あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

「憲法九条を世界遺産に」より抜粋 (追記あり)

2006-11-04 02:16:35 | 
 「憲法九条を世界遺産に」から少し抜粋してみます。


太田 ・・・・今、憲法九条が改正されるという流れになりつつある中で、十年先、二十年先の日本人が、「何であの時点で憲法を変えちゃったのか、あの時の日本人は何をしてたのか」となった時に、僕達はまさにその当事者になってしまうわけじゃないですか。それだけは避けたいなという気持ち、そうならないための自分とこの世界に対する使命感のようなものがすごくあるんです。(P16~P17)


中沢・・・・・なにかがこんがらがってしまっています。このこんがらがった糸玉をほぐす努力を今しておかないで、現在の国際情勢などというものに押されるようにして憲法を改正してしまうと、僕たちの時代は将来の日本人にたいしてひどい汚点を残すことになってしまうでしょう。(P17)


中沢 まともな異論を唱えようとする人々を黙らせてしまおうとする、嫌な精神土壌はそのまま生き続けているでしょう。こういうこんがらがった状態をいっこうに抜け出していないわれわれが、憲法を改正してしまうなどという、重大な決断を下してしまう資格がはたしてあるのだろうか。自分たちがいま本当にやらなければならないことを放棄しておいて、感情的な判断に押されて無思考のまま重大な決断をくだしてはいけないんじゃないか、・・・・(P18)


 太田 僕は、日本国憲法の誕生というのは、あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇蹟だと思っているんです。この憲法は、アメリカによって押しつけられたもので、日本人自身のものではないというけれど、僕はそう思わない。この憲法は、敗戦後の日本人が自ら選んだ思想であり、生き方なんだと思います。(P56)


中沢 ・・・・そういうものを葬りさりたいという勢力は、つねに存在してきましたが、かろうじていままで命脈を保ってきました。しかしもしこれを簡単に否定してしまうと、そのとき日本人は確実に、何か重大なものを失うことになるはずです。(P59)


中沢 ・・・・それがあることによって、崇高な何かがそれでもまだ存在するかも知れないという希望をあたえる。それは、日本を普通の国に戻すことより、ずっとよいことだし、政治学の常識を超えてみれば、正しいことでさえある。(P127)


太田 日本国憲法の九条というのは、ひょっとしたら間違いを犯すかもしれない、そんな愚かな人間だからこそ守っていかなければならない世界遺産なのです。・・・・(P128)


太田 言ってみれば、あの戦争は、あのときの正義が人を殺したわけです。だからこそ、憲法九条で絶対人は殺しませんという誓いが必要なんです。九条を抱えていることで、今、自分が信じている正義は違うかもしれないと、自分を疑ってみる。そういう姿勢が必要なんじゃないかと思うんです。(P135)



 追記:この本の冒頭で中沢教授が、最近の太田光のいる場所のことを、”最前線にたったひとりで躍り出て、背後にひとりの援護射撃もない状態で、太田君はラッパを吹いているのである。・・・・・いずれにしても、どこか切ない響きがある。”と表現していますが、”彼がいまいる位置”で、あのような発言を続けることの困難さと、そのことによるリスクを考えると、本当に頭が下がるし、それでも言わずにはおれないというその姿に、彼の吹いているラッパの音にもっと多くの人が気付いてほしいと思います。
 
 「憲法九条を世界遺産に」は前にも書いたように、そのタイトルこそが全てだと思うし、太田光や中沢教授の言っていることの全てに共感できなかったり、理解できなくても、(こちらに文学や芸術に関する深い知識を要求する部分がかなりあるので、難解だったり、これはちょっとと思う部分もあると思いますが、)九条の本質についての肝心なところはぶれてないので、細かい相違点に目くじら立てて茶々を入れて、たたかったつもりになることは止めてほしい、と思います。


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