あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

気をとりなおして

2005-09-13 03:23:57 | 政治・経済
 いつまでも鬱になっていても仕方がないので、気をとりなおして、つれづれと言った感じで書いてみます。

 子どもが生まれてからこの方、私の読書、特に文学に関しては、いわゆる日本の作家の作品は殆ど読まなくなりました。だから、最近の芥川賞や直木賞の発表のニュースを見ても、ふーんと思うだけで、読みたいと思ったことが全く無い。で、何を読んでいるかというと、絵本や児童文学などを片っ端から(やっぱり外国のものが多いですが)読んでいる。あの『ゲド戦記』の翻訳者清水真砂子さんが、その著書『幸福の書き方』の中で、大人の文学を”微分の文学”、子どもの文学を”積分の文学”と表現されています。そして「子どもの本というのは、子どもたちに、どうやったら人生を生きのびられるか、をひとつのいのちとするのかもしれない。」と語られています。私が子どもの本にひかれる理由もその辺にあるのかなと思います。どうやったら生きのびられるかを私自身が知りたくて読んでいる気がします。

 こういう感覚は清水さんのような方はともかく、私のような凡人は子どもを持たないと持つこともなかった感覚だと思います。(絵本の紹介などは、ココログブログの方でしていますので興味のある方はそちらをのぞいてみてください。)で、何が言いたいかと言うと、インターネットに接するまで、私は殆どここ10年くらいの若者文化(固い言い方ですが)に接することも、興味も無く来たのですが、(興味があったとしても心理学的な興味で、文学的な興味ではないんですが)だから、浦島太郎のように今の若者の状況を見ているんですが、きのうの選挙とかとの関連で、前の記事でも紹介した宮台真司さんのブログの記事「民主党がとるべき道とは何か」の中の「新しい歴史教科書をつくる会」「2ちゃん右翼」に象徴される「過剰流動性と生活世界空洞化で不安になって「断固」「決然」の言葉に煽られる「ヘタレ保守」」、「新保守=都市型保守」と呼ばれる方たちについての説明がわかりやすくて、また読み返したりしてるのです。
 宮台氏は彼らを「社会的弱者」であるとはっきり定義しています。
 そして、この文章を、

 ■「都市型保守」のネガティビティに「都市型リベラル」のポジティビティを対置する。「不安」に「幸せ」を、「不信」に「信頼」を対置する。本当にタフでカッコイイのはどちらか。言うまでもありません。

 という言葉で結んでいます。この分析と提言は浦島太郎の私にはとても分かりやすいものでした。
 そして、さらに付け加えれば、そういうポジティビティを得るのはやっぱり積分の文学でしょうと私は思っています。

 ややこしい話はこの辺にして、ニュースを見て思ったことを少しだけ書いて終わりたいと思います。
 
 片山さつきさんの当選時の態度の大きさは、とても官僚的だと思いました。

 佐藤ゆかりさんは美人ですが、美人というものは権力とくっつくものだなあと思います。

 猪口邦子さんは前にTVでインタヴューを見たことがあって割りに好感を持っていただけに、少しがっかりしました。

 まあ、みなさんお手並み拝見といった所ですが。