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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

アンチ・アンチ・エイジング

2012-05-25 17:13:51 | 本を読んで
「動的平衡」の第8章「生命は分子の『淀み』」の中の「アンチ・アンチ・エイジング」という箇所。

私たちの皮膚は勿論、「全身の細胞は一つの例外もなく、動的な平衡状態にあり、

日々、壊され、更新されている。・・・

生命は、こうして、不可避的に身体の内部に蓄積される乱雑さを外部に捨てている。

この精妙な仕組みこそが、生命の歴史が38億年をかけて組み上げた、

時間との共存なのである。

ところが私たちは時として、その共存方法を無視し、時計の針を逆回転させたい欲求にかられる。

額や顔に刻まれたシワを伸ばしたいと願い、

抜けてしまった頭髪を植え込みたいと願うのである。

しかし、生命現象を支えるサスティナブル(永続的)な仕組みは総合的なものである。

老化の目立つ身体の一部に単一の原因を求め、

単一の有効成分に救いを求めようとするのは、

悪しき還元主義(直接観測可能な対象に関する命題のみによって知識は構成されなければならないとする主張)に

陥ち込んでいると言わざるを得ない。

例えば、化学合成された薬物はいっときの身体の一部に劇的な作用を示すが、

まもなく身体はその揺れを戻して作用を無効にしようとする。

生命現象は動的な平衡状態なのだから。・・・中略・・

私たちにできることはごく限られている。

生命現象がその本来の仕組みを滞りなく発揮できるように、

十分なエネルギーと栄養を摂り、

サスティナビリティを阻害するような人為的な因子やストレスをできるだけ避けることである。

かくして私たちは極めてシンプルな箴言に出会うことになる。

それはアンチ・アンチ・エイジングこそがエイジングと共存する最も賢いあり方だということである。」

・・以上。

わかりやすくてとても面白かった。

(アンチ・エイジング=反老化)は無理なことで、

反・反老化が老化と共存する賢いあり方だという。なるほど。

これを読んで自分が書いた「戦争反対」を思い出した。

戦争をなくそうとすることで戦争はなくならない、というもの。

戦争という状態になっている全体(動的平衡で)を、

止めさせようとすると、いっときはその一部に劇的な作用を示すが、

まもなく戦争という全体はその揺れを戻して作用を無効にしようとする。

イラクに介入したアメリカみたいだ。

全体がわからないことがわかってないアメリカだったんだろう。

今も副作用に苦しめられている。

戦争も動的平衡。

イブ2才・・⑨

2012-05-25 15:36:31 | 日々の暮らし・思い出
昼前に、夫が「もう起きているかな」と言った。

誰の事かと思ったら、昨日帰ったイブのことだった。

昨日遅くに自宅に着いたから、寝坊しているんじゃないか、でももう起きているか・・・

そんなことを思ったよう。

それを聞いて、もうオフになっていた私の中のイブスイッチがオンになってしまって、

会いたい 見たい 聞きたい 触りたい・・が押し寄せてきた。

そういうのはほんの少しの間の事だったんだけど、

意識っていうのは凄いもんだな~と思った。

一瞬にして過去がよみがえる。

「動的平衡」を読んで

2012-05-25 14:34:54 | 本を読んで
最初に『動的平衡 2』を読んでしまって、後からになった『動的平衡』。

全体を読んでやはりとても興味深かった。

最初に印象的だったのが第2章「汝とは『汝の食べた物』である」の最後のところ。

たんぱく質を含む食品を食べたので、

それが身体のアミノ酸になるわけではなくて、

「消化管内でひとたびアミノ酸にまで分解されると、

それはもともと食品タンパク質だったのか、

消化酵素だったのか見分けはつかない。

つまり私たちは食べ物とともに私たち自身をも食べている。

・・・中略・・・インとアウトを付き合わせただけの線形思考からは、

生命のリアリティは何も見えてこない。

これは何も消化管内だけのことではない。

世界のあらゆる場所に、容易には見えないプロセスがあり、

そこではグジャグジャの、つまり一見、混沌に見えて、その実、

複雑な動的平衡が成り立つリアリティが生じているはずなのだ。

私たちはいま一度、それを直視するための勇気と、

それを定量(成分物質の量を定めること)しうるだけの思考の解像力(分解能ともいうらしい)を求めなければならない。」

・・・・・ここのところだ。

私はこれをこういうふうにも解釈する。

世界のあらゆる場所、これは世界の総ての現象のことを指すともいえる。

生命である意識(無意識も含め)というものは、

人間活動の根幹であり、人間界の現象の基だろう。

意識で織り成されるこの世の出来事には、容易には観えないプロセスがある。

どんな出来事もたまたまや偶然では起こらない。

体内の分子や神経細胞、脳内物質なんかが動くのもすべて理がある。

私たちの物質レベルでもこんな所にこんな花が咲くなんて、とか・・思うこともあるけれど、

偶然に物質は動かない。それがそこにそう動き在るには、

なるべくしてなっている理がある。

なんらかのわけが織り成されてそうなっている。

今の人間にはわからない事実の連続というものがある。

現在の人間が解明できていない理があるのでそうなる。

それが「複雑な動的平衡が成り立つリアリティが生じているはずなのだ。」

ということだろう。

私たちの意識界もそうだろうと思う。

織り成されている意識模様を、赤い糸はこう作用し、

青い糸はこう作用し、茶色い糸はこう作用し・・というように思考を分解しなければならない。

すると見えなかったものが見えてくると思う。

在る意識織物がそのようにして織られたものではないだろうかと推測できる・・・

んじゃないだろうかと思う。

昔の顕微鏡から現在の電子顕微鏡になって、

対象をより精密なところまで見られるようになったように、

意識を観察する目が精妙になることで、

プロセスが観えて来る・・のかと思う。

自分の経験でも、昔の意識観察力より、

今の方が数段精妙に観察できるようになっている。

山岸さんの、向こうから私は見えないだろうが、

私からはよく見える・・といったような文章があったけれど、

観察眼のことを云っているのだろう。