお世話になって5年で、その半年前だから・・・

藤田:5年前の3月からですね。つまり1993年の3月から6月。お友達は、それから1年以上いたんですよね。翌年の春ぐらいまでいたんですか。亡くなったのはいつですか.

松本:先月です。

藤田:98年の10月に白血病でなくなったと。

参加者A:飯場はどこにあたんですか?

松本:荒川沖

なすび:東海村の中にはなかったの?

松本:ないない。荒川沖。

参加著A:じゃあ、会社の人が毎日荒川沖まで送っていくわけですね。朝は何時からですか?

松本:そうですね、朝の食事して一服して、8時前後だね。夕方は5時ぐらい。後かたづけとかすると6時ぐらい.よけいなことしゃべりますけど、2、3日前、イヤホンつけてラジオ聞いてたんですよ。

 国会議員かなんかえらい人が、国会討論だとかで、厚生大臣とかがおしゃべりしてるのを耳にしたんですよ。

 この不況とか日雇いとかの状況についてね、原発の仕事しなさいって。大空の下に寝っころがっている野宿労働者を国家的な事業につかせなさいって。ほいであたし頭来ちゃって。人を殺すのは刃物だけじゃないですよ.いくら言論の自由だって言ったってね、とんでもないことですい。だいたい、政治家とか国会議員が一言でも口にするべき言葉じゃない。」

今の報道は危ない―日刊べリタより

2011-10-27 13:32:15 | 報道
 日刊べリタより⇒http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201110270925254

「2011年10月27日09時25分掲載  

右傾化する世相に、メディアはもっと問題意識を持て 関千枝子


  今、私は憂えている。それは、メディアの状況だ。内容の問題もあるが、報ずべき問題を報じない。ことに、市民の運動に関しては報じない。

 メディア・リテラシーということがよくいわれる。報道を丸呑みにしないで批判的に受け止めるということだが、私は「報道されないことが、一番の問題だと思っている。

 報道されなければ、一般の読者には何事が起こっているかわからず、情報がまるで入手できない。リテラシーのやりようがないのだ。戦中、軍部、国によって自由な報道が封じられ、世界中の人が驚愕した南京事件は日本人だけが知らなかった。あれと変わらないと言ったら言い過ぎだろうか。


▽「つくる会」教科書に、戦中の悪夢を思い出す

 3・11以後新聞もテレビも震災一色となり、他の記事はすべて消えた。あれだけの災害だから、大報道になるのは致し方ない。しかし、世界中に、そして日本には、報ずべき別なニュースがなかったわけではない。

 それが全部隠れ、震災と、「がんばれニッポン」の絶叫で埋まった。その中で、確実にナショナリズムが高まった。世論の右傾化、それは震災後の選挙の状況が如実に物語っている。少し、他の報道が出るようになっても扱いは小さい。

 教科書問題などもまことに小さな扱い。その中で「新しい教科書をつくる会」制作の教科書は部数を増やしている。教科書問題の運動をしている人のブログには、「この非常時に何を言う」といった書き込みが多数見られるようになったという。

 大災害後、偏狭なナショナリズム的思想が高まるのはいまに始まったことではないが、「がんばれニッポン」「非常時、大連立、日本中が結束して」の掛け声は怖い。私たち戦中世代は「大政翼賛会」を思い出してしまうのだが、歴史に疎い若い人々は、翼賛会といっても何のことやら、まことに困る。

 良心的報道者の中で、この間の報道への検証も数多く見られるようになったが、原発報道への批判ばかりで(もちろんこれは大事なことだが)、報道されなかったことへの批判は内容で、まことに残念だ。

 少し落ち着いてみれば、TPP、沖縄、増税、福祉切り捨て、もろもろのことが悪くなっているのに驚く。その中でも報道されないのが「慰安婦」問題である。


▽従軍慰安婦問題は全く解決されていない

 8月30日、韓国・憲法裁判所は、元慰安婦の賠償請求権をめぐり、韓国政府が、解決に向けた努力をしないのは違憲である、という判断を下した。これを受け、韓国外務省は政府間協議の申し入れをしたが、日本政府は1965年の「日韓国交正常化交渉の中で解決ずみ」という態度を崩さず、韓国は国連総会人権委員会に問題を持ち出したが、平行線のまま。

 10月19日の野田首相訪韓、李明博大統領との会談が注目されたが、李大統領は「慰安婦」問題を議題にしなかったという。しかし、韓国がこれで収まるわけはなく、今後が注目される。

 問題はこの間の報道である。最初の日韓外相の会談のころは、新聞は小さく報じていたが、テレビはほとんど無視だった。

 国連に行ってからは、国連総会で議題になるなど大変なことだと思うが、今まで報じていた新聞も全く報じなくなってしまった。朝日新聞だけがフォローしていて、日本政府が国連総会に問題を取り上げないよう水面下で韓国に働きかけていたことも報じていた。

 そして日韓首脳会談となったわけだが、新聞やテレビで、野田首相がどじょうを食べた話は載っていても、「慰安婦」問題が取り上げられなかったことはほんの数行か無視。20日朝刊で、朝日新聞が、取り上げなかった経緯をかなり詳しく書いているが、朝日以外の新聞の読者には、「慰安婦」問題が、今、日韓間で大きな問題となっていることすらわからないだろう。

 「慰安婦」問題が全く解決されていないことに私は、加害の国の女性として心の痛みを感じている。当事者たちは、高齢である。これが、問題解決の最後のチャンスではないかと思っている。だが、多くのメディアの対応はあまりに無神経で冷たい。

 戦中の日本の加害に対して、アジアの人々の怒りを知り、自分の無知に驚いたという人も多い。「慰安婦」問題の対応を見ると,戦中の報道の誤りがまだ続いているように思え残念でならない。

(せき・ちえこ、ノンフィクションライター)」

タイの水害―バンコク週報より

2011-10-27 13:21:54 | 災害
① 10/26

 都知事、「バンコクは危機的状況」

 スクムパン・バンコク都知事は10月26日午後9時、ドンムアン区とバーンプラット区の住民に対し、早急な避難を呼びかけた。

 同都知事は「バンコクは危機的状況に陥った。特に、高齢者、病人、障害者、こどもは一刻も早く避難してほしい」と危機感を露にした。

 さらに、ラートプラオ区とワントンルアン区の住民に対しても、警戒を怠らないよう求めた。

 バンコクでは27日から31日まで長期休暇となることから、洪水を逃れるためパタヤに避難する都民が続出。このため、バンコク・パタヤ間の幹線道路は26日、各所で渋滞となった。


② 10/26

 首相「バンコク全域が浸水の恐れ」

 バンコク北部のドンムアン空港が浸水したことを受け、インラック首相は10月25日夜、テレビ放送を通じて、バンコク全域が浸水する可能性のあることを国民に伝えた。

 バンコクでは同日、チャオプラヤ川の水位が海抜2.35~2.4メートルに達し記録を再び更新した。都庁によれば、同川沿いの防水堤の高さは2.5メートル。これを超えて水位が上昇すれば、川沿いのエリアは浸水・水かさ上昇は避けられない。

 インラック首相は、「浸水の程度は当局がどの程度状況に対応できるかにかかっている」としているが、浸水被害がバンコク中心部にまで及ぶ可能性が高いという。


③ 10/26

 米空母帰還で外務省が釈明

 タニ外務報道官(外務省情報局局長)は10月25日、米政府が災害支援のためタイに派遣した空母ジョージ・ワシントンが艦載機による被災者空輸を行わずに帰還の途についたことに対し、「米政府はタイ国内の状況が深刻でないと判断した結果」と説明して、「タイ政府の反応がちぐはぐだったため」との一部報道を否定した。

 米海軍太平洋艦隊のパーキンス報道官によれば、米海軍の艦船4隻が16日からタイ沖合で待機していたが、タイ政府から正式な支援要請がなかったため、21日にタイを離れた。

 タニ報道官の説明では、「被災者空輸は人命にかかわるケースに限られており、米側は空輸の必要なしと判断した」。だが、米海軍関係筋によれば、「タイ政府とのチャンネルは2つあるが、支援提供について、一方は『受け入れ』、もう一方は『不要』と伝えてきた」とのことだ。


④ 10/24

 被災者245万人、死者356人


 水害被災者救済センターは10月22日、洪水に見舞われたのは28県175郡、被災者が245万人、洪水関連死が356人と発表した

 また、道路は15県で77カ所が損傷、鉄道の北部路線は18の路線が運休している。

 東北部路線は運行しているが、ルートを変更しており、サムセン、バンスー、ドンムアンの3駅は経由しない。

 なお、海軍によれば、27-31日にかけ海の水位が海抜2・30-2・35メートルに上昇するため、警戒が必要という。

福島原発の労働状況―5/14時点

2011-10-27 13:16:03 | 労働
 以下は毎日新聞WEB版5/14付の記事⇒http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20110515_2/?inb=yt


「 東京電力福島第1原発事故の復旧作業で、作業員の安全確保のルールや手順がなし崩し的に緩和されていることが、作業員らの証言で分かった。

 放射性物質が体に付着する「身体汚染」をした場合、体を洗う「除染」で完全に落とさなければならなかったが、今は完全に除染できなくても体のどこに付着しているかを示す「確認証」があれば作業に戻ることができるという。他にも多くの規制が緩んでいるため、作業員らは不安を訴え、専門家は懸念を示している。

 同原発構内の放射線量は高く、水素爆発した3号機の原子炉建屋付近には毎時900ミリシーベルトと高い放射線を出すがれきが見つかっている。

 通常、1日の作業で1ミリシーベルトを超す被ばくが見込まれる場合、元請け会社は作業員の予想被ばく線量を記した作業計画書を労働基準監督署に届け出て受領印をもらい、東電に写しを提出する。この際、元請けによっては、下請けにも写しを「特別許可書」として渡すルールがあるが、この特別許可書も現在なくなっているという。

 ある下請け作業員は通常渡される特別許可書をもらわず作業し、約2時間半で1.3ミリシーベルト浴びた。他の作業員ら計約10人で構内拠点の免震重要棟に戻り、防護服を脱いでスクリーニング(検査)したところ、それぞれ首や後頭部に身体汚染が確認された。

 約20キロ離れた拠点施設のナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町)で専用の特殊シャンプーで洗ったが、作業員のうち3人は除染できず、いわき市の東電施設でもう一度洗ったものの、やはり落ちなかった。

 このため3人は、体の絵とともに汚染部位などが記載されている「確認証」を東電から発行され、作業に復帰したという。確認証があれば、復帰後のスクリーニングで汚染が検出されても問題視されないが、作業員は「除染しないまま作業に戻れば通常なら始末書もの」と疑問視する。

 また、身体汚染をした場合、作業員の所属する会社は、作業経緯や内容、汚染の状態などを報告書にまとめて元請けに提出し、元請けは東電に連絡することになっているが、いまだ報告書は提出されず、汚染を知る元請けや東電から提出も求められていないという。

 作業員は「東電も元請けも『この現場で汚染しない方がおかしい』との考えでしょう」と述べ、緊急時のためルールがなし崩しになっていると指摘。「原発を何とかしたいとの気持ちから(作業員の)みんなも『汚染しても仕方がない』という雰囲気だが、正直、不安はある」と語った。

 東電広報部は確認証について「(検査で)高い数値が出た人に異常がないことを示すものだが、いずれにせよ落ちるまで除染している」と説明。特別許可書(東電側では作業計画書)などについては「コピーを受領するだけ」とし、基本的に作業員と元請けとの問題との立場を示した。

【町田徳丈、市川明代、日下部聡】

 2011年5月14日」