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白夜の炎

原発の問題・世界の出来事・本・映画

「江川紹子/「改憲バスに乗る前に」

2013-09-28 22:01:18 | 政治
以前に載せた記事ですが、とてもいいので再度。江川紹子さんが改憲について書いたものです。

「江川紹子/「改憲バスに乗る前に」

2013年05月08日 11時25分12秒 | 政治

 江川紹子さんが安部晋三の改憲論議について以下のように書いている。とてもいい議論なのでぜひとも拡散してください。


「安倍首相は、念願の憲法改正に向けてテンションが高まっているらしい。外遊先でも、改憲を夏の参院選の争点にする意向を改めて示し、「まず国民投票法の宿題をやる。その後に96条から始めたい」と述べた。

サウジアラビアでスピーチする安倍首相(首相官邸HPより)
第96条は、憲法改正の手続きを定めた条文。改正の発議のために必要な「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」を「過半数以上の賛成」にして、改正を容易にしようというのが、今回の改正の狙い。ただ、「96条から」との発言からも明らかなように、これはほんのとば口に過ぎない。では、ゴールはどこにあるのか。

自民党は、昨年4月に「日本国憲法改正草案」を決定している。マスメディアでは、この問題となると、第9条を書き換えて軍隊である「国防軍」を設置することばかりがクローズアップされがち。確かに、それは重要なテーマではあるが、自民党が目指すゴールは、そういうレベルの(と敢えて言うが)ものではない。まさに「革命」に匹敵するほどの価値観の変容を、国民に迫るものとなっている。


「個人の尊重」が消えて…

まず注目すべきは、「個人の尊重」の消滅。

日本国憲法第13条は、まず最初にこう書かれている。

〈すべて国民は、個人として尊重される〉
一人ひとりの「個人」が等しい価値の存在として尊重される。一人ひとりが、自らの生存と自由を守り幸福を追求していく権利を有する。その権利もまた等しく尊重されなければならないーーこれは、憲法の土台であり出発点であり、憲法全体を貫く価値観と言えるだろう。

これによって、立法その他の国政は、個人の人権を最大限に尊重しなければならない。人権と人権がぶつかり合う場合などは、「公共の福祉」の観点から調整し一部の権利が制限されることはある。だが、それは「個人」より「国家」が優先される、という類の発想とは本質的に異なっている。

ところが、「草案」ではこうなっている。

〈全て国民は、人として尊重される〉
国民は、一人ひとりの違いを認め合う「個人」として扱われるのではなく、包括的な「人」というくくりの中に汲み入れられる。違いよりも「人グループ」としての同質性に重きが置かれる。しかも、その人権には、「公益及び公の秩序に反しない限り」という条件がついた。ここには、明らかに「人権」より「公益及び公の秩序」、「個人」より「国家」を優先する発想がある。

「公益」や「公の秩序」に反すると認定されれば、「個人」の言論や思想の自由も認められないことになる。ツイッターやフェイスブックなどが普及した今、表現の自由は、多くの人にとって、情報の受け手としての「知る権利」だけでなく、発信者としての「言論の自由」に関わってくる。

戦前の大日本帝國憲法は、表現の自由に「法律ノ範囲内ニ於テ」という条件をつけていた。この旧憲法下で、様々な言論が制約され、弾圧が行われた。曖昧な「公益」「公の秩序」は、国家の方針やその時の状況によって、いくらでも恣意的な規制や制約ができそうだ。

表現の自由に限らず、「個人」より「国家」を尊重する。「人権」は「公益及び公の秩序」の下に置かれる。これが、自民党「草案」の基本。日本国憲法と似た体裁をとっているが、まったく別物であり、その価値観は天と地ほども違うと言わなければならない。


憲法が国民を縛る
憲法の役割も、180度変えてしまおうとする。現行憲法は国民の権利を謳い、平和主義を宣言し、国の統治機構を定めた後、こう締めくくっている。

〈第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。〉


憲法が縛るものは…
天皇陛下が即位直後に、「日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」と誓われたのは、この条文を意識されてのことだろう。

憲法は、この条文によって、政治家が法律を作ったり、公務員などがそれを執行する時に、憲法で定めた国民の権利を侵害するようなことがないよう、釘を刺しているのだ。つまり、憲法は、国民を縛るのではなく、政治家や公務員らの行動を縛るために存在していると、ここで念押している、といえる。

では、自民党「草案」はどうか。
これに当たる条文のまず最初に、こう書かれている。
〈全て国民は、この憲法を尊重しなければならない〉
憲法を「国民」の言動を律するものに変えよう、というのである。
ちなみに大日本帝国憲法は、「臣民」が「憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フ」としていた。自民党「草案」は、この点でも明治憲法に先祖返りしている。


戦争ができる国に

そして、平和主義と安全保障の問題。

「草案」によれば、「国防軍」の活動範囲は、自衛のための活動のみならず、相当に広い。一応、「武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」としているが、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」ならOK。これによって、国連が武力行使容認決議を行っていない多国籍軍に参加し、戦闘行為、すなわち殺傷行為を行うことも可能となる。

また、「軍人」の職務実施に伴う罪や「国防軍」の機密に関する罪についての裁判は、「軍」内部に置いた「審判所」で裁く、とされる。いわゆる軍法会議の復活だろう。これについての問題点は、軍事ジャーナリスト田岡俊二さんの論稿に詳しい。

もう1つ見過ごされがちなのが、「草案」の第9章として新しく設けられた「緊急事態」。「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律に定める緊急事態」が起きた時に、内閣総理大臣が「緊急事態の宣言」をすることができる、とする。

とってつけたように「自然災害」が加えられているが、東日本大震災のような大規模な(しかも、原発事故を伴う)災害が起きても、日本では「公の秩序」が破壊されるような暴動など起きていない。法律や災害時の対応策をきちんと整備しておけば、憲法でわざわざ「緊急事態」の規定を置く必要はない。また、そのような「内乱」や「武力革命」が起きることも、日本では想定し難い。

要するに、「緊急事態」は戦争を想定した規定なのだ。現行憲法に規定がないのは、戦争をしないのが前提だから。9条の改変に加え、「緊急事態」の規定を入れることで、日本は戦争ができる国へと変貌する。
ひとたび「宣言」が出ると、内閣は強大な権限を持つ。法律と同じ効力を持つ政令を発することができる。つまり、国会抜きで国民の権利を制限することが可能。この「宣言」が発せられると、「何人も…国その他公の機関の指示に従わなければならない」とある。

まさに、総動員態勢で国民が総力を挙げて戦争に協力する態勢を作るための基礎を固めるのが、この「緊急事態」の規定と言える。


バスに乗る前に必要なこと
第96条改正の問題を考える時には、その先に、このような国家観、憲法観、人権などについての価値観が広がっていることを、まずは知っておく必要があるだろう。それを知ったうえで、自分の意見をまとめたい。
マスコミも改憲ありきの雰囲気になっているし、よく分からないけど96条だけなら変えてもいいかも…という人がいるかもしれない。でもそれは、行き先も確かめずにバスに飛び乗るようなもの。
バスに乗る前に、切符を買う前に、行き先と停まる停留所は確かめよう。」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130503-00024690

被災者支援法に13自治体が批判意見

2013-09-24 14:41:26 | 政治
 被災者支援法に関して政府・官僚の対応の問題点が指摘されていたが、13の自治体がはっきりと批判。よくよくのことである。

「被災者支援法:「意見公募」に13市から異例の批判
毎日新聞 2013年09月24日 02時30分(最終更新 09月24日 02時38分)

 東京電力福島第1原発事故に対応する「子ども・被災者生活支援法」で、支援対象地域を福島県内に限定する基本方針案を示した復興庁に対し、対象から外れた千葉、茨城、栃木3県の少なくとも13の市が23日締め切られた「パブリックコメント」(意見公募手続き)に批判の意見書を寄せた。こうした自治体の対応は異例。背景には「福島限定」への不公平感がにじみ、「地域による画一的な線引きは法律の理念に反する」(千葉県白井市)と方針案を真正面から否定する指摘もある。

 昨年6月成立した同法は年間累積放射線量が一定基準以上の地域を支援対象とし、必要な支援策を盛り込んだ基本方針を定めると規定。これに対し、復興庁の方針案は、線量基準を設けないまま福島県東半分の33市町村を支援対象地域としただけで、原案で示された同県の西半分や近隣県を含む「準支援対象地域」の範囲や支援内容は未定だ。

 同庁は方針案を公表した先月30日から意見を公募。毎日新聞が自治体のホームページなどで確認したところ、千葉県の▽野田市▽柏市▽鎌ケ谷市▽松戸市▽白井市▽流山市▽佐倉市▽我孫子市▽印西市、茨城県の▽取手市▽守谷市▽常総市、栃木県の那須塩原市--の13市が意見を出した。

 国は一般人の被ばく線量の上限を年間1ミリシーベルト(毎時0.23マイクロシーベルト)と規定。原発事故後にこの数値以上となった地域(市町村)は除染に関する法律で「汚染状況重点調査地域」に指定し、財政支援している。現在8県の100市町村が指定され、13市も含まれている。

 13市の意見書はいずれも子どもや妊婦の健康支援を重視するよう求め、除染の法律と支援法の「ダブルスタンダード」には批判的な立場。我孫子市などが「汚染状況重点調査地域は支援対象にすべきだ」と主張している。

 国民からの意見公募は、法令や制度の制定・改廃時に行われるが、自治体から批判が集中するのは珍しいという。【日野行介、袴田貴行】」

私が提出した秘密保全法に対する「意見」

2013-09-16 18:08:12 | 政治
 秘密保全法のパブコメ期限が明日に迫っている。

 遅くなったが私も拙い意見を提出したのでみていただきたい。

 皆さん是非意見を出しましょう。

 「私は反対です。」だけでもいいと思います。

 パブコメ窓口⇒https://search.e-gov.go.jp/servlet/Opinion

「1 日本に必要なものはまずきちんとした情報公開法と同制度である。政府のあらゆる文書、関係者のメモ、メール、通話記録など、すべて収集し、一定の年限ごとに公開していくことを基本にしなければならない。現在は秘密指定も、公開対象文書の選択も官僚の恣意に任されており、極めて不透明である。また情報公開制度を利用して文書請求をしても、「ありません」だけで処理されることが多く、事実上制度は機能していない。

2 秘密保全法により官僚が機密を指定し、その公開に決定的な障壁が設けられるため、政府や政府関係機関にとって「不都合なこと」がジャーナリズム、研究者、市民から隠ぺいされることになる。例えば原発に関する情報は、今でさえ不透明な部分が大きいにもかかわらず、決定的に公開されなくなるであろう。

3 従来から防衛関係の機密は、安全保障条約などとの関連のもと、多くが秘匿されてきた。戦争・全保障に関する問題は、従来も日米安保条約体制の下、対米関係を中心に多くが非公開情報にされてきた。秘密保全法が施行されればこの動きは決定的となり、市民の生存にかかわる最も重要なことについて、市民が判断できない状況が作られるであろう。これは国民主権を定めた憲法に違反する行為であり、市民的自由の侵害である。

 以上の理由から秘密保全法を制定することには全面的に反対である。」

主観的な…あまりに主観的な…

2013-08-20 18:13:50 | 政治
 テレビ報道、様々なニュース番組、バラエティーなど、何もかもがあまりにも主観的。

 例えば、中国といえば、モノマネ、官僚の腐敗。

 日本はどうなの。

 3.11以降露呈した原子力村。これこそ構造腐敗ではないの。

 そもそも構造腐敗に組み込まれている大手メディアは、日本の政治や官僚の腐敗を追及しているんですか…。

 皆さんどう思われますか。

人はなぜ御用学者になるのか/島村英紀

2013-08-08 16:44:49 | 政治
 3年もたたないうちに原発再開、汚染粋垂れ流し、ということになっています。

 大手メディアはこぞって原発から流出する広報費用に依存。

 これってもともとは電力会社に支払われている電力料金ですよね。

 背後には今も変わらぬ御用学者の集団が控えていることでしょう。

 そのことを改めて。


「島村英紀『長周新聞』2012年1月1日号。6面{2400字}と2012年1月9日号。4面{2000字}


人はなぜ御用学者になるのか


 2011年3月の東京電力・福島第一原発の原発震災以来、原子力ムラ(近頃は原子力マフィアと言う)の御用学者たちがあぶり出されている。

 当初はNHKをはじめテレビや大新聞などのメディアでこれら御用学者たちが出演して、大した事態ではないと解説し、地元の人々の避難を遅らせて大量の被曝をさせたのだが、その後、それまでの「原発の安全神話」を作り上げてきたのも、これら御用学者たちだったことが明らかになってきている。

 しかし、じつは御用学者たちは、原子力ムラだけにいるのではない。1950年代から熊本県の水俣で、そして後に新潟県の阿賀野川流域でも多大な人体被害を生じた水俣病のときも、工場が廃水として流した有機水銀が原因であったことを熊本大学医学部の研究者たちが早くから指摘していた。

 だが当時の政府や国策企業(チッソや昭和電工)の意に添って原因をはぐらかせ、その結果、被害と人々の苦しみや差別を拡げてしまったのも、御用学者たちであった。いや、個々の御用学者たちばかりではなく、日本化学工業協会や医学会などの業界や科学者の組織も、組織を挙げて、徹底して有機水銀説を攻撃した。

 「アミン原因」説や「腐った魚を食べたのが原因」などと主張した清浦雷作教授(東京工業大学)や戸木田菊次教授(東邦大)らが、毎晩のように銀座で豪遊していたのも目撃されている。

 さて、ここで視点を変えて、政府や企業のほうからの視点、たとえば原発の導入を例にとって「作戦」を考えてみよう。

 なんとかして日本は核兵器を持ちたい(『岸信介回顧録---保守合同と安保改定』廣済堂出版、1983年)。では、どうするだろう。

 核兵器の原料を作るためには原発が必要である。しかし、そう言ってしまっては身も蓋もない。広島と長崎に原子爆弾を落とされた日本人の核アレルギーは強いから「正攻法」で原発を作るのは難しい。

 そこで、資源の少ない日本では原発が必要、原発こそ新しいエネルギー、という世論を作ることにした。ちなみに、地球温暖化を阻止するために化石燃料を燃すと大量に出る二酸化炭素を減らす、という口実も、近年、原発推進に大いに利用された。

 原発のためには金を惜しまない。東大や京大など拠点大学に原子力関係の学科を作って、原発の建設や運転に役立つ人材や科学者を育てる。

 じつは私の大学生時代は、こうして東大に原子力学科が誕生したときだった。駒場の教養学部から本郷の専門学部に進学するときに、原子力学科はとても人気が低く、誰も行きたがらなかったことを憶えている。

 これではいけない、と思ったに違いない。手厚い研究費が手当てされ、電力会社や原子炉開発を狙う電機メーカーも卒業生を優遇した。こうして原子力産業だけのための卒業生が育ち、原子力産業と密着した御用学者も、しだいに育ってきたのである。

 手厚い優遇策は原子力など工学部関係だけではなかった(註:下記の「追記」を参照)。地震国日本。活断層が縦横に走り、たびたび大地震に襲われる日本列島のどこに原発を作るにせよ、地震や津波の危険は避けられない。このため、原発建設が「経済的に引き合う程度の」地震危険度を見積もってもらってお墨付きをもらうための、地震学者たち、そして学会の抱き込みもぬかりはなかった。

 そのうえ、(じつは近年になって不可能なことが明らかになってしまった)地震予知が出来れば、不意打ちによる原発の被害も避けられる。そして、地震危険度がさらに「値切れる」わけなのである。なお、地震学会は阪神淡路大震災のときは声明ひとつ出せず、東北地方太平洋沖地震のときも半年以上遅れて、形だけの「反省会」を開いただけだった。

 こうして、たとえば某市の盛り場では、ある大学の「推進側」に属する工学部や理学部の先生方が行けば無料になるバーがあるなど、手厚い研究費を「公」とすれば「私」の面でも、ぬかりない配慮が行われていた。

 科学者がそんな簡単になびいてしまうものか、と思われる読者も多いかも知れない。

 私がかねてから著書などで主張しているとおり、最前線の科学者は孤独なものなのだ。競争相手、つまり敵はまわりにいくらでもいる。同じ研究をしていても、見たこともない相手が一歩先に発表してしまえば、それまでのすべての研究は無駄になる。科学者とは孤独な闘いを、一生、続けなければならない職業なのである。

 かといって、研究のテーマを転々と変えて、そこで業績を上げるほどの能力がある科学者は、ごく一握りしかいない。そのうえ原子力関係の研究では、外国が何歩も先んじていて、日本で研究してもその学問で一流になれる見込みはない。

 それゆえ、他の分野の科学者と違って、研究の成果を求めるという努力なしに得られる潤沢な研究費と大学での地位は麻薬のような魅力がある。甘言を弄して近づいてくる政府や企業は、孤独な戦場でのまたとない救いなのである。夜の飲み代まで払ってくれるのならば、簡単に「墜ちて」しまうこともあるだろう。

 同時に、かりに原子力に否定的な研究をしようとすれば、地位も研究費も危うくなるから、研究とその成果も自ずから時流に沿ったものになる。

 それだけではない。研究面で業績が上がらなくても、政府の審議会の委員になれば、名誉欲がくすぐられ、対外的な信用だけではなく、滑稽なことに大学内での評価も上がりやすい。大メディアの記者が喜んで委員になるのと同じ、これも麻薬なのである。

 かくして、学問的には二流、三流の科学者が生きる道が拓かれる。御用学者は安泰なのである。国策に反旗も翻さず、大過なく務めれば、定年後には会社や業界団体の職も与えられようし、いずれ勲章ももらえることになろう。

 こうして御用学者が育ち、「作戦」は狙い通りの成功を収めてきたのであった。

(この記事は)

【2013年1月追記その1】この、企業や政府寄りの学者の例は、他の業界にもたくさんあった。たとえば、ホンダN360の欠陥などを描いた伊藤正孝『欠陥車と企業犯罪----ユーザーユニオン事件の背景』(もともと三一書房、のちに現代思想社の現代教養文庫に収録)には、ユーザー側から裁判所を通じて鑑定を依頼された大学の自動車工学の先生たち(大阪地裁からの依頼は、東大生産技術研究所の平尾収、同・亘理厚、東京工大(のちに日本自動車研究所長)の近藤政市、芝浦工大の小口泰平、別の訴訟で広島地裁からの依頼は広島大学、広島工大、大阪大学などの先生たち)が多忙などを理由に断りながら、同時にメーカー側の証人には都立大の川田雄一教授らが名前を連ねているさまが描かれている。

【2013年1月追記その2】上記のようにチッソべったりの清浦雷作教授は東工大教授だったが、他方、新潟水俣病の原因者であった昭和電工鹿瀬(かのせ)工場の無罪を、塩水楔説ででっちあげた北川徹三教授も、横浜国大に安全工学科を作った”権威”だった。 」

http://shima3.fc2web.com/201201choushuusinbun.htm

内田樹氏の憲法論

2013-07-12 17:22:08 | 政治

 自民党の憲法草案は本当にひどい。

 以下は内田氏の議論。

「2周刊ほど前に、ある媒体に『私の憲法論』を寄稿した。
いつもの話ではあるけれど、採録しておく。

このときは「参院選の争点は改憲だ」というようなことをメディア関係者は言っていたけれど、私は「アメリカが反対している限り、安倍内閣は改憲の争点化を回避する」と考えていた。
現にそうなっていると思う。
とりあえず、どぞ。  


日本は戦後六八年間、国家として他国民を誰一人殺さず、また殺されもしなかった。これは、先進国のなかでは極めて例外的である。非戦を貫けたのには戦争の放棄を定めた憲法の理念的な支えがあったからである。戦後日本が「近親者を日本兵に殺された」経験を持つ国民を海外に一人も生み出さずに済んでいるという事実は憲法がもたらした動かしがたい現実である。 

 しかし、自民党は改憲で戦争をできる権利を確保して、集団的自衛権の行使によってアメリカの軍略に奉仕する方向をめざしている。

「現行憲法では国を守れない」というのが改憲の理由の一つであるが、その主張には説得力のある論拠が示されていない。ほんとうに現行憲法のせいで殺された国民、奪われた国土があるというのなら、改憲派にはそれを挙証する義務がある。でも、彼らは「この憲法では国を守れない」と言い募るだけで、「この憲法のせいで国を守れなかった」事実を一つとして挙げていない。

にもかかわらず集団的自衛権の行使に改憲派がこだわるのは、米国の軍略に協力するならば、その返礼として同盟国として信認され、それが日本の国益を最大化することになるという方程式を彼らが信じているからである。親米的でなければ長期政権を保てないという教訓を安倍晋三首相は戦後保守党政治史から学んだのである。

しかし、米国は改憲によって日本がこれまで以上に米軍の活動に協力的になることは歓迎するが、日本が軍事的フリーハンドを持つことには警戒的である。

今の日本のような国際感覚に乏しい国が軍事的フリーハンドを手に入れた場合、近隣諸国と無用の軍事的緊張を起こす可能性がある。そうなると、日本そのものがアメリカにとって西太平洋における「リスク・ファクター」と化す。

「改憲後日本」の軍事的協力のもたらすメリットと「改憲後日本」の「リスク化」がもたらすデメリットを考量した場合に、ホワイトハウスが改憲に対してリラクタントな表情を示す可能性は高い。

皮肉なことだが、今の国際関係の文脈では、アメリカが護憲勢力となる可能性があるということである。

現に、安倍首相が二月の訪米でオバマ政権から異例の冷遇を受けたのも、米国の主要メディアから「歴史認識問題で韓国や中国ともめ事を起こすな」と釘を刺されたのも日本に対する「調子に乗るな」というメッセージと理解すべきだと私は思う。
ホワイトハウスはすでに自民党の改憲草案の英訳を読んでおり、その内容のひどさにかなり腹を立てているはずである。

現行憲法はアメリカの信じる民主的な政治のある種の理想をかたちにしたものである。

近代市民革命以来の立憲政治の英知を注ぎ込んで制定して、「日本に与えた」つもりの憲法を自民党の改憲草案のような前近代的な内容に後退させることは、民主国家アメリカにしてみると、国是を否定されたことに等しい。

だから、改憲によって日本が軍事的フリーハンドを手に入れることには好意的なアメリカ人であっても、草案の内容そのものを支持しているわけではない。改憲草案の退嬰性を歓迎するという心理的文脈は米国内には存在しないであろう。

改憲草案は現行憲法が定めた国のかたちを全面的に変えることをめざしている。本来なら革命を起こして政権を奪取した後にはじめて制定できるような過激な変更である。

条文の区々たる改訂ではなく、国のかたちそのものの変更であるからこれはたしかに「革命」と呼ぶべきであろう。だから、私は今の自民党を「保守」政党とはみなさない。きわめて過激な政治的主張を掲げた「革新」政党だと思っている。

改憲草案は現行憲法と何が違うのか。

たとえば現行憲法の二一条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する」とされているが、改憲草案には「前項の規定に、かかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」との条件が追加されている。

「公益及び公の秩序」なる概念が、公共の福祉、国民の安寧より上位に置かれているわけだが、この「公益・公の秩序」が何であるか、誰がどのような資格で、何を基準に規定するのかについては何も書かれていない。
このような恣意的なものに基本的人権を抑制する全権を付与することの危険性は何度指摘してもし過ぎるということはない。


この改憲草案には復古主義、偏狭なナショナリズムが伏流しているという批判があるが、私はそれだけではないと思う。改憲草案はグローバル化の推進と国民国家解体のシナリオでもあるからである。

現在のグローバル企業の多くは、株主も経営者も多国籍化しており、生産拠点は人件費の安い国に置き、法人税も税率の低い国に納めて租税回避することが常識化している。その意味で、グローバル企業はもう「○○国の企業」と言うことができなくなっている。

グローバル企業は、資本・商品・情報・人間がいかなる障壁にも妨げられず、超高速で移動する状況を理想とする。だから、グローバル企業にとって最大の妨害者は国民国家だということになる。なぜなら、国民国家は他国との間に無数の障壁を立てることで維持されているからである。国境線、固有の言語、固有の通貨、固有の度量衡、固有の商習慣、固有の生活文化などはいずれもグローバル化を阻む「非関税障壁」として機能している。

しかし、実質的には「無国籍企業」でありながら、グローバル企業は「日本の会社」であるという名乗りを手放さない。あたかも世界市場で韓国や中国等の企業と「経済戦争」を戦っており、日本国民はこれらの企業が国際競争に勝ち残るために「奉仕する義務」があるかのような語り方をする。いやしくも日本国民なら日本を代表する企業の活動を全力で支援すべきではないのか、と。

そういうロジックに基づいて、グローバル企業は国民国家に向かって、法人税を減免せよ、雇用を流動化せよ、規制を緩和せよ、原発を稼働して電力コストを下げよといった一連の要求を行う。「われわれはお国のために戦っているのだ」という幻想をふりまくことで、国民が低賃金に耐え、原発のリスクに耐え、TPPによる第一次産業の壊滅に耐えることを要求している。
それは民間企業がそのコストを国民国家に押し付けているということである。企業がコストを負担すべきことを税金で行うことを要求しているということである。言い換えれば、国富を私財に転換しているということである。

このような怪しげな言説がメディアに流布し、国民がぼんやりとうなずいてしまうのは、「グローバル企業は国民国家の代表として世界で戦っている」というナショナルな幻想が国民の間に深く浸透しているからである。

グローバル化の進行(すなわち国民国家の解体)と、ナショナリズムの亢進(国民の「一蓮托生幻想」の強化)が同時的に、同一の政治的主体によって担われているというパラドクスはこの文脈ではじめて理解可能となる。
改憲草案の「国民国家解体」趨勢のはっきりした徴候は第二二条に見ることができる。

現行憲法の二二条は「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」というものである。草案はここから「公共の福祉に反しない限り」という限定条件を削除した。

自民党草案で私権の制約条件が削除されたのはこの一カ所だけである。草案があらゆる私権について付している「公益及び河の秩序」による制約も、居住・移動・職業選択の自由についてだけは課されていない。なぜか。それはこの草案が、国境を超えて自由に移動し、転職を繰り返す生き方を「絶対善」だと見なしているからである。それが仮に「公共の福祉」に反することがあっても、「障壁を超えて移動する自由」は擁護されなければならない。それが自民党草案の本音なのである。それは二二条第二項の「全て国民は外国に居住し、又は国籍を離脱する自由を有する」と読み合わせるとはっきりと意味がわかってくる。グローバリストの脱領域的生き方は公共の福祉より上位に置かれなければならない。一見すると復古調の自民党草案の隙間からはこのようなグローバリズム=脱国民国家志向が露出しているのである。

この改憲草案は遠からず二種類の人間たちに日本社会が二極化することを想定している。一方は国民国家の制約を逃れて、ボーダーを越えて自由に世界を行き来するグローバリストたちがいる。この「機動性の高い人々」が日本社会における上層を形成する。他方に圧倒的多数の「機動性の低い人たち」がいる。日本列島から出ることができず、日本語しか話せず、日本に土着したかたちでしか生計を営むことができない人たち、彼らが下層を形成する。

改憲草案は、一方で「上層」のグローバル・エリートたちに国民国家に制約されないフリーハンドを提供し、他方で、「下層」の労働者たちは私権を制限し、国家のために滅私奉公することを義務づける。草案そのもののうちに、来るべき階層社会を先取りした「ダブル・スタンダード」が仕掛けられているのである。

しかし、これはいったいどういう政策なのであろう。世界各地に住む家があり、ビジネスのネットワークがあり、必要とあらば他国の国籍を取ることも厭わないという人たちが日本の国政の舵を取り、国家資源の分配を決定しているのである。日本列島から出ることができない圧倒的多数の人々は「日本列島の外では暮らせない」という理由で「下層民」に類別され、上層民に奉仕することだけを義務づけられている。これはいわば「船が難破したときには上空に待機しているヘリコプターでひとりだけ逃げ出せるように手配済みの手際のよい船長」に船の操舵を任せるようなものである。 

有権者にはぜひ自民党草案を熟読して欲しいと思う。それがどれほどひどいものかは読めばわかる。
日本以外の国で、中学生に社会科のテストで、現行憲法と自民党草案の二つを並べてみせて「どちらが改憲後のものでしょう?」という問いを出したら、100%が現行憲法を「こちらです!」と大声を上げて選ぶはずである。

改憲派の人々のうちに例えばアメリカの中学生たちに向かって「あなたがたの判断は間違っている。あなたがたが『時代遅れの憲法』だとみなしたものこそが実はグローバルスタンダードに合致した新しい憲法なのだ」と説得する自信があるという人がいたらぜひ名乗り出て欲しいと思う。たぶん一人もいないだろう。」

http://blogos.com/article/66140/

『日本を取り戻す』は「誰から」と問う必要あり

2013-07-11 16:29:11 | 政治
 自民党のキャッチフレーズは『日本を取り戻す』だ。

 誰から『取り戻すのですか』?、と尋ねたい。

 アメリカからですか。

 それなら分かる。

 外交も軍事も完全にアメリカに従属しているのだから。

 外交権を取り戻す、立派なスローガンだ。

 しかしそうではなさそうだ。

 沖縄もなにもアメリカの言いなりだ。

 ではだれから?

 本当に分からない。

 自民党さん、教えてください。

 誰から取り返すというのですか?

とにかく自公連合が一番嫌がる政党に1票を入れよう

2013-07-11 12:31:00 | 政治
 このままでは原発が次々と再開され、海外の投機資本の食い物にされ、非正規雇用が一層拡大し、挙句の果てに国民を奴隷のように支配する内容の憲法になってしまう。

 とにかく自公政権に鉄槌を下さなければいけない。

 そのためには、自公が一番嫌がる政党に1票入れるほかない。

 共産党に1票を。

 それが嫌な人は、社民党に1票を、入れましょう。

ねじれ、解消すべきでないとの意見が多数派/ハフポト

2013-07-09 17:32:13 | 政治
 ハフィントンでの議論では、ねじれ国会維持すべきが多数派。

 http://www.huffingtonpost.jp/2013/07/08/nejirekokkai_n_3561713.html?utm_hp_ref=japan

 だとしたら自公を敗北させないといけない。

 となると目をつぶって共産党に一票、が一番効果的だと思うが、いかが。

升添氏に賛成/問題は国会の「ねじれ」ではない

2013-07-06 18:38:55 | 政治
「ねじれ国会、どこが問題でしょうか?

 選挙の時期が異なる二院制を前提にする以上、両院のねじれは当然です。

 政権側は、そのことを与件として国会運営をする知恵が必要です。国会運営が順調にいかないことを制度のせいにするのは簡単ですが、基本的なことを言えば、与党の国会対策とは、野党の言い分を聞いて法案の円滑な審議を行うことです。そういった努力を欠いた国会運営をつづけていては、長期政権の展望は開けません。

 国会がねじれていれば、野党の言い分を聞かざるをえないので、与党の暴走を抑えることにもつながります。

 私が厚労大臣のときに、多くの法案を成立させ、懸案の様々な問題を解決できたのは、ねじれ国会のおかげだと言ってもよいほどです。

 政官業が癒着し、自民党の族議員が改革に反対する中で、野党の建設的な批判は、守旧派の族議員と対決する武器として、大いに役立ちました。

 その武器を活用して、改革を進めることができたのです。参議院で野党から建設的な提案がなされたことが何度もあり、それを修正案や付帯決議に反映させ、より広い国民の利益になる法律を成立させることができました。

 衆議院のカーボンコピーと揶揄される参議院ですが、その意義は「再考の府」として大所高所から、衆議院で十分な審議が尽くされなかった問題について議論するところにあります。

 参議院選挙の焦点は「ねじれ解消」ではありません。問われるべきは、経済や社会保障、そして、外交です。

 また、この国の「かたち」をどうするか。統治機構についてわずか4条しか書かれていない憲法についても、地方自治の章を大幅に加筆し、中央と地方の関係について規定しなおすべきです。

 道州制、連邦制の導入についても議論し、その関連で二院制のあり方も俎上に載せることが可能となります。アメリカ上院のように、参議院を地方の代表者からなる国会の場として改革することも、新しい政治のあり方の一案となるのではないでしょうか。」

http://www.huffingtonpost.jp/yoichi-masuzoe/-_18_b_3549082.html?utm_hp_ref=japan

この際共産党か社民党へ

2013-07-02 16:05:31 | 政治
 このままいけばあのろくでもない安倍政権が一気に改憲に向かって突っ走りそうだ。

 自民の改憲案は戦前復帰を目指す「トンデモ憲法」だ。

 この際、参院議員選挙は、目をつぶって共産党か社民党に入れよう。

 自民党の嫌がることを全力でしないと、日本の民主主義は破滅だ。

安倍政権の変貌/橋下を利用してさらに右へ

2013-06-29 15:24:26 | 政治


「◇橋下発言以降一変した、安倍内閣閣僚の歴史認識◇

橋下市長の慰安婦をめぐる発言に対し、大阪を中心に、各地で市民団体による抗議行動が行われています。5月27日に行われた外国人特派員協会での会見をもって幕引きをはかろうとした橋下氏ですが、同氏への批判は下火になる気配がありません。IWJはその模様を報じ続けてきました。

※2013/05/17 【大阪】橋下さん もう辞めて!市長の資格はありません~橋下大阪市長の「慰安婦」問題に抗議する
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/79366

※2013/05/20 【大阪】「橋下市長の暴言を許さず、辞任を目標に」月曜日集会
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/80145

※2013/05/24 【大阪】橋下徹大阪市長の日本軍慰安婦発言の撤回と謝罪、辞任を求める抗議行動
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/81100

※2013/06/08【大阪】「橋下市長は『誤報だ』と言っているが、どう聞いても、確信を持って話している」~橋下市長の「慰安婦」・性暴力発言を許さず辞任を求める集会
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/83819

※2013/06/18 「かつての侵略戦争を反省し、慰安婦問題を解決していくことが、日本人の新たな自信と誇りにつながる」 ~「歴史認識 請求権 徹底論議!院内集会」
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/85586

橋下氏が、米軍司令官に対して、「合法な風俗」の「活用」をすすめたこと、「合法性」を強調していた橋下氏自身が、大阪府長になる前に、「違法な売春」の横行が常態化している大阪市西成区の飛田新地の飲食業組合の顧問弁護士であったことなどについて、橋下氏は有権者に対して十分な説明をしていません。

謝罪を表明したのは、米国と米軍に対してであって、日本の有権者に対してではありません。これは批判されてしかるべきであり、橋下市長への抗議の声がやまないのは、当然のことだと思います。

また、「違法な売春」が横行している飛田新地の飲食業組合の顧問を引き受け、弁護士として何を助言していたのか、弁護士としても、市民としても、政治家としても明らかにする説明責任があります。

しかし、責められるべきは、橋下氏ひとりだけではないはず、という点も急ぎ指摘しておかなくてはなりません。

橋下市長の慰安婦に関する発言の骨格は、安倍政権の歴史修正主義的な姿勢とうりふたつです。両者の「歴史認識」に、ほとんど相違はありません。橋下市長の「歴史認識」が問われるのであれば、安倍総理やその閣僚たちの「歴史認識」も問われるべきです。

安倍氏は総理に就任直後の昨年12月31日、産経新聞のインタビューで、過去の植民地支配と侵略を認めた村山富市元首相の「村山談話」について、これをそのまま継承するのではなく、新たな「未来志向」の「安倍談話」を出し、歴史問題について安倍政権の立場を「明確」にする方針を表明。総理に就任後も、こうした発言を繰り返したことで、「植民地支配と侵略の責任を認め、謝罪する」というこれまでの日本政府の立場を訂正するのではないか、という疑心暗鬼が国内外に一気に広がりました。

安倍氏は、同じインタビューのなかで、従軍慰安婦に対する日本軍の関与を認め、「謝罪とお詫び」を表明した「河野談話」に対しても、2007年3月16日に第一次安倍内閣が閣議決定した「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という答弁書にもとづき、「この内容も加味して内閣の方針は官房長官が外に対して示していくことになると語りました。

※2012年12月31日 安倍首相インタビュー「詳報 TPP、集団的自衛権、村山談話、憲法改正...」
(msn産経2012年12月31日【URL】http://on-msn.com/12QMjVn

今年に入り、安倍政権の閣僚からは、麻生太郎副総理、新藤義孝総務相、古屋圭司国家公安委員会・拉致問題担当相、稲田朋美行革担当相が相次いで靖国神社に参拝。4月23日には、安倍総理自身が参議院予算委員会で「『侵略』の定義は学会的にも国際的にも定まっていない」などと発言しました。

橋下氏の発言が飛び出す以前は、こうした安倍政権の一連の発言や行動に対し、海外メディアから批判が集まっていたことは、前々号の「ニュースのトリセツ」などで論じた通りです。

ところが、5月13日に橋下市長の慰安婦をめぐる発言が飛び出して以降、政府・自民党の態度は一変しました。参院選を控え、支持率の低下が顕著な日本維新の会とは一線を画すべく、橋下氏の発言を批判し始めたのです。

稲田朋美行革担当大臣は、5月14日の定例会見で「慰安婦制度は大変な女性の人権に対する侵害だ」と語り、橋下氏を批判しました(内閣府HP会見議事録【URL】http://bit.ly/132auyW)。

しかし、稲田朋美行革担当相は、昨年8月31日に産経新聞に寄稿した論説文の中で、「慰安婦問題については、強制連行した事実はない」「当時は慰安婦業は合法だった」と記していました(msn産経新聞2012年8月31日【URL】http://on-msn.com/17sAngy)。

稲田行革担当相の発言は、明らかに一貫性を欠いています。

IWJは、5月24日の稲田大臣の定例会見で、慰安婦に関する認識を質問しました。稲田大臣は「戦時中は、慰安婦制度が、悲しいことではあるけれども合法であったということも、また事実であると思います」と語り、慰安婦制度が戦時中は合法であったと発言しました。

【稲田大臣発言音声ファイル(慰安婦発言部分)】
http://j.mp/13CiwPd

・2013/05/24 稲田大臣、従軍慰安婦について「戦時中、合法であったことは事実」~稲田朋美行政改革担当大臣定例会見
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/81090

稲田大臣のこの発言に対し、韓国外務省はすぐさま非難声明を発表。「女性の尊厳と人権に対する冒涜で、反人道的犯罪を擁護する常識以下の発言だ」とし、発言の即時撤回を求めています(msn産経新聞5月24日【URL】http://on-msn.com/10Xc8CV)。

その後、稲田大臣は、閣議後の定例会見を国会内で開催するようになりました。IWJは、国会に入る記者章を発行されていないため、国会内での会見に参加することができません。内閣府の議事録を確認する限り、大手記者クラブメディアが、韓国外務省から非難声明が出ている件に関し、稲田大臣に質問した様子は皆無です。

記者クラブメディアの足並みをそろえた「沈黙」の理由は、「慰安婦は合法」という発言が根本的に間違っていると理解できない無知によるものか、または、政権与党の閣僚に対する政治的なおもねりか、どちらかでしょう。あるいは、その両方かもしれません。

ここで、稲田大臣が発言した「戦時中、慰安婦は合法だった」という発言のどこが問題で、何が間違っているか、あらためて整理しておきたいと思います。

◇「慰安婦は合法」の詭弁! 安倍内閣閣僚の歴史認識を問う◇

従軍慰安婦が「合法」であるという主張は、国外の戦地において、従軍慰安婦に対し、日本国内の公娼制度の法的枠組みが適用されていたという「理屈」にもとづいています。しかし、「従軍慰安婦制度」と「公娼制度」はイコールではありません。

従軍慰安婦の「合法性」を論じる文脈とはまったく無関係に、「公娼制度はかつて合法だった」というならばともかく、「慰安婦」と「公娼」を意図的にか混同させ、「公娼制度のもと、慰安婦も合法だったのだ」と主張するのは、たいへんな詭弁です。稲田氏は、橋下氏と同様、政治家であるとともに弁護士でもあります。法律家がこんな虚偽を公然と口にして許されるものではありません。

日本国内では、1900年(明治33年)10月2日、内務省により、娼妓取締規則が発令されました。娼妓稼業に従事する者は、警察署が管理する娼妓名簿に登録しなければならず、官庁が許可した、「貸座敷」「芸者置屋」「引手茶屋」という「三業地」でしか娼妓業を営むことができませんでした。

戦前、日本国内において、娼妓は、厳格に管理されていたのです。これが、戦前の日本国内で「合法」とされた、「公娼制度」の法的な枠組みであり、場所が限定され、鑑札を持った登録業者だけに営業が限定され、娼妓も登録された者だけに限られました。

娼妓取締規則では、第1条において、「18歳未満の者は娼妓になれない」と定められています。

第一条 十八歳未満ノ者ハ娼妓タルコトヲ得ス
(意解)本条ハ娼妓タルヲ得サル年齢ノ規定ナリ
(中略)自己ノ権利ヲ狂屈シ恥辱ヲ忍ヒ之ヲ為スモノナレハ年齢ニ制限ヲ設ケサレハ思量ナキノ女子ニシテ他人ノ誘惑若クハ誘拐セラレテ娼妓トナリ一生ヲ誤ル者アルヲ以テナリ
「年齢制限を設ける理由は、18歳未満の少女の場合、幼くて考えが足りず、他人に騙されたり、誘拐されて一生を棒にふる者があるから、年齢に制限を設けなくてはならない」としているのです。即ち、女性を騙して連れ去ったり、誘拐したりして売春を強要する犯罪は、常に起こり得たのであり、それを警戒して、娼妓取締規則は定められているわけです。当然「公娼制度」のもとで、「かどわかし」が「合法」だったわけではありません。

第二条 娼妓名簿ニ登録セラレサル者ハ娼妓稼ヲ為スコトヲ得ス
(中略)娼妓名簿ニ登録セラレタル者ハ取締上警察官署ノ監督ヲ受クルモノトス
(意解)本条ハ娼妓稼ヲナサントスルトキハ娼妓名簿ニ登録スヘキコト、娼妓名簿ハ娼妓所在地(即チ貸座敷)所轄スル警察署ニ備置セリ、娼妓名簿ニ登録セラレタル者ハ警察官署ノ監督ヲ受クヘキコトヲ規定セリ
第2条では、警察に監督義務があることが明記されています。国外の戦地を転戦する軍隊にくっついて、慰安婦を伴いながら移動し、臨時の慰安所をその場その場で開設する業者を、どこの警察署が監督しうるのでしょうか。そんな事は不可能です。

第三条 娼妓名簿ノ登録ハ娼妓タラントスル者自ラ警察官署ニ出頭シ左ノ事項ヲ具シタル書面ヲ以テ申請スヘシ

第3条には、娼妓は管轄の警察署へ自ら出向いて、登録を行わなくてはならないとされています。戦地における慰安婦に、そんなことが可能であったはずがありません。これにも抵触します。戦地で事実上、監禁状態にあったという数多の証言が事実なら、これは当時であっても違法です。

第六条 娼妓名簿削除申請ニ関シテハ何人ト雖妨害ヲ為スコトヲ得ス
(意解)(前略)娼妓稼ノ廃止自由ナリ何人ト雖妨害スヘカラス(中略)娼妓稼業ノ廃止ヲ自由ナラシメ正業復帰セシメントノ趣旨ニ外ナラス
これは重要です。娼妓は本人が廃業したいと思ったら、誰も妨害はできない、ということです。その意志は尊重されなくてはならないと当時の法令に定められていたのです。

第八条 娼妓稼ハ官庁ノ許可シタル貸座敷内ニ非サレハ之ヲ為スコトヲ得ス
(意解)(前略)稼業ヲ為ス場所ハ官許ヲ得タル貸座敷内ニ限レリ之レ本条ノ規定アル所以ニシテ若シ以外ノ場所ニ於テ娼妓稼業ヲ為シタル者及ヒ為サシメタル者ハ本則第十三条第三項ニ依リ罰セラルルモノナリ
第十ニ条 何人ト雖娼妓ノ通信、面接、文書ノ閲読、物件ノ所持、購買其ノ他ノ自由ヲ妨害スルコトヲ得ス
(意解)本条ハ娼妓ノ権利ヲ拘束スヘカラサルコトヲ規定セリ
娼妓ハ醜猥ナル稼業ナリト雖本則及ヒ娼妓稼業ニ関スル庁府県令ノ制限取締ヲ受クルノ外等シク人権ヲ有スルコトハ言ヲ待タス
第12条も、娼妓に「人権を有することは言を待たず」とあります。通信や面接、すなわち外部との連絡ができなければなりません。外界との連絡が遮断された状態にあったという証言が事実なら、これも違法です。

第十三条 左ノ事項ニ該当スル者ハ二十五円以下ノ罰金又ハ二十五日以下ノ重禁錮ニ処ス
さらに、娼妓取締規則第13条には「左の事項に該当する者は二十五万円以下の罰金又は二十五日以下の重禁錮に処す」とし、「虚偽の事項を具し娼妓名簿登録を申請したる者」「官庁の許可したる貸座敷外に於いて娼妓業を為さしめたる者」「稼業に就くことを得ざる者をして強て稼業に就かしめたる者」「本人の意に反して強て娼妓名簿の登録申請又は登録削除申請を為さしめたる者」をあげています。

すなわち、所定の場所以外で娼妓稼業を行うことも違法であり、行政が許可しない貸座敷以外での営業も違法であり、女性の意に反して稼業につかせる、すなわち売春を強要するなどはもってのほかだったのです。

「公娼制度」の存在した当時にあっても、女性に売春を行わせるために、仕事があるからなどと、騙して連れ去れば、略取・誘拐の罪に問われます。旧刑法第225条には、「営利、猥褻又ハ結婚ノ目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ一年以上十年以下の懲役ニ処ス」とあります。

女性に合意なく性交を強要すれば強姦です。力づくで、暴力と脅迫によって従わせた場合には、暴行、脅迫の罪にも問われるでしょう。騙されたことを知って、帰りたいと言う女性の行動の自由を奪い、外部と連絡をとらせず、閉じ込めておけば、監禁の罪に問われます。これらの行為は当時でも違法であり、犯罪です。

言うまでもなく、大日本帝国にも刑法はあり、法治国家であって、「無法国家」ではありませんでした。「戦時中だったからやむをえなかった」というのは、大日本帝国がまるごと無法の許された国家だったというようなものです。事実ではありませんし、敗戦までの日本という国家への侮辱です。

ひるがえって、戦地に目を転じて見れば、すべての女性が合意のうえで従軍慰安婦になったわけではありませんでした。保守派の歴史家の秦郁彦氏は、『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999.06)の中で、「私が信頼性が高いと判断して選んだもの」として、次のような事例をあげています。

<榎本正代伍長(済南駐屯の第五十九師団)の証言―― 一九四一年年のある日、国防婦人会による「大陸慰問団」という日本女性二百人がやってきた...(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが...皇軍相手の売春婦にさせられた。"目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ"が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。 >[382ページ]

また、長尾和郎『関東軍軍隊日記』(経済往来社、1968.11)には、次のような記述があります。

<朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。私は甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅感を覚えた。>[71ページ]
このように、従軍慰安婦は、日本人女性や朝鮮人女性が、そうと知らされず、騙され、略取・誘拐されたケースが数多くありました。こうした証言は枚挙にいとまがありません。これは、娼妓取締規則により厳格に規定された、当時の「公娼制度」に照らしても、明らかに違法です。軍が進軍していく先々の戦地は「三業地」ではなく、慰安婦とさせられた女性すべてが「娼妓」として登録されていたわけではありません。当人の合意も、合法の手続きも欠けています。

さらに、後者のケースでは、朝鮮人女性が、「満州各地」つまり中国東北部へ輸送されています。これは、大日本帝国における旧刑法226条「国外移送、国外誘拐罪」に違反してると考えられます(226条「日本国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ二年以上に処ス (2)日本国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ日本国外ニ移送シタル者同ジ」)。

「慰安婦こそは戦場の花」と書いた伊藤桂一氏は、1938年から終戦の45年にかけて断続的に招集され、戦地に赴いた経験を持つ人物で、直木賞と吉川英治文学賞を受賞した作家でもあります。

伊藤氏が著した「兵隊たちの陸軍史」(文春文庫)は、「後の世代に戦争の実態をきちんと伝えたい」と執筆した貴重な記録です。

この中に「戦場と性」という項目に一章が割かれ、慰安婦制度と軍の関与について詳述されており、麻生敏男軍医の記録として、「上海軍工路近くの楊家宅に、軍直轄の慰安所が整然としたアパートの形式で完成した」と記されています。

基本的には、この本は「あの戦争が終わって二十年間ほどは、米国的民主主義に悪影響され、兵士が行ったことを露悪的に伝える戦史などの氾濫が続き...」などと前書きに書かれている通り、戦後民主主義には否定的で、旧軍には肯定的な筆づかいで書かれています。そうでありながら、慰安婦制度に軍の関与はなかった、などという白々しい嘘は、一行も書かれていません。

今日の目からみれば、日本軍に都合のいい視点からの筆致なのですが、それでも伊藤氏は、「慰安婦がいちばん兵隊の役に立っていることは事実だが、慰安婦も多くは、欺されて連れてこられたのである」と、当たり前のごとく書いています。あっけらかんとしたものです。当時でも「略取・誘拐」は間違いなく犯罪だったはずです。

「兵隊たちの陸軍史」には、従軍慰安婦どころか、軍が強姦を認めた、という話も登場します。

「これはビルマでの話だが、某兵団で、どうしても強姦が絶えないとみて、内々に強姦を認めた」というのです。なんという部隊だろうか、と呆れるばかりですが、話はそこで終わりません。

「ビルマは親日国で、かつ民衆は熱心な仏教徒であり、強姦など行えない。残された方法は証拠の隠滅――つまり、犯した相手をその場で殺してしまうことであった。これによって事故は起こらなかった。

何というおぞましさ。ところが話はまだ続きます。

「一婦人が暴行された、と軍へ訴え出てきた。やむなく調査をしたら、兵長以下三人の犯人が出てきた。かれらは顔を覚えられているし、三人で輪姦したと白状した。准尉が『なぜ殺さなかった』ときくと、三人は『情においてどうしても殺せなかった』と言った。よって軍法会議にかけられ、内地に送還された。一方では強姦したら殺せ、といい、一方では発覚すると厳罰がくる。奇妙な軍隊の規律である」
強姦した女性を殺せと命じていたその軍で、殺せずに強姦した将兵を軍法会議で裁くのも軍であるという異常さが、ここにははっきりと記されています。

これほどひどい犯罪的なケースは、まれであったかもしれませんが、女性たちが騙されて連れてこられ、慰安婦にさせられ、売春を強要されていたことは、常態化していたとみて間違いなさそうです。

これらは明白な犯罪行為なのですから、官憲には、当然、悪質な業者を取り締まり、犯罪被害にあった女性たちを救出する義務が生じます。旧日本軍にも警察権を持つ憲兵が存在しました。しかし、旧日本軍も警察も、こうした違法行為の横行を、見て見ぬふりを決め込むか、手をこまぬいていました。

つまり、従軍慰安婦の問題は、何よりもまず、「公娼制度」が認められていた当時であっても決して許されない略取・誘拐、暴行、監禁、国外移送などの違法な行為が横行し、それらの違法を、旧日本軍や警察が拱手傍観していたという、不作為の罪にあります。

「従軍慰安婦制度は、合法だった」という稲田朋美行政改革担当相の発言が、過ったものであることは明らかです。しかし、大急ぎでつけ加えなければならないのは、公娼制度が存在したことをもって、「慰安婦制度は合法だった」と開き直る論法を用いるのは、稲田行革相一人だけではないことです。

日本維新の会代表代行の平沼赳夫議員は、5月22日の講演会で、「昔は公娼制度があった」と発言し、「従軍慰安婦と言われている人たちは、戦時売春婦だと思っている」と語りました。これは、従軍慰安婦は公娼であり、戦場で合法な商行為を行なっていた、という趣旨の発言です。

また、同党の共同代表である石原慎太郎議員も、5月14日、橋下氏の発言について「軍と売春はつきものだ。それが歴史の原理だ。橋下氏の発言は好ましくないが、間違ったことは言っていない」と語り、橋下氏を擁護しました。 また、6月6日のJR渋谷駅前での街頭演説では「連行したのは商売人。国家の権力でするわけがない」語り、 軍の関与を認めた河野談話についても「国が(連行を)やったことにした。日本全体がひんしゅくを買った」と批判しました。

2012年11月、ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」に、「女性がその意思に反して日本軍に売春を強要されていたとする歴史的文書は発見されていない」「慰安婦は性的奴隷ではない。彼女らは公娼制度の下で働いていた」という意見広告が掲載されました。
(しんぶん赤旗1月6日【URL】 http://bit.ly/XxgEbw

この意見広告の賛同者として名前を連ねていたのが、安倍晋三総理、稲田朋美行革担当大臣、平沼赳夫日本維新の会代表代行。他にも、第2次安倍内閣の閣僚から、下村博文文部科学大臣、新藤義孝総務大臣、古屋圭司国家公安委員長の各氏が名前を連ねています。

彼らは、一様に、従軍慰安婦が「合法」な「公娼」であったという認識を有しているということです。

しかし、先述したように、従軍慰安婦を集め、戦地に送り、慰安所を管理・運営して女性に売春を行わせるにあたっては、「公娼制度」を成り立たせていた娼妓取締規則や、さらには大日本帝国下の旧刑法でも禁じていた、略取、暴行、監禁などの明白に違法な行為が横行していました。

その違法の横行を、旧日本軍や警察や行政が見て見ぬふりをし、取り締まりや被害女性の保護や救済を怠っていた、不作為の罪こそが、まずは第一の問題なのです。国家として従軍慰安婦の制度に積極的に加担した証拠はない、と日本政府は弁明し続けていますが、どう言い逃れしても、「黙認というかたちでの国家の消極的な関与はまぬがれません。

それでもなお、稲田大臣のように軍や警察の不作為の罪を認めず、「従軍慰安婦は合法だった」とあくまで強弁するならば、戦地において「合法」的に、国家の管理のもと、すなわち国家が積極的に関与して、女性を騙して現地へ連れてきて、売春を行わせ、それを大日本帝国は「合法」としていたという話になります。すなわち、従軍慰安婦制度を、国家が積極的に関与して成り立たせていたということにならざるをえなくなります。

論理的に考えれば、「従軍慰安婦は合法」とする政治家の主張の帰結は、このような結論に達することになります。

そこで、安倍総理らが強調するのが、「狭義の強制性」です。

旧日本軍が民家に押し入り、朝鮮人女性を人さらいのように強制連行し、慰安所に収容したとする説を「狭義の強制性」と呼び、この問題が最大の問題であるとフレームアップした上で、その事実はなかったと強調してみせるのです。その間に、他の問題が問題でなかったかのように忘れさられるという仕組みです。

安倍総理はこれまで、一貫して、この「狭義の強制性」がなかったことを強調してきました。

2007年3月16日、第一次安倍内閣は「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という答弁書を閣議決定しました。

安倍総理は2月7日の衆院予算委員会で「(慰安婦の)強制連行を示す証拠はなかった」と答弁しています。他方、5月22日、衆議院内閣委員会で、共産党の赤嶺政賢議員に、慰安婦に対する旧日本軍と政府の関与、および強制連行の有無について聞かれた菅義偉官房長官は、「心が痛むという点で歴代内閣と変わらない」とだけ述べ、軍の関与と強制連行に関する言及を避けました。(しんぶん赤旗5月23日【URL】 http://bit.ly/18jzuVp

安倍総理が否定している「強制連行」とは、「旧日本軍が朝鮮人の民家などに押し入り、人狩りのように強制連行したあげく、慰安所に収用した」という「狭義の強制性」です。こうした「狭義の強制性」を証明する文書が見つからないことをもって、従軍慰安婦問題全体が、一部の人間やメディアによって創作された神話であるかのように抗弁するのです。

安倍総理は、昨年の衆院選の直前、日本記者クラブで開かれた党首討論会で、「慰安婦問題は吉田清治という詐欺師が作った」と発言しています(動画URL:http://bit.ly/10vY00uhttp://bit.ly/10vY00u)。

吉田清治氏は、1983年に『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房、1983.07)を上梓。その中で、旧日本軍が朝鮮の女性を強制連行し、慰安婦にしたと論じました。

その後、先述した歴史家の秦郁彦氏の現地調査により、吉田氏の主張は創作であったことが判明します(前掲書『慰安婦と戦場の性』229ページ)。吉田氏自身も「創作を交えた」と認めました。

しかし、従軍慰安婦をめぐる問題の最も重要なポイントは、吉田氏が「創作を交えて」論じたような、「旧日本軍が朝鮮人の民家に押し入り、人狩りのように力づくで女性を連れ去って慰安所に収容した」という、「狭義の強制性」ではありません。広範に行われていたのは、「いい仕事があるから」などと騙して女性を戦地へ連れて行った「略取・誘拐」です。こうした行為が行われていたことを示す証言は膨大にあります。

吉田清治氏という人物がフィクションをまじえたという一事をもってして、従軍慰安婦に関する一連の犯罪がねつ造であるかのように主張するのは、明らかに問題のすりかえであり、それ自体、詐術的なロジックです。

稲田大臣や平沼議員、ひいては安倍総理は、この点を隠蔽するために、慰安婦問題を「狭義の強制性」へと、議論を矮少化していると言わざるをえません。

(中略)

橋下市長の発言を、大手既存メディアは連日大きく報じています。しかし、現役の閣僚である稲田大臣の発言を問題にするメディアはほとんど見当たりません。

安倍内閣は、橋下騒動の影に隠れるようにして、5月24日に、ひっそりと、辻元清美議員の質問主意書に答えるかたちで、「河野談話を継承する」と閣議決定しました。
(政府答弁書【URL】 http://bit.ly/10oLQK6、辻元清美事務所発表報道資料【URL】 http://bit.ly/154wNVN

安倍総理が、就任直後のインタビューから態度を変化させたという、この重要な閣議決定について、驚くべきことに、時事通信が小さく報じた以外、どこのメディアも報じていません。(「河野談話を継承=第1次内閣と『立場同じ』―政府答弁書」時事通信5月24日【URL】 http://bit.ly/13iB1Ip

IWJは、この慰安婦問題、そして歴史認識の問題について、引き続き取材を継続します。「記者クラブに所属していない」などという、理不尽な理由のため、出席できる記者会見には制限がかけられていますが、粘り強く、この問題を取材したいと思います。

その結果は、メルマガ「IWJ特報!」「IWJウィークリー」などでもお伝えします。IWJの応援、ご支援をよろしくお願いします(本稿は6月6日発行の「IWJウィークリー第5号」に掲載した「ニュースのトリセツ」の一部に加筆したものです)。

※メルマガ「IWJ特報!」「IWJウィークリー」のご購読はこちらから
http://bit.ly/1aiMHNr

(※この記事は、2013年6月24日のIWJブログ【慰安婦は合法」の詭弁!安倍内閣閣僚の歴史認識を問う」】より転載しました)



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「米、安倍政権の歴史認識に警告 日米同盟影響も示唆」

2013-06-13 13:39:37 | 政治
「米、安倍政権の歴史認識に警告 日米同盟影響も示唆

 【ワシントン共同】オバマ米政権1期目に国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長を務めたジェフリー・ベーダー氏は12日、日本の過去の侵略と植民地支配を謝罪した「村山談話」の見直しなどを安倍晋三政権が行えば米国として黙認することはないと警告、日米同盟にも影響が出る可能性を示唆した。

 ワシントンで開かれたシンクタンク主催のシンポジウムで述べた。近隣諸国との摩擦を生んでいる日本の指導者の歴史認識に対する米側のいらだちをあらためて浮き彫りにした。

2013/06/13 11:27 【共同通信】」

http://www.47news.jp/CN/201306/CN2013061301000905.html

八尾市長がオスプレイ受け入れに反対/沖縄タイムスより

2013-06-03 18:52:47 | 政治
 親分の橋本大阪市長・維新の会協同代表がアホな発言を連発したあと始末なのか、大阪府知事の松井氏(維新の会)が大阪にオスプレイを受け入れ、訓練の実施を認めると発言した。

 寝耳に水の八尾市長をはじめ、近畿圏の関係者から反対や疑問を呈する声が上がっている。

 当然だろう。

 あれだけの人口密集地で各種工場が広がり、新幹線も高速道路もある上をオスプレイが飛ぶのだ。

 万が一新幹線の上に落ちたら。化学工場。高速道路。高層マンション。

 ・・・しかしここまでこう書いてみて私自身よくわかった。

 普天間で如何に危険なことが行われているか。

 大阪や東京に置き換えて考えてみると、かなりリアルに危ない行為だ。

 松井さん…この点想像力を喚起してくれてありがとう。

 ただ次の選挙ではぜひとも姿を消してください。

 (写真は八尾飛行場とその周辺)


「 大阪府の松井一郎知事が米軍新型輸送機MV22オスプレイの訓練受け入れを検討していることについて、候補地に浮上した八尾空港の地元、大阪府八尾市の田中誠太市長は3日、「市民の安全確保を最優先に、反対の立場で対応したい」との見解を明らかにした。

 田中市長は「市民生活に大きな影響をもたらす事案で、八尾市との調整や市民への事前説明がないのは遺憾だ」と指摘。府に対し、十分協議するよう申し入れる考えを示した。

 見解は、八尾空港や周辺では、軽飛行機の墜落事故やヘリコプターの事故があったと指摘し「市民の不安感はぬぐえず、市街地にある八尾空港が選択されるのは反対だ」としている。(共同通信)

和歌山知事、大阪受け入れを疑問視

 和歌山県の仁坂吉伸知事は3日の記者会見で、米軍新型輸送機MV22オスプレイの訓練の一部を大阪府で受け入れる松井一郎大阪府知事の構想について「受け入れとは何なのか。どうするのか、質問したい」と、疑問を呈した。

 仁坂氏は「今の日米安全保障関係法制では、米軍は決めたら勝手に飛んでくる」と指摘。「その前提で考えると『受け入れ』とはいったい何なのか」と問題提起した。(共同通信)

「沖縄の負担軽減、一つの方向」と評価 徳島知事

 徳島県の飯泉嘉門知事は3日の記者会見で、松井一郎大阪府知事が米軍新型輸送機MV22オスプレイの訓練の一部受け入れを検討していることについて「沖縄県の負担軽減を進める一つの方向だ」と評価した。

 同時に「沖縄県と防衛省、米軍との関わり合いの中で、どういう形で落ち着くのか見守りたい」と述べた。(共同通信」

http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-06-03_50043

[徐京植の日本通信] ある牧師/ハンギョレより

2013-05-23 12:52:33 | 政治



「 気持ちよく晴れた秋の午後、東京郊外の鉄道駅で待ち合わせて、久しぶりに東海林勤(しょうじ・つとむ)牧師に会った。まず、昨年体調を崩された奥さまの様子を尋ねると、近ごろはかなり回復されたとのことで、先生の表情も穏やかに見えた。奥様は慰安婦問題で支援と補償要求運動を中心的に担われた東海林路得子(るつこ)さんである。

 「私ももう80歳です」と先生牧師はおっしゃった。気づいてみると、東海林牧師と私が初めてお会いしてからおよそ40年が経ったことになる。1971年4月20日、陸軍保安司令部が私の兄である徐勝と徐俊植を「学園浸透間諜団」という容疑で逮捕したと発表した。私はその時、満20歳で、東京の早稲田大学の学生だった。

 彼らの同窓生や知人たちから救援運動が始まり日本各地に広がった。その当時、東海林牧師は早稲田大学YMCA学生寄宿舎の舎監を務めておられた。大学闘争の最盛期だった。キリスト教系の学生団体も例外ではない。学生たちは、彼に救援運動への協力を強く求めたのである。学生たちには、牧師なら反共独裁体制の韓国でも比較的自由に行動できるだろうという計算もあったのだ。告白すると、私自身もこうした計算をした一人である。いま思えば、恥ずかしいことだ。だが、徐勝、俊植となんの関係もなく、私とも一面識もなかった東海林牧師は、学生たちの求めに応じて、この困難な役割を引き受けて下さったのである。当時の学生たちの多くは若い日の志を貫くことができず、自己の小さな利害 を守るのに汲々として、いま還暦を過ぎる齢となった。すこしも揺らぐことなくこの40年を生きたのは、学生たちに担ぎ上げられた東海林牧師のほうである。

 東海林牧師はもともと、自分の苦労話などしない人だから、彼の青年時代のことはほとんど知らなかった。今回、初めて聞いたのだが、キルケゴールやドストエフスキーを耽読し、実存主義に傾倒していた彼は、政治的関心の乏しい内向的な性格だったようだ。だが、大学院で突然、神学に針路を変え、1960年代後半、留学したニューヨークのユニオン神学校でベトナム反戦運動に触れたことが転機となった。

 1971年12月8日、東海林牧師はソウル拘置所に収監されている徐勝と俊植に面会するため初めて韓国を訪れた。それが、彼と韓国とのその後の長い関係の出発点となった。維新体制下で発せられた「1973年韓国キリスト者宣言」に強く心を動かされ、日本から拉致された金大中氏の救援運動を始めとして、韓国民主化への支援連帯運動を担い続けた。

 1996年に、東海林牧師夫妻と私たち夫婦はいっしょにイスラエルを旅行したことがある。牧師である彼にとって、そこは一生に一度は訪れてみたい特別な場所だった。日本キリスト教協議会(NCC)の総幹事という職責にあった東海林牧師には、イスラエル政府から何度か招待もあったという。だが、在任中は招待を謝絶し、退任後に自費で訪れたのだ。そのようにして、イスラエル政府の対パレスチナ政策に対する不同意の意思を貫いたのである。

 その時、エルサレムのレストランでの食事中、東海林牧師がさりげなく思い出を語った。「もう時間が経ったから話してもいいでしょう。実はあの時、舎監宿舎の2階に米軍の脱走兵をひとり匿っていたんですよ…」あの時というのは、まさしく「徐兄弟を救う会」の代表を引き受けた頃のことだ。25年後になって、何でもないことのように、そんなことを言ったのである。

 80歳を過ぎた今も、東海林牧師は変わらない。原発問題にせよ、沖縄の基地問題にせよ、キリスト教会の態度が無関心や不透明であることを彼は静かに批判する。そして、こんなことを付け加えた。「私は妥協がなさ過ぎるので、他の人を居心地悪くさせてしまう。これは自分のよくない点だと、この頃になって反省しているのです」

 40年間の交流を思い返しながら、私はあえて言葉を返した。「それは違います。これが基準であると身をもって示してくれる存在が、私たちには必要なのです。先生はそういう存在です。」

 日本はいま、戦後最悪といっていい歴史的岐路に立っている。昨年の東日本大震災と福島原発事故のあと、私は自分の予感が外れることを心から願いながら、「これを契機に日本社会がファシズムへと転落する危機が迫っている」と書いた。残念ながら、現実は私が予感したとおりに進んでいるようだ。こんな時代であればこそ、日本社会の一角に、東海林牧師のような人が、誠実そのものの姿で静かに存在していたことを記録しておかなければ、と思うのである。

韓国語原文入力:2012/10/22 19:33
http://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/556922.html 訳J.S(2001字)」

http://japan.hani.co.kr/arti/SERIES/11/13823.html