アラカン新米ママの東京ぐうたら日記

45歳でできちゃった婚、46歳でいきなりシドニー移住&出産、東京に戻り、右往左往のままはや娘は10歳を過ぎ・・・。

久々の「ミリキタニの猫」とそのまわりの人々の話。

2015-05-23 07:14:19 | 日記
大好きな映画で、もう8、9年前に監督の通訳を2度させていただいた「ミリキタニの猫」を再びスクリーンで見てきました。


日本で劇場公開したのは、2007年かな?

中野ゼロホールで、特別上映があったのです。新作短編「ミリキタニの記憶」もいっしょに上映され、そのあとに主人公のジミー・ミリキタニと
交流のあった人々のトークショーがありました。

この「ミリキタニの猫」はニューヨークの路上アーチストであったジミー・ミリキタニのドキュメンタリー映画ですが、奇跡の物語でもあります。それも戦争によって引き裂かれた家族と人生が、人々の善意によってふたたび結びつけられる、という夢のような、でも現実のお話です。過酷な過去と目の前で起こる、奇跡(それも人々の努力によって起こる)に、初めて見たときも涙が止まりませんでしたが、8、9年ぶりに見た昨日も、あとで目の周りが腫れて恥ずかしくなるくらい泣いてしまいました。


リンダとジミー。

ジミーが監督のリンダ・ハッテンドーフが知り合い、9・11のあとリンダが招き入れていっしょに暮らすようになり、彼が絵にしていた、広島の原爆、日本人収容所での生活、さらに市民権剥奪などのジミーの過去、同時にアメリカの歴史が、どんどん明らかになっていく。リンダやまわりの人々の尽力により、市民権を再取得し、社会保険を受けられるようになり、日本人収容所時代以来生き別れになっていた実姉と50年ぶりの再会を果たし、ツールレイク収容所に追悼訪問。それまでアメリカ政府を恨んでいたのが「もう怒っていない。過去は通り過ぎるだけになった。いい気分だ」と言い切るジミーの穏やかな顔で、このドキュメンタリー映画は終わります。


若かりし頃のジミー。

次に短編「ミリキタニの記憶」が上映され、もとは誇り高いサムライの一族で、有名な日本画家に師事し、アメリカで日本画を広めるという志を抱く「グランマスターアーチスト」だという、一見空想癖のおしゃべりのように聞こえたジミーの話が、実は事実に基づいていたということがわかります。ニューヨークの路上で生活するようになっても、毎日絵を描き、その絵の代金以外は一切施しを受け取らないジミーの誇り高さ、強さの背景が見えたような気がします。

そのあと、ジミーと交流のあった人々が、今は亡き(2012年に92歳で亡くなりました)ジミーとの思い出を語ることで
「ミリキタニの猫」以前のジミーの生活が垣間見れました。もっと若かった頃の、もっとクレイジーなジミーに惹かれてシャッターを押し続けたカメラマン。
週末ボランティアでホームレスの人々の食べ物を提供したことでジミーと仲良くなった、当時駐在員だった日本人男性。映画が取られた頃に、やはり
その存在感に、またいっしょに過ごす時間の心地よさでとにかくジミーに会い続け、写真をとり続けた他のカメラマン。この映画のプロデューサーであり、撮影監督であり、その後、リンダとともに保護者のように手厚くジミーをケアし、サポートし続けたマサ吉川さんの司会で、2本の映画では見えなかったジミーの姿が
どんどん浮かび上がってきます。


ジミーの絵や関わった人々の文章が載った冊子。私の文章も入っています。

「ミリキタニの猫」はジミーの映画ですが、同時に彼を自宅に招き入れ、彼の過去を探っていき、彼が自立するために必要な煩雑な法的手続きをとっていった監督リンダの話でもあります。それがこの映画の驚くべきところだと思うのです。単に映像作家として被写体であるジミーを撮るだけでなく、9・11という悲劇が起こったとはいえ、彼の生活を引き受けてしまうリンダの人間としての度量の広さが、この映画の奇跡を起こしたように思えます。


なるほど。

トークショーで、ボランティアとしてジミーと知り合った男性が「大げさかもしれませんが、神様が上からみていて、ジミーはもう十分に苦労したから、と
リンダという天使を彼に送ったような気がします」とおっしゃっていましたが、私も同感です。


うん。

人は死んでからその形が見えて来る、というようなことを白洲正子がどこかで書いていたような記憶があります。お目にはかかったけれど、
ほとんど会話もしなかっただけのジミー・ミリキタニの人生に思いを馳せながら、帰路に着いたのでした。