あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

騙されるな、煽られるな

2005-10-18 01:34:58 | 政治・経済
 小泉首相の10月17日の靖国参拝を受けて、テレビはトップニュースだし、ブログなどもその話題が”枯れ木も山の賑わい”と言った様相でほんとうにうんざりしています。腹が立つのであまり見ないようにしていましたが、勉強のために少しだけのぞいてみたら、やはりうんざりして腹立たしくなりました。うだうだ理屈をつけて何を言ってるのかと思いましたので、夏に、私がBBSの方に書いた文章をもう一度、コピーしてそのまま貼り付けることにしました”傾聴に値するナベツネ発言”のくだりだけでも読んでもらえたらと思います。軍隊と戦争について語る氏の発言は明解で知的です。


「少なくとも皆さんは」の書き込みで紹介した吉田望氏の「A級戦犯合祀は自らやめるべきである」という「靖国」レポートとでも言うべき記事のラストで、氏は、「個人的な体験」として自身の体験したエピソードを付け加えている。
 吉田氏が旧陸軍関係者の前で講演をした時に、「日本は今3回目の敗戦を迎えている。ペリーの来航の時、第二次大戦、そして現在の経済敗戦」という内容の話をしたあとで、80歳近い人が「日本は今まで一度も外国に負けたことなんかないんですよ」と言って感情的に反論してきた。(会場の雰囲気もその発言に呼応するように冷たい雰囲気だったそうです。)そして、その人の部下だった人の話によると、その人は「特攻兵を選ぶ教官の立場にいた人」で、(この方の話は、なかなか印象深いので下記に引用してみます)

「吉田さん、あなたのいったことは正しい。しかし彼はそれを受け入れない一生を過ごしてきたのです。私と彼と、あなたには同じに見えるが違うんです。私は70代前半。彼は70代後半。当時の大尉とか少佐です。彼らの方が数年年上です。私たちの世代が特攻に選ばれて出撃する少年兵で、そのときにかれは特攻兵を選ぶ教官側の立場にいたのです。自分が命じて部下が死ぬという状況の罪悪感を、彼は選ばない生き方をした。生きなからえるためにはそうするしかなかったのかもしれません。だから彼には敗戦自体が受け付けられないものになっているのです。・・・・・(後略)・・・・・」
「生きながらえるために」は「罪悪感を選ばない生き方」を選ぶしかなかった。戦争とは、そういう重い荷を個人の心に負わせてしまうものであるし、戦争を体験した世代の右傾化もこういう心情だとしたら説明は付く。自分たちの犯した罪に向かい合って生きていく事はとてもつらい道のりですし・・。でも私たちは、あの戦争のことを、前に「傾聴に値するナベツネ発言」でも紹介したあのナベツネ氏のようにこう考えるべきではないでしょうか。(今回は氏の発言をコピーして貼り付けておきます。天木直人氏のサイトの「メディアを創る」より。発言のソースは雑誌「オフレコ」創刊号)

「・・・安倍晋三に会った時、こう言った。『貴方と僕とでは全く相容れない問題がある。靖国参拝がそれだ』と。皆軍隊の事を知らないからさ。勝つ見込み無しに開戦し、敗戦必至となっても本土決戦を決定し、無数の国民を死に至らしめた軍と政治家の責任は否めない。あの軍というそのものの野蛮さ、暴虐さを許せない・・・勇んでいって、靖国で会いましょうなんか信じられているけど、殆どウソです。だから、僕はそういう焦土作戦や玉砕を強制した戦争責任者が祀られているところへ行って頭を下げる義理は全くないと考えている・・・」

 下記に吉田望さんのサイトへのリンクを入れておきます。記事は長文ですが出来れば全文読んでみてください。
http://www.nozomu.net/journal/000150.php



※前にこのブログでも紹介した辻元よしふみさんのブログで鳴海英吉さんという反戦詩人の(私は不勉強で存じ上げなかったのですが)「五月に死んだふさ子のために」という詩が紹介されていました。辻元さんは鳴海さんのことを 「鳴海さんは、戦前は危険思想の持ち主、ということで懲罰徴兵されて、大陸で兵士として戦い、ソ連軍に抑留され、命からがら生還したら、フィアンセが空襲で死んでいたことを知った、という人です。いろいろな作品があり、決していわゆる反戦詩ばかり書いていた人じゃありませんが、なんといっても代表作は下に掲げるような作品でしょう。」 と紹介して上記の詩をブログに全文掲載していますので、是非訪問して詩を読んでみてください。