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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

延暦寺の坊さん

2012-08-07 20:10:07 | テレビを見て
さっきBSで延暦寺のお坊さんが出て話していた。

日本人は他を受け入れる、という性質?がある。

何でも受け入れるので、ちゃらんぽらん?だと非難されることもあるけれど・・

とかなんとか言っていた。

多くの不機嫌の元は他を動かそうという思考かなと思うけど、

他を動かそうとする思考(ひとを変えよう・無意識的なもの多し)というのは、

そのままの他を受け入れられないから、自分に受け入れられるように、

他を動かそうというものなんだなぁ・・と思った。

自分の狭い箱にそれ以上の大きなものを入れられないから、

箱より大きなものを箱に入るように変えようというもんなんだ。

瞬間湯沸かし器のような人は自分の許容量の狭さを堂々と披露してる姿なんだ~

そういう人を恐がるなんておかしいね~

そういう人は憐れみの心で見るのが正しい見方なんだろうね~

お盆

2012-08-07 18:00:47 | 日々の暮らし・思い出
明後日から夫の子供たち、孫、兄弟、甥なんかがやって来る。

賑やかになる。嵐の前の静けさといった今日明日だ。

だからこんなふうにパソコンに向かっていられる。

普段と違う10人くらいのご飯つくりが何日間か続く。

いや、洗濯もあるけど、それは気にならない。

大好きとは言えないご飯作りが一番頭にある。

今年はどんな自分が現れるだろう。

その時その時、どんな反応が出てくるんだろう。

自分を観るいい機会。在りのままの自分を観よう。

ムッとする時があるか、うんざりする時があるか、疲れ果てる時があるか、

どれだけ楽しめる自分か、

オリンピックより興味ある。

恥の感覚

2012-08-07 13:58:23 | ひとの幸福
ひととケンカしたり、責める気分になって相手に当たると、

その後会った時に気まずい思いをするのは誰でもだろうか。

気まずく思うのはどうしてだろう?

なんとなく気持ちがしっくりしない。不自然。

ケンカした時や責める時は気持ちが攻撃的になっているけど、

ケンカの後は攻撃的じゃない。静か。

どれだけ自分が正しいと頑張ってケンカしても、言い合っても、

そのケンカの後は、気持ちが沈んだり、気まずく思うのは・・・

何故だろう?

正しいなら、気持ちがしっくり来なくならなさそうなもんなのに。

正しいなら、どこまでも突っ走りそうなもんなのに。

不思議なことだ。いや、不思議じゃないんだろう・・・

だいたいケンカというのはどっちも正しいと突っ張るからだ。

そう、双方とも正しいんだ。

だから互いにその正しさを認め合えばケンカにならない。

いやいや、そんなことを考えているんじゃないんだ、今は。

えーっと、何故気まずく思うのか?だ。

攻撃してしまった自分を恥ずかしく思ってしまう・・んじゃないだろうか。

そういう恥の感覚を誰でも持っているんじゃないか。

努力して獲得したもんじゃなく。生まれたときからの。

そういう理屈じゃない感覚のことを「本質」といってもいいのかな。

勝負と幸福 ③

2012-08-07 10:30:15 | ひとの幸福
美味しいものを満腹食べるのが幸福だからといって、

常に満腹なのはどうも・・嫌だなぁ・・朝から晩まで満腹なのは苦痛だ。

やっぱり空腹があるからこそ満腹が嬉しいもんだ。

・・ということは、

空腹を幸福だと捉えられたら、その人はいつも幸福ということになる・・・

・・と書いた。

「満腹」と「空腹」を対立するものと捉えるのか、

互いに補完し合うものと捉えるのか、

どう捉えるかが、幸福への道に行くのか、対立への道に行くのかに、

分かれる分岐点なんじゃないかと思う。


「勝ち」と「負け」も同じだけど、

この場合、相手と自分という二つの世界で考えると、

自分が勝者なら、必ず相手は負者、ということで対立という捉えになる。

ところが、過去の自分と現在の自分という一つの世界でみると、

負けた過去と勝った現在は補完し合う関係にある。

過去に負けたからこそ、現在の自分がある、という事実がある。

勝負と幸福 ②

2012-08-07 10:06:32 | ひとの幸福
今までのオリンピックでメダルを取った人は何人くらいいるのか知らないけど、

メダルを取るまで凄い練習をして、様々な困難を乗り越えてそこにたどり着くのだろう。

その苦しみが大きいほど、メダルを得た喜びは大きいのだと思う。

簡単にひょいと取れたら、あ、そう、くらいなものなのかもしれない。

メダルを受け取るのは一瞬の出来事だけど、

勝者がメダルを取ったという結果に至るまでの道、プロセスで、

何を得た、何を学んだ、何が自分の人生の糧になったのかは、

人それぞれなんだと思う。

大昔の話しだけど、東京オリンピックで銅メダルをとったマラソンの円谷選手は、

その後に自殺してしまった。なにがあったのか勿論知らないけれど、

オリンピックという舞台ではメダルをとっても、

人生という舞台では自分で幕を引いてしまった、棄権してしまった。

棄権するということは疲れてしまったんじゃないかと思う。

勝負を続けるというのはとても疲れるもんだと思うし。

人生を勝負と価値付けると人生は苦しいものになるんじゃないかと思う。

円谷さんがそうだったなんてことは勿論言えないけどね。それはわからない。

全く違う按配だったのかもしれないし。


けど、勝ったという経験に至ったプロセスの「何」をその後の人生に繋げるのか、

経験の「何」がその後の人生を幸福にするのか・・・

なんだろう・・

勝負と幸福

2012-08-07 09:43:25 | ひとの幸福
「セブンブリッジ・・」のところで書いたけど、

金メダルという勝利に行く道には、わざと引き分けに持って行く方法(ひどいと、無気力試合)をとる場合もある。

それが合法的じゃないということではないらしい。

けれど、見る人にブーイングを起こさせる。

それも最もだなぁと思う。

オリンピックの試合の入場券を大変な思いをして手に入れたのに、

無気力試合を見させられたんじゃ、かなわないと思うのは当たり前だ。

オリンピックの試合に限らず、ひとの無気力な様子を見ていて、

楽しくなったり、嬉しくなるというのは自然じゃないからね~

勝利への道には途中でひとを不愉快にさせるものがどうしてもある。

考えてみれば、勝者がいるということは敗者があるということで、

勝者が喜ぶのは敗者がいるからだ。

全ての敗者が不愉快ということじゃないだろうけど、

負けるのはいい気分じゃない人が多い。


「幸福」への道にも途中では不幸な人がいるか・・

これは「幸福」をどういうものと捉えているかによるんじゃないか・・

勝利を幸福と捉えていると、不幸は負けることにある。

何かが出来ることを幸福と捉えると、出来ないという不幸がある。

何かを持っていることを幸福と捉えると、持ってないという不幸がある。

・・・だけど、待てよ・・

何かが出来ることを幸福と捉えても、

それを出来ないことを不幸と捉えない場合や人もあるかもしれない・・

美味しいものを満腹食べるのが幸福だからといって、

常に満腹なのはどうも・・嫌だなぁ・・朝から晩まで満腹なのは苦痛だ。

やっぱり空腹があるからこそ満腹が嬉しいもんだ。

・・ということは、

空腹を幸福だと捉えられたら、その人はいつも幸福ということになる・・・




「将来と向き合うこと」

2012-08-07 08:41:06 | 新聞を読んで
選択とは将来と向き合うこと・・・そう言える自分だとしたら、

自分の人生は自分が主人公だという自覚があるということなんじゃないだろうか・・?


選択とは将来と向き合うこと・・?

将来の「何」と向き合うんだろう・・・?

将来の自分であり、周囲であり、・・・なんじゃないか・・

将来の自分の「何」と向き合うのか・・・?

幸福を選ぶ最良のチョイスはどこにあるのか、世界中が答えを求めている・・・

という言葉があったけど、

将来の自分の幸福度、周囲の幸福度、それと向き合うということなんじゃないか・・・?

「選択とは将来と向き合うこと。

だからこそ普段からの思い込みや判断が過った時の理由も検証し、

結果を率直に議論して初めて、その可能性を実現できる」

・・これが記事の文章なんだけど、

その可能性、という「その可能性」って何を云っている?

ひとが幸福となる可能性を実現できる・・・ということ・・かな。

上に書いた引用の文章をさっさと読んでしまった時は、

「その可能性」という言葉には留意しなかった。

全体を読んで、あーそうだな、その通りだな、位で。

あの記事を最初に読んだ時は言葉の一つ一つを味わわないで、

読んでしまったなと今は思う。

世の中には、ほんとにさっさと読む言葉と、さっさと読めない言葉があるもんだ。