goo blog サービス終了のお知らせ 

ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

期待

2012-05-30 19:31:47 | ひとの幸福
互いに、一番身近な存在として共に暮らしていこう・・と二人が決めて、

共に暮らし出した最初の朝 彼から言われた。

「僕に一切期待しないで下さい」と。

私も同じ気持ちだったので、

「私も全くその通り、一切私に期待しないで下さい」と言った。

バツイチ同士の二人のいい出発だったと思う。


まぁ、今振り返ると、

意識して期待したわけじゃないけど、

知らないうちに期待しちゃっていて、

楽な気分でないこともちょこちょこあった。


相手のことを、ちょっと嫌だな、と思うことも、

意識的じゃないけど、なんらかの期待があるのだと思う。


相手が今その姿、状態だということに満足していない・・

それは違う姿を期待しているということかな。


何かを「嫌だな」と思って、それが気になるのは

愉快じゃない。


いつも機嫌よくいたい、が、望みの私なので、

つい自分を掘り下げてみたくなる。


考えないでやっている

2012-05-30 16:28:36 | ひとの幸福
このブログのサブタイトルは

「ムカデとことこ」で、ムカデが脚がたくさんあるのにスムースに歩けるのは

考えないからというジョークをここで紹介したけど、

考えないでいけるように“なる”には「考える」ことが必要な気がしてる。

“考えないで歩く=自然に生きる”ということだと思ってるんだけど、

自然に生きる、のが難しい!

身体は食べ物が口に入ると自動的に咀嚼し、

食道へと案内し、膵臓から消化酵素が出て、胃で消化、吸収・・・なんたらかんたらと、

実に巧みに自動的にうまいことやってくれる。

自然にやってくれる。

これを考えて(顕在意識で)やってたら、た~いへん!

今から食べ物を入れるから、歯は噛んでくれよ、唾液よ、出せよ、

胃もちゃんと動けよ~ おいおい心臓も休んじゃイケナイぞ~

手は箸をうまいこと使ってるか~、お椀は左手で持って・・次、とんかつ行くから、・・

血液も流れを止めるな、息もしてろよ~・・・・エンエンと続く・・・

・・・こんなふうに頼まないでも、

身体の諸機関はナンダカカンダカ、

いろいろと連携を取り合いながらせっせと動いている。

自然に動的平衡という在りようでやってくれている。

潜在意識がこういう身体の動きの担当だということをブルース・リプトンの「思考の力」で読んだ。

身体じゃない意識の方は時々、非常に不自然になる・・。

自然に不自然になってしまう。

この言い回し、なかなかだけど、ホント、自然と不自然になる。

この「自然と」というのは潜在意識の働きで・・ということになるね。

心にもないこと

2012-05-30 15:40:02 | ひとの幸福
ある優しい言葉を聞いて、「あぁあ、あんな心にも無いこと言っちゃって」と、

皮肉っぽく言った・・・

「・・心にも無いこと・・」と言っていた他の誰かが、

その時、心から言っていたのか、

心にも無いことを言っていたのか、

本当には他の誰にもわからないこと。


それまで常に心にも無いことを言っていたとしても、

その時は心から言っていた、ということも、

無いとは言い切れない。


(そういうのは心にないことを言ってること)っていうのが聞いた人にあるから、

そう聞こえる場合もある。


やはり目の前の人の姿は自分の心を映す鏡。


実際に天から見て、事実、その他者が心にもないことを言っていたとしても、

「心にもないこと言っちゃって」という思いは、

なんだかあまり美しく感じられないのは何故だろう・・・




鰹船に乗ってた義父

2012-05-30 12:31:33 | 日々の暮らし・思い出
うちの義父は長い年月鰹船に乗っていたそう。

その食生活を聞いたことがある。

朝食は少しの野菜の入った味噌汁とご飯、漬物。

昼食は鰹の刺身とご飯。

夕食は鰹の煮付けとご飯。毎日こうだったという。

「野菜は味噌汁の実だけですか?」と尋ねたら「そうだった」と。

義父の記憶が間違ってなければ、

こんなふうに野菜が少ない食生活を何十年もしていたということ。

今の時代管理栄養士がこんな事を聞いたら、

もっと野菜をとらなくちゃいけないだの、なんだのと言うだろうなぁ。

けれど、そういう食生活でも義父はあと3ヶ月で96才だけど、

毎日のように畑の草取りに精を出し、

家に居て読書もする。パンツのゴムも自分で取り替えようとする。

衣類の衣替えも自分でする。毎晩少しの焼酎を湯割で美味そうに飲む。

自分の洗濯物は自分で干す。(この頃は洗うのは私にさせてくれるようになった。

洗濯機がしてくれるんだけど)

・・・なので、思う。

身体は動的平衡という在りようで、

野菜が入って来ないなら、入って来ないなりに、なんとかするんだろうと思う。

身体って(健全正常になろう)っている目的がはっきりあって、

その為にひとつひとつの分子や細胞は、

周りの細胞やらナンタラカンタラと、

あなたが(そうならそれで)と在りのままのお互いで、常に調和して、

常に(こうなろう)という目的を忘れずに働いている状態で、

それが動的平衡という状態に現われているんだと思う。

薬が入って来ようとと釘が入って来ようと、

野菜や果物が入って来なかろうと関係なく、

目的を忘れない。


「雨なら雨で」という言葉が持つのはそういう意味だろうと思う。

降って来た雨という在りのままの状態と調和して行こうとする自分・・

調和とは否定がないこと。

降って来た雨を敵対視しない状態。

そのまま受け入れる心の状態。

降って来た雨と心が仲良し状態。


義父の身体は(野菜少ない)状態を敵対視しなかった。(当たり前だけど)

野菜が少ないから・・ナンタラカンタラと不満を言わなかった。

それならそれでと身体の全部の細胞は互いに連絡を取り合ってせっせと働いた。

(こうなりたい)という目的を常に忘れないからだろう。


身体という生命、地球という生命、宇宙という生命、多くの動植物という生命、

人間の意識という生命、

みな一緒だろうと思う。



怒ろう!?  寂しがろう・・・?

2012-05-30 11:16:35 | ひとの幸福
あれをしようとか、これにする とかを、

決める判断は出来るけど、
 
決められるのはあくまで 事柄について。

意識して、悲しもう とか 怒ろう とか 寂しがろう とか 喜ぼう

なんてことは出来ない。

喜びも 悲しみも 寂しさも 苦しさも 怒りも、

何かが自分の中で起って自ずから湧いて来るもの。


俳優がドラマの中で、意識して悲しがろうとして、

ドラマとは関係ない自分の悲しかったことを思い出すことをして、涙が出る・・

・・という話も聞いたことがあるけど、それもなるほどと思った。

けど、役になりきると自然に自ずと湧いて来るんだろうとは思う。

俳優というのは凄いもんだ。役になりきるなんて。

そうスイッチが入るんだろうな。