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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

イブ2才 ⑥

2012-05-22 14:17:16 | 日々の暮らし・思い出
テレビの前にイブが立っていたので、私が、「どいて」と声掛けても、

「どかない」と言う。

「ひいじいちゃんがテレビ見えなくなるからね」と言うと、

さっと退く。

95才の義父は耳がかなり遠いし、イブに声を掛けることもない。

どの曾孫が来ても同じような感じ。

様子を観ているか、それで笑うくらいの対応。

イブになんの干渉もしない。

時々イブはじーっと義父を観ている。

何を思っているのだろう。

利き脳

2012-05-22 13:58:58 | 本を読んで
図書館で雑誌を見ていたら、確か「エッセ」という女性誌だったと思うけど、

部屋の片付けするのに利き脳によって、

相応しい片付け方がある・・云々という記事があった。

その利き脳の見分け方というのが面白かった。


知識や情報を入れる時(インプット)直感で入るタイプと論理的に入るタイプがあり、

直感で情報が入るタイプは・・

両手を組む時(教会でアーメンとお祈りする時の両手のスタイル)に、

右手の親指が左手の親指の下になる人。

情報が論理的に入る人は左手の親指が下になる人。


知識や情報を出す時に(アウトプット)直感で表現するタイプと論理的に表現するタイプがあり、

腕を組む時に右腕が下になるのは直感で表現する人。

論理的に表現するのは右腕が上になる人。

・・・こんなふうな記事があり、インプット、アウトプットで、

右右タイプ、右左タイプ、左左タイプ、左右タイプと4つの利き脳に分けられ、

右右タイプはこんなふうな片付け方がうまいこと行く・・というような話だった。

片付け方はどうでもいいんだけど、この利き脳というのが面白いなぁと思った。

両手を組む時、誰でも自然としっくりする組み方がある。

その時によって違うということがない。

反対にしようとするととても不自然。

腕を組む時もそう。しっくりする組み方がある。

前からこれって不思議だな、面白いなぁって思っていた。

この区別の仕方でいうと、私はインプットが右脳で直感的、

アウトプットが左脳で論理的、ということになる。

こんなブログで言葉を使ってあーだこうだ七面倒くさく書いてるのは、

やはりアウトプットが左脳なのかと思うよ。

自転車に乗れるようになる

2012-05-22 11:33:33 | ひとの幸福
自転車に乗れるようになること、

こういうのは体得っていうものと思う。

体得って身体で納得。

電灯のスイッチを指で動かしたら電灯が点く、というのも体得かもしれない。、

自転車にはこうしたら乗れるというのと同じかもしれない。

何故そうすると電灯が点くのか、その理がわからなくても、

ここをこうしたらこうなるということがわかれば電灯は点けられる。

こんなふうにしたら何故自転車に乗れるようになるのか、理屈はわからなくても、

小さな子供も練習すれば乗れるようになる。


酒好きな人が酒を止める、ということがなかなか出来ないのは、

酒は美味い物だ、酒は憂さを晴らしてくれる、・・というように心が“なっている”からだろう。

心がそう“なっている”のに、それを止めるというのは難しいに決まっている。

こうしたらこうなるというスイッチがオンになっていれば、

それはそうなる、のは当たり前。


潜在意識のプログラムを作り替えること、というようなことをずっと書いてきたけど、

長い年月使ってきたプログラムは強力で、何かというと出てくる。

けど、こうなりたい、こうしたい、というエネルギーがあると、

何度も何度も何度も失敗を経験することで(自覚して)、

以前にあった強力なプログラムは段々小さくなり、

新しいプログラムは大きくなることが出来る。

乗れるようになりたくて、練習する事で、

自転車は恐い、倒れると痛い、乗るのが恐い、というプログラムが、

自転車に乗るのは面白い、自転車は速い、

自転車に乗るのは簡単、というようなプログラムに作り替えられる。

何度も何度も転んでプログラムは変わる。

いくら頭でわかってても、実行、実践がなければ本当に絵に描いた餅だし、

そんなの何の役にも立たない。