リガ空港にあったスシ店!
リガ最後の日(もう一泊しますが次の日は移動日なので)だというのに、相変わらず午前中はダラダラして動きません(笑)。
さあ、出かけるぞ!
やっと外に出て、まずは電動スクーター探し。ヴィリニュスほどたくさん見かけませんが、ちらほら見かけました。
電動スクーター、ゲット!
まずはアール・ヌーボー様式の建物が並ぶアルベルタ通りを目指します。
他の街で見なかった木造の建物もいくつか見かけました。
その通り全部がアール・ヌーボー様式の建物なのかと思ったら、通りの一方がそうなんですね。
「戦艦ポチョムキン」のセルゲイ・エイゼンシュタインのお父さんで建築家のミハイル・エイゼンシュタインの建物だと「地球の歩き方」に
書いてありました。
リガの街の40パーセント以上がアール・ヌーボー様式ということで、無理にこの通りにこなくても以前は「バルト海の真珠」「バルトのパリ」など
と呼ばれた片鱗が感じられます。
今は煤けたアール・ヌーボー様式の建物がたくさんあり、これらが修復されたら昔の呼び名にふさわしい街として、さぞかし
美しくなるんだろうなあ、と想像しながらスクーターを走らせました。
旧市街の周りに美しい公園がいくつもあります。
またきたよ、この広場。
あ、昨日の大道芸と同じ人!
娘はまた最後までみて、一緒に写真も撮ってもらいました。ちなみにフランスからきたそうです。
マクドナルドはどこにでもあります(笑)。
お土産やさん、マトリューシカやニットもの、琥珀が多い。
ちょっと休憩しようと、Double Coffee というチェーン店に入ったら、カフェでなくてファミリーレストランのように
食べ物、飲み物がたくさんありました。メニューはカラフルな写真入りでわかりやすい。
抹茶ラテもあります。
ライ麦パンのお菓子。ベリー類とクリームで和えており、ボリュームあります。
上から街を見下ろしてみたかったのですが、この日はコンサートのため聖ペテロ教会は閉鎖されており、結局見れないまま。
でも川から街を見てみたいと、ボートクルーズに参加してみました。
なぜか子供は救命具をつけさせられました。
ラトヴィアの首都リガはバルト三国の首都の中でも一番大きく、人口は70万人。一時は100万人を超えていたそうですが、EUに参入してから
外国に出稼ぎに出る人が多くなり、人口が激減。それでもリトアニアの首都よりはずっと活気があり都会的な印象。
旧市街にあり、訪れなかった王宮がボートから見え、音声ガイドが「この王宮は一時はポーランドやスウェーデンに占拠されたことがあり・・」
というのが聞こえました。
ああ、そうか、ここもポーランドの支配下にあったんだ。
今回バルト3国を見たいと思いながらも、なぜかタリンは今回はいいや、とスキップしました。タリンの写真を見た娘が、なぜか「行きたくない」と言ったのも理由の一つ(笑)。ポーランドのクラクフから始まり、格安チケットがあるから、という理由でポーランド国境近くのウクライナの都市リヴィヴに入り、そこからリトアニアの首都ヴィリニュス、ラトヴィアの首都リガを回ることになりました。これらの都市は、すべて一時はポーランドの支配下にあったところばかりです・・・。
最後もバーガーで締める(笑)!
「ここはロシア語の人が多いね」と、ロシア語が必須だった共産圏時代のポーランド育ちの夫。エストニアとラトヴィアには25%くらいロシア人がおり、
リトアニアは人口の9割近くがリトアニア人でロシア人は5%にも満たず、あとはポーランド人などで、民族的にバルト3国では一番安定している、と
「地球の歩き方」に書いてあった、と夫に伝えると、「なるほどね」。
ハンバーガーを食べたお店の若いウエイターさんの英語がとてもアメリカンなアクセントだったので「アメリカに留学したの?」と
聞いてみたら「ううん。ラトヴィアの教育はいいんだよ。みんな若い人は英語ができる」ついでに、「ロシア語の人が多いみたいだけど、
学校はラトヴィア語なの?」と聞いてみたら「うん。ロシア人も多いけど、公用語はラトヴィア語だから、学校はラトヴィア語で教えられている。
ロシア語は第一外国語で教わるから、みんなわかるよ。あとは英語。僕はあとドイツ語も話すけど、若い人たちは、僕みたいに4ヶ国語できる人は結構いる」
この店名に娘が大反応(笑)!
「ロシア語の人がたくさんいるみたいだけど、学校では外国語なんだね」と尋ねると「うん。ロシア人はラトヴィアにたくさんいるけど、ラトヴィア人のパスポートはもらえなくて、外国人パスポートしかもらえないんだ。僕の父はラトヴィア人だからラトヴィアのパスポートだけど、母はロシア人だから外国人パスポートなんだよ。差別だよね・・・ごめん、仕事に戻るね!」
アパートの棚にあった額縁
そうかあ・・・。
今回の旅は、どうもソ連、ロシアが悪者に見えがちだったけど、逆に差別されているロシア人もいるんだよね、と目を開かれた気がしました。
さて、リガ空港に向かいましょう!
3年前初めて夫の故郷ポーランドを訪れた時は、ポーランドのいろんな街を見て回り、たくさんの教会やお城をみるたびに、一時は自国が3分割されなくなるという悲しい歴史、ある意味で被害者としての歴史を感じ、去年はチェコのプラハやハンガリーのブダペストを訪れ、ポーランドの同盟国、仲間だった街を見て、今年は、かつてのポーランド領だった街を訪れ、侵略者としてのポーランド(つまりは一時期大きな国だった、と言うことですが)を見た気がします。
バイバイ、リガ!
ではベルリン経由してポーランドに戻ります!