「チベット族200人、国慶節に抗議=僧侶も焼身自殺図る-中国四川省
【北京時事】米政府系ラジオ局ラジオ・フリー・アジア(RFA)が4日までに伝えたところによると、中国四川省甘孜チベット族自治州色達県で1日、約200人のチベット族住民による抗議デモが行われた。
1日は中国の国慶節(建国記念日)で、同県の広場で、チベット族男性がチベット旗や、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の肖像を掲げ、中国政府に対する強い抗議の意思を表した。警備員がこれを強制的にもぎ取ったことに対し、約200人が「ダライ・ラマはチベットに」などと抗議行動を行ったという。
一方、英BBC(中国語版)などによれば、3日には四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県で、十七、八歳のチベット族僧侶が焼身自殺を図った。手にはダライ・ラマの肖像を持ち、宗教とチベットの自由を求めるスローガンを叫んだ。僧侶の状態は不明。(2011/10/04-16:37)」
現代中国の基盤は二つの歴史的経験にある。
一つは辛亥革命、国民革命(北伐)、中国革命(1949年)と続いた革命の経験。
もう一つは外国の侵略との闘い、なかでも日本との闘い-抗日戦争という経験である。
この二つの歴史的経験が「中国人」「中国」をまとめ上げる歴史的共通体験である。
しかしチベットの人々は(ウイグルも同様だが)この経験を共有していない。
そのため現在の中国を自らの祖国とみなすことが困難であるように思われる。
この欠落を埋めることは可能だろうか。
中国政府は多くの投資をチベットに行い、チベット人の経済状況や生活環境の改善に寄与してきたと主張している。
また文革の時期に破壊された寺院を復興し、宗教の自由を尊重しているとしている。
しかし経済的豊かさによって、彼らの社会的地位を改善するといっても、実際問題チベットに流入する漢族資本に対抗するすべもないだろうし、そもそもそのことがどれほどチベット人の望みなのかよくわからない。
結局、中国政府は教育を通じて、標準中国語を普及し(結果的にチベット語の衰退を早め)、先に述べた歴史的経験を基礎に置く中国の歴史の一部としてチベットを位置づける考え方を周知し、同時に若い世代からの「世俗化」を図ってチベット仏教の影響を排除していこうとしつつあるように思える。
経済的改善(漢族との格差は拡大し続けるだろうが)と、現代中国の教育への適合によって、独自のチベット文化―それがそれほど素晴らしいものであるか否かは別として-を身に付けたチベット人というものが消滅することを、中国政府はもくろんでいるように思える。
言いすぎだろうか?
【北京時事】米政府系ラジオ局ラジオ・フリー・アジア(RFA)が4日までに伝えたところによると、中国四川省甘孜チベット族自治州色達県で1日、約200人のチベット族住民による抗議デモが行われた。
1日は中国の国慶節(建国記念日)で、同県の広場で、チベット族男性がチベット旗や、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の肖像を掲げ、中国政府に対する強い抗議の意思を表した。警備員がこれを強制的にもぎ取ったことに対し、約200人が「ダライ・ラマはチベットに」などと抗議行動を行ったという。
一方、英BBC(中国語版)などによれば、3日には四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県で、十七、八歳のチベット族僧侶が焼身自殺を図った。手にはダライ・ラマの肖像を持ち、宗教とチベットの自由を求めるスローガンを叫んだ。僧侶の状態は不明。(2011/10/04-16:37)」
現代中国の基盤は二つの歴史的経験にある。
一つは辛亥革命、国民革命(北伐)、中国革命(1949年)と続いた革命の経験。
もう一つは外国の侵略との闘い、なかでも日本との闘い-抗日戦争という経験である。
この二つの歴史的経験が「中国人」「中国」をまとめ上げる歴史的共通体験である。
しかしチベットの人々は(ウイグルも同様だが)この経験を共有していない。
そのため現在の中国を自らの祖国とみなすことが困難であるように思われる。
この欠落を埋めることは可能だろうか。
中国政府は多くの投資をチベットに行い、チベット人の経済状況や生活環境の改善に寄与してきたと主張している。
また文革の時期に破壊された寺院を復興し、宗教の自由を尊重しているとしている。
しかし経済的豊かさによって、彼らの社会的地位を改善するといっても、実際問題チベットに流入する漢族資本に対抗するすべもないだろうし、そもそもそのことがどれほどチベット人の望みなのかよくわからない。
結局、中国政府は教育を通じて、標準中国語を普及し(結果的にチベット語の衰退を早め)、先に述べた歴史的経験を基礎に置く中国の歴史の一部としてチベットを位置づける考え方を周知し、同時に若い世代からの「世俗化」を図ってチベット仏教の影響を排除していこうとしつつあるように思える。
経済的改善(漢族との格差は拡大し続けるだろうが)と、現代中国の教育への適合によって、独自のチベット文化―それがそれほど素晴らしいものであるか否かは別として-を身に付けたチベット人というものが消滅することを、中国政府はもくろんでいるように思える。
言いすぎだろうか?