脚と角

関西を中心に国内外のサッカーシーンを観測する蹴球的徒然草。

喜怒哀楽の真髄は蹴球にこそ有り。

ガンバ大阪15年史発売に想う・・・① そんなガンバが好きでした

2007年04月20日 | 脚で語るJリーグ


 22日の磐田戦でガンバ大阪15年史が発売される。24日の一般発売に先駆けての万博だけの先行発売で、どれだけガンバマニアの欲求を満たす内容に仕上がってくれているかBBM社には大いに期待したいところだが、ようやくこの1冊が出るかと思うと感慨深いものがある。

 Jリーグが開幕して15年目のシーズンに入る。華やかなJリーグバブルに包まれたあの1993年、私はまだ小学5年生の少年だった。93年の8月ニコスシリーズの第3節、万博で行われた浦和戦が私のゴール裏デビュー戦だった。煌々と明るくピッチを照らす万博の照明が眩しく、選手たちが身を包むユニフォームがテレビで観るよりもずっと光を放っていた。チアホーンの音が耳をつんざく。観客は2万人ほどいただろう。
 当時はチケットが入手困難を極め、小学生の私も必死にぴあ、セゾン、プレイガイドに繋がらない電話をかけまくったことを鮮明に記憶している。そのチケットを握り締め、初めての万博を訪れた時のことは今でも忘れない。試合は0-1で浦和に負ける。ゴールを決めたのは河野真一だ。今でもあのソバージュ頭を忘れない。
 小学生の私には、ピッチで躍動するスターたちを目で追うのが精一杯だった。エース永島と和田の見分けがゴール裏からはつきにくかったのを覚えている。
 このニコスシリーズは10チーム中6位の成績に終わるも、前期サントリーシリーズは8位。うだつの上がらない順位のままガンバ大阪の1年目は終了する。1年目はミューレル、リナルドを軸に南米路線で戦うはずが、ニコスになればミューレルも出ず(京都サンガへ)、いつのまにやら東欧路線へ。エース永島も釜本監督と確執。アレイニコフが凄かった。美濃部のカシマスタジアムでのVゴール忘れない・・・

 そんなガンバが好きでした。

 あれから14年の歳月が過ぎようとしている。

 思えば、私が小学生の頃に家からレプリカユニに身を包みドラムバッグを提げて奈良から千里中央まで出て、バスで万博に通ったあの時代。本当に勝率が悪かった。ほとんど勝った試合を記憶していない(笑)やはり当時のスター軍団で構成されたヴェルディ川崎戦はテンションが上がった。一番記憶に残っているのは、ニコスシリーズの広島戦。3-6と大味な大敗を喫した。ブルガリアから来た助っ人メトコフがデビュー戦ゴールを2発叩き込んだ横浜M戦はガンバは本当は強いと子供ながらに勘違いした(笑)

 2年目の94年は礒貝と山口敏のチームだった。中盤で自在なパスを繰り出す飄々とした礒貝のプレースタイルはガンバの勲章だった。礒貝のイラストを描いて、Jサッカーグランプリに送ったこともあった。それほどガンバ史上最高のプレーメイカーに心酔した。ファルカンジャパンに今藤、本並、山口敏、礒貝が選ばれたのは本当に衝撃的な喜びだった。キリンカップフランス戦の本並のトンネル忘れない・・・
 旧ソ連代表のプロタソフがGWに火を吹き、神戸で名古屋に、西京極で磐田に勝って、GWが終わって万博に戻るとしっかり負ける・・・
 ホーム万博で昇格1年目の平塚に完敗したのが一番印象に残っている。岩本輝に好き放題やられた。0-3。

 そんなガンバが好きでした。

 3年目のホーム万博での柏戦でも棚田にVゴールを叩き込まれ負けた。超印象的。昇格1年目のチームにホームで勝てなかった。この頃から万博の観客が減り出したのだ。この試合でも1万人強で、結構ネガティブに衝撃的だった。何よりもこの3年目は開幕前のプレーシーズンマッチでC大阪に勝てなかったのが、暗雲を呼び込んだに違いない。開幕5節で4勝1敗で初の首位に立つもそこから3連敗がガンバらしかった。オランダから来たヒルハウスがプロタソフと共演。4点取るも5点取られる、もしくは完封での4点、5点差負けもしょっちゅうで・・・
 貴重な体験はビオラと対戦したプレシーズンマッチ。バティゴールが万博に2発!ルイコスタもゴールを決めたこのガンバの教科書通りの負けっぷりにある意味感謝。
 95年は初の外国人監督ヘルトの下、いい意味でも悪い意味でも爆発した。

 そんなガンバが好きでした。

 書き切れないので今日はこんなとこで。。。