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飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

苦しまぎれの旋回理論 その1

2015-06-21 22:19:00 | ハング(hangglider)
皆さんはハンググライダーがなぜ綺麗に旋回出来るかご存知ですか?

あなたがもしこの質問に答えられなかったとしても、ちっとも恥ずかしくありません。

なぜならば、実は未だにハンググライダーがなぜ旋回出来るか分かってないのですから!

このことについて、いままでそれらしい理論は何度か登場しているのですが、それらは矛盾点がありことごとく否定されてしまいました。

結果、未だにハンググライダーの旋回理論が説明できていないのです。


そこで今回はこのハンググライダーの旋回の理論について取り上げてみたいと思います。



科学の世界において、当たり前と思われていたことがある日突然否定されることは珍しくありません。

ハンググライダーの旋回理論もその一つ…。

ハンググライダーを発明したNASAの研究員フランシスロガロも、この新しい翼の模型実験の際に、重心を移動させると何故か上手く旋回できる

ことに目をつけ、この翼を宇宙機(宇宙船などの宇宙を移動する機器の総称)の回収に応用できるのでは?というアイデアを出した時も、おそら

く彼自身なぜハンググライダーが上手く旋回しているのか説明はできなかったと思います。

でも、なんだか分からないけれども重心の移動だけでハンググライダーは上手くその飛行が制御できたため、この新しい翼は「スポーツ」へと

進化しました。

しかし、この新しいスカイスポーツの教本を作るにあたり、その「旋回理論」を記述する必要が出てきました。

そこで、最初に考えられたハンググライダーの旋回理論は以下のものでした。



当時のハンググライダーはフレームも細く(なんとカメラの三脚のアルミを流用)、セールもたるんでいたため左右の体重移動をするとフレーム

がたわんでバタバタとフラッターを起こしていました。

このフラッターを口実に、「そこで抵抗が生まれるからそっちに曲がるんだ!」なんていう理論を教本に書いたのです。

そのため、当時のひとたちはそれを信じました。





しかし、時代が進むにつれハンググライダーのフライヤーはおかしなことに気付き始めました。

ハングが高性能化するに従って旋回時にフラッターがでなくなったのですが、それでもハンググライダーは綺麗に旋回したのです。

これは困ったことが起きました。

教本に書いたことが間違っていたとしか考えられないからです。

そこで次の理論を考えました。

その理論とはビローシフト説です。

ビローシフトとは、ハンググライダーで体重移動すると、体重を乗せた方のセールのハラミ「ビロー」が大きくなり、それによりそちら側の揚

力が減り、同時に抵抗が増えて体重を乗せた方に旋回する!という理論です。



この旋回理論は世間に受け入れられました!

そして、長年に渡ってハンググライダーの旋回の説明はこのビローシフト説が信じられていたのですが…。

この説も怪しくなったのです!

というのは、やはり矛盾点が出てきたのです。

その矛盾とは…。

先ずビローシフト説が正しければ「アドバースヨー」は発生しないはずであること!

アドバースヨーとは、旋回したい方とは逆方向に機首を向けてしまう厄介な現象のこと…。



ビローシフト説ではビローの大きいほうが抵抗が大きい筈ですが、アドバースヨー発生時はセールが張ったビローの小さい方に一時的に機首を

向けてしまいます。

つまり…。

セールが張ったビローが小さい方の翼の方が抵抗が大きくなっているということです。

これではビローシフト説と矛盾してしまいます。

さらに…。

どうしてもビローシフト説では説明出来ないのは、片翼がリフトで上げられた時のハンググライダーの動き…。

このとき、パイロットはリフトにはじかれまいとあげられた方の翼に体重移動します。

そして、明らかにあげられた方のビローは大きくなりますが…。

そのまま修正しきれずに反対側にはじかれてしまったとき…。

次の瞬間…。

ハンググライダーは体重移動した方とは反対側、つまり、はじかれてしまった方向に旋回してしまいます。



もし、

もしビローシフト説が正しければ、ハンググライダーは片翼を上げられながら左側に機首を向け、そのままバランスがとれずに反対側に

横滑りしてしまうのではないでしょうか…。



つまり、明らかにこの「ビローシフト説」も信憑性に乏しいと言わざるを得ません…。

その他にもハンググライダーの旋回を説明する理論として「後退角説」がありますが、長くなるので続きは次回に…。


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天空のアマツバメのコロニー

2015-06-15 19:43:18 | ハング(hangglider)


アマツバメという鳥がいます。

最も早い速度で飛び、最も高い高度を飛び、そして、最も長い時間を飛ぶ鳥で、寝ながら飛ぶことも出来るそうです。

まさに飛ぶためだけに進化した鳥アマツバメ…。

アマツバメはほとんどの活動時間は雲底、積雲の下で過ごしています。

雲の発生する上昇気流に吸い上げられた昆虫を捕食しているのです。

アマツバメが地上で見られるのは、上昇気流が発生しない雨の日だけ…。

このため「アマツバメ」という名がつけられました。

実はこのアマツバメの巨大なコロニーが、北アルプスの五龍岳の山頂すぐ下の岩壁に存在しているのです。

今回はそんな話をちょっと…。



真夏のその日、北アルプスのハングエリア「八方」は久々の好条件となりました。

(現在このエリアはフライト出来なくなりました。)

夏というものは湿気が多いため、サーマル(上昇気流)が出来てもすぐに雲になってしまい、ハンググライダーの上昇はそこで「打ち止め」と

なってしまうのが定番なのですが、この日は珍しく夏場なのに乾いた寒気が入ってきて、北アルプスを容易にトップアウト出来る好条件だった

のです。

私は仲間と共に先ずはテイクオフすぐ上の「唐松岳」をトップアウトし、まるでノコギリのように尖った稜線を移動しはじめました。

立山や剣岳がすぐに行けそうなくらい近い距離に、その神々しい姿をお見せています。

白馬岳などを見下ろした後、今度は南下してみます。

そして、五龍岳へと差し掛かった時、そこに驚くものをみつけたのです。

五龍岳山頂すぐしたの岩壁で、何百羽というアマツバメの群れに遭遇したのです。




アマツバメたちは、時速60キロほどで飛ぶわたしのハンググライダーを器用に避けて自由に飛び回っています。

良く見ると、その近くの岩肌にはこれまた無数のアマツバメたちの巣があったのです。

どうやら彼らは夏の間、ここにコロニーを築いて子育てをしていたようなのです。

でも、でもです。

ここは北アルプスの五龍岳のほぼ山頂…。

森林限界を超えた高さで生物は極めて少ない世界です。

そして、真夏と言えども夜間はかなり低温になってしまいます。

私はこんな厳しい環境のなかで、アマツバメたちがコロニーを築きたくましく生きているとに驚くとともに感動してしまいました。

後で考えてみると、コロニーがあったのは山の東斜面…。

山岳に発生する強風は、そのほとんどが西風であり、コロニーがあった場所はその風影になります。

さらに東斜面であることから、朝一番から上昇風が発生し、その風が麓の虫たちを運んでくれるのでしょう。

そう考えると、厳しい環境のこの場所も、アマツバメたちにとってはむしろその環境が幸し、外敵が少なく子育てしやすい環境なのかも

しれません。

私はアマツバメたちの飛ぶ美しい姿、そして、かれらの生命力の強さの両方に感動しながら、しばし彼らと共に飛び続けてしまいました…。


あの感動のフライトは一度きり…。

今となってはあの場所に再び行くことは難しくなってしまいました。

しかし、縁があれば、また彼らと飛行を共にしたいものです。



ちなみに…。

アマツバメは、ツバメとは種類が違う鳥…。

むしろハチドリなんかの親戚に当たる鳥なのだそうです。

ツバメと住んでいる環境が似ていたため、同じような体に進化したのだそうです。

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JHFを作った「男爵 宮原旭氏」について 2

2014-07-17 15:23:42 | ハング(hangglider)

宮原旭氏の経歴を調べてみると‥。

1904(明治37)年5月24日 男爵 宮原家長男として、東京都大森で誕生。 1983(昭和58)年12月10日 逝去、79歳。

学習院の小・中・高等学校を経て、英国グラスゴー大学に留学。航空工学を専攻するかたわら、ウェストラン飛行機工場に通って実習。大学卒業後も同社に留まって飛行機に熱中した。

この頃始まった英国キングス・カップ・エアレース(1929年)には、先輩友人と共に試作機を完成してレースに参加した。

エンジン・トラブルで途中棄権となったが、当時を回想する宮原氏は「悔いは残らなかった、あんなに燃えたことは無かった」と頬を紅潮された。

帰国して三菱航空機に入社した氏は、国策に従って軍用機の開発にも携わったが、その後退社して日本小型飛行機株式会社に技師長として迎えられ(1939年)、終戦までに多くのグライダー設計製作に関与した。

その中、特殊滑空機「蜂」は日本初のモーターグライダーである。

やがて平和の時代となり 氏の胸中に英国時代のスポーツ航空への夢が蘇り、同好の士と語らって軽飛行機開発株式会社を設立、グライダーの開発製作に着手した(1960年代)。そこで意欲的なグライダーが多数誕生したが、その後外国製グライダーに押されて製造打ち切りに至った(1975年)。

1960年代後半からはスカイスポーツ関係諸団体からの要請を受けて公職に就任し、幅広く多忙な活動を行った‥。

と、あります。

また、多くの貴重な航空機の写真も残しておられ、その写真は「男爵の愛した翼たち」上下巻にまとめられています。

これは鳥人間大会の某審査員の方が私にこっそり教えてくださった話ですが、上に紹介した「男爵の愛した翼たち」の中には、常識的に当時まだ若者だった宮原氏が、よく撮れたものだという貴重な写真も含まれていて、それについては、おそらく宮原氏が自分が貴族であるという立場をちゃっかり利用して、コネクションを作って撮らせてもらったのでは?などとも話されていました。

晩年はJAAに所属していたのですが、この時、世界的に爆発的な人気となったスカイスポーツが日本にも上陸‥。

これが「ハンググライダー」であったわけで、当時ヒットした映画と音楽の後押しもあり、瞬く間に日本各所で、ほとんど自作の領域のハンググライダーが、(ちょっとキレた若者たちの間で)ゲリラ的に飛び始めることとなります。(乱暴な言い方ですが、正直こんな感じだったと思います‥。)

宮原旭氏は、この新しいハンググライダーが、簡単で安価な翼で空を飛べることに着目。

今まで以上に、スカイスポーツが一般の方々の身近なスポーツになる可能性を見出し、社会的な問題が起こらぬうちに、取り急ぎ法律、制度、管理的な整備を整えます。

つまり、「転ばぬ先の杖」ですね‥。

宮原氏のこの努力により、ハンググライダーは規制を受けることもなく、自由なままの翼を維持して今日まで成長を遂げることになります。

更には、日本に「パラグライダー」が入ってきたときも、ハンググライダーでそのような実績もあったため、「パラグライダーのハンググライダーと同じ‥。」という考えかたで法的に整備。

パラグライダーも大きな規制を受けることなく、自由な翼となることができました。

つまり、宮原旭氏は、現在のように自由に飛びまわれるハンググライダー、パラグライダーの礎を築いたことになるのです。

このことに関しては、本当に今のハング、パラフライヤーは感謝しなければなりません。

‥正直‥。

現在、各所で社会的に問題となる事故が起こっていますが‥。

そんなことが続けば、当然ハンググライダーもパラグライダーも、この先規制を受ける対象となりうる可能性があります‥。

空は自由に飛べますが、その自由とは、フライヤー一人一人が自己責任でフライトを管理出来てこそ自由な空が存在し得るのです。

宮原旭氏の努力を水の泡にしないためにも、そのことだけは決して忘ないようにし、宮原氏が愛した「自由な空」を、この先も守り続ける必要があると思います‥。

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JHFを作った「男爵 宮原旭氏」について。

2014-07-10 07:57:28 | ハング(hangglider)

ここ近年、私はJHF(日本ハング・パラグライディング連盟)からの依頼で、毎年琵琶湖で開催される鳥人間大会のお手伝いをさせていただいておりますが、その現場でともに仕事をしている審査員の先生の方々がよく話されるのは、「JHFを作った男爵(宮原旭氏)はすごいひとだったんだよ~」というお話‥。

宮原氏については、私がハングを始める前に亡くなられた方のため、残念ながら面識がないのですが、それでも、JHFを作った方、JAA(日本航空協会)に所属し、飛行機好きであったことぐらいは知っていました。

この宮原旭氏。先にもお話したようにJHFの設立に大変貢献された方ですが、その経歴をあらためて調べてみると、たしかに面白い方なのです。

今回は、そんなJHF設立に貢献された宮原旭氏についてご紹介いたします。

宮原旭氏は、JAAの中では「男爵」とあだ名されていました。

これは、実は戦前までは本当に男爵だったからです。

宮原氏の説明をするうえで、その話を分かりやすくするために、まずはこのヘンから話を始めた方が良いと思います‥。

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この方、宮原旭氏のおじい様になる宮原二郎という方です。

海軍に所属された方で、「宮原式水管缶」の発明者です。

水管缶とはボイラーのこと‥。

ボイラーと言っても、お湯を作ったり空調に使ったりするものとは違い、蒸気タービンエンジンの動力を作る装置を発明されています。

この当時の高性能な艦船は、蒸気タービンエンジンを使うのが主流でした。

そして、その蒸気タービンエンジンの動力の源になるのが、水管缶になるのです。

この宮原式水管缶。それまでの水管缶よりも大変性能が優れていたため、実はあの日露戦争で大活躍したのだそうです。

念のためですが、日露戦争は日本とロシアとの戦争で、大国ロシアが持つ世界最強の艦隊「バルチック艦隊」に、東郷平八郎率いる日本の連合艦隊が日本海海戦で 勝利した戦争です。

ロシアはバルチック艦隊を失ったことで、降伏せざるを得なくなり、それまでのようにまわりの弱小国に不平等な条約などを結ぶことが出来なくなったため、とりわけ、トルコや北欧の国々は喜んだとも言われています。

この日露戦争の日本海海戦の勝利は、東郷平八郎の判断力と日本艦隊の機動力が高かったためと言われていますが、この日本艦隊の機動力を高めた主な理由が宮原式水管缶だったのです。

日本はこの功績に対し、JHFを作った宮原旭氏のおじい様の宮原二郎氏に対し、感謝の意を込めて男爵の爵位を授けたのです。

そして、そんな貴族の家に生まれた宮原旭氏は、飛行機に興味を持ち出し、その裕福で恵まれた環境の中で、様々な活動を行い、JHFも作ることになったのです

そのへんの活動のご紹介についてはまた次回!

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ハンググライダーの乗りこなし術 その7

2014-05-25 20:03:28 | ハング(hangglider)

前回では静止点法についてご説明しましたが、この静止点法さえマスターしていれば、ポーラーカーブをとって面倒な作業をしなくても、最良滑空速度を正確に求めることが出来ます。

しかしながら、この静止点法は実際行うとなかなかうまく出来ず、マスターするにはそれなりに訓練が必要となります。

しかし、現在ではそのような熟練を要する方法以外にも、実はGPSバリオの表示する対地滑空比を見る方法があるのです!

これはどのようなものかというと、今までならば、たとえば向かい風の時の最良滑空比を求めようとした場合、

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ポーラーカーブを使って、グラフ上の速度の軸をシフトさせてその速度を求めていました。

これはそもそも地面に対してどれだけ遠くに飛べるかを知るためにやっていた行為で あり、もしGPSで正確な位置情報が計れるのであれば、なにもポーラーカーブという小難しいものを使わなくてもGPSだけでも正確に滑空比を求めることが可能なはずです

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つまり、 GPSを使えばどんな風の中でも正確な滑空比が求められるわけであり、言ってみれば、静止点法を正確に数値にしてくれていると言えるので、GPSが表示してくれる滑空比が最良となる速度に調整すれば、最良滑空速度になってしまい、ポーラーカーブは全く不要になってしまうのです!

はっきり言って、これは革命だと思います。

このGPSによる滑空比の表示機能は、最近では上級バリオに結構備わってきています。

つまり、よりグライダーの性能を引き出したいのであればGPSによる滑空比が表示されるバリオを使え!ということですね。

ただし、問題なのはGPSは平面での位置は正確に表示できますが、高度情報についてはイマイチ精度が出ていないことです。

だからまだこの方法については、一般化されていないと言えます。

しかし、

もし、

GPSの高度情報が正確になったら‥。

とんでもないことになります!

なぜならば、今のバリオは圧力センサーで空気の圧力を計ることでアルチやバリオを機能させていますが、GPSの高度情報が正確になるとすべてGPSで機能させることが出来るため、

今までよりも更に高精度で使いやすく、しかも、値段も安いバリオが出来る可能性が十分にあると私には思えるのです‥。

たとえば、大会の時のゴールに突っ込む高度を計算するファイナルグライドカリュキュレート機能など、今までは不確かなポーラーカーブに不確かな風向き情報を入力して、誤差が出る分を見越してマージン高度まで入力していましたが、これが、大幅に精度を上げることが出来るため、マージン高度も少なく見積もれ、結果的に今までよりもずっとタイムを縮められる可能性があると思えるのです‥。

いずれにしろ、これから未来に向けて、GPSによるバリオに変わっていくのではないか‥。

ちょっとした予言になりますが、それだけGPSバリオには可能性があると私には思えます‥。

 

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