ポーランド人の夫は、カトリックです。
たわしみたいな実がたくさんなっている木。名前は、わかりません。。。
全然教会には行きませんし、むしろ教会はあんまり好きじゃないみたい。
ポーランドは共産国だったのに、カトリックが生き延びている国で、ヨハネ・パウロ2世はポーランド人でした。
鳩がたくさん。
シドニーに移民してきても、夫の姉はイースター、クリスマス、さらにこの前のデブの木曜日、など
ポーランドの風習を続けています。夫の姉も、カトリックですが、小さい時に教会にいくことを拒否して
以来、いっていません。むしろ、瞑想など東洋的なものに興味があるみたい。
夫も生まれた時に洗礼をうけ、そのあと小さい時は親に言われるままに教会には行っていたようですが、
今は、私といっしょにインド系のスピリチュアルなイベントに参加してみたり、西新井大師で護摩炊き
してもらったり、と何でもアリ、な感じです。
私たちの結婚式も、実は教会でもお寺でも神社でもよかったのですが、いろんな都合により、無宗教なものに
落ち着きました。
ビーチ沿いの木にも、たくさんのカラフルな鳥があつまって夕方にはぎゃあぎゃあうるさいです。
はじめて娘を日本につれて帰った時、4ヶ月ちょっとでしたが、お宮参りをしました。
夫はそれを見て、「なるほど、日本にはこういう習慣があるんだね。ポーランドでは洗礼にあたるのかな。
シドニーに戻ったら、洗礼しようね」と気軽にコメント。
バルコニーのディナーに、娘も参加。大丈夫かな~?写真だと暗くなりますが、まだ明るいです。
私も気軽に「そうだね」なんて言っていました。
クリスマスとかイースターのディナーの前に、軽くお祈りしたり、祝福をうけたパンや塩などをまず食べる、
というポーランドの習慣に参加するのと同じレベルだ、くらいに思って。
もぞもぞ。
この前、「ポーランドからお姉さんやお母さんがきている間に、洗礼式をしようか」という具体的な話がでました。
ああ、立ち上がっちゃった!
とたんに、私の中で、何かが反応します。洗礼式をするってことは、カトリック教徒になるってこと。
う~ん、それはちょっと。
今度はおりて、布巾をいじりはじめた。
「でも日本のお宮参りも、僕からみると宗教儀式だよ。洗礼も、カトリックになるための儀式だけど、
むしろ生まれた事をお祝いする、神様にお知らせするためのもの。別にそのあと教会にいったりしなくていいわけだし」
普段、まったくカトリック、あるいはキリスト教にシンパシーを見せない、むしろ批判的な夫が、教会擁護に
まわります。
エスキモー式鼻の挨拶をしようとおもったら、つままれてしまった。。。
「教会嫌いっていってるのに、教会で儀式をするの?お宮参りをしたって神道者になるわけじゃない。誰でもできるの。
洗礼式は一回でおわりでなくて、名目上とはいえ、カトリック教徒になってしまう。私はカトリックの幼稚園にいって、
聖公会の中学から大学までいったけど、実家のお墓は仏教の真言宗のお寺にあって、神社に初詣にいく典型的な
宗教的にリベラルというかいいかげんな日本人です。どれもいやでないけど、どれかになりなさいっていわれると
抵抗を感じる。結婚前に私が死んだら、親が真言宗のお葬式をあげてお寺にはいるだろうけど、結婚した今は
わかんないよ。つまり無宗教なの。興味はあるけど、どれかに属したくない。だから娘にも同じ状態に
させたい。自分で選ぶのはいい。選んでカトリックになるならいいけど、私たちがカトリックにさせるのは
いやです」
ぐわーん、大きいぞ~。
そのあと、日本の神道はアミニズムであって宗教ではない、とかポーランド人にとってカトリックは宗教っていうより
習慣だ、などの話をかなり真剣にしました。
名目上だけのことにしても、「カトリック教徒になるため」の儀式は抵抗がある、自分が今カトリックになれと言われたらいやだから、
娘にもそうさせたくない、とかなり強い言葉で「なぜ私が抵抗を感じるのか?」の説明を続けました。
「僕に取っては生まれた事を祝う儀式だから、残念だけど、きみがいやなら」と夫も同意してくれました。
はあ、「なんとなく」という感覚的なもの、おそらく生まれ育った環境の影響を、違う環境で育った人に理解
できるように言葉で説明するのは大変だなあ、と、おそらく私だけでなく、夫も感じたように思いますです、はい。
たわしみたいな実がたくさんなっている木。名前は、わかりません。。。
全然教会には行きませんし、むしろ教会はあんまり好きじゃないみたい。
ポーランドは共産国だったのに、カトリックが生き延びている国で、ヨハネ・パウロ2世はポーランド人でした。
鳩がたくさん。
シドニーに移民してきても、夫の姉はイースター、クリスマス、さらにこの前のデブの木曜日、など
ポーランドの風習を続けています。夫の姉も、カトリックですが、小さい時に教会にいくことを拒否して
以来、いっていません。むしろ、瞑想など東洋的なものに興味があるみたい。
夫も生まれた時に洗礼をうけ、そのあと小さい時は親に言われるままに教会には行っていたようですが、
今は、私といっしょにインド系のスピリチュアルなイベントに参加してみたり、西新井大師で護摩炊き
してもらったり、と何でもアリ、な感じです。
私たちの結婚式も、実は教会でもお寺でも神社でもよかったのですが、いろんな都合により、無宗教なものに
落ち着きました。
ビーチ沿いの木にも、たくさんのカラフルな鳥があつまって夕方にはぎゃあぎゃあうるさいです。
はじめて娘を日本につれて帰った時、4ヶ月ちょっとでしたが、お宮参りをしました。
夫はそれを見て、「なるほど、日本にはこういう習慣があるんだね。ポーランドでは洗礼にあたるのかな。
シドニーに戻ったら、洗礼しようね」と気軽にコメント。
バルコニーのディナーに、娘も参加。大丈夫かな~?写真だと暗くなりますが、まだ明るいです。
私も気軽に「そうだね」なんて言っていました。
クリスマスとかイースターのディナーの前に、軽くお祈りしたり、祝福をうけたパンや塩などをまず食べる、
というポーランドの習慣に参加するのと同じレベルだ、くらいに思って。
もぞもぞ。
この前、「ポーランドからお姉さんやお母さんがきている間に、洗礼式をしようか」という具体的な話がでました。
ああ、立ち上がっちゃった!
とたんに、私の中で、何かが反応します。洗礼式をするってことは、カトリック教徒になるってこと。
う~ん、それはちょっと。
今度はおりて、布巾をいじりはじめた。
「でも日本のお宮参りも、僕からみると宗教儀式だよ。洗礼も、カトリックになるための儀式だけど、
むしろ生まれた事をお祝いする、神様にお知らせするためのもの。別にそのあと教会にいったりしなくていいわけだし」
普段、まったくカトリック、あるいはキリスト教にシンパシーを見せない、むしろ批判的な夫が、教会擁護に
まわります。
エスキモー式鼻の挨拶をしようとおもったら、つままれてしまった。。。
「教会嫌いっていってるのに、教会で儀式をするの?お宮参りをしたって神道者になるわけじゃない。誰でもできるの。
洗礼式は一回でおわりでなくて、名目上とはいえ、カトリック教徒になってしまう。私はカトリックの幼稚園にいって、
聖公会の中学から大学までいったけど、実家のお墓は仏教の真言宗のお寺にあって、神社に初詣にいく典型的な
宗教的にリベラルというかいいかげんな日本人です。どれもいやでないけど、どれかになりなさいっていわれると
抵抗を感じる。結婚前に私が死んだら、親が真言宗のお葬式をあげてお寺にはいるだろうけど、結婚した今は
わかんないよ。つまり無宗教なの。興味はあるけど、どれかに属したくない。だから娘にも同じ状態に
させたい。自分で選ぶのはいい。選んでカトリックになるならいいけど、私たちがカトリックにさせるのは
いやです」
ぐわーん、大きいぞ~。
そのあと、日本の神道はアミニズムであって宗教ではない、とかポーランド人にとってカトリックは宗教っていうより
習慣だ、などの話をかなり真剣にしました。
名目上だけのことにしても、「カトリック教徒になるため」の儀式は抵抗がある、自分が今カトリックになれと言われたらいやだから、
娘にもそうさせたくない、とかなり強い言葉で「なぜ私が抵抗を感じるのか?」の説明を続けました。
「僕に取っては生まれた事を祝う儀式だから、残念だけど、きみがいやなら」と夫も同意してくれました。
はあ、「なんとなく」という感覚的なもの、おそらく生まれ育った環境の影響を、違う環境で育った人に理解
できるように言葉で説明するのは大変だなあ、と、おそらく私だけでなく、夫も感じたように思いますです、はい。