あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

「1984」 デヴィッド・ボウイ 「Diamond Dogs」

2005-10-05 13:26:28 | 音楽
 「国民投票法案の狂気」の記事の中で、ジョージ・オーウェルの小説「1984」の名前を挙げたことによって思い出したことをちょっとだけ書いてみたいと思う。
 
 私が、この小説のことを知ったのは、デヴィッド・ボウイが1974年に発表したアルバム「Diamond Dogs」によってだった。このアルバムは、ボウイが傾倒していたオーウェルの小説「1984」から想を得て作った、ボウイによる「1984」の世界の表現だった。当時の日本でのボウイ人気は、グラムロック人気の延長からの、彼のルックスによる少女マンガ的な人気だったと思うが、(そういう私も、その口だったことは否めないので大きなことは言えないが、)ポストビートルズのロック界において、当時、彼がトップランナーだったことは間違いないし、彼の社会的、政治的なメッセージ性の強い曲作りに共感していた熱狂的な日本のファンも少なからずいたと思う。その後の80年代のボウイは、「レッツ・ダンス」の大ヒットなどによって、不可解な方面へ変容していって、古くからのファンに見放されていくのだが、それは置いといて、「Diamond Dogs」を聴いていた頃の私は、これより少し前の有名なアルバム「Ziggy Stardust」の中の有名な曲、「Five Years」の悲痛な叫びのようなボウイのボーカルによってくり返されるペシミスティックな歌詞「地球の滅亡まであと五年間・・・」という曲と共に、アルバム「1984」の描き出す近未来の陰鬱な予想図をぼんやりと恐れていた。「あと五年間・・・五年間・・・五年間・・・」というリフレインを聴きながら。だから、今思えばお目出度いと思うが、実際の1984年が表面的には何事もなく過ぎ去ったときには、「世界も滅びなかったし、1984の世界も現実にならなくてああよかった」とナイーブに思ったのを覚えている。

 しかし、しかし、私たちが安堵して、その世界は私たちとは関係ないどこかの共産主義やファシズム体制の国のことかと思っていた現実が、この2005年の日本で実現されようとしているとは・・・。

 このアルバムよりも少しあとで、小説と同名の映画「1984」を観た。オーウェルの「1984」の世界を忠実に映画化しているとされるその映画は、最初から最後まで、陰鬱で、やるせなく、灰色の希望のない世界が表現されていて、観たあと気が滅入ったことを覚えている。映画館から外に出た時には正直ほっとした。

 80年代のボウイの変容は、私の中で、彼に対する興味とロックに対する興味の両方を失わせていったが、あれから20年経って、オーウェルやボウイの予言した世界を最も洗練された形で抵抗もなく現出しようとしている国があるとは・・・。

 オーウェルの「1984」もボウイの初期の上に挙げたようなアルバムも、今の日本でこそ読まれ、聴かれるべきかもしれないと思う。日本には、今のところ彼らのような預言者、警告者は現われそうにないので・・。