白夜の炎

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実に身勝手な芸能事務所の言い分-暴力団との付き合い

2011-09-28 14:47:54 | 芸能
 東京都暴力団排除条例が10月1日に施行されることや、島田伸助の芸能界引退などをきっかけに、改めて芸能界と暴力団の関係が取り上げられている。

 読売新聞は芸能事務所関係者の以下のような発言を報道している。

 「 大手芸能事務所幹部は読売新聞の取材に心境を打ち明けた。

 幹部は30年以上芸能界に身を置き、タレントのマネジメントやトラブル処理などを担ってきた。

 その間、「ライバル会社の動向を把握したり、所属タレントのスキャンダルをいち早く入手したりするため」として、暴力団関係者とも飲食を共にするなどの付き合いを重ねてきた。

 幹部によると、芸能事務所や芸能人、興行主などの周辺には「金になるうえ、有名人との交友にもつながる」と、暴力団関係者が介在するケースが多いという。」(読売新聞→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110928-00000677-yom-soci)

 つまり自分の都合で暴力団を利用してきた、ということに尽きるのではないか。

 当然暴力団は見返りを求めるだろう。


 なおこのブログに添えた画像は、暴対条例によって禁止される行為ですが、逆に言うとこんなことが当たり前に行われてきたわけですね。

 タレント名義でマンションの部屋を貸したら暴力団事務所になる、というのでは、それでは芸能人が部屋を借りるのが大変になるのも当然だ。

 芸能界がまともな世界として敬意を社会的に払ってもらえる存在になるためには、歌手を"アーティスト"等とよび変えるのではなく、まともなビジネスにするのが一番だと思います。

先進国はなぜ停滞するのか?

2011-09-28 13:21:31 | 経済
 ヨーロッパの金融危機は解決に失敗すれば第二のリーマンになりうる、との観測が出され始めた。

 腰の重いユーロ圏諸国を叱咤するメディアを通じての工作活動かもしれないが、確かに不良債権化する可能性のあるソブリン債が、どの金融機関にどれほどあるのかが不明という事態は、リーマンショック後のどの金融機関にどれだけのサブプライム関連証券があるのかわからない、というのと似た構図である。

 そしていったん不良債権化が明白になれば、CDSの処理が膨大化する、というのも同様であり、例によってCDSがどの程度の規模に達するかは不明である。

 この間英仏両国はリビアの混乱に軍事介入したが、仮にリビアの石油・ガス権益を英米仏伊で独占できても、それでユーロ圏やアメリカの金融機関が救済されるというわけにはいかないだろう。


 考えてみると1950年代までの欧米諸国は広大な植民地を抱え、安い労働力とただ同然の天然資源を使い放題であった。そしてその地域は市場として「先進国」にとっていいお客さんでもあった。

 50―60年代にかけて植民地は独立したものの、旧宗主国を軸に形成された市場秩序は簡単には解体されず、旧植民地は相変わらず欧米先進諸国にとって都合のいい存在であり続けた。

 この構造が本格的に解体に向かったのは、やはり1970年代初頭の石油ショック、すなわちオペックによる原油支配体制の確立以降だろう。

 とはいえ石油が消費される国々が先進国であったため、オペック等の力にも限界があった。

 しかし1980年代に中国が改革開放政策に転じ、21世紀に入って中国、ロシア(ロシアを新興国に含めることには個人的に違和感があるが)、インド、ブラジル、韓国など新興国が勃興し、世界の市場構造、生産のシステム、技術や情報の生産と流通の構造が抜本的に変化すると、かつての植民地は、自身が生み出し・消費しうる国になったり、あるいは旧宗主国に依存することなく国家の発展を図ることが可能になった。

 中国がアフリカ諸国に広く支持されるのは-様々な問題が生じているにもかかわらず、欧米よりも圧倒的に信頼が大きい-何と言ってもアフリカを植民地支配したことがないという歴史的背景、第二次大戦後、同じく列強の支配に苦しんでいた状態から、共に脱却しようという努力を重ねてきた国だという「共通の価値観」があることによるだろう。

 そして現実の問題としては、中国政府による寛容な投資と融資、そして軍事基地を展開せずビジネス面での関係を中核に据える関係の築き方が、大きな支持を得ている。

 このような世界構造の大きな変化をもう一度整理すると、かつて列強に支配されていた中国やインドなどが自立し、世界経済を動かす巨大なコアとなった結果、中国やインドほど強力でないアジアやアフリカ、中南米の国々も、欧米(日)に依存することなく自国の将来を考えることが可能になったということである。

 このことは欧米日の巨大資本が、旧植民地地域を食い物にして自らの経済問題を「解決」できなくなったことを意味する。金融問題にしても、かつてなら中南米を借金漬けにして中南米の富で自らの損失を埋め合わせたり、あるいは1997年のアジア金融危機のように、アジアの富をさらうことで自身の不手際をごまかすことも可能だったのである。

 残念ながら日本の金融機関も政府も、このような事態を防ぐ盾にはなれず、せいぜい欧米諸国の影で落ち穂ひろいをする役目であった。

 次第にアジアや中南米そしてアフリカの自立性が高まったのは、何より中国やインド、ブラジルといった各地域の中核国の発展よるものである。

 これらの中核国は第二次大戦の敗戦以降アメリカの属国と化した日本と異なり、政治的自立性を獲得したうえで、経済的発展を遂げており、経済力を自からの政治的意思のもとに統御可能である。

 このような変化の中で欧米の巨大企業群はもはや一方的に旧植民地圏をコントロールできなくなった。

 1990年代から2000年代にかけて彼らが代わりに対象としたのは、一つは国内の中間層と貧困層であり、その典型がサブプライムローンによる膨大に大衆からの収奪であった(1997年のアジア金融危機は、日本の力不足と、中国の成長がまだ未熟だった隙をつかれたといってよいだろう)。

 そしてもう一つは相も変らぬ旧植民地域への覇権拡大路線であり、典型的にはアメリカのイラク・アフガン侵攻、そして今回の英仏のリビア侵攻である。

 しかしアジアも中南米も、そしてアフリカもそれぞれの地域が頼りにしうる「共通の価値観」を持った中核国を獲得しつつある。

 それが最も弱いのがアフリカであり、それが英仏に狙われた理由であろうが、その影響はかつての1970年代ごろまでに比較すれば、はるかに限定的なものである。

 欧米日など「先進諸国」はいまや自らの強欲の始末を自らの負担で行う他なくなっている。

 ギリシャの国債等、かつてなら中南米の金融機関に転嫁しておけば何ということもなかったのであろうが、いまやそのような手は使えない。

 「先進諸国」内部で処理するほかないのである。それはユーロ域内での富の移転だったり、各国内の貧困層の問題であったり様々だろうが、いずれにせよ容易ではない。

 そしてその様々な意味での容易でない事柄の集積が、「先進国」の停滞を招いている。

 今回の金融危機は欧米による帝国主義的世界支配が、ようやく幕を下ろし始める「終わりの始まり」を告げることになるかもしれない。