アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

備忘録「高橋コレクション展 ミラー・ニューロン」「コミュニケーション・シフト」

2015-05-07 00:43:58 | 日記
シータヒーリング三昧のゴールデンウィークの直前に、お友達に誘われて行った展覧会「高橋コレクション展ミラー・ニューロン」と最近読んだ本「コミュニケーションシフト」がとっても、とってもよかったので、忘れないうちにメモのつもりで書いておきます。


高橋コレクション展のポスター。本物はもっと美しくて、奇妙。

最近踊っていないけれど、一時期夢中になっていたアルゼンチンタンゴのなんとか協会の会長をなさっている方が
アートコレクターとして有名だと知ったのが何年か前のこと。その方のコレクションなのね、見てみたい、くらいな
気持ちでいて、忘れておりました。

が、お友達に「どの展覧会がいい?」といくつかリストアップしてもらったものなかに、この高橋コレクションが
入っていたのを見たとたん「絶対見たい!」という強い気持ちに突然変化。そして突然変化してよかった〜と
しみじみ思うほど、大好きな展覧会でした!


草間彌生。ほかにもカボチャとかね、「いかにも」草間彌生な作品のコレクションが展覧会の最初にバーンと出てきます。


小さい時から絵を描くのも見るのも大好きで、10代からいろんな展覧会を見てきたつもりですが、今世紀に入ってから(笑)、興味が薄れてきた
ような気がします。

ニューヨークに住んでいた時、コンテンポラリーアートのクラスをとり、新進アーチストのスタジオをいくつか訪問したのですが、
どの人も説明ばかり上手で、アートやるよりも本を書いた方がいいような人たちばかり(笑)。
コンセプチュアルなアートにちょっとうんざりして、その反動でアウトサイダーアートにちょっと興味を持ちましたが、それも飽きてしまい・・・。

夫と結婚する前、何度もシドニーを訪れ、数週間くらいずつ滞在するうちに、アボリジニアートはオリジナルで面白いと思い、
アボリジニアートセンターにボランティアで1週間滞在してみたのですが、授産施設のようで、要するに白人がアボリジニを迫害した贖罪としての存在
なのだと知り、(それでも中には素晴らしいアーティストもいるのは確かですが)かなりがっかりしたのが、アートに対する強い心の反応の最後でした。


奈良美智の絵の女の子は、たまに娘が見せる表情とそっくりなのがあります。

先日、ブリジストン美術館がしばらく改装するといので、ものすごくひさびさに見に行ったのですが、有名な画家の絵が1、2点
五月雨式に集まっている感じで、「ああ、そうですか」くらいな印象しか抱けませんでした。10代の頃、あるいは大学生の頃、
憧れの画家の実物の絵を見た時に感動や、あるいは初めてみた絵に感激するようには、心が動かないことに、自分で悲しくなりました。
感性が鈍ってきたのかなあって。アート見るのが好きだったのに、好きじゃなくなったのかなあ、寂しいなあ・・・って。


これ巨大でした!部屋いっぱいの大きさ。よく見ると手とか足が「爪のついた指」でできていて、ひえ〜!

そんな時にみたこの高橋コレクション、ひさびさに「面白い!」「すごい!」「ひえええ〜」と素直に心が強く反応して、そのこと自体が
とても嬉しかったのです。もともとコンセプチュアルアートは好きではないので、このコレクションの中にももちろん、それほど
好きでないものはありました。でも全体を通して、何か「日本のアーチスト、やるじゃない!いいね!」と単純に喜べてしまうものが
感じられました。コレクターのご挨拶の文章にも確か「日本を元気にする」みたいな文章があったような気がしますが、本当に元気に
なれるのです(笑)。

このコレクションに集められた作品のほとんどは、どれも技術はものすごく高くて、でもアプローチは、アウトサイダーアート的というか、描かざるを得ない、描かずには生きていけない、くらいに強い衝動、あるいはエネルギー、生命力が感じられるのです。

あるいは、そこにあるエネルギーというか元気のもとは、コレクターの方のアートへの愛情かもしれません。
いずれにしても、大好きな展覧会です、元気がでます!


これもわりあい大きな作品。プリミティブなものと、キャラクターっぽさと不思議なミックス。

さて、本の話に移ります。
たまたま新聞の記事で読んだ、お金以外を使って「買う」というプロジェクトを企画した並河進という人の話を読んで興味が湧き、
この方の著書「コミュニケーション・シフト」という本を読みました。電車の中で読みながら、なんだかとっても感動したのです。

「モノを売る」から「社会をよくする」コミュニケーションへ、という副題のこの本、広告という仕事が大好きで、でも自分たちがやってることの意義は
何か、を真摯に問いかけたプロの人々の手がけた社会的なプロジェクトや、インタビューなどで構成されています。

〈広告って、いろいろな「困りごと」をコミュニケーションで解決するっていう仕事ですよね。今までは、広告は、企業の「困りごと」を
中心に解決してきた。でも、いまや、世の中「困りごと」ばかりなので、これからは広告が、あらゆる分野の「困りごと」を解決する
ようになっていくと素敵だと思います。〉

とかね、肩肘張っていない言葉で、でもかなりの覚悟で、いわゆる既存の広告の枠から外れながらも、自分は広告のプロであるという
矜持を持って、社会をよくするという方向性の仕事をしている人々のお話です。


好きじゃないけど、画力の素晴らしさやアングルというかテーマがすごいと思う、会田誠の作品。

「コミュニケーション・シフト」の著者あとがきに、こういう文章があります。

「実は、2010年の後半から、本書の中でも書いた、自分の心の中にあるいろいろな矛盾に苦しみ、僕は、パニック障害という
病になりました。その後、2011年の東日本大震災が発生し、僕は、抗うつ剤を飲みながら、ボランティア活動に励みました。
今では治りましたが、その時感じたのは、誰かのための活動は、けっして誰かのためじゃない。自分のためだということ。
被災地でボランティア活動をすることで、僕自身が救われるような気がしたのです」

これのあとがきを読んで、自分が感動したのは、ここなんだとやっとわかりました。自分の存在意義がかかってるんですね。
それなしにはいられない、生きていけないくらいの内的必然性、っていうか、よりどころ。
生計をたてるための仕事、なんて言ってられない、中から突き上げてくるもの。

これも、高橋コレクションの作品に感じた、高い技術とそれがないと生きていけないくらいの強い衝動、エネルギーで仕事をしている
人たちのお話ですね、考えてみると。

そういうものを直視して生きて行く。芸術といわれる分野には、人生そのもの、真実とか実存、魂を表現することが
求められているような気がしますが、おそらくそれとは反対の広告といわれる分野でも、同じような方向性が生まれてきている、ということに
なんだか感動したのです。


船越桂の作品。人気ありますよね。

少し話はずれますが、シータヒーリングの創設者の作ったサイトのひとつに、お祈りとかヒーリングが必要な人の名前を
書き込めるものがあるそうです。世界中のシータヒーラーが祈りを捧げているらしいのですが、そこのリストに名前を
あげるには「支払い」が必要です。お金ではなくて「1日一回誰かを抱きしめる」か「1日ひとついいことをする(一日一善ですね)」
で支払う。

これって、「コミュニケーション・シフト」の並河進さんの名前を最初に知った新聞記事が取り上げていたプロジェクトに
似ています。あるものを、お金でないもの、「愛(それへのラブレター3枚以上)」か「アイディア(それを世の中に知らしめる
アイディア)」か「時間(それをつくるのを習う)」ことで「支払う」のです。

ヒーリングと広告業界、一見まったく違う分野ですが、(ハードウエアでなくてソフトウエアの分野、実業じゃなくて虚業という意味では同じ、と私の父親世代には
言われそうですが!)、似たような発想がでてくるのが面白いと思いました。

あるいは、みんな似たようなことを考えだしているのでしょうかね??